【完結】女装男子のインビジブルな恋愛事情。
二百一十七時限目 鶴賀優志に暇は無い
『私も一緒に行くの? メイド喫茶に?』
天野さんは状況を理解できていない様子で、僕が冗談を言っているように訊こえたのだろう。天野さんにとってのメイド喫茶とは、『男性が楽しみ場所』というイメージしかない様子だ。その考え方は概ね正しいが、間違えだとも言える。
メイド喫茶〈らぶらどぉる〉は、数あるメイド喫茶の中でも特殊で、男性だけでなく女性も楽しめるように工夫が施されている。あの店の門を叩けばわかるだろう。萌えを全面に押し出す従来のメイド喫茶とは違い、どこか気品を感じる内装に驚くこと請け合いだ。……なんて熱っぽく語ったら絶対に引かれるよなぁ。誘い文句を変えてみよう。
「実は件のカトリーヌさんが、〝次はそのお友だちも連れてきてください〟と言っていたんだ」
『──そう、事情は理解したわ。でも優志君。それは建前じゃないの? 流星だって、私たちが来店するのを嫌がっているみたいだし、それを無視するのはどうなのかしら……』
痛い所を衝かれた──天野さんの言っていることは正論だ。これ以上、流星に迷惑をかけるのは申し訳ない。然れども、『ここで引き下がったらいけないぞ』と、自分を鼓舞する。
「流星には僕が弁明する。天野さんと奏翔君には迷惑をかけないように善処するから」
『──違う。そうじゃない』
「え?」
『はあ……もういいわ。わかった。私も行けばいいんでしょう? 弟がお世話になるんだもの。姉として〝カトリーヌさん〟に、ご挨拶しなきゃならないものね』
「う、うん。……ありがとう?」
言葉のチョイスを間違えたのかな。
もう少しロマンチックな言葉を選べばよかった?
ロマンチックかぁ……。「どうしてもキミが必要なんだ」って演技っぽく言っても薄ら寒いだけだよなぁ。女心は僕が思っているよりも奥が深いようです──メイド喫茶への誘い文句に、ロマンチックがあって堪るものか。
「それじゃあ──」
と、電話を切ろうとして思い留まる。
「今日、奏翔君は予定空いてるのかな」
メモ〈③〉に書いてある項目だけれど、このタイミングで訊くべきだ、と判断した僕は、予定を変更して訊ねる。
『ちょっと待ってて』
スピーカー部分からごとりと携帯端末を硬い床、或いは机などに置いた音が訊こえてた。天野さんは携帯端末を部屋に置いて、奏翔君に予定を確認しに行ったのだろう。数秒の間があってから、こんこんと木製の板を叩く音。
──奏翔、ちょっといい?
──なんだよ姉さん。今、勉強中なんだから邪魔しないで欲しいんだけど。
──今、優志君から電話があって……。
僅かに訊こえてくる会話に耳を峙ててみたが、途中から徐々に声が小さくなり、携帯端末では拾えなくなってしまった。そこから再び無音状態が続いて、奏翔君がドアを閉じた音が響く。次に、天野さんが部屋に戻ってきたような物音。携帯端末のスピーカーから、ごそごそと耳を劈く不快音が僕の表情を歪ませた。
『お待たせ』
「おかえり。どうだった?」
『メイド喫茶に行くことは不振かっていたけど、予定は無いみたいだから大丈夫そうよ。奏翔には私から事情を説明しておくわ』
「助かるよ。……まだカトリーヌさんに確認を取ってないから何とも言えないけど。確認が取れたらまた電話するね」
天野さんと通話を終わらせた後、続け様にカトリーヌさんの携帯端末に電話をかけた。そろそろ『昼めし旅』が始まる頃だ。番組に倣って僕も『カトリーヌさんのお昼ご飯を見せて下さい』とでも冗談を飛ばせたら、少しはリラックスして話せるけれど、大人相手にそんな失礼な態度は取れない──そんな事を考えている内に、呼び出し音が一〇回鳴り終わってしまった。
「そりゃそうだよなぁ」
この時間、厨房は天手古舞いだろうし、メイドや執事たちは目が回るほど忙しいはずだ。役職であるカトリーヌさんがホールに出る事態に発展していなければと思ったが、事務所は事務所で席の温まる暇もないらしい。空席が両手を挙げて主張しているようなダンデライオンとは大違いだが、仮にダンデライオンに客が大勢詰めかければ、それはそれで大事である。隠れ家的な店だからこそダンデライオンだ。照史さんはどう思っているかは知らないけどね。
携帯端末に応答が無いとなると、これは迷惑承知で店に電話するしかなさそうだ。財布からメンバーズカードを取り出して、表に記入してある番号を入力。通話ボタンをポチッとな。んー、この瞬間が一番気まずいのじゃ。メイド喫茶にこそこそ電話するオーキド博士なんて見たくない。
『お待たせ致しました。メイド喫茶らびゅらどぉるでした!』
──完。
いやいや、完結してどうするんだ? しかも店名を噛んでるし──このメイドさん、本当に大丈夫なんだろうかと心配してしまった。……でも、どうもこの声は訊き覚えがある。エリスではない。絶対違う。エリスの場合、『らぶらどぉるです』だけで済ませてしまうだろうから、このメイドさんの方がまだ、電話対応は上手だと言……どっちもどっちだな。
「あ、えっと……もしかして〝マリーさん〟ですか?」
『え? そ、そうですが。申し訳御座いませんが、ご主人様は……』
「昨日、バックヤードの二階でばったり会った……」
どっちの名前を名乗るべきだ? と暫し悩んで、
「優梨です」
こっちの方が向こうもわかり易いと思い、この名前を出した。
『ああ! その節は本当に申し訳御座いませんでした! も、もしかしてその事でお電話を……?』
電話越しからも漂う『やってしまった感』。これは直ぐに訂正するべきだろう。このままでは一向に話が進まないし、彼女も仕事に戻れない。僕は一度咳払いしてから、声を優梨に寄せた。
「あれは事故ですし、私の不注意でしたから気にしていませんよ。そうではなくて、今日はカトリーヌさんに用があって電話しました。可能でしたらカトリーヌさんに代わって頂きたいんですけど……」
『よかったです……はっ! か、かしこまりました、お嬢様。ただいま、カトリーヌを呼んで参ります』
待機ボタンを押したのか、受話器からバッハのG線上のマリアが繰り返し流れる。優雅なバイオリンの音色に耳を傾けていると、『これからいい所なのに!』という所で回線が繋がった。
『お待たせ致しました。香と、……カトリーヌ、で御座います』
自分の源氏名が気に入らないのか、名前を言い終えた後に間があった。
「お忙しい所すみません。昨日お伺いした鶴賀優志です」
『はい。どうかされましたか? お忘れ物ですか?』
「いえ。実は折り入ってご相談したいことが──」
僕はこれまでの経緯を説明した。
『なるほど。それで携帯に連絡を、……仕事中はサイレントモードにしているので気がつきませんでした。事情は把握しましたが、さすがに〝今すぐに〟というのは難しいです。一十四時頃には余裕ができますので、その時間にご来店いただくか、それとも店の中でお茶をしながらお待ちいただければと思います』
「無理を言って本当にすみません。どちらになるかわからないですけど、必ずお伺いします。……所でなんですけど、エリスは今日も出勤ですか?」
これだけは絶対に訊ねておく必要がある。いくら流星でも、奏翔君にバレるのは嫌だろう。
『エリスは指定休を取っていますのでいませんが、エリスにも用事があるのでしょうか?』
「あ、いないならむしろ好都合なので大丈夫です。では、ご迷惑をおかけしますが、よろしくお願いします」
失礼します──と通話を切った。
ローレンスさんにも確認を取るべきだっただろうか? ……まあいいや、それはカトリーヌさんがしてくれると期待して、僕は発信履歴から天野さんの番号にかけ直しそうとしたけれど、あと数ミリ、指を押せばリダイヤルする所で手を止めた。
──日曜日に、エリスが指定休?
土日祝日は時給が幾らかアップするのが相場だが、それを差し置いてまで何をしているのだろうか? 家計が火の車で、家族を支えるべく立ち上がった彼が、時給アップボーナスを逃すはずない。マリオだって自分の機と引き換えにしてでも、1UPキノコを取りに行こうと躍起になるのに──これ、マリオあるある。『プラマイゼロだし、まあいいか』ってなるやつね。
月に数回しかないチャンスを放り出してまで、流星はどこに向かったというのだろうか?
「……そこまで不思議でもないか。誰にだって予定はあるだろう」
これはきっと、煙草一つを一千円札で購入した客に対して、『妙だな』と眼鏡を光らせる少年探偵のようなものだ。何も変なことじゃない。ごくごく普通だ。流星が日曜日に指定休を入れていたとしても、それは珍無類でも何でもないだろう。変に勘繰れば、『お前うざいよ』と流星に言われてしまう。
「気にしてもしょうがない。明日にでも訊けばいいだけのこと」
うやん。と自分自身を納得させて、天野さんにリダイヤル。仙狐さんいいよなぁ。僕の家にも来てくれないかなぁ。僕は頗るダメ人間になるんだろうなぁ。ドラえもんもいいけれど、家事全般をこなしてくれる仙狐さんを僕は推します。
──現代社会の闇が作り出した物語だよ、あのアニメは。
『もしもし。もしもーし? 優志くーん?』
「あ、ごめん。ちょっと仙狐ってた」
『せん……なに?』
何でもない何でもない。
何でもないけど恋の魔法でもない。
懐かしのアニソンメドレーに、確かこんな歌詞の曲があった気がする。いい曲だったけど、音質の悪さは否めなかった。
「ごめん気にしないで、こっちの話だから」
『よくわからないけど、……それで、どうだったの?』
こうして事情を説明するのは何度目だろうか。
まるで盥回しにされている気分だ。
『つまり、お昼をその店で食べるか、それとも時間に合わせて行くかってことね』
「そういうこと。どうする?」
『どうするも何も、要件だけ済ませて〝はいさようなら〟とはいかないでしょ。不本意ではあるけれど、昼食はそこで──って、もうこんな時間じゃない!? 今すぐ向かわないと! 場所は? ……ん。わかった。じゃ、駅の改札付近に集合ね』
電話を切った後に時計を確認してみたら、もう『新婚さんいらっしゃい』が始まる頃だった。桂文枝のズッコケ芸と、山瀬まみの明るい笑顔、そして、奇想天外なストーリーを語る新婚さんが出演する人気番組だ。
僕の学校生活も、番組に出演する新婚さんたちと肩を並べるくらいには奇想天外、な気がする。
──なんて、言っている場合ではない。
僕はクローゼットの中をがさりごそりと漁り、大きめなフードが付いた灰色無地のパーカーと、履き潰したジーパンに着替えて、財布をジーパンの後ろポケットに、携帯端末は右のポケットに突っ込んで、大急ぎで家を出た。
この度は【女装男子のインビジブルな恋愛事情。】を読んで頂きまして、誠にありがとうございます。
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当作品は他にも〈小説家になろう〉に掲載しています。〈小説家になろう〉と〈ノベルバ〉で話数が違うのは、〈ノベルバ〉に〈章システム〉が存在しない為、強引に作っている兼ね合いで話数が合わないのですが、〈小説家になろう〉と〈ノベルバ〉に同時投稿しているので、読みやすい方をお選び下さい。
まだまだ未熟な筆者ですが、これからも応援をよろしくお願いします。
by 瀬野 或
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