【完結】女装男子のインビジブルな恋愛事情。

瀬野 或

二百一十四時限目 鶴賀優志の長い一日はまだ終わらない


 何が正しくて、何が間違いなのか。その判断を下すのは、僕であって僕じゃない。

 常日頃から『正しくあろう』と生きているわけではないけれど、夜の学校に忍び込み、金属バットで窓ガラスを叩き割ろうなんて思わない。それは生産性の無い行為だ。だから自分の中で、『これ以上踏み込んだらいけない』と戒める必要がある。

 心のボーダーライン──なんて、ちょっと厨二病チックな言い回しが擽ったいが、人には人のパーソナルスペースがあり、そこに足を踏み入れれば不法侵入にもなりかねない。だから警戒する。注意深く観察して、相手の隙を探りながらに踏み入れる。これが〈コミュニケーション〉という物の実状。

 耳元に当てた携帯端末のスピーカーから、六回目のコール音が終わった。どうして呼び出し音を数えてしまうんだろう? 習いしょうだろうか? 昔、母さんから『一〇回鳴って出なかったら切りなさい』と教わったからだと、八回目のコール音が終わった頃に思い出す──やっぱり、急な電話は迷惑だったかな。もしかしたら夕飯の支度、乃至は、食事の席にいるのかもしれない。

 一〇回目のコール音が終わり、時間が経ってからもう一度かけ直そうと諦めかけたその時──

『……もしもし?』

 僕の呼び出しに応じたのは、天野さんの弟であるかな君だった。

 変声期は中学一年くらいから始まるけれど、未だにあどけなさを感じる声。高くもなく、かと言って低くもない。絶妙なバランスを保っていてるけれど、高校に入学する頃には安定するだろう。

『鶴賀先輩、ですか?』

「うん。そうだよ。久しぶりだね」

『ご無沙汰してます。あ、いつも姉がお世話になっています』

 いえいえ、こちらこそ──なんて返したけれど、『奏翔君は出来た弟だなぁ』なんて、親戚のおじさんみたいに関心してしまった。

 辞を低くして受け答えするなんて、この歳で容易くできるようなものではない。いくら学校で『先輩』と『後輩』の立場を学びわきまえていようとも、『いつもお世話になっています』という一言を添えられるだろうか? ひょっとすると、僕よりしっかりしているかもなぁ。それにしても──

「どうして奏翔が?」

『姉は今、どうしても離れられない用事がありまして……その』

 奏翔君は曰く言い難しと言葉を探して、口をもごもごさせてから声を潜める。

『お風呂に入ってます』

 なんというタイミングの悪さだろうか。

 この状況を察するに、『代わりに出てくれ』と頼まれたんだろう。中学二年生である彼は、性に対しての知識もそれなりに持っている頃であり、姉の裸に欲情まではしないが、人心地の無い場面に出くわしたに違いない。スタイルのいい天野さんが姉なら尚更だ。

「あ、そうだったんだね。それじゃあまた……そうだなぁ、一時間後くらいに掛け直すよ」

 そう言って電話を切ろうとしたけれど、奏翔君はどこか焦るように、『あの!』と僕を呼び止めた。

「うん?」

『最近、姉の様子がおかしいんですけど、学校で何かあったんですか?』

「あー」

 ──どう、答えるべきだろうか。

 さすがに真実を話すわけにはいかない。それこそ天野さんのプライベートに土足で踏み込む行為だ。いくら姉弟の関係性であっても、知られたくない秘密の一つや二つはある。『家族は一番近しい他人だ』という言葉もある通り、僕がそれを犯すわけにもいかないだろう。暫し一考して、「高校生になると、色々あるからね」とお茶を濁した。

『色々、ですか。まあ、クリスマスパーティーでの一件があってから、その一端を垣間見た気がしますけど』

「あ、あれはちょっと特殊というか、何と言うか……」

『先輩の反応を窺うと、つまり、そういうことなんですね。……はあ、何やってんですかうちの姉は』

「お姉さんは悪くないよ。悪いのは──」

 悪いのは、誰だ──?

 告白をした月ノ宮さん? それを断った天野さん? 違う、それ自体は決して悪い行いじゃない。

 むしろ、尊敬すらできる。

 僕には好きな人に告白するような熱意も無いし、相手を傷つけるとわかった上で、その告白を断る勇気も無いのだから。

 じゃあ、誰が一番の悪なんだろうか? そんなの、改めて言うまでもない。

『先輩?』

「あ、ああ、ごめんね。ひとまず、今はこれで。お姉さんによろしく伝えておいて」

 よろしく、とは何だろう?

 僕は天野さんに、何をよろしく伝えて欲しいのだろうか? 

『わかりました。伝えておきます──あの、先輩』

 奏翔君はどうも、電話を切りたくないという様子だ。それに先程から、やたらともどかしそうにしているように見受ける。勉強の事で訊きたい事でもあるのかな? ……そんなわけはないか。勉強だったら天野さんだって教えられる。

「なに?」

『失礼を承知でお訊ねします。……女装って、楽しいですか?』

 ──なに? なんだって?

「それは一体、どういう意味かな?」

『馬鹿にしているわけじゃないんです。もしそう捉えられてしまったのなら謝罪します──そうではなくて、単純に訊いてみたくて……すみません』

「ああ、そういうことね。……そうだなぁ、楽しくないと言えば嘘になるよ。趣味で女装をしている人は少なからずいるし、一つのライフスタイルとしている人も多い、かな? ストレス発散や、開放感を味わいたいという人もいる。僕の場合は他にも理由があるんだけど──それがどうかしたの?」

『僕はその、……女装する人って〝変態〟だと思っていた節があって』

 まあ、そりゃそうだ。

 世間的にはそういう眼で視られてしまうだろう、それが〈女装〉の問題点でもある。
 
『あ、別に鶴賀先輩を変態と言ってるわけじゃないんです──ただ、余りにもあの時、自然体に振舞っていたので。まるであの姿こそ、先輩の本来の姿のような』

「あ、あはは……」

 笑って誤魔化すにも限度ってもんがある質問だよ、ガチで。

 ──最近、ちょくちょく佐竹るなぁ。
  
『クリスマスの件以降、姉との距離は少し縮まりましたが、……なんというか、湿舌に尽し難いと言いますか、えっと』

 奏翔君は言辞を弄するかのように、『ううむ』と唸りながらも適切な言葉を探している。

「そこまで改まる必要は無いし、僕もあの姿を視られてしまった以上、奏翔君の前で格好つけたりはしないから、気にしないで訊いてみてよ」

『……わかりました』

 深呼吸する息遣いが訊こえて──

『ほんのちょっとだけ、興味が湧きました……』

「……そっか」

『はい』

 女装をする事自体は決して悪い事ではない。法律にも触れないし、個々で楽しむ分なら問題は無いけれど、女装を趣味とするならば、それなりに覚悟はしなければならない。……まあ、僕の場合はそれすらもすっ飛ばして超展開を迎えたわけだが、だからこそ言えることがある。

「僕が言うのもアレだけど、好感を持たれるような趣味じゃないよ。常にリスクを支払うから、リスク管理は徹底しなきゃならない」

 そうじゃないとあの時の僕みたいに内股を指摘されて、そこから探偵ショーを披露される羽目になるんだ。……あの日のカトリーヌさんは怖かったなぁ。

『興味があるとは言いましたけど、そこまで本気じゃ……いえ、仮にそれを趣味とするならば、しかと胸に刻みます』

「──それで、奏翔君はどうしたいのかな?」

『ええと……僕は持ち合わせがあまりないので、服や化粧道具を揃える事ができないんですけど、できれば先輩の立会いの元で、……やってみたいなと』

 これはいっかなどうするべきか。

 奏翔君に影響を与えてしまったのは僕だから、衣装云々は僕が手配すればいいとして、二つ返事で了承するのは簡単だけれど、こればかりは天野さんにも話を通す必要がある。それはおそらく、奏翔君の本意ではないはずだ。誰にだって秘密にしたいことがあるように、奏翔君だってそれをおおやけにしたくはないだろう。そうだとしても──ここは、彼を試すしかないか。

「お姉さんとその件を話して、了承が得られたなら、協力すのも吝かではないよ。……どう? 話せる?」

『……』

 電話越しからは躊躇いの色を訊き取れる。かなり葛藤しているようだ。自分が男であると、生まれた時から今まで当たり前だった事をひっくり返すのだから、それを実の姉に話すなんて、僕も趣味が悪い課題を押し付けてしまったか……。

「無理をする必要は無いからね? 別に今じゃなくてもでき」

『──わかりました。姉に話を通します』

「え」

『反対されるのは目に見えていますが、多分、これも僕ら姉弟の試練なんじゃないかなって思うんです──あの日僕は、先輩達から向き合う勇気を教わりました。姉と僕の血の繋がりは無いですけど、もっと真剣に向き合ってみようって、そう思えたから』

 しっかりしている所の騒ぎじゃないぞ、これは。

 奏翔君は自分なりに答えを模索しているんだ。真剣に、真摯に。あの時は反抗しかできなかった奏翔君が、まさかここまで成長していたとは思わなかった。僕が中学生の頃なんて、周囲にいる才能溢れる彼らの影に潜み、声を殺して空気に徹していただけだったのに、奏翔君は自分の殻を破ろうと足掻いて、艱難辛苦にも耐えながら、一歩づつでも前に進もうとしている。

 それに比べて僕はどうだ──偉そうな口を利いて、先輩風を吹き鳴らしているだけじゃないか。

 格好つけないとは言ったけれど、余りの格好悪さに身が震える。もう時期、高校二年になるというのに、僕はまるで駄々を捏ねる子供だ。

『あ、鶴賀先輩』

「なに?」

『姉が戻って来たんですけど……あの、電話の折り返しは、僕の話が終わってからでもいいですか?』

「え? あ、ああ。いいよ。……頑張ってね」

『はい。では、失礼します』




 * * *




 通話を切った後、途方も無い虚脱感に襲われた。

 焦りかとじゃなく、今の自分の程度の低さに嫌気がさしたのだ。

 あんなに受け答えがしっかりしている彼は、まだ中学生だぞ? 二歳年下の奏翔君の方がずっと大人じゃないか。

「これはいよいよいけないぞ……」

 ウーロン茶が入っていた透明のストレートグラスは空っぽになり、それが自分と重なって視える。中身が無い。結露の水滴が木製のコースターを濡らしてじんわりと黒く滲む。部屋は大分温められてはいるものの、如何せんきまりが悪い。それもそうだろう。僕は何も決まっていないのだから。

 このまま不貞寝を決め込みたい所ではあるけれど、天野さんからの連絡を待たなければ。奏翔君にああ言った手前、最後まで責任を持たなければ筋も通らない。……僕は大変な過ちを犯してしまったんじゃないかと、今更になって思い悩み、勉強卓に額を打ち付けた。

『随分と偉そうな口を利くじゃないか。自分はどうなんだい?』

 自問自答の末に辿り着く答えは、いつだって曖昧模糊だ。模糊もモコモコもっふもふ。『うやん』と仙狐さんは鳴く。

「しっかりしなきゃだよなぁ」

 佐竹は『許す』と決断した。

 月ノ宮さんは『気持ちを伝える』と決意した。

 天野さんは『いつまでも待つ』と意志を示した。

 僕はどうだ?

 これまで、彼、彼女達に何をした?

 何を差し出せた?

 見放されても文句は言えない状況なのに、それでも共に歩もうとするのは、僕の答えを待っているからに他ならない。

 佐竹を選べば、僕はもう〈男性〉には戻れないだろう──いや、佐竹も天野さんも〈僕自身〉を好きになろうとしてくれている。けど、実際の所は〈優梨〉を想ってくれているのは明らかだ。その気持ちに応えるならば、僕はやっぱり〈優梨〉であるべきなんだろう──その覚悟がまだ、僕にはできていない。曖昧模糊で終わらせたくないんだ。『とりえず』と付き合うのは失礼過ぎるし、中途半端な気持ちで付き合いたくないから。

 ──それからどれくらい経過しただろうか。

 一時間、二時間と時計は進む。

 そしてついに、勉強卓の上で携帯端末が震えながら、お間抜けな電子音を奏でた──。










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 by 瀬野 或

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