【完結】女装男子のインビジブルな恋愛事情。
二百一〇時限目 メイドとしての心構え
私は今日、この店に何をしにきたんだっけ。
ああ、そうだ。今日は楓ちゃんの要望に応えるというか、落ち込んだ彼女を慰めるというか、そういう事情も相俟ってこの店にきたはずだ。佐竹君の悪ノリには辟易するけれど、彼も彼なりに気遣っての行動だったんだろう。多分。知らないけど。
然ればとてこの状況は、いっかなどうしてこうなったんだろうと思い悩む。
私は今日、この店に何をしにきたんだっけ──二度目の問い。
私をこの店で働かせたいという趣旨で呼び出され、有り難い話ではりますが──と、丁重にお断りしたにも関わらず、話の流れに呑み込まれるように、現在、メイド服を身に纏っている。
これだって断固拒否する姿勢を取っていればよかったのだ。それができなかったのは、この店に降りかかる火の粉を払うなんて英雄めいた理由ではなく、『楓ちゃんのリクエストに応えた』だけの事。それなのにどうしてこうなった……?
女は度胸──そう、カトリーヌさんとエリスは呟いた。
漫然としたままでその言葉を訊いていた私は、改めてその意味を考える。どこかで、歯車が噛み合っていない。いいや、最初から歯車なんて噛み合っていなかったんだろう。この店に足を踏み入れた瞬間から、私の歯車は狂いっ放しなのだ。
ローレンスさんの机の上には、パソコンのモニターが二つあった。画面を確認したわけじゃないけど、あのどちらかはホールの状況を確認するための監視カメラ映像が映し出されているとすれば、勘のいいローレンスさんのことだ、私達がこの店に来店した時、私の正体に一早く気がついてエリスに指示を出したに違いない。
これは憶測だけれど、ローレンスさんは楓ちゃんが『月ノ宮の人間だ』って気がついていたのでは? そして、さっきエリスが口走った言葉──あの言葉が何よりの証拠だ。
意図せず共犯になったのか、私達の訪問を快く思わなかったエリスが、最後の嫌がらせとしてローレンスさんに便乗したのか……さすがのエリスもそこまではしないと思いたい。
私とカトリーヌさんが話している最中、ローレンスさんは席を外している。その時、ローレンスさんは何をしていたんだろう? あの口振りから鑑みるに、ホールの状況を確認していたはず。その際に『楽しんで頂けてますか?』と、楓ちゃんに声をかける事は可能だ。当然、楓ちゃんは『優梨さんは?』と、私の所在を訊ねる。ローレンスさんはこう言ったはずだ、『余興をもっと楽しめる案が御座います』と──それだけの提案をするには充分な時間であり、テンションが上がっている楓ちゃんは一言返事で承諾しただろう。楓ちゃんもまた、少なからず、私に思う事があるはずだから断る理由も無く、深く考えもしなかったはずだ。
私は楓ちゃんに引け目を感じている。もしも楓ちゃんに、『メイド服を着てみて下さい』と言われたら、潔くとまでは言わないけれど、この姿になるのも吝かではない──でも、楓ちゃんはそうはしなかった。
楓ちゃんも楓ちゃんで、まだ心の整理ができてないんだ。だから責め立てようとは思わないが、問題なのはローレンスさんだ。
短時間で策を練り、ここまで思い通りに事を運んだその手腕には恐れ入ったけれど、ここから先、ローレンスさんは何をするつもりだろうか? ここはローレンスさんの庭と言っていい。私の意思が容易く通るような場所でもない。反論するにしても『店の名誉のため』と解釈できる文句に了承してしまった手前、『やっぱり無理です』は筋が通らない。
これは参った──状況を覆す術を完全に断たれている。さすがは『メイド喫茶〈らぶらどぉる〉の店主だ』、と言った所だろう。ここまで掌の上で転がされると、清々しさすら感じて止まない。
女は度胸、ね……。
ここまで利いた皮肉は、まるで、ハロルド・アンダーソンの小説のようだ。
私は最後の抵抗よろしくに笑ってみせる。
女は度胸なのだから、この姿に恥じぬよう、精一杯演じてみせようか。
──案外私も、祭り事が好きなのかもしれない。
* * *
「ヤベぇ……これはガチだわ。普通にマジで」
私の姿を視るなり、佐竹君は語彙力が喪失したかのように驚嘆する。元々彼の語彙力は、何度も同じ台詞を繰り返すゲームのモブレベル、ではあるけれど、らぶらどぉるに来てからと言うもの、語彙の少なさに磨きがかかり、『きょうは、めいどきっさにいってきました。たのしかったです』みたいな、小学生の絵日記宛らとなっていた。
「アマ……、エリスと並ぶと姉妹みたいだなぁ」
「その設定だと、お姉様の方が鬼がかってしまいますね」
楓ちゃんの読書の趣味が幅広過ぎてヤバい──佐竹った。
普段はビジネス本を好んで読んでいるけれど、異世界転生系のラノベまで読むとなると、これは益々、私の存在意義がなくなってしまう。ならばここはリスタートするべし!  私は! 死に戻りしている! ……当たり前ではあるけれど、特に何も始まりはしなかった。
「しかしまあ、よくもこう……着せ替え人形させられるものね」
隣にいるエリスが嫌味たらしく笑う。
一歩でもホールに足を踏み入れたら、流星ではなく〈エリス〉としての立ち振る舞いをしなければならない。それが不本意であっても『仕事ならば詮方無い』とする流星は、私よりも一歩先に、大人の世界に近づいているんだろう。……なんて、客観視してみた。
ならば私も、内心忸怩足る思いを露骨に晒け出すわけにもいかない。
郷に入れば郷に従え、だ。
「似合いますでしょうか? ご主人様、お嬢様♪」
くるりとその場で一回転してみせたら、フリルのついたスカートがふわりと揺れた。
「完璧ですよ。非の打ち所がありません!」
佐竹君と楓ちゃんに感想を訊ねたはずだったのに、返ってきたのは訊き覚えのある中音域の声。
「ローレンスさ、……様?」
この格好をしているのに、敬称が『さん』だと不自然なので、慌てて『様』と言い換えた。いつからここにいたんだろう? 一回転を視られていたら、かなり恥ずかしい。
「やはり私の眼に狂いはありませんでしたね。状況を汲んで、私を様と呼ぶ配慮まで、恐れ入りました。……ここは私もご期待に沿わねばなりませんね」
「ローレンス様、さすがにそれは酷では?」
「エリス、これはエンターテイメントですよ? 楽しまなければ損と言うもの……そうは思いませんか?」
「その通りです!」
楓ちゃんは小さく拍手をしてエールを送った。
「それでは──ユーリ。ご主人様とお嬢様を丁重にもてなして下さい。何か注文があれば、そのままキッチンに通して。話は私が全て、きっちり通しておきますから」
「か、かしこまりました……」
「さあさあ、愉しくなってきましたね。エリス、キミも持ち場に戻りなさい。この席は私が責任を持ちます」
「ローレンス様がそう仰るなら──畏まりました」
エリスは疑心を顔に浮かべながらも、渋々命令に従う。
「今日は特別な日になる予感がしますね」
この人は腹の底で、何を策略しているのだろうか。
他にもまだ何かしでかすのでは? と、ローレンスさんの微笑みが、今の私には末恐ろしく感じた。
「なあ、これからどうすりゃいいんだ?」
おもてなしをしろ──なんて言われても、私にはどうすればいいのやらで、エリスとローレンスさんが持ち場に戻ってしまった今、手持ち無沙汰もいい所だった。
「注文をするにも、お腹は満たされていますからね……」
追加注文しようにも、テーブルの上には飲みかけのココアと珈琲がある。すっかり冷めてしまってはいるけれど飲めないというわけでもない。……温め直す、というのは有りなんだろうか? そうまでしてホットな飲み物をご所望というわけでもない風情。
こういう場合の対策としていい案はないか? と店内を見渡してみると、騒然としていた店内は落ち着きを取り戻し、客も……いや、ご主人様方は幾らかお出かけになられたようだ。
私が任されているのはこのテーブルのみで、他のテーブルには他のメイド達が対応している。テーブルメイクから掃除まで、やる事は幾らでもありそうなものだが、私はらぶらどぉるに属しているわけじゃない。それに、勝手を知らない私が動いたら返って作業の邪魔になるだけ。『メイド姿になったのなら、それらしく振舞ってみせよう』と意気込んだ矢先に躓いてしまった。
「あの、優梨さ……あ」
今は『ユーリさん』でしたね、と楓ちゃんは訊ね直した。
「なんでしょうか? 楓お嬢様」
「ユーリさんにそう呼ばれると皮肉めいて訊こえてしまいますが……コホン。ローレンスさんと裏で何をお話になっていたんですか?」
「ああそうだ、俺も気になってたんだ。そろそろ教えてくれてもいいんじゃね? 普通に」
「あー」
この身なりで誤魔化すのは至難の業か。……私は要点だけを軽く二人に伝えた。
「アルバイトにしては高待遇ですね。メイド喫茶はその特殊な職業もあって、時給は一般的な職業よりも高く設定されていますが、お話を訊く限り、他にも手当てが付くのでしょう。高校生の場合は働ける時間帯も考慮して、一日約四時間勤務。時給二千円とすると、一日八千円。それが週に三回と考えると、一ヶ月で九万六千円。そこから手当て等が付くと、約一十二万円前後でしょうか。〝普通の高校生〟が持つにしては大金ですね」
「普通じゃねぇ高校生もいるけどな」
佐竹君が楓ちゃんをちらりと嫌味たらしく視ると、楓ちゃんは「当然です」とばかりにくすっと笑った。
「ここまで条件がいいのなら、受ける以外の選択肢は無いのでは?」
数字を出されると心が揺らぎそうになってしまうけれど、
「でも、アルバイトする理由が無いから」
「働く理由なんて後から考えてもよいのではないでしょうか? 明日から本気出す──では、いつまでもこのままですよ。これからお金は沢山必要になってきます。欲しい物も増えるでしょう。その時、誰にも文句を言われずに使える資金があれば、後ろめたさも感じません」
耳が痛い内容だなぁ、と佐竹君はぼやいた。
「俺も姉貴に言われてんだよ、〝アルバイトして私を支えなさい〟って。なあ、これっておかしくねぇか? なんで姉貴に貢がなきゃなんねぇんだよ。……段々腹が立ってきたわ。ガチで」
そう言って、冷めきったココアをぐいっと呑み干した。
「別に働くのはいいの。でも、この店で働くにはそれ相応に心構えが必要になるって思う。私にそこまでの覚悟は無いかな」
もう既に、メイド役とは思えない口調になっている私が、この店の『男の娘メイド』としてやっていけるはずがない。
「やはり、そう簡単にはいきませんね」
いつの間に来たのやら、ローレンスさんが私の後ろに立っていた。
「ご友人様からの説得なら、多少なりとも心が揺れると思ったのですが」
「そういう謀は関心しませんよ、ローレンス様」
ローレンスさんの更に後ろに、エリスが仁王立ちをしている。
「今回は潔く引き下がりましょう──然し、私は諦めたりしませんから、そのおつもりで」
「全然潔くないです。未練タラタラじゃないですか」
「それはそうですよ? ここまで仕上がっている人材を放置するなんて勿体無いにも程がある」
はいはい、そうですねーと、エリスはローレンスさんを軽くあしらった。
「これ以上益体も無い話に付き合う必要はないです。優梨お嬢様、そろそろお召し物を変えましょう」
「え、あ、ちょっとま──」
エリスは私の手を掴むと、バックヤードに通じるドア目指して強引に突き進む。そして、道半ばで足を止めると振り向いて、「ローレンス様も来て下さい」と凄む。
さすがのローレンスさんも、この状況はアウェーだ、と感じたのか、「失礼致します」と私達の後に続いた。
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まだまだ未熟な筆者ですが、これからも応援をよろしくお願いします。
by 瀬野 或
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