【完結】女装男子のインビジブルな恋愛事情。

瀬野 或

二百八時限目 無料(タダ)より怖いものは無いと優梨は噛み締める


「さてさて、冗談はここまでとして」

 ローレンスさんは微笑みを崩さずに、優しい口調で語りかける。

「こちらとしては、是非とも、〝男の娘メイド〟として優梨さんを迎えたいと考えています。もちろん福利厚生は整えていますし、交通費もお支払いします。このプロジェクトは私共も初めての試みですので、それなりの待遇はお約束しますよ」

 まるで子供をあやす親のような、慈しみすら感じる柔らかい声だ。

 でも、軟弱さは微塵も感じない。

 張りのある声には芯が通っていて、ちょっとやそっとじゃ揺らがない意思を感じ取れた。

 この待遇はかなりの好条件に思える。アルバイト先を探していたら、こちらから頭を下げてお願いしたいくらいだ。でも、そこまで私に固執する理由はなんだろう? 私よりも可愛い子は他にも沢山いるだろうし、何より、この店で仕事をする覚悟が備わっていないのに、そんな中途半端な気持ちで働くのは失礼だ。『じょく』と言い換えてもいい。

「私は」

 断ろうと開口した瞬間──

「……というのは後々擦り合わせをすればいいとして、本音を語らせて頂くと、私以上にカトリーヌが優梨さんを気に入ってしまって。……ええ、それはもう、私が嫉妬するくらいですよ」

 私の発言をさえぎるかのように言葉を被せた。

「え?」

 ……あのカトリーヌさんが?

「ローレンス様、そういうへいのある言い方は……」

「いいじゃないか。ここは〝男の娘同士〟で、腹を割って話をしてくれたまえよ」

 ローレンスさんは「あはは」と哄笑しながら席を立ち、

「では、頃合いをみて戻りますので。ごゆっこり」

 私の背後にあるドアから退出した。




 * * *




 ドアが閉まり、事務所内にはエアコンと空気清浄の稼働音だけがことさらに響く。気さくな人柄のローレンスさんとは違い、カトリーヌさんは……こう言ってはぎょうかもしれないけれど、『気むずしい女性』というイメージが強い。鋭い眼つきで私を睨むような瞳の奥には、優しさの欠片も見受けられない──と、思っていたのだけれど。

「……はあ。あの人はいつもこう」

 これまでにも何度か、こういう場面があったんだろうか? 愚痴を溢すように深い溜め息を吐いた。

 ローレンスさんは何事にも最大漏らさず行う印象だったが、今の反応を視ると、カトリーヌさんの負担も大きいようだ。それだけ優秀である、と言えば訊こえもいいが、そうであっても疲労だけは拭えない。

 溜め込んでいた感情が、不意に出てしまったんだろうなぁ、毎日お疲れ様です、と心の中で最敬礼。

 カトリーヌさんは気まずそうに黙り込み、観念したかのか自分の席へ戻ると、椅子の足に付いているキャスターを転がしながら近づいてきた。

「あ、あの」

 近いんですけど──と言おうとしたら、カトリーヌさんは私の顔を覗き込んだ。

「……もしかして怯えてる? ……ごめんなさい。私、ああいう接し方しかできないの」

 こういう所は昔から変わらないのよね、本当に──と、嘆きながら肩を落とす。

 ローレンスさんを引き合いに出せば、二人はまるっきり逆のタイプ。

 性格も、考え方も、何もかもが違うように思えた。

 私はカトリーヌさんの事を言葉そのままの意味で、『気難しい人だ』と思っていたけど、それはどうも違うらしい。どちらかと言えば、素直に感情を表現出来ない流星タイプのようだ。

「不器用なんです、……昔っから」

「そう、だったんですか?」

 細かい作業は得意そうだけどなぁ? 字とか綺麗そうだし。……これは偏見か。

 パソコンを使用しての事務作業、特に書類作成なんかは、それこそカトリーヌさんの得意分野に思えるけれど。

 ──ああ、そういえば。

 淹れてもらった珈琲の味を思い出す。

 さすがにアレは、お世辞にも褒められる味ではなかった。

 ふっとカトリーヌさんの机の上に眼を向けると、几帳面に整えられたローレンスさんの机の上とは大違いで、書類やファイルが乱雑に山を作っている。

『人は見かけで判断してはいけない』

 ……とは言うけれども。

 カトリーヌさんの場合は強い口調と、身嗜みだしなみを整えることで、『無い自分』を隠しているのだろう。出来る上司が身近にいれば、見栄を張らなければならない場面も多々有るようで、大人の厳しさを実感。

 私の身近にも、カトリーヌさんのような性格の持ち主がいる。

 ──何だか重なるなぁ、この二人は。

「私の友達と似てますね」

 そんな事をしみじみ思い、つい口走ってしまった。

「え?」

「その子も不器用で、自尊心が邪魔をして本音を伝えられずに苦悩してました」

「そう、なの? ……いいお友達になれそうだわ」

 これは皮肉なのか、それとも本音なのか。

 カトリーヌさんっという人物がどういう人なのか、まだ図りかねているの段階なので、自嘲めいた笑いは、どちらの意味にも受け取れてしまう。

 信用するに値する人物なのかはわからない。

 ──けど、悪い人じゃない。

 それだけわかっただけでも、今は『よし』としよう。

「そのお友達は今どこに?」

「わかりません。……色々と複雑な事情があって、今はその子を抜いたメンバーで来ています」

「そう。……それはよくないわ」

 その言葉は私の心をちくりと刺し、喉元を締め付けるような罪悪感を覚えた。

「どんな形であれ、仲間外れはよくない。あ、咎めているわけじゃないの。ただ、……それはとても寂しいことよ」

「そう、ですね」

 カトリーヌさんはほんの少しの間を開けて、昔を思い懐かしむかのように、

「私もね、こういう姿をしているからいじめられたりしたわ。けど、彼がいつもそれを救ってくれたの」

 静かな口調で、そう語った。

 彼というのはローレンスさんの事かな?

「あの人はいつもひょうひょうとしていて掴み所の無い性格だけど、自分の信念からいちじるしくいつだつするような事は絶対にしない人です」

 それはまるで、佐竹君と、楓ちゃんを、足して二で割ったような性格だ。それにつけ加えて、照史さんとローレンスさんは、似たような気質を持っていると言えなくもない。

 照史さんも照史さんで、未だによくわからない部分が多々ある。

 琴美さんのように意地悪になったり、そう思えば優しく手を差し伸べてくれたり……。

 照史さんの真意は、一体どこにあるんだろう? と、私は甲斐性も無く、いつも勘繰ってしまうのだ。例えそれが『優しさからくるもの』であっても、その優しさに甘えてしまっていいものか。……その判断が難しい。

 兎にも角にも、照史さんは『大人』なのだろう。

 子供には理解し難い『何か』を内に秘めていて、それを露呈させまいとしている姿は大人と言える。

 ──大人、か。

 私には理解も出来ない、〈何か〉を背負っていて、それこそが『大人足りえる資格』だとするならば、楓ちゃんもまた〈大人〉なんだと思う。

 然し、『大人だ』と断言出来ないのは、楓ちゃんも私と同じく、まだまだ〈子供〉だから。

 私達は未だ子供のまま、『大人とはどういう存在なのか?』を模索している段階で、その答えが出るまでは、いつまでも子供なんだろう。

「優梨さん。次に来店する際は、その子も連れて来て下さい。いつでも歓迎します」

「はい。……ありがとうございます」

 たった一つだけ、カトリーヌさんとの会話の中でわかったことがある。

 あの時の発言、『いいお友達になれる』は、カトリーヌさんの本心から出た言葉だったんだろう。

「このまま終わってしまうとローレンス様に申し訳が立たないので、話を戻させて頂きます」

 そう言って色を正すと、カトリーヌさんは本題を切り出した。

「私はアナタに可能性を感じています」

「可能性?」

 オウム返しで返答すると、

「はい。可能性です」

 カトリーヌさんもまたオウム返しで答えたけれど、可能性なんて大それた物、私にあるのだろうか?

「〝未知〟という可能性です」

「それは誰でも持っているものでは?」

 そうですね、と一笑する。

「ですが、〝優梨さんは二倍の可能性を秘めている〟と言えます」

「〝優志であること〟と〝優梨わたしであること〟を示唆している……とか?」

 カトリーヌさんはかぶりを振る。

「アナタが〝両性の気持ちに理解がある〟からです。私は、産まれてからずっと〝男性の気持ち〟を理解した事が無いんです」

「え?」

「体は男性ですが、心はずっと女性のままでした。ちぐはぐの体と心……でも、〝男性だ〟と自分を意識した事は一度もありません」

 ──流星と似ている、そう思った。

 流星は〈流星えりす〉としての自分が嫌で、それを頑なに否定していたけれど、カトリーヌさんも同じだったのかな?

 流星の性別を見破ったのはローレンスさんだと思っていたけど、もしかするとカトリーヌさんかもしれない。

「容姿のよさもそうですが、アナタは見事に〝男の性〟と〝女の性〟を両立している──いえ、調、と言い換えた方が正しいかもしれません」

 どうだろう? あまり自覚したことが無いから返答に困ってしまって、「買い被り過ぎですよ」と、着の身着のままの返答しかできなかった。

「そんな事は無いと思いますが」

 壁に掛けられている電波時計を確認すると、ローレンスさんが退室してから三〇分は経過していた。……そろそろ潮時かもしれない。

 これ以上楓ちゃん達を待たせたら申し訳無いので、上手く断れるかわからないけれど、……いつだって何とかなったんだ。それは今日も変わらないはず、と覚悟を決める。

「評価して貰えたのは大変有り難いんですけど、……ごめんなさい。やっぱり私にこの仕事はできません」

「そうですか……。無理を押し通すような話ではないですが、もし心変わりがあるようであれば、いつでも連絡して下さい」

 カトリーヌさんはスーツのポケットから銀色の名刺入れを取り出し、その中の一枚を私に差し出した。名刺の作りはローレンスさんの名刺と変わらないけれど、肩書きは『代表取締役代理』となっている。この店で二番目に偉い、という事だろう。メイド喫茶〈らぶらどぉる〉は夫婦で経営しているのだからそれは当然だ。

 そうは言っても、私はこの事務所に入ってから気になる事が一点あった。

 この店は夫婦経営であり、役職はローレンスさんとカトリーヌさんのみだ。でも、机は三つ用意されていて、一つは空席になっている。……もしかすると、開店当時は三人で営業していた? 現在空席になっている席には、どんな人物が座っていたんだろう?

「あの、カトリーヌさん」

「はい。何でしょうか?」

「あの席は……」

 カトリーヌさんはその一言で、私が何を疑問に思ったのか理解して、「ああ、あの席ですか」と決まり悪げに呟いた。

「あの席には昔──」

 ……と口を開くと、タイミングを見計らったかのようにドアが開き、「ただいま戻りました」と、ローレンスさんが微笑みながら入室した。

「この話はまたの機会に……」

 私に耳打ちして、再び、席に戻ったローレンスさんの右隣に立つ。……ローレンスさんの耳には入れたくないのか、それとも禁句扱いになっているのか。

 この話はローレンスさんがいない時に改めて訊くか、この店に在籍しているエリスに探って貰えばいい。

 そこまでして内部監査をする必要は無いけれど、気になってしまったものは仕方が無い。

「交渉は……どうやら失敗に終わったみたですね」

「申し訳ありません」

 構わないさ、お疲れ様──と、カトリーヌさんに労いの言葉をかける。

「それにしても、優梨さんのご友人はメイド使いに慣れていますね」

 おそらくそれは、楓ちゃんの事を言っているんだろう。

「暫くホールの様子を視ていたのですが、まさかうちのメイドが全てのゲームで敗北するとは夢夢思いませんでした。……失礼ですが、あのお嬢様は一体?」

「名前は月ノ宮楓、といいます。月ノ宮製薬社長の娘──と言えばわかりますか?」

 その名前を訊いたローレンスさんは眼を丸くして、「あの月ノ宮製薬の?」と、俄かに信じ難い様子。

「道理で強いわけです。……所で、優梨さん」

「はい」

「実はその〝楓お嬢様〟からご提案を受けまして、こちらとしても〝月ノ宮製薬〟の名を出されたら、無下にするわけにもいかず……」

 この流れはよくない。……絶対に無茶振りされる流れだ。

「ここは一つ、私の顔を立てると思って、を着ては頂けませんか?」

 ──やっぱり、そうなるよね。

 何となくではあったけれど、ローレンスさんに呼び出されてから、そんな気はしてたんだよなぁ。

「断ったらどうなるんですか?」

「どうもなりません。ただ、こういう世界ですので、いつどこで誰が眼を光らせているやら……」

 言葉を濁しているけれど、『敵は極力作りたくない』という事だろう。

 この人は、なかなかに策士だ。

 予めこうなる事を予測して──楓ちゃんのことは予想外だっただろうけれど──カトリーヌさんに『食事代を出す』と提案させ、私が断れない状況を作ったんだろう。偶然にしては話が出来過ぎている。

 より怖いものは無いというが、今日ほどそれを噛み締めた事はない。









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 by 瀬野 或

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