【完結】女装男子のインビジブルな恋愛事情。

瀬野 或

二百七時限目 カトリーヌはいじられ役に徹する


 食事を終えて一呼吸置いた後、ローレンスさんが『ハッピーメロンクリームソーダ』を運びがてら、「お嬢様、少々お話が御座います」と訳あり顔で訊ねた。

「ごめんね、ちょっと席を離れてもいい?」

「わかりました。まだ時間はありますので、私はメイド喫茶が何たるかを学んでいます」

「要するに、〝私もメイドさんと戯れてみたい〟ってことらしいぞ」

「佐竹さん、怒りますよ?」

 悪い悪い、と言いながらも、悪びれる様子は一切無い。

 佐竹君に要約されずとも、その意味は理解できる。食事中もミニゲームに興じている客を熱心に観察していし、人一倍こういう事に興味を向けるのは楓ちゃんらしい。

 これまで『お好み焼き喫茶』や『バレンタインチョコ作り』といったイベントで陣頭指揮を取っていた──それは将来を考えて、の事だと私は思っていた──けれど、実は祭り事が好きなだけだったり? それとも、この非現実的なこの空間で現実逃避がしたかったのかもしれない。

 楓ちゃんはこのまま、レンちゃんに対しての想いを諦めてしまうのかな……? 私が言うのはおかしい話だけど、今の楓ちゃんは楓ちゃんらしくない気がする。

 いつだって『勝ち』に拘っていた彼女が、たった一度の『敗北』を経験して終わってしまうなんて。

 ……そんなの、違う。

 新しい恋に向かうのはいい事だと思うし、それで前向きになれるなら、是非ともそうするべきだ。でも、アメリカへの留学を先延ばしにしてまで手に入れようとした、一途過ぎるくらいの愛情は、一体どこに手向けるというの?

 私がこれを楓ちゃんに伝えるのはお門違いだ。そんな物、悪意でしかない。優しさ、という名前に託けた〈言葉の暴力〉だ。きっと佐竹君もそれを理解した上で、その話題に触れないようにしているんだろう。

 彼もまた、優しい人から。

 楓ちゃんは佐竹君を認めている。

 彼の行動力、人望、周囲を巻き込む程の存在感、時々空回りしているけれど、それも彼の魅力であり、口でこそ『佐竹さんと二人っきりになるくらいなら』と言っていたけれど、彼以上に気楽でいられる存在も無い。……だから、ここは佐竹君に任せてもいいかな。

 私が佐竹君と視線を合わせると、佐竹君は顎を引く程度に頷いた。それを『ここは引き受けた』という意味に受け取って、バックヤードのドアの前で待っているローレンスさんの元に向かった。




 * * *




 二度目という事もあってか、初日よりは心穏やかでいられるけれど、決して慣れたというわけではない。然も、今日は土曜日。裏方はメイドさん達が往々と行き交う。その際、お互い会釈程度に頭を下げるけれど、私に構っている暇など無いという様子で、早歩きをしながら去っていった。

 廊下を抜けた先は、以前、三人で話し合った休憩室のような空間に出る。そこでは休憩中のメイドさんや執事役の男性従業員が食事をしながら談笑をしていた。……さすがにここで話し合うのは気が引けると思い、先を歩くローレンスさんに眼を向けると、どうやら〈事務所〉で話をするらしい。

 ローレンスさんは私をちらりとへいげいして、ドアノブに手をかけた。

「どうぞ、お入り下さい」

 ……これはどうも驚いた。

 ドアの先は一十二畳くらいの広さのある空間になっていて、事務所というよりも書斎に近い作りだ。身近な所で喩えるならば、学校の校長室。校長室の床は絨毯だけれど、この事務所の床はホールの床と同じ素材を使用している。窓は無く、その代わりに、プラズマクラスター搭載の空気清浄機が隅で稼働しており、その対面側には加湿器がもくもくと蒸気を噴射していた。

 この事務所にはドアが二つあり、一つは私が今さっき通ってきた休憩所に繋がるドアで──この店では『食堂』と呼んでいるらしい──もう一つのドアは店の構造から鑑みるに、キッチンへと繋がってるのかな? と推測を立てた。緊急時に素早く対応できるようにだろう。

 中央から少し奥に、年季の入った木製の立派な机がある。

 その机の上には、この部屋の雰囲気とはミスマッチな黒いパソコンモニターが二つ。書類やファイルなどはブックエンドを使って縦に並べられていてるので、ローレンスさんは視た目以上に几帳面のようだ。他には何が置いてあるのか気になるけれど、じろじろ視るのは行儀が悪い。

 壁側には本棚が並び、そこにも書類やファイルが並んでいる。経営に関してのビジネス本や、楓ちゃんが好みそうな本もちらほら見受けられた。ここに並んでいるのは重要度が低い書類や資料で、社外秘の書類などはローレンスさんの机より奥にある、鍵で戸締まり可能な観音開きタイプの棚に入っているんだろう。こちらだけは業務用の一般的なタイプの棚で、色こそ黒を選んではいるが、クラシカルな事務所の雰囲気とは合わず、若干浮いているようにも思える。

 机は他に二つあり、この机も木製の物だ。ローレンスさんが使用している物よりは劣るけれど、機能性は劣らず、といった感じで、壁に向かうように二つ並んで設置されていた。奥にある机がカトリーヌさんの机で、今の今までパソコンで作業をしていた様子。私が事務所に入ると作業を中断し、隣にある『もう一つの机』からキャスター付きのパソコンチェアーを引っ張りながら、ころころと転がして部屋の中央へ。

「どうぞ、お掛け下さい」

「……失礼します」

 一礼してから腰を下ろす。

 その間、ローレンスさんはゆっくりと歩きながら自分の席に向かい、私が着席すると、高級感のある黒い皮の椅子に座った。

「プライベートをお邪魔してしまい、申し訳御座いません」

 そう謝罪したのはカトリーヌさんだった。

 カトリーヌさんはローレンスさんの右隣りへと移動して、謝罪の言葉を述べてから深々と頭を下げる。

「鶴賀さんとご友人様は、今回に限りでは御座いますが、〝ゲスト〟としてお招きする形にしまして、お食事代は当店が持たせて頂きます」

「そ、それは申し訳無いですから……」

 私が遠慮すると、ローレンスさんは「いえいえ、いいんですよ」と破顔した。

「鶴賀君──いえ、今は〝優梨さん〟と呼ぶべきですかね? こちらとしてもご迷惑をおかけしているのですから、それくらいはさせて下さい。……ですが、この件はご内密にお願いしますね?」

 そして、お得意のウインク。

 そこまで言われたら、ここはお言葉に甘えた方がよさそうだ。払う、払わずの問答ほど、滑稽で面倒な事はない。

「ありがとうございます」

 機をうかがうような時間が僅かに流れ──

「それにしても」

 カトリーヌさんは私を観察するようにまじまじと見つめながら驚嘆して、心境を吐露するかのように開口した。

「まさかここまでとは。……さすがに驚きを禁じ得ません」

 その言葉を訊いて、ローレンスさんも『うんうん』と何度も頷きながら同意を示した。

 お褒めに預かり光栄ではあるけれど、ここまで大袈裟に賞賛されるような出来栄えだろうか? まあ、これまで何度もメイクしたり、琴美さんから教わった技術を自分の物にするために、地味な努力は積んできたつもりだけれど、私からすればカトリーヌさんの方が、より女性らしく視えるので素直に喜べなかった。

「昔のキミを視ているようだよ。まあ、今もキミは可愛いけどね?」

「ローレンス様。私語はつつしんで下さい──優梨さんの前ですよ」

 ローレンスさんは「これは失礼」とイタズラっぽく笑った。

 わざわざ夫婦漫才を視せるために私を呼びに来たわけではないだろう。閉鎖的なこの空間の堅苦しい雰囲気を壊すために、敢えておどけてみせたに違いない。

 私の固まった表情を視て、どうにか緊張を解そうとしてくれたんだと思うと、『さすがはらぶらどぉるの総支配人だ』と感心してしまう。もっとも、揶揄われた香取さんは澄ました表情を崩しこそしないが、その実、耳まで真っ赤にしているので、褒められるのは不慣れらしい。

 普段こそ生真面目で隙も視せないような人が、不意を衝かれて弱点を露見ろけんさせる──これこそ『ギャップ萌え』がジャスティスだという証。異論は認めない。

 カトリーヌさんが『男の娘』と訊いた時は、それはもうびっくら仰天としてしまったけれど、こうして改めて彼女を視ても、気品すら感じる藤の花のような静けさを持つ女性だ。……雨の日に彼女と相対すれば、傘の羽から落ちる雫でさえも、彼女の魅力足りえる素材になってしまう。それほど〈女性〉としての美しさを備えているのならば、もう〈男の娘〉とは呼べない。

 確か、ローレンスさんは手前だと言っていたけど、カトリーヌさんの年齢は幾つなんだろう? ……とてもそんな年齢には視えない。けど、歯に衣着せぬやり取りから察するに同年代か、一つ二つ下くらいの差。

 カワイイは作れる! という有名なCMがあるけど、美しさも作れる! という事だろうか? いやはや、これは失言。藤原の紀香さんに怒られない内に心の中で訂正。

 カトリーヌさんが知的に視えるのは、その言動からではあるものの、眼鏡の功績が大きく理由付けられている──なんて発言をすれば、私を馬鹿と思われそうだ。うーん、否定はできないけど、馬鹿ついでに質問したい事もある。

 それは、二人の間柄が『夫婦』となっている事。

 琴美さんと弓野さんの時もそうだったけど、形式的には『同性婚』であり、カトリーヌさんが正式に『女性である』と国に申請を出していなければ、そういう事になるはずだ。

 さすがにプライベートな質問過ぎて、訊ねるのは憚られるけれど、いつか訊ねてみたい。……参考程度に。

 カトリーヌさんの事情を知っていて受け入れたローレンスさんもそうだけど、どうしてこうも私の周囲には『訳ありカップル』が目立つのか。これもシュタインズ・ゲートの選択ならば、エル・プサイ・コンガリィである。こんがり焼けました。

「お二人共、仲がいいですよね」

 二人の夫婦漫才を視て、有り体な感想しか出て来ない私の語彙力といったら佐竹君に匹敵する。いや、佐竹君の場合は『普通に仲いいっすねぇ、ガチで』だ。……大して変わらないので絶賛自己嫌悪。

「カトリーヌとは長い付き合いですからね。大学生の頃なんて──」

「ローレンス様。もう本当に、無理です。……やめて下さい」

 ああ……、なるほど。

 カトリーヌさんの恥じらう姿を視ると、加虐心が刺激されてしまうんだ。カトリーヌさんは困れば困る程に、そのギャップで可愛いらしくなる。年上の女性を揶揄うなんてそれこそ罪ではあるけれど、もう少しだけ意外な一面を視ていたい、そんな気分にも納得できるくらい、彼女の恥じらう姿は可愛いらしかった──ならばもう私ではなくて、カトリーヌさんがホールに出るべきでは? とは思うけれど、これも私の緊張を解すための余興のような物なんだろう。

 カトリーヌさんは頬にもみじを散らしながら、咳払いをしてその場を制した。

 咳払い、だったのだろうか?

 ……案外、本気で噎せたのかも知れない。









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