【完結】女装男子のインビジブルな恋愛事情。
一百九十七時限目 そして僕らのチョコはレートを上げてパーティーはサークる ⑩
教室の机は既に元通りで、月ノ宮さん達はお皿を洗いに調理実習室へ行ったようだ。がらんとした教室に一人、まるで僕みたいに窓の外を眺めながら、夕暮れ空を見つめる子がいる。黄昏時に出会うのは妖か──そんな者、この教室にはいない。
本当は直ぐに誰だかわかっていた。でも、ここにいるのが不相応な彼女が、どうして僕の席で頬杖をついているのだろうか。
「天野さん、どうしたの?」
僕はてっきり月ノ宮さん達と一緒に後片付けに行ったと思っていた。
だから、だろう。
天野さんがこの教室にいるのは、あまりにも不自然に感じる。
「──そっちは、どうだったの」
アンニュイな表情で僕に訊ねた。
「まあ、……最低な気分だね」
そう、と一言。
続けて──
「──私も、最低な気分よ」
僕と宇治原君が事を構えている時、天野さんにも何か起きたんだろう──それはきっと、月ノ宮さんも同じ。何が起きたのかおおよその見当はつく。でもそれは、当事者の間に起きた事であり、野次馬のように騒ぎ立てたるべき事柄ではない。
だけれど、天野さんは誰かに愚痴りたかったのだろう。
「はっきりと断ったわ。──その思いには応えられないって」
感情を押し殺すかのように……いや、まだ煩雑する心に戸惑っているようにも視える。
「……そっか」
そして天野さんは、手元に置いているチョコを僕に差し出した。
丁寧に包まれていたであろう、真っ赤な包み紙の箱。その中には有名なメーカーのチョコレートが三つ、寂しそうにしていた。
「食べる?」
「いや、今はそういう気分じゃないや」
チョコは当分懲り懲りだ。
今は甘い物よりも、キンキンに冷えた冷たい水が飲みたい。
蓄積した憂鬱を、洗い流せるくらいの水が欲しい。
「そうね、私も同じ」
そう言って立ち上がると、ふらりふらりと机に触れながらゴミ箱の元へ。片手に持っていたチョコを、寸分の迷いも視せずに捨て去った。
あのチョコはきっと、月ノ宮さんに渡すはずだった物だろう、と僕は推察した。渡し損ねたか、或いは受け取りを拒まれたか、真実は定かではない。だが、捨てるという行動を視せたのを考慮すれば、答えがどちらかなんて明白だ。でも、面白がってマルバツゲームをする気にはなれない。
天野さんは適当な席に腰を下ろすと、
「ねぇ、優志君。──これが青春なの?」
幸せの青い雲──これは青雲。
「さあ、どうだろう……、僕にもわからないよ」
わかるはずがない。
だって僕には青春という言葉の意味が、その答えがわかっていないのだから。
天野さんは横髪を弄りながら所在無さげに、「はぁ」と溜め息を零した。
「私が知っている青春って、光輝く金色の風が吹き抜けるような、爽やかで、胸が踊るようなものなのだけど、現実はそう甘くないわね。でもいつか、こんな苦しい日々を〝あの頃はよかった〟って、懐かしむのかしら──そんな青春なら、私は要らない」
──そう、なのだろう。
大人が語る青春なんて、懐古厨の幻想だ。
8ビットの世界を冒険して、電源を切ると同時にセーブデータが破損しないかはらはらしながら再び電源を入れる──それのどこが『昔はよかった』になるのだろうか? レトロゲーム愛好家に文句を言うつもりはないけれど、進化したグラフィック、迫力のアクション、疾走感あるレース、声優の熱い演技、今のゲームも悪くない、……僕はそう思う。
だから全ては幻想。
夢が覚めたら現実で、そこに魔法も剣も無い。
体力が全回復するポーションも無いし、お金を払えば生き返らせてくれる教会も無い。
痛みと苦痛、憂鬱と仲よく手を繋いで朝を迎えるのだ。
これのどこが青春なんだ? じめじめとして陰鬱な泥沼を歩くような気分が青春だと言うのなら、僕だって願い下げだ。
でも、天野さんの問いに同意してしまえば、きっと諦めてしまうだろう。
──あの日の僕のように。
「そう、だとしても──」
「え?」
「ここが終着点じゃないから、諦観するのはまだ早いよ。この痛みも、この苦しみも、いつか楽になる日が来るから、天野さんは大丈夫だよ」
どの口が言ってるのか、まるで本心かのように語る僕は、それこそファンタジーの主人公かのよう。まるで現実味が無い。僕の口を他人が勝手に動かしているかのような、嫌な錯覚すら感じる。
「──そうね。これで全てが終わったわけじゃない」
だけど──と、天野さんは付け加えた。
「優志君は離れないでね」
僕はそれに頷くしかできなかった。
それでも天野さんは僕に微笑む。
儚げで、今にも壊れてしまいそうな輝き。
憂いを帯びたその瞳を、僕はどうにも忘れる事はできないだろう。
* * *
僕には何も無いから。
そう、思っていた。
だからあの時、宇治原君にもそう告げた。
失うものなんか無い、と。
だけど僕には、既に失う物があった。
失いたくないと、願う人達がいた。
その願いは叶わない。
わかってる、そんな事は嫌でも知ってる。
だからこそ……だからこそ、なんだ?
答えなんか無い、出てきやしない。
『振られてしまいました、私の負けです』
月ノ宮さんから送られてきたメッセージには、そう書かれていた。
そもそも勝負をしていたつもりは無いし、僕は何もしていない。だけども彼女は、僕に負けたらしい。
勝つってなんだ? 負けるってなんだ?
気が狂いそうな虚無感に襲われいる僕は、きっと何かに負けたんだろう。
勝負に勝って試合に負けた──みたいな。
そんな都合のいい言葉がこの世の中には存在して、雰囲気だけは一丁前だ。
世界は今日も美しい夕焼けを僕に視せている。
そして、気づかないうちに殺されていくのだろう。
何が、とは言わない。
これもただ単に感傷に浸っているだけで、それっぽい言葉を羅列させているだけだ──意味なんて無い。
もし意味があるとするならば、その意味は、
──愚か、それだけだ。
* * *
バスの窓から夕暮れを眺めていた。
茜色に染まる田舎の風景。寂れたスーパーの前を通れば、子供の手を引く母親の姿。「今晩の夕飯は何?」頑是無い子供が母親に訊ね、母親は慈愛を帯びた声で「今日は素うどんよ」と囁くのだろう。
──素うどんかよ、そこはカレーだろ常考。
これも僕の頭の中で作り上げた茶番であり、実際はカレーかもしれない。カレーであってくれ、頼むから。
バスはそのまま道なりに突き進み、春には曼珠沙華が咲き乱れる川沿いを通る。
この近辺では有名なベジタリアンカフェを過ぎて数分、梅ノ原駅の場所を示す標識が現れれば、間もなくバスは梅ノ原駅のロータリーへ。
……今日は本当に疲れた。
早く帰ってお風呂に入り、リフレッシュした所で寝てしまいたい──そんな思いでバスを下りると、駅前に、ここには不釣り合いな男の姿があった。
「よっ」
「〝よっ〟じゃないでしょ。どうしてここに佐竹がいるのさ」
「待ってたんだよ、お前が来るのを」
癪に障る、倒置法が。
「それで、僕に何か用? さっきの続き?」
「ある意味ではそうかもしんねぇな……ほら」
そう言って、佐竹は手元にあった白い包み紙の箱を僕に投げて寄越した。
「……爆弾?」
「ちげぇよ!? ──バレンタインだ」
米国だと、バレンタインは男性が好意を寄せる相手にプレゼントを渡す日になっている。
つまり佐竹は欧米人か?
いや、佐竹は佐竹で佐竹なのだから佐竹。
……佐竹なんだよなぁ。
「帰ってから開けろよ?」
「うん。僕もこの大観衆の中、恥を忍んで開けるような事はしたくないかな」
「散々な言われようだな、ガチで!? ──まあ、お前らしいか」
佐竹は駅前の自販機付近にあるベンチに座ると、くいくいっと顎で、僕に座れと指示を出した。佐竹に顎で使われる日が来るとは思わかったが、佐竹も今日の出来事で思う所があるのだろう。不満も、怒りも、僕にぶつければいい。
「さっきは、悪かったな」
「……はい?」
嫌味の一つや二つも覚悟していただけに、思わず変な声が出てしまった。
「どうせお前の事だろうから──とは思ったけどよ。つか、どんだけアイツを叩きのめしたんだ? 宇治原、マジでボロボロだったぞ」
そりゃもう完膚無きまでに、塵も残さず止めを刺してやりましたとも──なんて言ったら佐竹は怒るだろうか?
いや、きっと全てを知った後だろう。
僕が宇治原君に何をしたのか、何を言ったのか、佐竹は全てを知った上で質問をぶつけているに違いない。
「躾に必要なのは痛みだって、兵長が言ってた」
「確かになぁ……ありゃ当分凹むぞ」
そうじゃなければ意味が無い。
あそこまでオーバーキルしたんだから、凹んでくれなきゃ困る。
佐竹は上着のポケットから缶コーヒーを取り出して僕に差し出した。
この前佐竹に奢って貰った缶コーヒーと同じ物だ。
これ、やたら甘いからあんまり好きじゃないんだけど、奢ってくれるなら文句は言わない。
例の通り、佐竹はホットココアのプルタブをかちゃりと開けて、ごくりごくりと喉を鳴らす……ココアってさ、ぐびぐび飲むような飲み物だったかなぁ?
「──まあ、色々と思う所はあるんだが、それも俺のためを思ってしてくれた事なんだろ」
「自惚れるなよ、小僧」
間髪入れずに反応したら、佐竹は少し頭を抱える。
「照れ隠しが斬新過ぎて、美輪明宏かと思ったわ」
よくわかったね、と僕。
もののけ姫、結構好きなんだ、と佐竹。
「何だか、色々あったなぁ」
「……まあ、ね」
これまでにも色々と面倒事に巻き込まれたけれど、今回のは別格だ。痛みを伴う解決方法を用いたのが決めてかもしれない。おかげで僕の鋼のメンタルもズタボロで、ボロ雑巾よろしくとしている。
──それは、佐竹も同じだろう。
佐竹は佐竹で苦悩して、踏ん切りを付けるまでにかなり時間を弄した。その結果があれならば、常にあの状態を維持して欲しいものではある。でも、それはそれで面倒臭そうだからやっぱりいいや。
「宇治原とは、仲直りしたぞ」
「──そう」
「明日、正式に皆に詫びるらしい。そこまでしなくてもいいって言ったんだけど、ケジメだって訊く耳を持たないんだ」
ケジメか、まるで極道のようだ。
壇上で小指を切り落とすような真似はしないで欲しいものだが。
「──僕は謝る気なんて無いよ」
「わかってる」
悪い事をしたなら謝るけれど。
救いの無い話に対して、救いようもない事をしたまでだ──馬鹿馬鹿しい方法で。
「もし、俺があの場に駆けつけなかったらどうしてたんだ?」
「──いいや、佐竹は来るって信じてたよ」
なんだよその絶対的な信頼は、と佐竹は嘲笑する。
「信頼? 違うよ? だって僕は佐竹が来るように仕向けてたんだから」
そりゃそうだけど──と、未だに納得できないのか、佐竹は腕を組んで顎を引き、ぐぬぬと唸った。
「もし仮に佐竹が来なかったら──そんな話に意味は無いよ」
「ブレねぇよな、お前」
どうだろう、かなりブレブレだと思うけど。
「でもな──あんなやり方はもうすんな。頼む」
「……わかったよ」
そして、佐竹は僕の缶コーヒーに、こちんとホットココアの縁を合わせた。
「……何の乾杯?」
「お前の瞳に、かな」
「やめてよ気持ち悪い。本当に気持ち悪い……うげぇ」
僕は大袈裟に吐く真似をすると佐竹は大声で笑い、腹を抱えた。
「冗談だって。せめて最後は笑って終わりたいだろ?」
まあ、それもそうか。
「でも、その台詞はやっぱり気持ち悪いよ」
うるせぇなぁと、佐竹はまた笑う。
──これで僕は許されたのだろうか?
でも、僕だってケジメはつけないといけない。
宇治原君がそうするならば、僕もそうするのが道理だ。
「……ごめん」
「おう。気にすんな」
だけど彼には謝らない。
それは僕がするべき事じゃないから。
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まだまだ未熟な筆者ですが、これからも応援をよろしくお願いします。
by 瀬野 或
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