【完結】女装男子のインビジブルな恋愛事情。
一百九十五時限目 そして僕らのチョコはレートを上げてパーティーはサークる ⑧
バレンタイン当日の朝、連日の疲れが取れずに気怠い足取りで校舎へ向かう上り坂を歩く。
これで何度目だかもわからない欠伸をしながら山の空気を吸い込むが、『山の空気は美味しいなぁ!』とはならず、大概、僕の住んでいる町も山が多いだけに新鮮味は感じない。僕が都会っ子だったら話は違うのだろうけど、もう入学してから一〇〇日以上は経過している。都会在住の彼らも今更になって、『自然は素晴らしい』ともならないはずだ。
それでもまあ、言葉通りに骨身に染みる程の凍てついた空気は山ならではとも言えるかな。北風が吹き抜ける度に体がぶるりと震える。
イチバスで学校に来る生徒は少ない。
部活の朝練がある生徒は別として、わざわざイチバスで学校にくる用事も無い僕が、どうしてイチバスで登校するのかと言うと、梅ノ原駅から出る梅高行きの学バスは二本しかなく、イチバスを見送ると一十五分くらい暇な時間ができてしまう。これが東梅ノ原駅や新・梅ノ原駅なら、仮にニバスを逃しても三バスがあるので、ファーストフード店でのんびりもできる。だが、梅ノ原駅の場合、近くにあるのはコンビニのみ。それも、近頃は滅多に見なくなったデイリーヤマザキ。週刊誌や雑誌に興味が無い僕に、コンビニでその時間を費やすのはなかなかに難しいのだ。そういう理由があってイチバスで登校しているけれど、メリットが無いわけじゃない。静かな教室に一人というのは、広い空間を無駄遣いしている贅沢な気分を満喫できる──ただ、それだけ。
梅高生は基本的にニバスを利用するので、教室にやってくるのも遅い。我がクラス三組の連中もそれに当てはまるわけだが、月ノ宮さんだけはイチバスを利用するので、僕が席に座った数分遅れた後に教室へとやってくる。その時にファンクラブの面々も一緒に来ることもあるのだが、彼らもさすがに眠気には勝てないのだろう。
月ノ宮さんに生活習慣を合わせるとなると、学校から遠い場所に住む生徒は睡眠時間を削る事となる。つまり、朝またぎに起きて、おはよう日本が始まる頃には出発準備を終えてなければならない……まるで社畜のような生活だなぁ。まあ、僕の両親くらいの社畜になると、おはよう日本が始まる頃には家にいないけどね!
日本人の勤勉さは働き蟻と喩えられるけれど、働き蟻の三割は働かない蟻だから、この 喩えはあながち的を得ているとも言える……が、これ以上言及する事は避けておこう。
ぼんやりとそんな事を考えていると、噂をすれば影。教壇側のドアをがらがらと鳴らして教室に入ってきたのは関根さん──ん? 関根さん? いやいや、どう考えてもおかしいだろう。完全に月ノ宮フラグが立ちまくりだったよね? それなのに意表を突くかの如く登場したのは、いつもならニバスで学校に来る関根さんだった。
「おはゆーくん!」
「おはよう」
朝から既にアクセル全開なんだなぁ……。でも、アントニオ猪木だって言ってたもんな、『元気があれば何でもできる! 馬鹿になれ!』って。でも、彼女の場合は『馬鹿を装っている』のだから質が悪い。自分を偽る事は悪い事ではないけれど、正直な話、関根さんのソレは不気味だ。
「昨日は残れなくてごめん! 本当にごめん! 逆に謝って貰っていいかね?」
「いや、意味がわからないから……。それに、関根さんがいてもいなくても別に変わらなかったし」
「ひどい! ──ま、それもそっか」
僕らが全ての片付けをしたわけじゃないし、ある程度の片付けは終わっていたから、やる事と言えば細かい片付けだけだった。包丁を戻すとか、洗った食器を拭くとか、それだけだったら関根さん一人欠けたとしてもなんら遜色は無い。
「それにしても珍しいね、関根さんがこの時間に来るなんて」
「だって、チョコをなるべく早く冷蔵庫に入れたいもん」
ああ、そういう理由か。
「撫子ちゃんが調理実習室の鍵を取りに行く所に遭遇したから預けてきた!」
そう言って『チャリで来た』のポーズを決めたけど、そのネタがわかる人は結構少ないのでは? 有名なネタ画像ではあるが……。
余談ではあるけど彼らは今、社長さんになっていたりと順調に成り上がっているらしい。その過程もおそらくは、チャリで上ったのだろう。知らないけど。
「それにしてもゆーくんってさ、学校外では結構顔が広いんですなぁ……。照史さんから始まり、琴美さん、紗子さん、村田先輩……は! まさかゆーくんって歳上キラー!?」
そこに照史さんも加わっているのだけれど、関根さんは照史さんをどういう風に視ているのだろうか……。
言われてみればたしかに、僕は学校外での知り合いは増えた気がする。だが、それものっぴきならない事情があってだけど。ミユキさんに限っては出会いが最悪だったんだけどね──彼女単体で出会っていたら、よくも悪くも印象は違っていたに違いない。
「キラーじゃないし、たまたま知り合っただけだよ」
それに、弓野さんに至っては初顔合わせだ。あれだけ名前を訊く場面が多かったのに、昨日まで出会わなかったというのもおかしな話だ。
琴美さんよりも厄介な人間がこの世界に存在するとは思わなかったけど、上には上がいるものだと実感した日だったなぁ。
「でもでも、不思議だよね」
「なにが?」
「ゆーくんって、話せば別に変人というわけじゃないし、なんなら普通の男の子じゃん? なのにクラスではちょっと浮いた存在で友達も少ない。意図的にクラスと関わりを持とうとしてこなかったってのもあるんだろうけど、それを抜きにしたって不自然だよ」
「──そうかな。別におかしい話ではないと思うよ? クラスに一人くらいは僕みたいなヤツはいるものだから」
小学校でも中学校でも、クラスには必ずそういう人物はいるものだ。コミュニケーションが苦手とか、感性が違うとか……いじめを受けている、とか。
「でもでも、最近はゆーくんに声をかける人も増えたよね」
「……まあ、それなりにね」
それは佐竹の影響を受けて、だろう。
佐竹は教室に来ると必ず、すれ違う人全員に挨拶をする。それが例え普段絡みが少ない者であってもだ。燃費の悪い生き方だと僕は思うけど、それが佐竹の中では〈普通〉なんだろう。それに感化された人達が佐竹を真似て挨拶をするようになった……それだけの話だ。
そこから何か発生するわけじゃない。
挨拶はすれど、僕と深く関わりを持とうとする人はいない。だって彼ら彼女らは僕の事を知らないし、興味も無いのだから。
「自分から話しかけてみたらどうかね? 案外、話が合って仲よくなる可能性もあるのでは?」
「そんな労力を弄するなら、僕はこのままでいいかな」
「でた、鶴賀節!」
鶴賀節……? 鰹節の親戚かな? というか、鶴賀節って何なんだ……。
「ま、それでもいいって言うのなら、それもゆーくんの生き方なんだよね。だったら私は、その生き方をするゆーくんのATフィールドをこじ開けたエヴァ初号機というわけだ!」
それを言うのであれば、僕はカヲル君ポジションになるのだろうか。あんなイケメンだったらどんなに人生イージーモードだっただろう。
イケメンにはイケメンの苦悩というものがあるけどさ、それはイケメンだから味わえるものであり、その域に到達したから言えることだ。とりあえず僕はイケメンにバニッシュ、デスコンボを決めたいと思う次第でございます。
「本音を言うとさ、……今日の放課後の事を考えるとそわそわしちゃって落ち着かないんだよね」
「〝パーティーに関して〟は問題無く事が進むと思うよ。だって、取り仕切るのが月ノ宮さんと天野さんだからね」
「そうなんだけどさ。……まあ、そうなんだけど。この企画が成功したら、クラスが元通りになるって確証も無いじゃん? そうなって欲しいという希望的観測に基いて行動はしているけど、本当に大丈夫なのかなって」
あの、関根さん? アナタ、キャラが崩壊していますけど。
「男子全員がチョコを食べました! これにて一件落着! ……だったら、水戸黄門も全力で印籠を叩き割ると思うんだよねぇ」
印籠を持ち歩いているのは渥美格之進の方なんだけど──と蘊蓄を傾けても仕方が無い。
「不安要素はあるけど、……まあ多分、それも大丈夫だと思う」
「そうなの?」
「うん。多分」
そっか、とだけ返事をした関根さんは、それ以上の追求はしなかった。
「為せば成る、だもんね! よーし、頑張っちゃうぞー!」
それからはいつも通りの関根さんで、教室に入ってきたクラスメイト達にテンション高く挨拶を交わしていく。
為せば成る、か。
為せば成る、為さねば成らぬ。成る業を成らぬと捨つる人の儚さ──と歌ったのは武田信玄。誰もが知っている『為せば成る、為さねば成らぬ何事も』は米沢藩主の上杉鷹山が家臣に教訓として詠み与えたものだ。
この歌に出てくる〈為〉という漢字は〈ため〉とも読む。つまり、『誰かの為に行動を起こせば成功する』とも解釈できる。かなり浅はかな読み方だと自分でも思うけれど。
行動原理が明確であれば、後は目標に進むのみ。
こっちの方がしっくりくるけど、僕が据えた目標というのは『クラスを元の姿に戻すこと』ではない。
彼に罰を与えて、罪の意識を持たせること──佐竹の為にと思い立ったがこれは間違い。結局は僕のエゴであり、僕の信念に基づいて行動している。そんな僕の信念というのも僕自身が実行出来ていない時点で偉そうに語るのも愚かだが、それ以上に彼が愚にもつかないような行動を示しているのでどっこいどっこいだろう。
同族嫌悪だと言われたらそれまでだが、その他大勢を巻き込んでいる時点で、彼は僕よりもギルティなバッドガイなのだから。
静かだった教室に、ぞろぞろと人が増え始める。気がつけば大半の席は埋まり、どこもかしこも放課後のチョコレートパーティーの話題で浮き足だっていた。
「よう、優志」
「おはよう」
いつもと変わらぬ朝の挨拶。ただ、雰囲気が違う。これまでの佐竹とは明らかな変化があった。それは、髪の毛の色を黒に戻して短くしたから、という見た目以上に、佐竹が放つオーラというか、風格というか、〈何か〉が違うのだ。
「髪の毛、どうしたの?」
とりあえず、有り体な会話を試みてみよう。
「俺もそろそろ気合い入れなきゃと思ってな。本気で」
気合いの入れ方が古風だなぁ……。形から入るのは大切だけど、これでは逆に悪目立ちするんじゃないだろうか? と危惧した直後に宇治原君が佐竹の元へやってきた。
「うわ、マジかよ佐竹。黒髪似合わねぇなー!」
取り巻き達もわっと沸き上がる。
たしかに、佐竹に黒髪は似合わない。でもそれ以上に、悪ぶっている姿が似合わないのは宇治原君も同じだ。
「しっかしよかったな。株が下がったお前でも、チョコレートは恵んで貰えるみたいだぞ? まあ、それは男子全員に言える事だけどな」
後ろで訊いている僕が思うのもアレだけど、何様なんだコイツは。
これまでなら沈黙を貫き通していた佐竹だが──
「黙れよ」
……今日は違った。
その声音には明らかに敵対視するような怒りを感じる。
「は? お前、自分の立場がわかってんの?」
「俺の立場なんてお前に関係無いだろ。それとも、宇治原は俺の立場がそんなに気になるのか?」
「意味わかんねぇ。馬鹿じゃねぇの?」
「馬鹿はどっちだろうな」
一触即発な雰囲気に、教室のざわめきが消える。
「イラつくんだよ、お前。いつまでもリーダー気取りしやがって」
「俺はリーダーになりたいわけじゃないし、リーダーをやっている自覚も無い。……何なら宇治原が俺の代わりをやればいいだろ。まだ一年だ、残りの二年間このクラスを大切に考えて引っ張っていくと宣言するなら、俺はお前に全部を委ねて傍観してる」
「は? キモ」
「なあ、宇治原。お前煽り下手だろ。俺がプレイしているソシャゲのランカーさんの方がよっぽど煽り上手いぞ」
やめて佐竹、それ僕だから!
対戦相手の名前が『バンブーキング』で、これ絶対佐竹だって思ったから煽っただけで、普段は煽りなんてしないんだからね!? だってさぁ、あの日あの時あのバスで、佐竹のユーザー名を知ってしまったんだから不可抗力なんだよ。というか、佐竹が下手過ぎて逆に吃驚だったんだからね! 勘違いしないでよね! ──こんなに萌えないツンデレ台詞は初めてだ。
「知らねぇよ、お前のソシャゲ事情なんて」
「そう。お前は何も知らない。……知ろうとしないからな」
「なにが言いたいんだよ、はっきり言えよ」
宇治原君は佐竹の胸ぐらを掴んだが、佐竹は片手でそれを振りほどく。
「吉田学。ヨッシーはゲームヲタだが、お前はヨッシーがどんなゲームが好きのか知ってるか?」
「……は?」
「山口慶也。山ちゃんはアイドルが好きなんだってよ。推しメンバーの名前は?」
「いや、だから知らね──」
「井口結芽。結芽は将来なりたい職業がある。……その職業は? 森山未来。未来のマイブームは? 水溜健一郎。たまりんの実家はとある店をやってるんだが何の店だ? ──ほら、答えてみろよ」
佐竹はクラスメイトの名前を次々に挙げていく。そして、彼、彼女らがどういう趣味なのか、どういう本が好きなのか、ドラマは何が好きなのかと、宇治原君に質問を重ねた。
そして──
「雨地流星。アマっちはああ視えて案外〝あるお菓子〟が好きだったりするんだ。アマっちが好きな菓子はなんだ?」
「おい佐竹、オレをそのあだ名で呼ぶな殺すぞ」
アマっちこと、流星が苦言を呈したのを皮切りに、これまで名前を上げられたクラスメイト達が「プライバシーの侵害だぞ佐竹!」とか、「俺達を引き合いに出すなよなー!」とか、「佐竹のばーか!」とか、「語彙力佐竹!」と声を上げる──ちょっと待て、語彙力佐竹はさすがに佐竹だよ。もう本当に佐竹。笑いを堪えるのに必死で前を向けない。
「いやー、悪い! つい熱くなっちまってさぁ……。この埋め合わせは今日の放課後のパーティーで勘弁してくれよ、マジでこの通り!」
佐竹は彼らの方を向いて手を合わせ、大袈裟に頭を下げた。その瞬間、止まっていた時が動き出すかのように、笑い声が教室を包む。これには僕も、『さすがは佐竹だ』と思わざるを得ない。あれだけ殺伐としていた空気を、一瞬で笑いに変換させてしまった。
つまり佐竹は、自分が思っているほどリーダーではないが、他者は確実に佐竹をリーダーとして認めているという事に他ならず、佐竹の質問の全てを答えられなかった宇治原君とは格が違い過ぎた。これこそ、佐竹が今まで培ってきた〈信頼〉なのだろう。
「なあ宇治原。俺をウザいと思うのならそれでもいい。だけど他を巻き込むなよ。それに、他にやりようはいくらでもあっただろ? ──手段を間違えた時点でお前の負けだ」
止めの一撃が胸を貫き、宇治原君は人心地無さに耐えられなかったのだろう。取り巻きを跳ね除けてその場を去っていった。
残された取り巻き達はその立場を失い戦意喪失。佐竹に平謝りをして佐竹がそれを許すと、まるで事件は一件落着とするかのように、佐竹の周囲にクラスメイトが集まった。
佐竹の周囲にはいつも笑い声が絶えない。
語彙力が低いくせにここぞとばかりは本領を発揮して、いつもとは違う佐竹の姿を魅せる。これまでの沈黙はこの布石だった──と言わんばかりに。
これでめでたしとすれば後腐れも無いだろう。
皆が仲よく、普段通り……幸せな結末だ。
おそらく佐竹はああ言っても、宇治原君が謝りさえすれば笑って許すだろう──そう、それが佐竹なら。だが、僕はそんなに優しくない。僕と佐竹を比較すれば佐竹の方が正しいし大人の対応だ。僕は小さな事に拘って文句を垂れている子供に過ぎず、ただ幼稚なだけ。わかってる、そんな事は言われずとも理解しているんだ。
でも、本当に、このまま終わっていいのだろうか?
──僕は思うんだよ。
物語には結末が必要なんだって。
この度は【女装男子のインビジブルな恋愛事情。】を読んで頂きまして、誠にありがとうございます。
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当作品は他にも〈小説家になろう〉に掲載しています。〈小説家になろう〉と〈ノベルバ〉で話数が違うのは、〈ノベルバ〉に〈章システム〉が存在しない為、強引に作っている兼ね合いで話数が合わないのですが、〈小説家になろう〉と〈ノベルバ〉に同時投稿しているので、読みやすい方をお選び下さい。
まだまだ未熟な筆者ですが、これからも応援をよろしくお願いします。
by 瀬野 或
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