【完結】女装男子のインビジブルな恋愛事情。

瀬野 或

一百八十八時限目 そして僕らのチョコはレートを上げてパーティーはサークる ①


 熱々の珈琲を淹れてから自室に戻り、座り慣れた椅子に腰掛けて『僕だけにできることは』とぶつぶつ呟いてみる。これだけをピックアップするとまるでビジュアル系バンドの曲名みたいだ。『駄目な僕でごめん、それでも君の傍にいてもいいかな』──みたいな歌詞が想像される。最近流行りのキラキラしたビジュアル系バンドだな、きっと。

 因みにビジュアル系が好きな女子を『バンギャ』、男子を『ギャ』と呼ぶらしい。鶴賀優志の浅い音楽豆知識のコーナーでしたっと。

 大して美味しくもない珈琲を口に運んで、口の中を軽く火傷させてからコップの中を覗き込んでみる。そこはまるで深淵のように黒く、『深淵を覗いている時、深淵もまた君を覗いているのだ』とか、まるで厨二病が好きそうな言葉が脳裏を掠めた。それはきっとお互い両想いだからではないだろうか? 二次元の嫁ってのもいるらしいし、魔法使いの嫁もいる。だから『深淵が嫁』ってのもあったっておかしくはない。おかしいだろ。まあ、このご時世だから何だって有りだ。然し二次元に限る。

 テーブルに置いた珈琲はゆらゆらも水面を揺らし、暫くすると水平を保つ。そして、近所を走る車の振動で再び揺れてを繰り返しながら、沸き立つ湯気の量を徐々に減らしていく。

 ついうとうとしかけそうになった時、隅っこに追いやっていた携帯端末が間抜けな電子音を鳴らしたその瞬間、僕は『僕にしかできないこと』を思い出した。そう、〈ツンツンメイド、エリリンちゃん〉にメッセージを送らなければならなかったのだ……この言い回しだと語弊があるな。まるで僕がいかがわしいサービスを利用しているみたいになっている。

 携帯端末の画面には、『雨地流星』の名前がメッセージウインドウに記されていた。帰宅してから大分時間が経過しているので、流星はとっくにバイトを終えて帰宅したのだろう。何なら夕食とお風呂まで済ませて後は寝るだけまである……勉強はどうした?

『おい、報告はまだか』

 たったこれだけの単調なメッセージ。そこに絵文字も無ければ顔文字も無い。稀に〈!〉や〈?〉は添えられてくるけれど〈!?〉は無く、メッセージの後にスタンプが送られてくる事は絶対に無い。業務的な返信に定評のある月ノ宮さんだってそれらを使いこなすのに、関根さんに限っては煩いくらい付いてきて本文の方が少ないまであるのに、流星は本当にぶれないヤツだと改めて実感した。

 ──なんて返信をすればいいかな?

「ごめん、待った?」

 これでは待ち合わせに遅れてやってきた彼氏だ。そんな言葉を送信したら、『待ってたから催促したんだ』とお叱りを受けてしまう。

「今から送ろうと思ってた所だよ」

 親に『宿題しろ』と言われた子供か。そこから「今のでやる気失せたー」までが流れ……いやいや、そんなの今はどうでもいい。

 色々と考えた結果、素直に非を認める事にした。

『まあそうだろうと思った。それでどうなった』

 そこから流星に今日の決定事項と話の流れを大まかに伝えて、流星の返信を待つこと数分。もしかして寝落ちした? と思うくらいの間を開けて流星からの返事がきた。

『月ノ宮も偉く抽象的な課題を言いつけたな』

 全くだよ、と返信。

『けどそれは、お前が今までしてきた事を想定しての課題じゃないのか』

「僕が今までしてきたこと……?」

『オレはお前が今まで何をしてきたか全てを把握しているわけじゃないが、少なくともオレにしてくれた事は理解している。月ノ宮が言いたかった事はそういう事だろ』

 わかるようでわからないような、正解のような不正解のような、白でもなく黒でもない、曖昧模糊もこもっこもこな流星の言葉には、確かに僕も思う所がある。でも、それを期待されても、今の状況で上手くいくとは到底思えない。悪は先手必勝だけど、そこまで悪になりきれないし、ヒーローは遅れてやってくるけど、僕には人類を守る大義名分なんてものは無い。いつもその場凌ぎのはったりやブラフ、それらを紡いで何とかなってきたわけだが、タイミングを間違えれば大惨事になりかねない。

 やはり、僕にできる事なんて──

『ま、それだけ月ノ宮から信頼されてるって事だ。適当に頑張れ』

「何それ」

『知らん。じゃあな。オレは寝る』

 おやすみ、の返信は無く、流星はそのまま眠りについたようだ。

 信頼、か。

 流星は〈信頼〉という言葉を使ったけれど、月ノ宮さんと僕の関係は信頼とは程遠いもので、一方的な〈好敵手ライバル〉宣言から、言葉だけの〈対等〉であり、月ノ宮さんが信頼を置いているのは恋愛感情を含めて天野さんだけだ。

 だから僕は月ノ宮さんから信頼される事なんて一つも無いし、僕自身、月ノ宮さんの信頼を勝ち取るような事をしていない。

 ──そう、だとしても。

 もし、本当にもし、仮に月ノ宮さんが僕を信頼してを課したというのであれば、それは『僕にならできる』と確信しての言葉でもある。

 悪は先手必勝、ヒーローは遅れて登場。

 ならば僕はそのもっと後、物語の終幕に一石を投じるのが役目。

 だから今は何もしない。

 何もしないをしている事にしよう。

 やっぱり、『プーさんは哲学者』だって、はっきりわかんだね。




 * * *




 それから数日──。

 バレンタイン企画、通称〈チョコレートパーティー(仮)〉の準備は月ノ宮さんの的確な指示の元、順調に進んでいた。

 関根さんを広報にしたのは正解だったようで、嫌でも目立つ彼女が宣伝する事により、クラスの女子の八割りが参加を表明した。それは半ば強引に琴美さんを巻き込んだ結果の素晴らしいイラストの効果もあるだろう。どんな手品を使ったのやら、広報担当が仕上げたポスターには、ハート型の包み紙を持った可愛いらしくはにかむ女の子のイラストが真ん中に堂々添えられている。それが教室の掲示板の真ん中で、圧倒的な存在感を放っているのだから嫌でも注目を浴びる。

 気になるのはそのお値段。

 琴美さんはこのイラストに幾らの値段を付けたのだろうか? オープンザ・プライス!

「無料でいい、そう仰ってました」

「え、本当に?」

 SNS界隈では『無料でイラストを依頼する』がタブーとされている昨今、琴美さんはその禁忌を犯してしまったらしい。そのイラストを眼の前にしながら、僕は照れながら微笑む彼女に既視感を覚えてならない。

「〝その代わり、優梨ちゃんをモデルにさせて〟との事でしたので快諾しました」

 ですよね、そうだと思いましたとも。

 佐竹琴美が無料でイラストを作成するはずがない。もしそれを良しとするならば、当然『それ相応の代価いけにえ』が必要となる。その代価となるのは、大体僕の役割だ。

「あと、言伝を頼まれました──〝あの時の漫画を描き終えたから、今度読ませに行くわね。楽しみに待ってなさい〟と……なんの話ですか?」

「きょ、脅迫だよそれ……いや、何でもないから。訊かなかった事にしておいて」

 月ノ宮さんは不満な表情で僕をじっと見詰めていたけど……言えるはずがないじゃないか。夏に琴美さんから呼び出しを食らって照史さんと抱き締め合う姿をデッサンされた──なんて、照史さんの妹である月ノ宮さんには口が裂けてと言えない。これは僕の秘密で、墓場まで持っていくべき内容なのだ。

 それを妹である月ノ宮さんに言伝に知らせるとは──あの人、どれだけ性格が歪んでるんだよ。歪み過ぎて時空も歪んでるんじゃないか? まあ、佐竹の姉だもんなぁ。それなりに歪んでるのは必然か。そうじゃなきゃ佐竹も僕に、『彼女になってくれ』なんてぶっ飛んだ提案しないはずだから、佐竹の血筋は相応にしてぶっ飛んでいると言える。

「このフレーズはどちらがお考えに?」

 イラストの下に添えられているフレーズを指差しながら、月ノ宮さんは僕に訊ねた。

「〝届けたい気持ちも、届かない気持ちも、全部あなたの大切な気持ち〟──まさか、優志さんが?」

「いや、これは関根さんだよ」

 こんな小っ恥ずかしい台詞を堂々と書けるなんて、関根さんは案外ロマンチストかもなと、これを作成している時に思ったけれど、改めて視ると心に刺さるものがある。

「甘くて切ない、バレンタインにピッタリな言葉だと思います」

「そうだね」

 関根さんは何を経験きてきたのだろうか? それはわからないけれど、こういう言葉を綴れるくらいには、色々と経験してきたのかもしれない。

 今でこそ教室の後ろで「バレンタインチョコレートを作るぞー! おー!」としているけど、元気な姿の裏には心を酷く傷つけるような出来事や、一種の諦めや挫折、そういった人生ドラマを経験しているだろうか。

 だとすれば、彼女は僕よりも断然大人なんだろう──。

「男子はどれくらい集まりそうですか?」

「うーん。いつもなら発破をかけるはずの佐竹があれだから、五割程度かな」

「その中に彼は」

「──いるよ」

 月ノ宮さんは「そうですか」とだけ呟くように囁くと、黙って、物思いに耽るかのようにポスターを見詰めた。

「彼が抱いている気持ちは、本当に大切なものなのでしょうか」

「それを推し量るのは野暮ってものだよ。……けど、僕はそう思わないかな」

 誰かを貶めてまで手に入れた愛情の先には、暗く険しい道しか存在しない。それを互いを理解して進むのならば、いずれ光も視えてくるだろうけれど、彼の場合……宇治原君の場合は一方的な愛情だけで、向かう先には闇しかないだろう。最も、彼が光を求めたとして、手を差し伸べる誰かがいるのか。〈運命の分かれ道〉が〈人生の別れ道〉になるかは宇治原君の行い次第だが──少なくとも、僕と月ノ宮さんは彼に手を差し伸べるような真似はしない。

「形式的ですが、今日で打ち合わせは終わりです。ダンデライオンに集まり、車で市民会館へ。そこで当日の流れを再確認して解散という運びになります」

「うん。それは昨日のメッセージで読んだよ」

「はい。優志さんは明日、〝あの姿〟になって頂くので、その準備もお忘れなく」

「わかってるって。明日は朝から東梅ノ原に行って、ダンデライオンに着替え一式を照史さんに預けてから、帰りにダンデライオンで着替えて市民会館行きのバスに乗り込めばいいんでしょ?」

 いつもよりも早く起きなければならないのが億劫だが、こればかりは致し方無い。何より、学校で着替えたらそれこそ不審者扱いされてしまう。

「でもさ? 〝女子の制服〟なんていつ手に入れたの?」

「そんなのいつでも入手可能ですよ。学校指定の服屋を訪ねて、それっぽい理由を伝えれば簡単です。まあ、私の場合、予備の一着や二着、四着は持っているのですが、優梨さんとサイズが同じというのは納得出来ませんね」

「ご、ごめんなさい……」

 然し四着も持ち合わせているとは、どうしてそんなに予備の制服が必要なんですかね? 結構なお値段しますよ? ブルジョワめ! ジョワは僕の物のはずなのに! ……それはジョアですね。つまり僕が昨日、ダンデライオンで受け取った制服は月ノ宮さんの予備であり、言うなればシェアって事ですね。

 僕が手話の如く手をあちらこちらへ、言い訳の言葉を探しながら言を左右していると、それに見かねた月ノ宮さんは──

「私の未来はまだ残されているので気にしませんが」

 ──と、溜め息混じりに吐き出して、

「そろそろバスの時間なので、先に向かいますね」

 僕はその後ろ姿を見送りながら、月ノ宮さんの成長が止まっていない事を祈るばかりだった──。










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 by 瀬野 或

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