【完結】女装男子のインビジブルな恋愛事情。

瀬野 或

一百八十五時限目 僕らのバレンは最高にタインっている ⑩


 会議室を来たままの状態に戻してから荷物を纏めて、当初の予定通りの〈調理室〉へと足を運んだ。調理室は階段を下ってから受付けの右側の通路を行った先にある。僕の記憶に間違いが無ければの話だけど。

 市民会館の風除室に貼られていたフロアマップを頭の中で描きながら、月ノ宮さんを先頭に進む。

 僕は月ノ宮さんが先程口走った言葉を思い出していた。

『もう一度、天野さんにアタックします』

 この場合の〈アタック〉とは、〈ぶつかる〉という意味ではないのだが、日本語とは奥深いもので『ぶつかる』という言葉には二つの意味が込められている。

 一つは物理的に、一つは接触する、という意味だ。

 月ノ宮さんが言いたかった事は、『天野さんと衝突する』──ではなく、『天野さんにもう一度告白する』という意味に他ならなず、決して相撲のぶつかり稽古的な意味ではない。

 逆に〈衝突〉だったとしたら色々な意味で事故だよそれ。トヨタはプリウスの設計を一から見直せまである──それは置いておくとして。

 月ノ宮さんはこれまでに何度か、天野さんに対して恋愛感情をぶつけている。

 その結果は天野さんの表情を視れば一目も二目も瞭然なのだが、それでも月ノ宮さんは諦めず、願いよ届けと言わんばかりに行動を続けてきた。

 その努力が実ればいいとは思うけれど、そうなったらなったで、何だかもやもやとしてしまう自分もいる。

 自分の気持ちを真っ直ぐに伝える月ノ宮と、どっちつかずであやふやに答える僕。『どちらを選ぶ?』と問われたら、僕だって月ノ宮さんを選ぶだろう。

 それだけ真剣に悩んで、葛藤して、真摯に気持ちを育んできた月ノ宮さんが報われないというのは悲劇だ。そんな悲劇を誰が視たい? そんな悲劇を視るくらいなら、僕は本屋の一角に置かれた『名画コーナー』にあるロープライスの『ロミオとジュリエット』を購入して視た方がマシだ。

 ──そうではあるのだが、もし、仮に、月ノ宮さんの祈願が叶ったとして、その後の僕らはどうなる?

 月ノ宮さんと交わした契約には、『天野さんと恋仲になるまで』という制約があったのを思い出した。

 この制約が果たされた後に残るのは、バレンタインから〈特別〉という感情を抜き取った出涸らしと似た物。もう交わる事の無い、ぽっかりと空いた虚無の穴を塞ぐ事は叶わないだろうけど、月ノ宮さんの邪魔をしたくないという自分もいる。

 ──ああ、そうか。

 だから月ノ宮さんは僕に『対等である』と宣言したのか。

 対等であるからにはお互いにイーブン。

 相手が攻撃している最中は守り、自分が攻撃している時は相手が守る。それが〈対等〉の正体。

 勝負は始まってから、ずっと月ノ宮さんの有利に事が運んでいたという事か。

 さすがは月ノ宮さん、腹黒い。

 ここまで計算していたのだとしたら、僕が月ノ宮さんに勝つなんて無理な話だが──

 僕は、月ノ宮さんに勝ちたかったんだろうか。










 市民会館の調理室は梅高の調理実習室とそこまで広さは変わらない。一十三席ある調理机、内一つは講師用。それを正面にして横四列、縦に配置されている。

 一十二という席数ではあるが、一つの机に二グループが調理できるように、机の中央部分が流し台となっていて、一十二の倍数、四人一組としても二十四組が一斉に調理が可能。

 そんな場所を当初は六人で使おうとしていたのだから、視察に来て正解だったかも知れない。

 月ノ宮さんはやはり講師側の調理机の前へ。そこでぐるりと室内を観察してから、「いい感じですね」と呟いた。

 いい感じ、か。

 月ノ宮さんが何をもって『いい感じ』と思ったのか僕には検討もつかないけど、考えるに、月ノ宮さんが想定している通りの間取りだったのだろうか?

 調理室の通路側には調味料を収めた棚があり、後方には一通りの調理器具、お皿等が収められた棚がある。その棚には張り紙がされていて、『包丁がご入用の場合は受付けにお申し付け下さい』とあった。刃物なので扱いが厳重なのだろう、物騒な世の中になったものだ。

「この大きさなら充分足りますね」

 先程の『いい感じ』とは、この調理室の広さだったようだ。

「そうだね。……一つ質問があるんだけど」

「はい。なんでしょうか?」

 月ノ宮さんの案は理にかなっていると言える。

 個人の気持ちにも配慮しているし、それを実行する事に関して言えば異議も無い。だけど、完璧に思える案ではあるが欠点は存在する。それは──

「バレンタインの前日に決行する予定だよね?」

「はい。そのつもりです」

「チョコはどうやって渡すの?」

 女子全員が手作りチョコ大会に参加したとして、そのチョコを渡すのはバレンタイン当日。女子全員が手作りチョコを作ったとしても、渡す時は体一人たいひとりだ。それは例年通りのバレンタインと変わらないのではないだろうか?

「──いい質問ですね」

 目の付け所がシャープです、と言わんばかりに、月ノ宮さんは両足を肩幅程度に広げて左手を腰辺りに、そして、突き出した右手の人差し指を僕に向けた。そのポーズはもしかしてなに宮さんの憂鬱? 宇宙人、未来人、超能力者と友達になりたいのかな? 

「みんなで食べれば怖くない! 放課後チョコレートパーティーを開催します!」

「……え?」

 僕の怪訝そうな表情を視て、月ノ宮さんは言葉を続けた。

「女性陣は〝作る〟、殿方は〝食べる〟、持ちつ持たれつのチョコレートパーティーです!」

「なるほど。……つまり?」

「ホームルームが終わった後、殿方には一度退席して頂いて、女性陣は机をコの字に配置します。そして、その机に各々が作ったチョコを匿名で配置して、殿方はそれを一つずつ食べて進むビュッフェ方式です」

 それなら三組の男子全員がチョコレートを食べられるし、匿名なので誰が作ったかわからない。流れ作業のように口に運ぶチョコに〈特別な感情〉は無く、その後のいざこざも起きない。

「当然ではありますが、女性陣には〝誰が何処にチョコを置いた〟というのは守秘義務とさせて頂きます。もしそれを破ったりすれば……」

「その後の話は訊かないでおくよ……。まあ、それなら自然に男子全員にチョコが配布されるし、その後のいざこざも回避できる、かな?」

 そう上手くいくとは思えないけど……。

「女性というのは常に周囲に眼を配ります。誰がどこでどうしていた、なんて情報は、結構筒抜けだったりするんですよ」

 何それ怖い。どこのCIAですかね? それぞの名前を〇〇ダブルオーのナンバリングで呼んでそう。

「なので、守秘義務は必ず守られます」

「女子の暗黒面を垣間見た気がするよ……」

 月ノ宮さんの提案は、イベント性を兼ね備えた企画だ。参加不参加は各自の自由だけど、参加すればそれなりに有意義な時間となるだろう。

「悪くない計画だね」

「では、そろそろダンデライオンに戻って、一通りの報告を済ませて解散としましょう。時間も遅くなってしまいましたから」

 調理室の電気を消して退出しようとした時、僕の後ろで月ノ宮さんがぼそりと「優志さんも、女子の枠組みですからね」と呟いた。

 僕はその呟きを訊かなかった事にしたけれど、額からは嫌な汗が流れた。




 * * *




「あらっせぇ──っしたぁ」

 夜になるとこのコンビニには、謎の言語を話す大学生アルバイトさんがレジに立つ。彼から迸る無気力のオーラはこの世界の虚ろを体現している、とでも言うのだろうか。

 恐怖映像の最後に添えられそうな言葉で締め括り、冷凍食品の〈エビのチリソース〉と〈トッポ〉が入ったレジ袋を自転車の籠に入れて、小雨が降る中、ペダルを回す速度を上げる。因みに某自転車競技漫画でよく眼にする『ケイデンス』という言葉は、『一分間のクランク回転数』のことで、rpm(回転毎分)を単位として表すのだが、自転車用語の意味を知らないと、『めっちゃペダルを漕ぐこと』という認識しかない。まあ、あの漫画はそういうのを度外視しても面白いんだけどね。かく言う僕は荒北先輩推し。

 小雨を全身に受ければ制服もじっとりと濡れる。帰宅したら制服を暖房の風に当てて乾かさないといけないな、それで明日の朝には乾くだろう。

 帰宅後、何やかんやと用事を済ませてから、鶴賀優志の貴重なシャワーシーン。

 誰得だろうか? ……誰得でもない。

 こんな軟弱な体を視てもなぁ。

 鏡の前で力こぶを作ってもその山は段差程度、腹筋だって割れてない。だからこそ、優梨に扮すればそれなりに女子に視えるのだろう──ただ一点を除けば、だが。

 寝巻きに着替えて部屋に戻る。暖房によって温められた部屋の空気が僕を包み込んだ。エアコンの羽を調節して、風が制服に当たるようにしたので、ドアを開けた瞬間に感じる熱風は少し不愉快に思うけれど、こればかりは詮方無い。

「ふあぁ……」

 大きな欠伸を一つ。

 頭を使うと眠くなるのは、疲れによる疲労のせいだろう。

 ……おいおい、ちょっと待ってくれ。『疲れによる疲労』って何だ? これではまるで『満腹でお腹いっぱい』みたいじゃないか。『頭痛が痛い』はもう使い古された喩えだと思うんだよ。うん。一人で何してるんだろう。

 欠伸のせいで眦に溜まった涙をごしごしと拭いて、ベッドにダイブしたい気持ちを堪えながら勉強机の椅子を引いた。

 今日も今日とて課題は山積み。

 数学、英語、他にも細々したプリント類が幾つか。

 学生の本分は勉強であり、こうして出される課題は『学生だ』という意味を説いているのだろう。多分? ……知らないけど。

 大人達は揃って『勉強しろ』と口が酸っぱくなる程捲し立てるが、経験則で語られるそれらを、僕ら学生が理解できるはずもない。そして勉強を怠って大人になり、結婚して子供が出来て、自分の子供に『勉強しろ』と口が酸っぱくなる程捲し立てるんだろうな。

 何だこの悪循環。

 輪廻も巡り過ぎだこのやろう。

 ──まあそれは、その時になったら考えればいい。

 今は先ず、学校側から出された課題に着手して、それを早急に終わらせてから僕らの課題に取り掛かろう。

 いや、正確にはだ。

 今回の落とし所、それはチョコレートパーティーでいい。それが最善である事は確かだし、後腐れなく終われるだろうと予想できる。

 然しそれは僕の落とし所ではない。

 クラスの、人間関係の落とし所だ。

 僕自身の『妥協できる程度の答え』は未だに出ていない。

 ……そんな答え、本当にあるのだろうか?

 解決策を模索するより、妥協点を求めた方が楽だというのは僕の持論だけど、それでいいのかわからなくなってきた──。

 チックタックと秒針が時計の盤上を何周したかわからないくらいには夜も本格的となり、課題の終わりが近づく頃には地元の暴走族が遠くの方でバイクを吹かしている音が訊こえる。その音はまるで『愛羅武勇あいらぶゆー』とか『夜露死苦よろしく』とか、『愛死天流あいしてる』とか、そんなのを叫んでいるようにも感じた。

 とりあえず難しい漢字を使っておけばいいという風潮、それは厨二病。

 暴走族というのは厨二病に荒々しさを付け足した存在である──違うか。

 学校側から課せられた課題も終わり、ようやっと僕の課題に取り掛れる。意を決して望むのは、脳内で勃発するであろう不毛な情報戦。机の上にノートとシャーペンだけを残して、他は全て片付けた。

 僕が概ね納得できる程度の落とし所か、そもそも『概ね』というのが酷く曖昧だ。宙に舞う霞を必死になって捕まえようとして虚を握り締めるようなもの。それは〈自己満足〉であり、〈独りよがり〉である……これまでも、これからも。

 宇治原君が企てていた〈佐竹落とし〉の核となる部分は、佐竹に対しての嫉妬だ。

 意中の相手と接点があると言うだけでここまでやってのけたのだから、人は見かけによらないという事なんだろうな。

 佐竹はそんな宇治原君を許せるのだろうか? 佐竹と宇治原君は長い付き合いだ。それこそ、僕なんかよりも長く一緒にいる。だからきっと、佐竹は宇治原君を許すだろう──お咎めも無しに。そこが佐竹のいい所ではあるけど、悪い所だとも言える。

 悪い所をしたら怒られる──これ、当然じゃないか?

 道を踏み外した友人に対して、「その道もいいんじゃね? 普通にガチで」なんて言い出しそうな佐竹にもモヤッとするけど、焦燥しきった佐竹には、『どうでもいい話』なのかもしれない。

 月ノ宮さんも宇治原君に関しては何一つ触れなかった。それは『佐竹と宇治原君の問題だ』と割り切っているからだろうか? 佐竹が解決すべき問題なのは僕だってわかる。

 でも、それでも──『本当にいいの?』と、僕が僕自身に語りかけるのだ。それは悪魔のようであり、天使でもあるかのような声音。

 『正義の名の元に悪を罰せよ』という甘美な囁き。

 宇治原君が過ちを犯したのは、火を見るより明らかだけれど、その罰は誰が下すべきだろうか。僕? それとも佐竹? ──違う、誰も罰を下せるような立場ではない。

 そうであるならば、宇治原君自身に罪の意識を持たせるべきだろう。

 『気づかせる』、そう喩えてもいい。

 自然な流れで罪を彼に伝えるには、どうすればいいのだろうか──方法は一つだ。

「それしか方法が無いのなら、……そうする他にない」

 優梨ぼくが天秤を傾けるしかない。

 愛という名の毒を、天秤の皿が地面に触れるまで──。










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 by 瀬野 或

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