【完結】女装男子のインビジブルな恋愛事情。

瀬野 或

一百六十九時限目 男装の麗人が婀娜めくまで ⑥


 流星のはどこからどう視ても完璧に仕上がった。自分で言うのも難だけど、他人に施す化粧は初めてだったけれど、割と上手くできたと思う。然し、それはあくまでも〈化粧〉であり、長年〈男性〉として振舞ってきた流星の身のこなしはあまりに荒々しい。がに股だし、椅子に座れば足が開く。おまけに足を組もうとまでするのだから質が悪い。フレアスカートとはいえど、下着が視えてしまう可能性は充分有り得る。多目的トイレを出る際に注意をしておいたはずなのに、気を抜けば直ぐこれだ。

「がに股になってる」

 エリスの耳にぎりぎり届くくらいの声量で注意すると、

「あ? ……ああ、そうか」

 エリスは不服そうにぎろりと睨んだ。然し、今、自分が〈エリス〉という名前である事を思い出して、苦虫を噛み潰したような表情をしながら私の注意に従った。

 雨地あまち流星えりす

 流星の本当の名前はこれなのだが、流星は〈えりす〉という当て字が男らしくない、と私達に『流星りゅうせい』呼びを強要している。それは学校側にもお願いしてあるようで、学校にいる時は教職員も『流星りゅうせい』と呼び、男性として接していた。然し、現在は仕事の都合で女性を演じなければならない。だからこうして、流星に〈流星えりす〉としての立ち振る舞いを教えているのだけれど、これが一向に上達しない。原因は、長年の男性としての振舞いが体に染みついてしまっているせいだろう。癖を直すには並大抵の努力では不可能。意識を〈女性側〉に戻さなければ、ふっとした拍子に男性の癖が出てしまう。

 百貨店から数メートル離れた裏路地。この先には行きつけの喫茶店〈ダンデライオン〉がある。でも、今は美味しい珈琲を堪能している暇は無い。

 練習にこの道を選んだのは、大通りを歩く自信が無いというエリスに配慮したのと、人の行き交いが少なく、練習にはうってつけだからだ。

 裏路地には総台数一〇台程度のコインパーキングがある。車は片手で数えられる程度しか停まっていないので、そこで私達は練習をしていた。傍から視れば変質者と思われても仕方が無いし、用もないのにこの地を利用するのは不法侵入になるのかもしれない。でも、流行っていないコインパーキングは、今の私達には都合がよかった。

 エリスから数メートル距離を置いて、私は真正面からエリスを捉える。エリスは私の元へ歩いて来ては引き返し、これを六回くらい繰り返した。

 最初はぎこちない歩き方で、まるで緊張した小学生が、行進の際に手と足が一緒に動く古武術の〈ナンバ走り〉のようだったけれど、六回目にしてようやっとそれらしい歩き方にはなった。一時はエリスのナンバ走りのような行進を視て、〈距離を一瞬にして縮める事ができる〉的な超テニス能力さえ開花するのではないか? と疑ったけれど、エリスは比嘉中出身のテニスプレイヤーではないので、その能力が開花する事はなかった。

「おい。ちゃんと視てるか」

 まるで粗末なパリコレのウォーキングみたいに私の前へと歩いてきたエリスが、疑いの眼差しを向ける。その眼光たるや『殺し屋』の異名を持つ木手君そのもの。ナンバ走りといい、鋭い目付きといい、ここまで揃うと運命的なモノさえ感じてしまう。テニス的な意味で。

「うん。まあまあよくなってきてるよ」

 実を言うと頭の中で超次元テニスを展開していてよく視てなかった。ごめんねエリス。いや、本当にごめん。でも仕方が無いよね? 私、木手君推しだから。

「まあまあ、か。それじゃ駄目だな」

 エリスは首を左右に振る。そして、「ちっ」と舌打ちをして踵を返そうとした。

 歩き方も矯正しなければならないけど、矯正するべき問題点は数多にある。

 その中でも特に気になるのが『話し方』だ。

 無意識とはいえ、エリスの喋り方は〈流星〉の時と変わらず荒々しい。抑揚の無い喋り方と言えど、それが返って抜き身のナイフのような鋭さを感じるのだ。彼女を彼女足らしめるのなら、その点もしっかりと改善する必要がある。

「ねえ、エリス」

「あ? ……ああ、なんだ」

 エリスと呼ぶと眼が据わるのを何とかして欲しい。

 ──ではなくて、

「そろそろ話し方も練習もしようよ。今のままじゃ〝ツンデレ〟とは呼べないもの」

 私の中の〈エリス〉という女の子像は、『別に、アンタのなんかのために水を運んできたわけじゃないわ。……それで、何を食べるのよ』と、少しだけ高圧的な態度を表しながら、本心は『しっかり奉仕しなきゃ』と健気に頑張る女の子だ。その点においてはレンちゃんに通ずるものがあると言えなくもない。

「つんでれ? オレは別にそんなの目指してないぞ」

 エリスはまたもや眼を三角にして不満を態度で表したが、そろそろ自分が〈女性を演じる〉事を把握させなきゃならない。いつまでも〈流星〉のままではにも付かないのだ。

「じゃあ、どんな女の子を目指してるの?」

「どんな女の子……」

 目標やイメージがあれば、それに従うのが手っ取り早い。

 私はそうして〈優梨像〉を形成した。

 私程度にできる事ならエリスだってできるはずだ、と思ったのだけれど、エリスはそのまま沈黙して、うんともすんとも言わなくなってしまった。

「……エリス?」

「やっぱりよくわからんな。お前を意識してはみるが、どうにもしっくりこない」

 エリスは胸襟きょうきんを開くように吐露した。

 そりゃそうでしょうよ……。

 私と瓜二つの女の子なんてこの世に存在するはずがないし、優梨わたしは少し特殊な性格だ。

 人懐っこくて気さく。

 ちょっぴり甘えたな所が小悪魔的。

 そんな女の子をエリスが演じるのは難しい。

 何より、エリスにはハードルが高過ぎる。

「初めてなんだから〝普通〟でいいんじゃない?」

「普通……、普通ってどんなだ」

 そう問われると、どういう女の子を『普通』と呼べばいいのかその定義は不明だ。特に、私の周りにいる女の子達は個性が強いし我も強い。

 仮に『清楚』とか『お淑やか』を『普通』と定義してみるが、エリスがその二つに当てはまるか? と言えば、それはさすがに無理がある。

「女って面倒だな」

「もう! 諦めたらそこでバイト終了だよ!?」

 溜め息と共に弱音を吐いた流星を一喝してみたけど、

「……まあ、そうなんだが」

 渾身のボケも、エリスには伝わらなかったようだ。

 これが佐竹君だったら「安西先生かよ!?」ってツッコミが来るんだろうな。それとも一周回って、「バガボンドの続きはまだかよ!?」かもしれない。それはないか。

 ……絶対にないな。

 イメージが湧かないのであれば漠然としたものではなく、具体的に、物理的に肌で感じた女性を目標にするのがいいかもしれない。例えば、

「流星って、少女漫画を読んだことある?」

「ない」

 矢継ぎ早に繰り出された答えは想定していた通り。

 女性らしい物をなるべく遠ざけていた流星が〈なかよし〉を読んでいるはずもなく、そうであるなら〈別冊フレンド〉も〈キス〉もノータッチだろう。

「参考程度に訊くけど、普段はどういう漫画を読んでるの? 漢塾とか、花の慶次とか? それともまるごし刑事デカ?」

 更に言うなら〈鳳〉もある。まあ、こちらは任侠漫画だけどね。よくコンビニに置いてある有名な漫画だ。サラリーマンが立ち読みしているのをよく見かける。

「例えが偏り過ぎじゃないか。……主にヤンキー漫画だ」

 ──ですよね、模範解答ありがとうございます。

 さすがにマニアック過ぎたか。ここは〈カイジ〉や、〈銀と金〉とか〈アカギ〉にしておけば話題も幾許かは広がったかな? ──なんて冗談を言えば、凝り固まったエリスの頭を、少しは柔らかくできたかもしれない。

 私の冗談がエリスに通じたのかは定かではないけど、エリスの表情は先程よりも穏やかになっていた。こうなれば、次のステップへと踏み出すべきだろう。

「エリス。今から本屋にいくよ」

「は? 何をし──」

 今度は私が間髪を入れずに答えた。

「少女漫画を買うため」




 * * *




 駅近くにある書店へと足を踏み入れた私達は、少女漫画を購入すべくコミックコーナーへと続く通路を歩く。落ち着き無くそわさわしているエリスは、自分の姿を気にしているようだ。きょろきょろと左見右見する様は不審者のそれに近しいものがある。誰がどう視ても〈年頃の女の子〉なのだが、どうにも自信が持てないようで、私の影に隠れるようにして息を殺していた。

 そんなエリスを少し気遣いながらも、入口付近に置かれた『新入荷おすすめ!』に眼を向けた。最近人気のミステリ小説や恋愛小説が並んでいる。表紙も魅力的なのが紙媒体のいい所だ。今度ジャケ買いするのも悪くないなと企てていると、歩く速度が遅くなっていたようで、『もっと早く歩け』と言いたげにエリスが背中を突っついた。それがいじらしくてつい頬が緩む。

 レジ前を抜けた先、奥に陳列された少年、青年漫画も気になる所ではあるけれど、目的は『少女漫画を買う』なので、ここは潔く少年漫画の手前に並んだ少女漫画コーナーへ。

 白い表紙に赤い文字、少女漫画独特の表紙はあまり馴染みがない。それに、どれが面白いのかもよくわからないので、私とエリスは二人して、豆鉄砲を喰らった鳩のように眼を丸くしていた。

「どれが面白いんだ」

「どれが面白いんだろうね」

 見知ったタイトルは有名な作品だろう。有名であるならば面白いはずだ。でも、どの作品においても知識の無い私達にとって同じに視えてしまい、手に取るのを憚ってしまう。特にエリスは拒絶反応が酷く、このコーナーへと足を踏み込んでから、悪い目つきに拍車がかかっている。漫画に罪は無いよ? 本当に罪深いのは人間の心だ──とか、そんな雰囲気の有名な台詞あったはずだ。今は関係無いけど。

「そういえば、少女漫画は作画崩壊とか不思議な設定が多くてネタとして使われたりするが、ああいう漫画は人気作品なのか」

「有名ではあるんじゃない? 人気なのかはわからないけど……」

 描く方は真剣なんだと思う……それを止めない編集者が悪い。

「じゃあ、ランキングから探そう? その方が面白い作品に出会えるかもしれないしさ?」

「趣旨からかけ離れ過ぎるなよ」

 食傷気味に溜め息を吐くエリスを他所に、私はランキング一位から一〇位までの作品のサンプルに眼を通して、その中から三作品を選んだ。

「……本当に面白いんだろうな」

「面白いかは好みによるけど、それ以前に〝女子の感性〟を磨く事に念頭を置いて考えた結果、この作品がいいんじゃないかなって思ったの」

 キャラの性格なども考慮して考えた結果なので、是非とも読んで欲しいと願う。

 エリスは私が選んだ作品を片手に持ったまま、その場から動こうとしない。

「どうしたの?」

「オレが買うのか」

 なるほど、懸念材料はそれか。

「これも特訓だよ、頑張って♪」

「お前、面白がってるだろ」

「そんなことないよ? その格好で他人と話すことにも慣れてないと!」

 ごもっともな御託を並べてエリスをレジへと向かわせる。私はその後ろを、初めてお使いを頼まれた子供を見守るような気持ちでエリスが購入してくるのを待った。











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 by 瀬野 或

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