【完結】女装男子のインビジブルな恋愛事情。
一百六十四時限目 男装の麗人が婀娜めくまで ①
昇降口で靴に履き変えて、そのまま校舎を左手にビオトープを抜けて、グラウンドへと続く坂道を下る。高低差の激しいこの学校では、足腰を鍛えるにはもってこいだろう。足腰を鍛えたくない者にとっては面倒でしかないが。僕は後者だ。
グラウンドでは気怠そうに柔軟運動をしている野球部連中の姿の他に、カラーコーンを等間隔に置いて、足を交差しながらその隙間を器用に移動するドリブルの練習をしているサッカー部。
野球部のエースとサッカー部のエースは言葉通り色違いのイケメンな先輩で、そして、仲が悪いと噂されている。梅高ではアイドル的存在であるサッカー部のエースストライカーと、硬派な印象を受ける日焼け肌のエースが互いに啀み合っているので、彼らのファンとでも言うべき女子達も、お互いのエースこそ至高だと譲らない。そんな中、『敗北者じゃけぇ』と声を発したらどうなるだろう? おそらくは頂上戦争が勃発しそうだ。
土手へとやってきた僕と流星は、野球部とサッカー部の威勢のいいかけ声を背後に、茶色がかった芝生に腰を下ろした。ひんやりとした芝生は少し硬い。春になればこの芝生も青々として柔らかくなるのだろう。北から吹く風は、近所で焚き火をする畑の匂いを運ぶ。空は所々に雲があるが、晴天といっていい。眼前に広がる杉の山。花粉症じゃなくてよかったと心底思う。
僕らは芝に足を放り出して座り、暫く無言で流れる雲を眺めていた。
「いい天気だな」
「うん。そうだね」
天気の話題を出すという事は、それ程言い難い内容なのだろうと推測できる。言葉を探して、苦し紛れに口を衝いた話題がそれだったんだろう。
流星はこの流れを止めてはならないと、「明日はどうだろうな」なんて、頗る興味も無いであろう話題を続けた。
「木原さんとそらジローに訊いてよ」
「随分と断定的だな。……まあそうか」
ぶっきらぼうに答えて、流星は左手で芝を毟り取って風に流した。
「それで?」
「ああ。お前に相談したいのは他でもない、お前にしか頼めない相談だ」
よっぽど言い出しにくい内容のようで、流星の表情に苦悶が浮かぶ。
「──オレを、女にしてくれ」
場所や立場や僕らの関係性が違えば、流星の放った一言は淫靡に訊こえたに違いない。だがそれは、流星が〈流星〉ではなく、〈流星〉だったとしたら、の話だ。然し、戸籍上ではまだ流星は女性なので、これまた一体どういうことだってばよと、僕は小首を傾げた。
「言っておくが変な意味じゃない。……そう捉えられそうな言い方だったのは認めるが、他に言葉が見つからなかったんだ」
流星は言わば〈男装の麗人〉に近い。
目鼻立ちもよく、不良のイメージがなければ間違いなく人気者の仲間入りをしていただろう。〈ちょい悪〉を好む女性陣からは人気があるのだろうけれど、表立った噂話は訊かないが、密かに人気と言える。
そんな流星が『女にしてくれ』と言うのは意外も意外だ。自分の性別を〈男性〉と言い張っていたのは記憶に新しい。それ程までに自分の性別を意識してきた流星がそんな事を言い出すとなると、なかなかに複雑な事情がありそうだ。
「……何があったの?」
「話すと長くなるが、いいか」
最初のバスが来るまでまだまだ時間があるし、一バスで帰らなければならない理由も無い。
「大丈夫だよ」
「──そうか」
流星は一度、深く深呼吸してから、
「実は……」
そう言って、複雑な心境を語るかのように口火を切った──。
* * *
流星の話を要約すると、バイト先で自分が女性だというのがバレてしまい、そのまま働かせるわけにはいかなくなり、辞めるか、女性業務につくかの選択を迫られたらしい。いつもの流星であれば『辞める』を選択しただろう。然し、高校生にしては高額な時給と、『ある事情』によって現在のバイトを辞めるわけにはいかず、苦渋の選択をした──という事らしい。
「一つ訊いてもいい?」
「ああ」
「〝ある事情〟って、なに?」
「……親父がリストラされた」
知らない方がよかったかもしれないと、僕は自分の好奇心を恥じた。流星はこの事情を僕に話たくはなかっただろう。だから『ある事情』と濁したに違いない。さすがにそれ以上、足を突っ込んでいい話ではない。
「ごめん」
「気にするな」
「じゃあ、申し訳ついでに、もう一つ質問しても?」
こくり、と頷きだけの返事が返ってきた。
「……どんなバイトをしてるの?」
「男性客をメインターゲットにした喫茶店」
「それって、メイド喫茶?」
「それに近い分類だがキャバクラに近いものがある。──と言っても、やましいサービスは無いし、珈琲一杯にうん万円するような店じゃない。あくまでもメイド喫茶価格の店だ。最近、店で人気の子が辞めて人手不足になって、そんな時に見つかったもんだからこんな選択を迫られたってわけだ」
嫌味ったらしく言う素振りからして、相当に不愉快らしい。その心情は何となく察せられる──あの日、佐竹から女装を提案された時の心境と似ているからだ。でも、状況はその時の僕より深刻だ。生活がかかっているのだから比ではないだろう。だがこれで、梅高祭でウエイター役を難なくこなした理由に合点がいった。
「事情はわかった。……けど、どうして僕なの?」
「オレの事情を知らない月ノ宮や天野に相談すると思うか? 佐竹なんて論外だろう。琴美なんてもっと無い」
自分より歳上の相手を呼び捨てにするのもそうだけど、同年代で琴美さんを『琴美』と呼べるのは流星くらいだ。それだけ流星と琴美さんの仲がいいのか、……いや、佐竹と琴美さんの姉弟喧嘩の仲裁役を難なくこなしてみせた流星だからこそ、呼び捨てするくらいの間柄となったとも言える。要するに、琴美さんのブックマークに流星が追加された証拠だ。
「お前は男でもあり女でもあるだろ。男の感性と女の感性、その両方が必要なんだ」
「つまり、〝女にしてくれ〟って言うのは、女性の視点で男受けを考えろってこと? ……僕に?」
「お前以外に適任者がいない」
話の筋は概ね通っているように感じるが、それができるかと言えば話は別だ。僕だってつい最近になってようやく自分の性を自認したばかりだし、そんな大役を任せられても上手くこなせるか不安も大きい。
「……期限は?」
「オーナーが〝心の整理も必要だろう〟って、今週のシフトを空けてくれた」
「つまり、……え、今日を含めてもあと三日しか猶予が無いじゃん」
「すまない。……言い出し難くてな」
申し訳無いと、流星は顔を伏せた。
残された時間は少なく、今からでも手を打たなければならない状況だけど、現状、明暗をわける名案も浮かばず。
「必要な物は、出退勤する際に必要な服だよね? あ、後は化粧品もか……」
「そうだな。女っぽい服は持ち合わせてないし、化粧品の類も捨てたから無い」
それだけの覚悟をして、男性として生きる事を決めた流星が、再び〈女性〉に戻る決意をしたのは、僕が思い知る事のできないくらいの苦痛が伴っただろう。
これは流星が下した決断だ。
僕はその決断を否定してはいけない。
友人として彼を支えてあげなければと思う反面、本当にその決断が流星のためになっているのだろうか? という疑問も浮かぶ。
新年早々、こんな問題が転がって来ようとは思いもしなかった。
背後で金属バットが芯でボールを捉えた小気味好い音が響く。おそらく、打球はフェンスを超えて、山の中へと消えていくだろう。そうしていくつものボールが失われては部費によって購入されるので、ある意味、ホームランは野球部にとって都合がいいのかもしれない。サッカーにはホームランという概念が無いので、擦り切れるまで同じサッカーボールを使う印象だ。僕はサッカー部に在籍した事がないので、真相はどうかは知らない。
「優志」
「あ、ごめん。ぼうっとしてた。……とりあえず、必要な物を揃えないとだけど、この状態で女性服を買いに行けないのは流星も同じでしょ?」
僕らは男子高校生の制服を身に纏っている。この姿で女性服を買いに行けば不振であり、遠からず変態だ。
「そうだな。……明日、いいか?」
「いいも悪いも明日と明後日しか準備期間が無いんだから、選択の余地は無いでしょ」
「すまないな」
幾分、肩の荷が下りたのだろう、流星の表情に少しだけ色が戻った。
一人で悩むのは苦しい。
考えなくてもいい事を、往々にして考えてしまったりする。
僕の場合はそれが異常な気がするけど、流星はどうだろうか? あまり悩み事を抱えない印象だっただけに、少々窶れた流星の顔は、憂いを帯びた美少年のようにも映る。普段は強がっている流星が、こんなにも萎れている姿は新鮮だ。よしよし、と頭を撫でたくなる衝動に駆られるのは母性だろうか? 僕に母性があるのかは微妙な所だけど。
「明日、頼んだぞ」
「うん、わかった」
そして、一台のバスが眼下にあるバス停に停まった──。
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