【完結】女装男子のインビジブルな恋愛事情。

瀬野 或

一百六十一時限目 佐竹義信の反撃


 中学生だった頃、高校生という存在はやけに大人びて視えたのを思い出す。たかだか二、三年しか変わらないだけだというのに、考え方も、行動も、そして財力も何もかもが中学生だった僕と違っていた。

『高校生になれば何でも好きな事ができる』

 世間知らずな中一の僕は、そんな幻想を抱いて高校生を視ていたのだが、今にして思えばどうということもない。中学で心を折られた僕はそのまま高校生となり、考え方も、行動も、財力だけは多少よくなったけれどそれだけで、子供は子供にして子供である。では、何を持って『大人』と呼べるのか? それはきっと、世間一般的に『自立』が分け目となるだろう。然し、ただ自立するだけでは意味が無い。『子供らしい考え方からの脱却』こそ、僕は『自立』と考えていて、それが出来て初めて『大人』と呼べるのだ。僕らの眼の前にいるイケイケの男子大学生二人は、その尺度からするに相応に子供だと言える。それだけならまだいいのだが、この二人は『大人の皮を被った子供』であり、今すぐにでも上野クリニックに行くべきだ……なんて、面と向かって言えたらどんなにすっきりするだろう。まあ、彼らが本当に皮を被っているのかは知らないけど。

 僕はベンチに座りながら、横に立っている佐竹とミユキさんを交互に視た。佐竹はきっとビビってるんだろうな、なんて思っていたけれど、その実、眼ははっきりと彼らを向いている。その一方、ミユキさんはうんざりして疲弊した顔つきで、彼らが僕らに何をしでかすのだろうかと気が気じゃない様子で、甘酒が入った紙コップが少し凹んでいた。

「おいミユキ。お前、こんな小便臭いガキにナンパされたのか?」

 そうミユキさんを揶揄うように嘲笑しながら、タクヤは少し腰を屈めて僕らを挑発するような姿勢を視せる。その隣にいるシンジは、「おい、子供に絡むなよ」とタクヤを制止するような言葉を投げかけるも、表情はタクヤと同じでにたにたと不愉快な笑みを浮かべていた。

「二人共、いい加減にして。話しかけたのは私よ、この子達はここにいただけ」

「ってことは逆ナンか? いくら何でもこりゃ犯罪だぜ?」

「やめろってタクヤ、腹いてぇ」

 これも彼らなりの冗談ネタなのだろうけど、笑えない冗談程寒いものはない。

「ごめんね。この二人、調子乗ってるだけだから……ほら、行くわよ」

「そうだな。おいガキ共、大人のお姉さんとお話ができて、いい初詣になったなぁ?」

 タクヤとシンジはしこたま僕らを嘲笑うと、そのまま踵を返した。ミユキさんだけは僕らに申し訳無さそうに、小さく頭を下げてから、小走りで彼らの後を追う。

 このまま終われば、胸糞悪い初詣で膜を閉じた。

 だけど──

「あーあ、面倒臭いヤツらに絡まれてウザかったなぁ!」

 佐竹はわざとらしく大声で、彼らに訊こえるように言い放った。

「佐竹!? 何言って──」

 彼ら背中を視線で捉えると、彼らの足はぴたりと止まっている。そして、タクヤとシンジは再び僕らの方へと戻ってきた。その表情は穏やかではない。

「おいてめぇ、今、なんっつった?」

「ガキだからって見逃してやったのに、調子こいてると殺すぞ」

 彼ら二人は佐竹を睨みながら、演技っぽく指を鳴らしたり、首をコキコキと鳴らす。ここだけ切り取ればヤンキー漫画のようだ。大学生に喧嘩を売った高校生なんて、正しくその通り。

「いい加減にしてよ二人共! 子供相手に本気になって恥ずかしくないの!?」

「うるせぇ! 女は黙ってろ!」

 タクヤは制止するミユキさんを片手で突き飛ばすと、ミユキさんは砂利の地面に尻もちをついた。

「おいガキ。大人舐めてっと痛い目に遭うって、体に教えてやろうか? あぁん?」

「やっちゃおうぜタクヤ。こいつら半殺しだよ」

 ミユキさんはもう、その場から立ち上がる事もできない。相当怖かったんだろう。身を縮めて、恐怖に震えている。

「大人、かぁ……。俺はこんな大人になるくらいなら、ずっと子供でいいわ。ガチで」

「佐竹……?」

「言うじゃねぇか……死ねよ」

 タクヤが佐竹に殴りかかろうとしたその時、どこからかピロリンという電子音が鳴った。その音はまるで感染するように、所々から訊こえ始める。僕は冷静に戻って辺りを見渡した。すると、僕らの半径一メートルくらいの距離を置いて、初詣に来ていた人々が携帯端末で撮影を開始していた。

「……訊こえたか? これからアンタらは様々なSNSで晒される事になる。この動画を視た人々は、アンタ達を本当にって呼ぶのか?」

「て、てめぇ……」

「今日は特別な日だから動画の拡散も早いだろうし、なんならもうすぐ警察が来るかもしれないぜ? どうするんだよ、大人さん方? 警察署で大人としての責任を果たすか? ……子供舐めんなよ、マジで」

「おいタクヤ。このままだとシャレにならなくなるぞ。……早い所ずらかろうぜ」

「……クソ! てめぇ、顔覚えたからな!」

 彼らは撮影をしていてる人々に「何撮ってんだよ!」と喚きながら、足早にその場を去っていった。

 彼らがその場から退散した事により、集まっていた参拝客も次第に散っていく。僕はただ、その様子を眺めるしかできなくて、佐竹はまだ砂利の地面に縮まっているミユキさんの元へ向かい、手を差し出した。

「すんません。……怪我とかしてないっすか?」

「え? あ、ええ。大丈夫。……ありがと」

 そして、ミユキさんを僕の隣に座らせた後、まだ残っている人々に対して、「お騒がせしてすみませんっした!」と、深々と頭を下げた。佐竹の行動は褒められたものではないが、幕引きとしては丁度よかったのかもしれない。騒ぎの終わりを周囲の人間が知れば、それ以上踏み込んで関わろうとする者もいないだろう。だから、後処理としては悪くなかった、と思う。

 僕の隣に座っているミユキさんは、まだ状況を理解出来ていないのか、ぽかんと口を開けて呆気に取られていた。僕も佐竹があんな事をするとは思ってなかったので、隣に立っている男が本当に佐竹本人なのか疑問にすら感じる。

「……はぁ。ガチで死ぬかと思ったわ。つか一回死んだ気分だわ。割とガチで」

 佐竹ご本人である事は、特徴的な語尾で確認が取れたけど、佐竹がどうしてあんな奇行に走ったのか、僕には理解が追いつかない。

 僕は先程の行動の意味を佐竹に問い質した。

「ん? だってアイツらが俺らに絡んでる時、周囲がざわついてただろ?」

「そうだったの?」

 冷静さを欠如していた僕には、周囲に目配りする余裕なんてなかったけど、佐竹はあの状況下でも、視野を広くしていたらしい。これも、クラスを纏めあげた佐竹だからこそできた芸当なのかもしれない。

「んで、これが大騒ぎになれば、誰かが必ず携帯端末で撮影を開始する。優志だって〝お騒がせ動画〟の一つや二つ、SNSやニュースで観た事があるだろ?」

「おでんツンツン、とかだよね?」

「ネタが古いな……。まあ、そんな所だ。それを利用すれば、あの二人も手を出せないんじゃないかと思ってな」

「……でも、もし上手くいかなったら、アナタ達はタクヤ達に怪我をさせられていたかもしれないわ。こういうやり方はもう、絶対にしない方がいい」

「す、すみません……」

 ミユキさんに諭された佐竹は、しょんぼりと項垂れたが、ミユキさんの言っている事の方が正しいので反論する事もできないと言った所だろう。

「もう……。佐竹って苗字は騒ぎを起こさなきゃならない宿命でもあるのかしら」

 え? と、僕と佐竹は声を合わせる。

「私の行ってる大学にも〝佐竹琴美〟っていうトラブルメーカーがいてね? 芸術的才能は申し分ないけど、常に何かしらトラブルを抱えてるのよ」

「……もしかしてミユキさん、芸大生っすか?」

「ええ……って、その反応は」

「佐竹琴美は、俺の姉っす」

「……冗談、よね?」

「いや、ガチです」

 佐竹はポケットから携帯端末を取り出して、写真を画面に映してミユキさんに見せた。

「……ああ、もう最悪。この事が琴美に知られたら、どんな顔してこれから会えばいいのかわからないわ」

「ミユキさん。一つ提案があるんですけど……俺達は今日、会わなかったって事にしないっすか? その方が俺も都合いいし、……姉貴に揶揄われるのは俺も同じなんで」

「そうね。そうしましょう」

 自分の知り合いを六人辿れば、全世界の人と知り合いになれる、なんて吃驚仰天な実験を1976年に行った心理学者、『スタンレー・ミルグラム博士』の〈スモールワールド実験〉を彷彿とさせる出来事なだけに、『世間は狭い』と言わざるを得ない。博士の論文は批判されたらしいけれど、〈世間は狭い〉というキャッチフレーズは様々な場所で訊いたりするので、あながち間違ってないと僕は思う。ただ、それが佐竹の姉である『佐竹琴美』を介しているとなると、手放しで談笑する気分にもなれないが。

 そうして暫く沈黙が続いていたが、「そろそろ行くわね」と立ち上がったミユキさんの一声で、停止していた時が動き出した。

「あ、その……、色々と迷惑をかけてすみませんっした」

 佐竹が改めて頭を下げると、

「いいのよ。あの二人にはいい薬になったと思うし」

 と、笑いながら僕らに手を振りながら、一人、屋台が立ち並ぶ道の奥にある駐車場へと向かって行った。

 これにてようやく事件解決──とはいかない。

 ミユキさんがいる手前、あまり深くツッコミを入れなかったけど、ミユキさんがいなくなった今、僕は佐竹に対して言いたい事を吐き出せる。

「ねえ、佐竹。どうしてあのドキュン二人に絡んだのさ? まさか、本当に喧嘩がしたかったとかじゃないよね」

「おい、俺が喧嘩強そうに視えるか? 殴り合いになるくらいなら逃げるわ。普通に」

「じゃあ、どうして今日は相手に絡んだのさ」

 普通に逃げると豪語した佐竹と、先程の佐竹の行動は明らかに矛盾している。何がどうして、こういう結末を迎える事になったのか、僕は腑に落ちない。

 佐竹はどこか気まずそうに頭を掻いて、どう話せばいいのかと言葉を探りながら、わざとらしく眼を背けた。

 そして──

「恋莉の二の舞になるのは御免だったんだ。……それだけだ」

 そう言って、恥ずかそうに体事僕に背を向けて立ち上がり、「そろそろ俺らも屋台巡りしようぜ!」と、誤魔化した。

「ちょっと待ってって、まだ話は終わってないんだから!」

「お前は終わってなくても、俺は終わってんだよ! ほら、行くぞ優志!」

 僕を振り返らずに、佐竹はソースの香りが立ち込める屋台の方へと走る。僕はその後ろ姿を小走りで追いながら、佐竹の言葉の意味をいつまでも考えていた。



 

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