【完結】女装男子のインビジブルな恋愛事情。

瀬野 或

一百五十六時限目 聖なる夜に電車は歌う


 どこからかジングルベルが聴こえてくる。

 クリスマスイブに雪が降ったのは、僕がまだ小学生だった頃に一度だけだ。今年もホワイトクリスマスにはならないらしいけど、寒さだけは申し分無いので、このまま駅前でじっとしていると、全員風邪を引いてしまうだろう。全員の視線が僕を向いている。『お前の番だ』と、視線だけで語られる言葉に身が竦むが、このまま終わらせるわけにもいかない──終わらせるために、終わらせなければならないから。

「天野さん」

 発した声は、思った以上に低かった。寒さのせいで喉が締まり、上手く発音出来なかったのかもしれないと、僕はコホンと喉に詰まった何かを取り払って、再び天野さんの名前を呼んだ。

「うん?」

 先程までクリスマスパーティーの反省会のようだった雰囲気が、一瞬にして違う空気に切り替わる。指先が冷たい。でも、ポケットに手を突っ込んで暖を取りながらの応対は、相手に失礼だしマナーも悪い。だから両手をぎゅっと固く握ったが、気持ち程度の温もりしか感じる事ができなかった。

「あの日のこと、まだ引き摺ってるんじゃないかなって」

 あの日、というのは、まだ太陽が元気だった夏の頃。僕と天野さんが二人で海浜公園に出かけた日。天野さんは僕の発した〈あの日〉という言葉を訊いて、一瞬だけ眼を見開いた。

「え、……そんなことないわよ。もう過ぎた事だもの」

 異様な空気に包まれている状況に、佐竹が小声で「あの日ってなんだ?」と呟く。その横にいる流星が間髪入れずに「黙れ」と肘で鳩尾部分を軽く小突いた。

「天野さんは違くても、僕はまだ引き摺ってるんだ。だから、ちゃんと終わらせたい」

「終わらせるって、どういう意味……?」

 天野さんは自身の両手で、自分の体を抱き締める。上着の肘部分を強く握り締めている事から、緊張しているだろうことも窺えた。

「そのままの意味だよ。全部終わらせたいんだ」

「ちょ、ちょっと待って。全部って?」

「あの日の事も、それからの事も、全部含めて終わりにしたいんだ」

 天野さんは眼を伏せて、そのまま暫く黙り込んだ。その姿はどうしてか、僕の心をざわつかせる。いたいけな眼、というのは、正しくこういう眼を差すのだろうか。儚げな印象というよりも、僕が天野さんを苦しめているようにも思える。

 ──もしかして、言葉を間違えた?

「ごめん。えっと、……上手く言葉にできなくて申し訳無いんだけどさ。僕が言いたいのは」

 しかし、天野さんは僕の言葉を遮るように首を振った。

「──いいの。はっきりと言ってもらえた方がいいから」

 やはり勘違いをさせてしまっている。

 どう修正するべきかと考えあぐねていると、天野さんの隣にいる春原さんが「恋莉、多分だけど、恋莉が思っている事とは別の意味なんじゃない?」とフォローを入れてくれた。

「恋莉とルガシーの間に何があったのかわからないけど、ルガシーはその事について終わらせたくて、そして、これからは心機一転! これからもよろしく的な事を言いたいんじゃないかな?」

「私もそう思うのだよ、ワトソン君。私の推理だと、ツルツルは意味深に訳ありな雰囲気を醸し出しているだけで、内容は〝これからもトゥギャザーしようぜ〟だと思うのだ」

 どんな推理をすれば『トゥギャザー』が出てくるのか僕には理解できないけど、これを関根さんが重たくなった空気を軽くしようと冗談を飛ばしたに違いない──多分、そうだと思いたい。

「そうなの?」

 僕は天野さんの問いに首肯した。

「関係を終わらせるためではなく、これからも続けるために、あの日の事をいつまでも引き摺っているわけにはいかないから」

「だったら先にそう言ってよ。皆の前で振られたのかとひやひやしたわ……」

 紛らわしい言い方をしたつもりはなかったが、結果的にはそうなっている。日本語って難しいな。僕は幼少期の間、アメリカに住んでいたので日本語を上手く話せない──なんて設定をここで披露したい気分だ。無論、僕は正真正銘の日本人だけどね。僕のせいで色々と勘違いさせてしまった手前、謝罪しておくべきだろう。

「変な言い方をしてしまって、ごめん」

「全くよ。他人の問題には弁舌になるのに」

「マジでそれだわ。優志は割とガチで自分の事になると会話が下手になるもんな、普通に」

「常日頃、会話の下手なヤツがそれを言うのか。ブーメランだな」

 おい、それどういう意味だ!? と、佐竹は流星にツッコミを入れて、ようやく場の空気は戻り、温かさを取り戻した。

「いやー、何はともあれ、そろそろ帰らないとサンタさんがプレゼントを枕元に置いてくれなそうですな」

「え? ネズーはまだプレゼント貰ってるの?」

「当然! 去年は大きなくまさんのぬいぐるみをもらったのだよ! 私はいい子だからね!」

 その場にいた全員が、僕と同じような事を思ったに違いない──それは、関根さんの容姿が子供っぽいから、親御さんが関根さんを溺愛しているだけだ、と。今年のクリスマスも、僕は両親から現金を渡されて、『好きな物を買ってね』と言われるんだろう。いつの間にかそれが当たり前になっていたから、関根さんが少し羨ましい。プレゼントを待ちわびて眠る感覚なんて、とっくの昔に無くしてしまった。最後に貰ったプレゼントはゲームソフトだったかな。

 改札で僕らは別れて、各々が乗る電車のホームへ続く階段を下りていく。それぞれがそれぞれの、毎年同じような聖なる夜を過ごすのだろう。そこにもう、頑是無い子供のようなワクワク感は無くて、欲しい物もあやふやで、自分が何を望むのかも明確ではない僕らに、心から欲する物はいつか現れるのだろうか?

 到着した下り電車に乗り込んで、生暖かい座席に腰を下ろして数分、ズボンのポケットに突っ込んだままだった携帯端末がブルブルと震えた。誰かからメッセージを受信したらしい。少し腰を持ち上げて携帯端末を取り出して、画面を確認すると、そこには先程のメンバーの名前が表示されていた。

『メリークリスマス! 最後のアレにはビビったけど、いい夜になるといいな、普通にマジで!』

『クリスマスパーティー、お疲れ様でした。改めまして、メリークリスマス。まだ私は負けたわけではありませんので、勝負はまだ終わりではありません。次こそは優志さんを出し抜いてみせます!』

『メリクリなのだよ! ツルツル!』

『ハピメリクリ♪ ルガシーに幸あれ!』

『柄じゃないが一応、メリークリスマス』

『鶴賀先輩、メリークリスマスです! そして、楽しい時間をありがとうございました。サンタの女装、似合ってましたよ』

『ちょっと優梨ちゃん、私を放置して帰るってどういうつもり? 優梨ちゃんとの性夜を楽しみにしてたのに! 私のメリクリをどうしてくれるわけ!? なんてね、冗談よ。メリークリスマス』

 皆、本当に忠実まめだなぁ。

 そう思いつつ、それぞれに『メリークリスマス』を返し終えて、またポケットにしまおうと思った時、再び携帯端末が 震えた。画面には〈メッセージ一件:天野恋莉〉と表示されている。あんな事があった後だけに、メッセージを開くのを躊躇うけれど、無視するわけにもいかないと臍をガチガチに固めてから、メッセージを開いた。

『さっきは吃驚したけど、鶴賀君のおかげで前に進めるわ。素敵なクリスマスプレゼントをありがとう。メリークリスマス』

 もうジングルベルは訊こえないけど、聖なる夜はまだ明けない。

 今日くらいは子供のように、クリスマスを楽しんでもいいかな。帰りにコンビニでチキンとケーキでも買おうかと思いながら、背中に伝う温もりに寄りかかって眼を閉じて、もう来ないであろうサンタクロースに祈りを捧げた。

 電車は夜を駆け抜ける、ガタンゴトンと歌いながら。



 

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