【完結】女装男子のインビジブルな恋愛事情。

瀬野 或

一百五十一時限目 彼と彼女の駆け引き


 人口密度が増した部屋は、心倣しか息苦しく感じる……いや、これはきっと効き過ぎているエアコンの熱が原因だろう。今日はもう少し薄着をしてくればよかったと、胸の元の第一ボタンを片手で外した。

 まだ少し幼さが残る顔つきだが、一丁前に不満を込めた眼を視せる天野さんの弟、奏翔君は、どうして自分がこの場に呼ばれたのか把握しきれていない。左見右見しながら、春原さんに助けを求めるように、「これはどいう事ですか」と訊ねたが、

「ぶっちゃけ、私も詳しい事は理解してないのよね」

 僕は春原さんに事の発端は話したが、それ以上の介入はさせないように情報規制していた。これは、『僕らの事情に巻き込むわけにはいかない』と思っての行動だったが、春原さんの言い方には含む所があったので、大なり小なり『蚊帳の外だ』と感じているみたいだ。その事に関して『自分の眼で確認する』と僕を案内がてら着いてきたんだと推察したけど──これが終わったら、珈琲の一杯くらいは奢るとしよう。

「実は私もこの状況がどういう事なのかわからないんだけど、説明してくれる?」

 この状況に一番不安を感じているのは天野さんだろう、まさか僕らが押しかけてくるとは思わないだろうし。

 ちらりと月ノ宮さんが僕を睥睨する──進行しろ、と言いたげな眼だ。

「そうだね。先ずは押しかけた事を謝るよ……それで、なんだけど」

 額に一筋の汗が伝う。

「僕が用事あるのは奏翔君なんだ」

「ぼく、ですか?」

 奏翔君は部屋の扉を背凭れにして腰を下ろしながら、今、初めて会った僕と接点も無し、どうして自分が指名されるのかわからないと眉を顰める。

「……何なんですか」

 一応、僕は奏翔君に『年上』と認識されているようで、敬語は崩したりしていないが、その声音は『迷惑極まりない』とでも言いたげに、声変わりしたての声を殊更響かせた。

「実は私も、奏翔君とお話がしたくてここに来たんです」

「はぁ……あの、先輩方、名前を訊いてもいいですか」

「ええ。遅れて申し訳御座いません。私は月ノ宮楓、そして、そちらにいるのがクラスメイトの鶴賀優志さんです」

「鶴賀です、よろしく」

 ……しまった。

 事を急いで、自己紹介をするのを忘れていた。

「それで、月ノ宮先輩と鶴賀先輩は僕に何の用ですか?」

 それは──

「クリスマスパーティーに参加しませんか?」

「奏翔君がお姉さんを避ける真意が知りたいんだ」

「え?」

「え?」

 重なった声はどちらも違う理由を指していて、僕と月ノ宮さんは互いに眼を合わせた。

「優志さん、それはどういう事ですか?」

「月ノ宮さんこそ、どういうこと?」

 月ノ宮さんも、僕と同じ答えを目指しているはずだ。でも、どうやらアプローチは違うらしい。これはいっかなどうしたものかと言葉を詰まらせていると、天野さんが咳払いを一つ。

「二人共、私はそんな事を頼んでないわよ。──どういうつもりなの?」

 天野さんは怒りを通り越して、呆れたように、眉間を抑えながら僕らに訊ねた。

「まあまあ、恋莉。ここは二人がどうしたいのか、その行く末を一緒に見守ろうよ。……ね? 別に取って食おうって話じゃないんだからさ?」

「そうだけど、……奏翔が」

 心配だ──そう言いかけたんだろう。けど、その当人は天野さんを睨みつけていた。

「僕は構わないから、どうぞ続けて下さい」

 中学二年生にしては、肝が座っている。普通の中学生なら、上級生に囲まれたこの状況を、不安に思って尻込みするのが普通だ……普通だよね? あれ、僕だけだろうか? 僕が奏翔君の立場だった自分の部屋から出ないまであるんだよなぁ。

「恋莉さん、話を進めてもよろしいですか?」

「わかった。でも、成り行きによっては止めるから」

 その言葉は月ノ宮さんではなく、僕に向けられた言葉だろう。

 これまでの経緯を鑑みれば、僕を警戒するのは最もだ──今までも、大した事はしてないけど? 顎を引く程度に会釈で返してから、本題に移ろうと口を開いた時、月ノ宮さんが割って入った。

「話を長引かせるつもりは無いので、先に話してもいいでしょうか?」

「あ、うん。……どうぞ」

 月ノ宮さんは「有り難う御座います」と丁寧に腰を折り、奏翔君に視線を向けた。

「では、単刀直入に申し上げます。──奏翔さん、私の兄が経営する店で、クリスマスパーティーを開催するので、ご参加しては頂けませんか?」

 どういう事だ? 開催地は僕の家だったはずだが──

「参加費や用意する物はありません。もちろん、楽しんで頂けるように色々と催し物も考えています。中でも〝ビンゴ大会〟には豪華景品も用意していますので、お姉様と参加すれば、その豪華景品を手に入れる確率は上がりますよ? 豪華景品がどのような物かは、その日のお楽しみですが、月ノ宮の名を冠する者として、生半可な景品は用意しませんので」

 ──やられた。

 さすがは月ノ宮家のお嬢様だ、アピールする所と隠すべき情報を理解している。更に『月ノ宮』というネームバリューは折り紙つきだ。海外旅行までは言わずもがな、行楽施設の入場券や、テレビゲーム機も用意している素振りさえ感じる。かなり強引な方法だけど、イメージが容易いだけに、訊いている僕自身も期待してしまいそうだが……

「いや、いいです」

 返答は至ってシンプルな拒絶だった。

「どうしてですか? こんなチャンス、滅多に無いですよ ︎」

「どんな豪華景品があっても、僕が欲しい物はそこには無いので」

「奏翔……」

 天野さんは奏翔君が何を言いたいのか、差し詰め検討があるんだろう。だから、奏翔君が〈欲しい物〉と言った時、苦しそうに胸を抑えた。

「月ノ宮さん、……私も参加していい?」

 空気呼んでよ春原さん。

 まるでラノベタイトルになりそうなフレーズが僕の脳裏を音速で過ぎったが、月ノ宮さんは動じる事なく「ええ、構いませんよ」と返したけど……内心はどうだろうなぁ。厚かましさは関根さんを超えるかもしれない。

「では、奏翔さんが欲しい物とはなんでしょうか? 可能な限り手配し──」

「誰にも干渉されない、一人になれる環境です。……用意できますか?」

「そ、それは……すみません」

 物で釣るのは確かに効果的だ。現実味があればある程、その効果は跳ね上がる。期待値で言えば月ノ宮という名前も相俟って、ソシャゲガチャの〈UR〉くらいの価値はあるけど、所詮、ガチャはガチャ。当たるも八卦当たらぬも八卦のギャンブル要素を含む。そして、奏翔君が心から欲する物を履き違えた月ノ宮さんは、ここで甘んじて敗退せざるを得ない──なんて考えは、月ノ宮楓という人物を過小評価しているに過ぎないだろう。きっと、まだ手札を隠しているはずだ。

 僕は失意の中にいるような表情を浮かべる月ノ宮さんを視た。顔を伏せて、自分がいかに甘かったのか痛感しているというような様子だが──口元には、薄っすらと笑みが浮かんでいる。それはまるで、自分の勝利を確信している自身に満ちた笑みで、僕は背筋が粟立つのを感じた。やはり、月ノ宮楓という人物は底が知れない。

「鶴賀先輩は、僕に何を言いたいんですか?」

 奏翔君は『月ノ宮先輩を跳ね退けた』という事実があり、これまで以上に挑戦的な表情と声音で僕に訊ねた。

「えっと、……ちょっと待って」

「はい。でも、なるべく早めにお願いします」

 ……どうも引っかかる。まるで、蜘蛛の糸にからめ捕られた気分だ。

 よく考えてみれば、さっきの月ノ宮さんの提案は、月ノ宮さんらしいようで、らしくない。物で釣るのは常套手段だし、『どんな手段を使ってでも』と、毎回豪語している月ノ宮さんが、お金で解決する手段を用いるのは、ある意味『らしい』のかもしれない。僕が女装するのに困却していた時も、月ノ宮さんは自分の資金で色々と援助してくれていたし、この提案がされるのは自然の流れだと思う──でも、あの微笑みはなんだ? まるで『拒絶される事が前提だった』みたいな……

 そうか、それがそもそもの狙いだったのか!

 奏翔君がこの部屋に来てから、僕らの提案を呑む気配は見せていない。それ所か、この場にいる全員を敵視している。月ノ宮さんは自分が先行して失敗する事で、奏翔君の優位を位置付けると共に、判断基準を引き上げたんだ。例えるなら、宝くじで一等が当たったにも関わらず、それを自らの意志で辞退した状況……とどのつまり、月ノ宮さんは『宝くじ一等以上の提案を優志さんにはできない』と踏んでのあの冷笑か。

 ──どれだけ腹黒いんだ、月ノ宮さん。

「あの、そろそろいいですか? 僕も暇じゃないので」

 痺れを切らした奏翔君が、僕に詰め寄るように急かせる。

 ここまでの流れは、月ノ宮さんの描いた通りに進行しているんだろう。

 月ノ宮さんの嘲笑が訊こえてくるようだ……。

 状況は劣勢でも、僕はまだ引き下がるわけにはいかない。



 

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