【完結】女装男子のインビジブルな恋愛事情。
一百五〇時限目 彼と彼女がぶつかる時
春原さんが得意げに道案内をしながら進む横で、僕は見慣れぬ景色を楽しむ事なく黙々と歩いていた。天野さんの家に近けば近く程、表情が強張っていくのがわかる。
「大丈夫? 顔が真っ青だよ?」
大丈夫なはずがない。
「もし僕に何かがあったら、家族にこう伝えてくれないかな。……愛していると」
渾身のネタだったのだが、どうやら春原さんには伝わらなかったようだ。「何それ、映画の台詞?」と、小首を傾げている。
「ああ、うん。……まあ、そんな所だね」
もし、相手が春原さんではなくて佐竹だったら、『死亡フラグかよ ︎』ってツッコミが入る所だけれど……春原さんが相手だと、どうも調子が狂うなぁ。
辺りはすっかり夜に包まれて物静か。やけに明るい満月と、電柱に備え付けられた街灯が僕らの進む道を照らして、アスファルトには僕らの影が映り込む。左右には同じような家々が並び、これでは後日、一人で訪ねるのは難しそうだ。方向音痴ではないが、ここまで特徴的な建造物がなければ路頭に迷うだろう。肌に感じていた冬の寒さは、歩いているうちに気にならなくなっていた。寧ろ、厚着をしていたせいもあり、少しばかり汗がインナーを湿らせている。これが冷えたら厄介だな、風邪を引きそうだ。
──息が詰まりそうな静寂。
何か話題は無いかと思い、口を衝いて出たのは……
「あとどれくらいで着くの?」
まるで『いい天気ですね』みたいな、定型文をコピペしたような質問。だが、春原さんは特に気にする様子も無く、視線は進行方向のまま「もう少しだよ」と、表情も変えずに返して、様子を確認するように、ちらりと横眼で僕を視た。
「てかさ、……緊張し過ぎじゃない?」
──仰る通りです。
「友達の家に行くだけじゃん。別に、これからバイトの面接に行くわけじゃないんだからさ? もっと気楽にしなよ」
「そう言われてもなぁ……」
直ぐに気持ちを切り替えられる程、僕は器用じゃない。『元気出しなよ』で、元気が出ない原理と同じ。『おつかれ!』と言われて、煽りと捉えそうになるのと同じ……これは違うか。
「視えた。ほら、あの家だよ」
春原さんが指差す線の先には、二階建て、白壁の家があった──やはり、特徴的な部分は無い。強いて言うなら、軒先きを照らすライトの形状が違うくらいで、ファンタジーに登場するランタンみたいな形状をしている。だが、訪問する事を伝えていないので、明かりは灯されていなかった。もしあのランタンが灯っていたら、どれ程の光彩を放つだろうか。形状が形状だけに、魔法のような光を連想するけど、さすがに二次元的過ぎるかな。
赤レンガを組んだ門構え、そして、件のランタンの下にはカメラ付きのインターホンがある。
「どっちが押す? ……って、訊くまでもない、か」
仕方無いと言わんばかりに溜め息を零して、春原さんは慣れた手つきでインターホンを押す。間延びした呼び出し音。数秒後、回線が繋がる音と共に、訊き馴染みのある声がインターホンのスピーカーから洩れた。
『え……、凛花? 何でうちに?』
声の主は天野さんで間違いない。
慌てているのではなく、困惑した声だった。
「ちょっと恋莉に用事があってねー……と言っても、それは私じゃなくて。……ほらほら、そんな所に突っ立ってないでさ」
春原さんは、おいでおいでー、の手つきで僕を呼ぶ。
……ここまで来たんだ、そろそろ臍を固めるべきだろう。
「こ、こんばんは」
『優志君!? 何で凛花と一緒に? ……と、とりあえず入って』
ガチャっと通信が切れて数秒、玄関の黒い扉を天野さんが開けた。
「久しぶり、恋莉! 元気にしてた?」
「あ、うん。……まあ。さ、二人共、入って?」
僕は春原さんの後ろをついていくようにして、天野さん宅へと入る。
玄関は整理されていて、ラベンダーのフレグランスが爽やかな印象を与える。靴も乱雑に置かれていない。弟がいるというだけで、靴が所狭しと並べられている風景を思い描いていたけれど、きっちりと隅に踵を揃えて置かれている。そして、僕と春原さんの分のスリッパも用意してある事から、天野さん宅には来客が頻繁乃至、そこそこにあるのかも……と予想するけど、並べられているスリッパは新品に近く、予め来客用に準備された物だろう。
「いやー、久しぶりの恋莉の家だなぁ! おじさんとおばさんは元気?」
「ええ。……えっと、とりあえず私の部屋で話を訊こうかしら」
天野さんは『どうして来たの』と物語るように、僕をちらちらと視ては、視線を春原さんに移す。どうも落ち着かない──そんな様子だ。
玄関近くにある階段を上ると、その先には締め切った扉が三つ。中央の部屋を通り過ぎた左の部屋が天野さんの部屋のようだ。
「……この部屋が奏翔君の部屋だよ」
春原さんがこそこそと僕に耳打つ。
それに首肯だけで返して、僕らは天野さんの案内に倣い、天野さんの自室へと入った。
「遅かったですね」
……やっぱり、いたか。
天野さんのベッドに礼儀正しく腰をかけていたのは、この勝負を吹っかけてきた張本人、月ノ宮楓。今日はずっと天野さんにくっ付いていたのでもしかしたらと思っていたけど、やはり、悪い予感というものは総じて現実になるようだ──けど、ここまでは想定内。
「初めまして、春原さん。私は梅ノ原高校一年、恋莉さんのこい……クラスメイトの月ノ宮楓です」
月ノ宮さんは立ち上がって、懇切丁寧にお辞儀をした……というかこの人、一瞬、『恋人』って自称しそうになっていた気がするんだけど、気の所為であれ。
「私は春原凛花! 凛花でいいよ」
こちらは月ノ宮さんと真逆で、かなり馴れ馴れしい挨拶だったが、月ノ宮さんは微笑みながら「わかりました」と返す──その微笑みの冷たさは、この冬一番かもしれない。
「狭い部屋でごめんなさい。二人共、どこか適当に座って?」
座れと言われても、どこに座るべきだろうか? ベッドの上はさすがに無理だ。あの月ノ宮さんの隣に座るのは、今の僕では敷居が高い。然し、春原さんは迷う事なく月ノ宮さんの隣へ腰を下ろした。
「ルガシーも座れば?」
「「るがしぃ?」」
月ノ宮さんと天野さんは『レガシィ』と同じ発音で、声を重ねた。
「……不服だけど、春原さんからはそう呼ばれてるんだよね」
言い訳のように僕が訂正すると、天野さんは、
「ああ、凛花はあだ名をつけるのが下手なのよ。……ごめんなさい」
自分の勉強卓の椅子に座りながら、軽く頭を下げる。
「奇抜さは関根さんに近しいものを感じますね。近親感を持てます」
月ノ宮さんは少し笑壺に入ったらしく、くすくすと笑いながら、「私もこれからはそう呼んでもよろしいですか?」なんて冗談とも言い切れない冗談を飛ばす。それに対して僕は、不平を申し立てるように皮肉を込めて、「お戯れを」とだけ返答した。
──役者は出揃った。
静まり返った部屋に、人心地無さを感じているのは、僕だけではなさそうだ。誰かが口火を切るのを待っている膠着状態。いつも空気を破るように開口する佐竹はいない。それなら、僕がその役を引き受けるしかないだろう。
「月ノ宮さんはどうしてここに?」
この質問をされるのは予想していただろう。月ノ宮さんは口元に微笑みを湛えながら、静かに口を開いた。
「それは、優志さんと同じ理由です」
「二人共、大袈裟よ。大事にするような事じゃないのに」
「それだけこの二人が恋莉を大切に思ってるってことだよ。……いい友達じゃん」
春原さんは感動しているようだけど、僕と月ノ宮さんは同じ答えを求めているが、違う結末を迎える為に動いている。だから、春原さんの言う『いい友達』ではないのかもしれない。
「──それで、優志さんはどうするおつもりですか?」
「話し合う前に、……春原さん。彼を呼んできてくれるかな」
僕が呼ぶに行けば警戒されて部屋から出て来ないだろうから、こういう場合、『反応せざるを得ない相手』がベストだ。つまり、春原さんが適任。誰だって知り合いが訪ねて来たら、扉を開かないわけにはいかない。春原さんもそれを理解してくれたんだろう、頷いて、ベッドから立ち上がる。
「ちょっと、優志君 ︎ 凛花もどういうつもり ︎」
「この場に〝彼〟がいないのは不公平だと思うんだ──月ノ宮さんもそう思うでしょ?」
「……」
月ノ宮さんは暫く黙考してから、
「……そうですね」
と、僕がこれから何をするのか勘繰りながら答えた。
ここからが本番だ。
話の流れ次第では、死刑だって免れない。
一言一句、神経を研ぎ澄ませろ。
──失敗は、絶対に許されはしないのだから。
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