【完結】女装男子のインビジブルな恋愛事情。
一百四十五時限目 鶴賀優志の相談は牛乳にも出来ない
〈とある少女の独り言〉
本音を言ってしまえば、クリスマスパーティーに行きたかった。でも今は、他に優先するべき事があって、私だけ浮ついていたら、弟は返って臍を曲げるかもしれない。
そうなってしまったら、もう取り返しがつかなくなってしまいそうで……。
私と弟は腹違いの姉弟で、血の繋がりは無いけれど、家族として過ごしていた時間は真実だから、それだけは否定して欲しくなかった。だけど……最初に否定したのはお父さんであり、お母さんであり、私だ。
そして、奏翔を傷つけたのも──。
あの日、ドアノブにぶら下げた買い物袋は無くなっていて、後日、空になった石蓴の味噌汁のカップと、おにぎりの包みが、冷蔵庫横にあるゴミ箱に捨てられていた。
それを見つけた時は少しだけほっとしたけど、思い返してみれば、我ながら渋過ぎるチョイスだったかな。石蓴と昆布なんて今時の中学生が好むとは思えないし、なにより、海藻被りしてまっている。
シーチキンマヨネーズか、或いは、チャーハンやソーセージといった変り種を選ぶべきだったかな? 次の機会があればそうしよう。
……次の機会があれば、の話だけど。
冷めきった部屋に、溜め息が充満していく──。
随分と遅くなってしまったなぁ。
電車の行き先を知らせる電光掲示板の隣にある時計を視て、僕はそのままに感想を呟いた。黄色い線の内側、背広を着た疲れ顔の中年男性の右に立ち、下り電車を待つ。中年男性は片手にはビジネスバッグ、もう片手には古本屋で買ったままの文庫本を親指と小指で挟むようにして読んでいるけど、そのタイトルまではわからない。松本清張か、村上春樹か、それとも、もっとポップな文体の東川篤哉かもしれないけど、ライトノベルじゃない事は間違いない──だって、いい年したおっさんが、高校生が主人公のハーレム展開ラブコメを読んでいるイメージは湧かないだろ? オバロなら何となくわかるけど。つまり、オバロは全年齢対応なのだ。さすがはアインズ様。
録音された女性のアナウンスが、電車の到着を知らせた後、鼻にかかった声で男性駅員がマイクで繰り返す。女性アナウンスなので、到着するのは上り電車だ。こうやって聴き分ける人って、僕の他にもいるのかな? いるにはいるんだろうけど、だからといって、豆知識程度の気づきを自慢する人もいないか。
田舎の駅だが、ダンデライオンから帰宅する際に使う駅は、それなりに人が集まる。僕の後ろにも列ができて、電車が到着しても座れる可能性は少ないだろう。案の定、到着した下り電車の中は満員とは言わずもがな、優先席含めて、空席は残されていなかった。
流れに呑み込まれるようにして電車の中へ。
イヤホンの音漏れを気にするような素振りも見せない大学生の前で足を止めて、吊り革に掴まった。
彼はじっと眼を閉じて、音楽の世界に没頭しているようだけど、僕からすれば『爆音で音楽を聴いてる音楽通の俺かっこいい』にしか視えず、その様は滑稽に思えてならない。歳上に対して随分な言い分だが、心の中で思う分には自由だろう? どうせ、誰に知られるでもないのだから。
「……あれ? もしかしてルガシーじゃん?」
窓の外では見慣れた風景が流れる。
春夏秋冬変わらない景色というのも退屈だな。
「おーい、ルガシー」
さっきから誰だか車の名前を呼んでいるけど、ルガシーじゃなくてレガシーだからね? てか、電車の中にレガシーがあってたまるか。
「シカトすんな!」
ぐりっと右足に鈍痛が走る。
「いたっ ︎」
「やっと気がついた! 久しぶり!」
「……どちら様ですか?」
この乱れた髪色と香水の匂い、どこかで……
「春原凛花だよ ︎ 忘れるとか酷くない ︎」
──ああ、思い出した。
同い年の僕に、バイト先の居酒屋の呼び込みチラシを握らせた人物であり、天野さんの中学時代の友達のハラカーさんか……誰だよ、こんなセンスの欠片もないあだ名をつけたヤツ、最低だな。
春原さんも学校帰りだろうか? しかし、この制服の上着の首元にあるエンブレム、どこかで視た事があるような無いような……忘れた。
「ちょっと、どこ視てるのよ」
「どこって、首元にあるエンブレムだけど」
「ああ、これ?」
春原さんは右襟元にある校章をぐいっと……ちらっと視えた鎖骨が、なんだか艶めかしい。校章は菱形の金枠に、中は赤色で、その中央には梅の花らしき花が彫られているけど、桜に視えなくもないが──花に詳しくない僕には見分けがつけられなかった。
「校則で付けてるけど、ダサいよねー」
「校章なんてそんな物じゃないの? しらないけど」
「そう? ……てか、ルガシーはどこで下りるの?」
その呼び方はどうにかならないだろうか。
最近、奇抜なあだ名をつけられる事が多くて参るなぁ……。
──そう考えると、まだ『ツルルン』の方がマシに思えてくるのはどうしてだろうか?
「次の駅で乗り換えだけど」
この時間を利用して、関根さんから伝え訊いた事をまとめようと思ってたんだけどなぁ……というか、春原さんの家って〈こっち側〉なのだろうか? 天野さんの中学の同級生だったんなら、進路は逆方向だろう。
「凛花でいいよ?」
「……春原さんはどうしてこの電車に?」
「強情だなぁ……ま、いいけど」
強情というよりも、ファーストネームで呼び合う程、僕らが親密じゃないだけだ。
それに今は、余計な事に気を回していられる場合でもない。今日はたまたま同乗したけど、次も同じという事はないだろう。たまたま会った知り合い──それだけの関係だ。
「私はこのまま終点までだよ。今日はそこで贔屓にしているインディーズバンドのライブがあってさ、友達と現地集合ってやつ」
「なにそれ、超面倒臭そうだね」
「え?」
「……あ」
──しまった。
最近、他人との距離の取り方が曖昧になる。
春原さんは友達ではないし、『友達の友達の話なんだけどね?』に出てくる『友達の知り合い』程度の関係なのに、つい、思った事を口走ってしまった。
けれど、実際問題、興味無い物に付き合うのは面倒だ。
春原さんは『贔屓にしているインディーズバンド』と口にした。
本当にそのバンドのファンだとしたら、嬉々とした感情を表に出してもいいだろう。僕だったら、「まだ無名のバンドなんだけど、かくかくしかじかの云々かんぬん、じゅげむじゅげむごこうのすりきれ──という具合にそのバンドが好きで、もし機会があったら聴いてみてよ」と、某動画サイトまで視聴させるまである……気持ち悪いな。
でも、春原さんの表情は、どこか所在無さげに視えた。
それが何より『興味が無い』という証拠に他ならないのだが、さすがにさっきのは失礼だったかもしれない──というか、かなり失礼だった。
「プッ」
「ん?」
「あはは! 前にも思ったけどさ、ルガシーってオブラートに包もうとか全然考えないよね、超ウケるわー」
どうやら僕は、女子高生特有の『ウケるんです』に配置されたらしい。
僕は女子高生達と同じ時間を過ごしているにも関わらず、彼女達の趣味趣向がよくわからない。だって、月ノ宮さんが「ウケるんですけど」なんて言った日には、後にスナイパーから完璧なエイムで頭に風穴を開けられそうだし、天野さんだってそんな言葉遣いはしない。どちらかと言えば佐竹寄りだけど、それもどうだろうか? 根拠は無いけど、無理してギャルっぽく振る舞っているようにも視える。きっと、人間関係に苦労しているんだろうな、お悔やみ申し上げとこう。
「なんだかルガシーって話やすいよね。うーん、弟みたい?」
「話しやすい弟って存在するの? 弟って姉に逆らうイメージなんだけど」
「そう? 恋莉の弟とか超いい子で可愛いのに」
「……知ってるの? 天野さんの弟のこと」
「当たり前じゃん。恋莉と中学一緒だったんだよ? 学園祭とか来てたし、家にも遊びに行った事あるもん」
春原さんの時宜を得た発言に、思わず相好を崩しそうになってしまった。
関根さんとの会話からでは天野さんの弟の全体像を把握できなかったけど、春原さんからなら、天野さんの弟がどういう人物なのか詳しく話を訊けるかもしれない。歩く奇想天外と八割くらい無駄だった話に時間を費やしていなければ、この機会は巡って来なかっただろう──感謝するよ、関根さん! だけどやっぱり、ツルルン呼びはやめて欲しいな!
「ところで一つ、牛乳にも相談できそうにない相談があるんだけど」
「牛乳?」
「……今のは忘れてくれていいよ」
なんで某牛乳のキャッチフレーズなんて口に出したんだろうか?
「目的地までの暇潰し相手が欲しいとか思ったりしてないかな」
「そりゃまあ、終点まで時間かかるし、欲しいと言われたら欲しいけど……」
「それまでの間、僕も付き添うよ。その代わり、天野さんの弟について、詳しく訊かせてくれない?」
僕の問いに春原さんはにやりと微笑みながら、「じゃ、これからは凛花って呼んでね」と、条件を付け足してきた。案外、春原さんは交渉に長けているのかもしれないが、それが交換条件というのであれば安いものだ。
「決まりね」
「よろしく頼むよ」
僕の携帯端末に『春原凛花』という名前が追加されたのは誤算ではあったけれど、春原さんのアドレスを知るのは、もう少しだけ後の話──。
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