【完結】女装男子のインビジブルな恋愛事情。
一百四〇時限目 お昼休みと田中の本名
僕は教室に入る前、天野さんとツインテールさんから三歩程距離を開けた。
この二人と一緒に教室に入れば、中で駄弁っているその他大勢がざわつくだろう──そうなるのは眼に見えているので二人から距離を取ったのだが、ツインテールさんは僕の配慮に気がつかない様子。
「ツルルン、どうかしたの? お腹痛いの?」
と平然に、頓珍漢な答え洩らした。
「いや、そうじゃないけど」
上手く説明出来ないので、
「僕の事は構わなくていいから、先に教室に入ってくれないかな?」
そう言って二人を急かした。
「……などとツルルンは言っているのだが、ワトソン君はどう思うかね?」
天野さんはどう換言するべきか言葉を探すように、細い人差し指を顎に乗せながら考えを巡らせるたが、上手い言葉が見つからなかったのだろう。
「いいから、行くわよ」
と、ツインテールさんの背後に回り込み背中を押した。
「ちょっと、ワトソン君!?」
必死に抵抗するツインテールさんの関根が右に左に揺れる……あ、逆だった。
二人が教室へ入るのを見送った後、数刻待ってから教室へ入ろうとしたその時──
「そんな所で立ち止まってたら邪魔だぞ」
無愛想に僕を邪魔者扱いしたのは、クラス一番の不真面目キャラ……を通している雨地流星だった。こんな朝っぱらから登校しているのは珍しい──と、顔に出してしまったらしく、僕のきょとん顔を視た流星は不服そうな眼を向ける。
「……出席日数稼ぎだ」
「ああ、なるほど」
流星は僕を避けながら教室に入るなり、「うわ、流星が朝から登校してきたぞ!」と宇治金時君の声が教室内に轟いて騒ぎになった。これはしたりとその騒ぎに乗じて、息を殺しながら足音を盗んで教室に潜入。
抜き足差し足忍び足……足裏にチェケラを集中させる。
チェケラを集中させてどうするんだ。
『ヘイヨウ! ブラザーワッツアップ?』
──そんなノリは佐竹だけで充分だよ。
上手い事誘導が出来ていたので、僕は容易く自分の席に着く事が出来たが、不意に『ここまで息を潜める必要はあったのだろうか?』という疑問に苛まれて、いつも通り窓の外を視ながらその理由を考えるでもなく、無感情に無感傷を決め込んだ。
授業が始まっても、僕は授業に集中出来ないでいる。
黒板には白いチョークで重要な数式やらポイントやらが書き足されて、黒板消しの跡がどんどん増えていくのをぼんやり眺めながら、朝、月ノ宮さんに言われた事を考えていた。
『何か策を弄するのは結構ですが、人には踏み込んで欲しくない領域というのがあります。もし恋莉さんがそれを望まなかった場合、それでも優志さんは土足で踏み込む事を躊躇いませんか?』
こうして思い返してみると、月ノ宮さんにしては偉く攻撃的な言い回しだと感じる。最愛なる人の身を案じた結果なのだろうけど、本当にそれだけの理由だろうか? ……そしてもう一つ。この質問をした後、僕がどう答えるのか察しているように『愚問でしたね』と付け加えているけど、どうして『愚問だった』と言い切れたんだろう?
月ノ宮さんは天野さんについて、まだ開示していない情報を持っていて、それと照らし合わせたのだろうけど、だからと言って愚問だと言い切れる要素はどこにある?
「弟の存在……」
思わず衝いて出たのは、天野さんについての新事実。今回の件には天野さんの弟が関与している……と、月ノ宮さんは言いたかったんだろうか? ──クリスマスパーティーと、どう関係してるんだ。解決の糸口を探すには、まだまだ情報が不足し過ぎている。だから気を揉んでも仕方が無いけど、もやもやが晴れないままま真面目に授業を受ける気にはなれない。
気がかりなのは、それだけじゃないんだ。
僕はどうして天野さんに、クリスマスパーティーに出席して欲しいと思っているんだろうか。
人数だけを言うなら申し分ない数が揃っている。そこから一人抜けたとしても然して問題じゃないはずだ……けど、それでは意味が無い気がしてならない。
「友達だから……?」
──だろうか?
真っ白なノートには『弟の存在』と『友達だから』の文字だけが書き記されて、それをぐるぐると円で囲ってある。これだけ視たら「何のことだ?」と疑問に思うのは当然で、まだまだこれを繋ぎ合わせる記号も足りない。
式にすらなっていない問いに対して答えなんて出ないが、しかし、これ以上月ノ宮さんに訊いても無駄だろう。なぜなら、月ノ宮さんはこの件に僕が踏み込む事をよしと思っていないからだ。
──確かに、他人の事情に首を突っ込むのは行儀いい行為とは言い難い。
それでも……
「僕はどうして天野さんに来て欲しいと思うんだろうか……」
ノートに記してある『友達だから』を囲う円の色が重なって、より一層黒を強調するように濃く染まる。
この問いだけは、僕以外に答えを出せる者はいないだろう。
黒板上にある時計の隣に設置されたスピーカーから、授業の終わりを知らせるチャイムが響いた──。
* * *
今の季節が冬だろうと、僕のベストプレイスは変わらない。
まだ誰もやって来ない校庭を眺めながら、いつものベンチで弁当を広げる。
本日のおかずは好物のエビチリとほうれん草のお浸し。
色味を鮮やかにさせるために添えられたプチトマトを口の中に頬張りながら、午前の授業をほぼ全て費やした難問に頭を捻る。
実を言うと、僕はプチトマトがそこまで好きではない。
嫌いという程ではないけど、好んで食べようとは思わない野菜だが、折角作ってくれた弁当を残すわけにもいかないので詮方無しともぐもぐしているが、……やっぱり僕は普通のトマトの方が好きだ。
口直しにエビチリ、そしてご飯。
お弁当を完食した頃には、校庭で昼練をしているサッカー部や野球部の面々が、寒空の下で声を張り上げていた。その中で、彼らを憚るように隅っこで巫山戯ながらサッカーボールを数人で蹴るのは、サッカー部とは関係の無い集団。遠目から視てもわかるその姿、……佐竹御一行。
佐竹と、宇治抹茶君と……他にも数人いるけれど、名前までは把握してない。多分同じクラスの男子だが、まあ、僕とは絶対に関わりを持たないであろう彼らなので、場所に因んで〈北島〉〈南原〉〈田中〉としておく。
北南と来て突然の田中だけど、彼はもう田中という他に無い程の田中であり、田中以外にあり得ない田中の中の田中、ザ・ベストオブ田中。……要するに、彼らウェーイの民に混ざった地味そうなヤツ、という事だ。
あ、田中君が転けた。
僕は心の中で『田中君、強く生きろよ』と応援していたら、北島君が嬉々とした声で「なに転けてんだよ、田辺ー!」と手を貸して、田中基、田辺君を起き上がらせる──田中じゃないのかよ!
彼らの蹴鞠を呆然と眺めていたら、佐竹と眼が合ってしまった。
「おーい! 優志ー!」
そんな大声で名前を呼ばれたらテンパるでしょうが! と、まだ子供がラーメンを食べているのにそれを下げようとする店員に叱咤した北国の父親並みに嫌気がさしたが、佐竹はそれでも『青春って最高だな!』と言いたげな爽やかスマイルで僕に両手を振る。
「最悪だ……」
恥ずかしいから今すぐに止めたいけれど、どさくさに紛れて宇治何某君までもが、佐竹に倣うように手を振り始めて、悪ノリするかの如く、北島君らも手を振り始めた。
校庭の片隅で巻き起こる優志コール。
……冗談じゃない。
考え事を纏めるためにこの場所へ来たはずが、とんでもない悪意に阻まれたものだ。
鳴り止まない優志コールに後ろ髪なんて引かれたりはせずに、僕は彼らに他人行儀なお辞儀をして、足早にベンチから離れた。
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