【完結】女装男子のインビジブルな恋愛事情。

瀬野 或

一百三十二時限目 天野恋莉は想いを焦がす


 駅前通りの紅葉もみじの枝は刈り取られて、寒空の下で一層凍えているように視えた。駅へと向かう一団の中、それを気にするのは私くらいだろう。日中はユーロビートと、銀玉の擦れる音が喧しいパチンコ店は、開店準備に勤しんでいるのか物静かだ。だけどその喧騒が当たり前となった今では、当たり前の物が当たり前に存在しないだけで、ぽっかりと穴が空いたような物足りなさを感じてしまう。

 今日はやけに毛糸のマフラーが首をちくちく刺す。

 その不快感から解放されるべくマフラーを首から外してみると、冷たい風が襟元を撫でた。もう一度マフラーを巻き直してみるとあら不思議、先程までの不愉快なちくちく感はない。首元に少し余裕を持たせたから? 多分違うけどきっとそう。

 間違いというのはおおよそ正しくて、その実、間違いなのだ。

 矛盾しているように思える暴論だろうけど、世の中に矛盾は付き纏うのが条理。──だから何が間違いで何が正解か……なんて、その本人にしかわからない。しかもその答えだって他の要因が入り込めば、あっという間にカオス理論の完成。卵が先か、鶏が先かと、メビウスの輪然らしめるのだ。

 私の恋愛もあらゆる事情が重なって混沌としている。

「どうすればもっと近づけるだろう……」

 白い吐息と共に吐き出した言葉は窮状を訴えているようで、酷く困却しているのが一目瞭然だった。

 ──佐竹が羨ましい。

 優志君、基、ユウちゃんに最も近しいのは佐竹だ。

 私だってもっと彼、彼女と話をしたい。

 くだらない話に屈託無く笑い合いたい。

 ──あれ? 私は佐竹に嫉妬してるの……?

 でもそれは火を見るよりも明らかで、心に宿った妬心はどんどん膨れ上がる。『独り占めしたい』というどす黒い感情が心を支配していくのを感じたけれど、やり場の無い焦燥感はどうする事も出来ない。危うく涙が零れ落ちそうになったが何とか踏み止まった私は、青息吐息を胸に収めて、駅まで残り数メートルの距離を黙々と歩いた──。




  * * *




「おはようワトソン君。今日も日がな一日、勉学に励みたまえよ?」

 私の席に来るなり呵々大笑かかたいしょうしている泉は、今日も童顔で幼子のようだ。ちんちくりんとか、他にも陰で『ロリっ子』とか『幼女』など呼ばれているけれど、本人は対して気にもしていない。それ所か寧ろ『この容姿は武器になるのだよ?』と自慢するくらいだ。確かに一部のファンには堪らない容姿かもしれないけど、このクラスでは『変人カテゴリー』に区分されている。関根泉はそういう人種なのだ。

「ふむふむ? その憂いを帯びた表情……さては事件かな?」

 いや、これは憂いではなくて、幼気な彼女に向けた憐憫なのだけど──

「事件なんて早々に起きるものじゃないでしょ」

 取り敢えず、泉の口裏に合わせて答えてみる。

「いやいや、事件とは起こるべくして起こるものだよ恋ソン君。探偵がそこにいれば、殺人事件が発生するのと同じでね!」

「……どうでもいいけど、その〝恋ソン〟って呼び方だけは止めてくれないかしら」

 まるで私が『恋に損している』みたいで鼻持ちならない。──損な恋、なんて縁起悪いあだ名だ。それに、探偵が殺人事件を捜査するのは物語の中だけで、実際は素行調査や失踪した飼い犬や猫を探す仕事が多いと何かの本で読んだ気がする。まあ、それだって物語の中の話だから、本当にそういう仕事がメインなのかはわからないけど。

「じゃあ……ワトソ莉?」

「あだ名をつけるセンスが壊滅的過ぎる……」

 私は泉の相棒になった覚えは無いので〈ワトソン〉から離れて欲しい。……なんて口にしたら泣かれてしまうかもしれないので噯にも出さないが、私まで変人扱いされるのは御免だ。でも、決して悪い子ではないので突き放す事も出来ず、こういう関係がだらだらと続いている。

 泉は何か妙案でも思いついたのか眼を爛々と輝かせながら、「ならば!」と元気一杯に手を挙げた。……嫌な予感しかしない。

「今日から君は〝天さん〟だ! ……そういう私は餃子チャオズ?」

「知らないわよ……」

 気功砲とか排球拳なんて技を使う三つ目の格闘家なんて、全然知らないんだから。

「やっぱりワトソン君の方がしっくり来るなぁ」

「もう好きに呼んで……」

「わかった! そろそろホームルームが始まりそうだからまた後で!」

 まるで台風みたいな子だと、過ぎ去った暴風を横眼にしながら思う。

 台風が過ぎ去った後は静かになって晴れ晴れとした青空が広がるはずなのだけど、相変わらず窓の外は曇ったままだ。

 優志君はどうしてるかな?

 窓際の席に視線を送ると、優志君はいつも通り机の頬杖ついて、退屈そうに窓の外を眺めている。その視線の先にあるのは灰色の分厚い雲だけなのに、視線の先には何か意味があるような気がして、私も机に頬杖をついてみたが、結局、優志君が何を思って雲を眺めていたかは、ホームルームが終わった後もわからなかった。






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