【完結】女装男子のインビジブルな恋愛事情。
一百三〇時限目 サンドイッチを食べながら
あれからどれくらい時間が経っただろうか? そう思って左手首にある時計で時刻を確認すると、閉店時間はとっくのとうに過ぎている。普通なら店員が「間もなく閉店時間となります」と、蛍の光を流しながら退店を急かす頃だ。しかし、俺らを追い出そうとしない照史さんは、キッチンで黙々と調理をしていた。
包丁が俎板を叩く子気味好い音が聴こえる。もしかしたら俺達の為に、夕飯の準備してくれてるのかもしれない。……なんて期待に胸を膨らませるが、そう言えば優志が夕飯は鍋かカレーだって言ってたな。『育ち盛りだし、どっちも食えるだろう』と食い意地よろしくに、まだかまだかと調理が終わるのを待っていたら、ドアベルが軽やかな音を鳴らした。
「こんばんはー?」
その声を耳にした照史さんよりも早く反応したのは、今の今まで退屈そうに欠伸をしていた姉貴だった。まるでいい遊び相手、或いは、絶好の鴨を視つけたかのようにしめしめとほくそ笑みながら、「優梨ちゃーん!」と声を大にして立ち上がる。その拍子に隣でテーブルに突っ伏して寝ていたアマっちが、体をビクッと震わせて起き上がった。
「なにごとだ?」
……と言わんばかりにキョロキョロと周囲を確認して状況確認。
店内に優梨、恋莉、楓の姿を見つけると、きまり悪そうに舌打ちした。
──どうやら寝起きは機嫌が悪いらしい。
姉貴の声に苦笑いを浮かべている三人組は、危険区域に足を踏み込むようにゆっくりと足を運んで、カウンター席にあるパイプ椅子を持ち寄り、各々その椅子に腰をかけた。
「お久しぶりです」
楓と恋莉は声を揃えて姉貴に挨拶すると、姉貴は屈託の無い笑みを浮かべながら、まるで旧知の仲だった友人に話しかけるように「おひさー!」と手を振った。
……だが、俺にはわかる。
優梨を揶揄いたくてうずうずしているのが。
もし姉貴に尻尾があったら、ご自慢の尻尾を委細構わずぶんぶん振っていただろう。その証拠に、姉貴の視線が優梨を捉えている。
「今回も、もしかして優梨ちゃんの差し金かなぁ?」
含み笑いを浮かべて優梨に訊ねる姉貴の顔は、あまり他所に視せられるものではない。
「差し金とはまた穏やかじゃないですね……」
優梨は誤魔化すように「あはは」と力無く、頬を引攣らせながら苦笑いを浮かべる。でも、姉貴は追求するように身を乗り出して、
「そうなんでしょう?」
と、乾いた笑みを湛えながら執念深く問い質す。
「さて、どうでしょうね?」
優梨も姉貴の悪癖には慣れてきたのかもしれない。以前なら言葉を詰まらせていただろうけど、今は微笑みすら浮かべている。……これを『成長』と言っていいものだろうか? と品定めしているような姉貴の眼に、俺は開いた口が塞がらない。
姉貴が言う所の『引き金』かどうかはわからないが、『きっかけ』を作ってくれたのは優梨達だ。だから優梨単独を指し示すのは違う。それに、今回の功労者は間違い無くアマっちだろう。ただ珈琲を飲みに来ただけのはずが、日がな一日、俺と姉貴のいざこざに巻き込まれたんだ。「殺すぞ」と恨み言をいわれても、文句を言えた義理じゃないだろう。
姉貴と優梨がお互いに腹の探り合いをしている傍で、恋莉が俺の耳元に顔を寄せて、「結局、どうなったの?」と訊ねてきた。
「一応、元鞘に収まったって感じだな」
俺が『言ってやったぜ』とドヤ顔を決めていたら、楓が首を傾げて「元鞘?」と呟いた。
「お前ら、俺の揚げ足を絶対取るマンかよ!? 言葉の綾ってやつだよ! ……もうそれでいいだろ!?」
「〝マン〟ではなくて〝ウーマン〟では?」
……楓、そういう所だぞ。
和気藹々と雑談が店内に響く中、頑固として話の輪に入ろうとしなかったアマっちは、「オレはそろそろ帰るぞ」と徐に立ち上がる。
「あら、もうそんな時間? 私も帰ろうかなー? 義信、アンタはどうすんの? 帰って来るの? それとも優梨ちゃんと一夜を共にするの?」
「言い方を考えろ!? 荷物も置きっぱなしだしな……、今日は予定通り、優梨の家に泊まるわ」
どこからともなく「やっぱりうちに泊まるんだ……」と嘆くような声が訊こえた気がするが、きっと空耳だろうと受け流す。
「いつも佐竹だけズルい。私もユウちゃんの家に泊まりたいなぁ……」
「え? あ、ええと……」
姉貴が下ネタを飛ばすもんだから、名状し難い雰囲気に包まれてしまった。
「ほら、姉貴がややこしい言い方するから変な空気になっただろ!?」
姉貴に苦言すると、
「若いっていいわねぇー? お姉さんも参加しようかしら?」
チラチラと婀娜めいた視線を優志に向けた。
……どうやら俺の苦言は無視されたらしい。
その視線に気づいた優梨は無表情、そして無感情に、
「無理です」
と、端的に言い放った。
「そこまで拒絶しなくてもいいでしょー! ま、冗談だけどね。それに、これから紗子と話し合いがあるし……久しぶりに夜のバトルドームで、超! エキサイティーング! しちゃおうかしら?」
いやもう本当に、そういうリアルな下ネタはガチでやめてくれないだろうか? 我が姉ながら節操が無くて困る。
──というか『夜のバトルドーム』って何だよ。
* * *
流星と琴美さんが退店すると、先程までの喧騒をどこへやら、これまで全く気にしていなかったBGMも、はっきりと耳に届くくらいには静かになっている。
私の横には紙袋が二つ。
目的だったコートと、その他にもロングスカートとか色々と購入。何とか予算には収まったけど、今月は無駄な出費を出来なそうだ。
「帰ったら着てみてくれよ」
佐竹君は紙袋の中を興味津々に覗き込みながら、そんな事を口走る。
「嫌だよ。佐竹君に覗かれるもん」
「最低ね」
「最低ですね」
レンちゃんが佐竹君を蛆虫を視るような眼を向けながら言うと、楓ちゃん顰みに倣うように真似をして、更には、
「最低だねぇ」
いつの間にか照史さんも会話に加わっていた。
「照史さんまで!?」
照史さんは「やあ、お疲れ様」と私達に微笑む。
「家に帰ったら夕飯があると思うけど、よかったらどうぞ」
テーブルの中央にはカンパーニュの切れ端で作ったサンドイッチが大皿の上に並んでいる。具はクリームチーズとサーモン。不揃いな大きさのカンパーニュから、これ見よがしにはみ出したサーモンが私の食欲を煽る。
「いただきます!」
両手で挟むように軽く握り、具が落ちないようにしながら大口を開けてがぶりと噛み付くと、最初に来るのはもっちりとしたカンパーニュの歯応え。外側はカリッと、内側はモチっとしているカンパーニュは少々酸味があるパンだけれど、それをサーモンとクリームチーズが見事に緩和している。もぐもぐ噛み締めていると爽やかなオリーブの香りが広がって、レタスとトマトが後味をさっぱりさせる。
「残り物で作ったから本来のサンドイッチより具が少ないんだけど、お口に合うかな?」
とても美味しいです! ……と、感想を言おうとしたら、佐竹君の「やっぱ全然普通にヤベェなぁ!」という、圧倒的に語彙力の低い食レポに遮られた。──それでも『ンーフー』よりはマシだ、と思う私は相当に佐竹っているんだろうか。ちらりと視界に佐竹君を入れると、佐竹君は無邪気な子供のように、口元にパン屑を付けながら無我夢中でサンドイッチを頬張っていた。
語彙力の低い残念なイケメン。
私が最初にそうレッテルを張ってから数ヶ月が過ぎて、ようやく彼の本質的な部分が垣間見えてきた。
普段はお調子者な風見鶏だけど、彼は自分と関わった人間を大切にする。そして、バカなりに色々と考えて、悩んで、ちょっと頼りない部分もあるけれど、それは彼自身のトレードマークでもあり、「仕方がないなぁ」と手を差し伸べたくなるのは、喜怒哀楽が激しい彼のリアクションを楽しみたいという悪戯心を刺激されるからだろう。
……でも、面倒事を持ってくるのはそろそろ控えて欲しい所だ。
「なんだよ、ニヤニヤして。……俺の顔がそんなに面白いか?」
どうやらじろじろ視ていたのがバレてしまったらしい。
佐竹君は眉を顰める。
「……ううん。佐竹君の笑顔は可愛いなって思っただけ」
「ば、ばかやろう。急に変な事言うんじゃねぇよ……」
そう言って、最後の一口を口の中へ放り込んだ。
佐竹君の魅力は理解できたと思う。
それを『恋心』へと変化させるにはもっと時間が必要で、自分に芽生えた『女性としての心』を自認するのも、もっともっと時間が必要で、佐竹君を恋人に選ぶのはそれよりも更に遠い時間の果てだろう。
私はまだ、男子と女子、どちらを恋愛対象にしていいのかわからない。──でもそれは些細な問題で、本当はどちらでもいいのかもしれない。私の性別が両性であるように、恋愛対象だって……。
そう考えると、琴美さんの恋愛は自由だ。
『好きになった相手が同性だった』
たったそれだけの理由で、同性である彼女と結婚まで考えている。
好きになる理由なんて、私が考えている以上に単純で簡単な事なのかもしれない。
──だけど私は、まだそのスタートラインにすら立てていないのだ。
佐竹君も、レンちゃんも、楓ちゃんも、現状は同じスタートラインにいて、走る出す為のピストルの合図を待っている。そのピストルを撃ち鳴らすのは私なんだろう。……思い上がりかな? 例え思い上がりだとしても、この考えに至った私は『あの頃の優志』と全然違う生き物だ。
もう少しの間、ピストルの合図を待っていて欲しい。
贅沢を言ってるかもしれないけれど、もう暫くは三人と同じように、屈託無く笑っていたいんだ──。
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