【完結】女装男子のインビジブルな恋愛事情。
一百十六時限目 答え合わせ ④
「それでも、性別の壁は分厚かった」
流星はふんだんに時間を置いてから、その言葉に全ての感情を込めるように言った。女性を強制させられる生活は、流星にとって苦痛以外の何物でもなかったのだろう。
今回の梅高祭だって、男子と女子で役割が違っていたのもそうだけど、性別で勝手に役割を決められる場面は多々ある。料理は女性、とか、労働は男性とか。
男女平等を実現させるには、根付いている古い思考を取り払う必要がある。それが可能なのか、不可能か……、戦後から高度経済成長期を経て急成長した現在の日本でも、実現には至っていない。未だに自己犠牲は正義だし、『欲しがりません勝つまでは』のスローガンが見え隠れしているのもそのせいだろう。
「だからオレは、小学校を卒業するのと同時に、女である事を卒業した。中学は小学校のヤツらがいない私立の共学を選んだけど、オレを腫れ物みたいに扱うヤツしかいなかったな」
前へ倣えで後ろを振り向くようなヤツは、『異端』として列から弾かれる。
それを『個性』と呼ぶには勇気が必要だ。
他人と違う事を恐れる子供社会では、それが特に色濃くあり、調和を乱す物には『正義』を掲げて制裁を下す。「アイツ、最近調子に乗ってるからハブろうぜ」──そんな声を僕も耳にした事がある。そして、問題になりそうだったら「ネタだよ、ネタ」と逃げればいい。
……ネタって言葉は何とも便利な言葉だ。
そういう中学時代を経て、流星は変わっていったんだろう。性格も、見た目も、紛うことなき『男性』に近づくように、僕が想像もつかないくらいの努力を積み重ねて今の流星がある。……そう、僕は思った。
「群れば誰かが必ず弾かれる。だからオレはそうなる前に距離を取るんだが、義信にはしてやられたな。アイツはよくやっている。上手くクラスをまとめてるって言っても過言じゃない。……調子に乗るから本人には言わないけどな」
流星の口元が僅かに緩む。
「オレが浮ついた行事が嫌いなのは、つまり、そういう事だ」
「……込み入った話じゃないって言ってたけど、かなりぎゅうぎゅう詰めに込み入ってるね」
「そうか? ……そうか、そうだな」
まるでパンドラの箱を開けた気分だ。
人間のありとあらゆる嫌な部分が視えてしまって嫌気が差す。流星はそれを体験して来たんだと思うと、僕の悩みなんてちっぽけで粗末な物に思えてならない。
「お前はオレをどう視る? オレをどっちだと思う」
「……」
僕はずっと雨地流星という人間を『男』だって思っていたし、『生物学的に言えば女だ』と言われても、「それなら君は女性だよ」とは言えない。流星の心は男性であり、流星もそれを望んでいる。それなら、体は女性だとしても、流星が選んだ道を僕は尊重したい。
だけど、──答えはそれで合っているのだろうか?
もし僕が『君は男だよ』と言えば、それは今の話を訊いたから出てきた答えだ。そんな答えを流星が望んでいるとも思えない。仮にその答えを望むのであれば、『オレをどっちだと思う』なんて訊ねるだろうか? 確認がしたいのか? ……違う。そういう事を訊ねている訳じゃない。
流星は僕に『お前は両性だ』と断言してくれた。
それで僕は自分の悩みの落とし所を見つける事が出来た。
だけど、流星は違う。
既に自分の中で答えを見つけている。
だったら──。
「僕は流星を〝雨地流星〟として視てるよ。だって、僕にとって流星は流星であって流星じゃないから」
「優志……。次に〝えりす〟って名前を出したら半殺しにするからな」
「ええ……」
僕としてはかなり満足出来る答えだったんですけどおぉ……? お涙ほろりの熱い展開を期待しなかったわけじゃないが、まさかまさかの返しにドン引きしてしまった。それでもまあ、『半殺し』なだけマシになったんだろうか? いや、全然マシになってないよね。
* * *
夕方にしてはやけに外が暗いなと思ったら、雲が出てきたようだ。天気予報では晴れだと言ってたけど、このまま時間が経てばザーザーとアスファルトを打ち付ける雨が降るかもしれない。カウンターにいた客も、先程、照史さんが店の外まで見送った。僕らもそろそろ店を出た方がいいだろう。……その旨を流星に伝えると相槌を打った。
本日の会議はここまで、どうもお疲れ様でした。
筒状の伝票入れから伝票を抜き取って、会計を済ませた僕と流星は店の前で別れた。流星はこの後に寄る所があるらしい。どこへ行くのか訊ねてみたけど、答えてはくれなかった。
駅とは反対方向へと歩いて行く流星の後ろ姿を、路地裏へ入るまで見送ってから、踵を返して駅へと向かう。
「両性、か……」
男でもなく、女でもない。
そして、男にもなれて女にもなれる。
気分で性別を変えるって言うと何だか語弊があるかもしれないけれど、そういう性別が存在すると自分の中で理解出来れば、生物学的には男性の僕も、自分の中にある『女性の部分』を否定しなくて済む。
……正直、ほっとした。
「僕は両性なんだ」
自分の耳にしか届かない程度の声で呟く。
この体型で成長が止まったのは奇跡のような気がしてならない。残念なことに、空には灰色の雲が被っていて、メリーポピンズのように空を飛ぶような軽やかさは無いけど、肩の荷が降りたような安堵感はある。
だけど、これでようやくスタートラインだ。ゴールは未だに視えないし、何をもってゴールと言えるのかもわからない。晴れやかな気分の中に、薄らと影が潜む。その影の正体を僕は知っているけど、今だけはその正体に知らない振りを決め込んで、明日に備える事にした。
明日は優梨として出掛けよう。
ふたりにも、ちゃんと話を通そう。
佐竹には、会った時に話せばいいかな。
拭い切れない影を置き去りにして、僕は駅の中、電車へと乗り込む。ドアと椅子の隙間に肩を預けて、流れる景色を眼で追いながら、降り始めた雨を眺めていた。
秋の雨が降れば猫の顔か三尺になる、なんてことわざがあったけど、本当に猫の顔が三尺〈約九〇センチ〉も長くなるのだろうか? 元の意味は『秋は晴れの日よりも雨が降った方が暖かい』という意味で、暖かいから猫が喜ぶ、という事なんだけど、気温が一度や二度上がった所で変わらないのでは? 実際、夏場の三十九度も四〇度も対して変わらないじゃないか。……夏と秋ではそもそも季節が違うけど。
そんな事よりも、駅から自宅までどうしようか。
雨に打たれて帰ってもいいけど、あまり制服を濡らせたくないなぁ。だからと言ってコンビニでビニール傘を買うのも勿体ない。鞄を傘代わりにして走るか? 疲れるのは嫌だけど、それが一番安く済む。
──はあ、せっかくいい気分だったのに、雨のせいで台無しだ。
最寄駅の改札を抜けると、雨は先程よりも勢いを増している。僕のように立ち往生しているひとも多数いて、まるで雨の鑑賞会状態。この雨に全日本が泣いた──みたいなキャッチフレーズが頭に浮かんだ。
ここで雨が止むまで待っていても時間の無駄だ。多少濡れたって明日は休みなんだし、制服が濡れてもどうとでもなるだろう。僕は両手で鞄を持ち、それを頭上に乗せてジョギング程度に足を動かしながら家路を急いだ──。
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