【完結】女装男子のインビジブルな恋愛事情。

瀬野 或

一百六時限目 鶴賀優志の懊悩


 外はもうすっかり夜の風景になっていた。

 ダンデライオンがある〈あっちの駅〉と違い、普段の通学で利用している〈こっちの駅〉付近は殺風景極まっている。……まあ、何も無いわけじゃない。田舎の駅だけど居酒屋チェーン店はあるし、ひとがいいおばちゃんが営んでいるコンビニもある。田舎のコンビニなので、二十四時間経営ではなくて、二十二時に閉店するけど。

 駅を挟んだ向こう側にはスーパーマーケットがあるものの、そのスーパーマーケットに行くにもかなり大回りして行かなければならない。歩いて行くとなると一〇分以上はかかるのでないだろうか? なので、学校帰りに気軽に寄ろうなんて、誰も思わないだろう。詰まる所、この駅を経由して梅高に通う梅高生は直帰一択なのだ。かるが故に、敢えてこの駅ではなくて、〈あちら側の駅〉を選択する学生も多い。その距離にして一駅。お金に余裕があるのなら、僕もそうしたい所だ。

 今日は梅高祭の打ち上げもあり、この駅を利用する生徒も少ない。なので、駅に到着するまでの間、疲れた体と心を癒すには丁度よかった。ぐっすり眠れたわけではないけど、仮眠程度にはなった気がする。

 今日は神経をすり減らす事案が多かった。

 不慣れな接客に、打ち上げ云々の話し合い。そして、気づいてしまった事の数々。それらを思い出すだけで、心にドサッと重石おもしが乗る。たから考えないようにしていたけれど、ひとりでいるとふっとした拍子に思い出してしまう。

 バスから降りてから駅までほんの数メートルの距離が、途方も無く遠い気がする。それもきっと……、いや、止めておこう。

 この駅は線路を潜るようにして、向こう側にある二番三番線ホームへと向かう。乗り込む電車も一時間に三本あればいい方。二両か三両しかない車両の中にはトイレがあったりするので、初めてこの電車に乗るひとは吃驚するだろう。トイレ付近はなかなかに芳醇な香りがするので、乗り物が苦手な方は避けるべきだけれど、密閉空間にトイレがあるのは、緊急事態になった時に対処が出来るので、決して悪いわけではない。

 僕はその白い車体に緑のラインが入った電車に乗り込み、椅子に座って、ペアシート席の背凭れ側にぐったりと寄りかかって出発を待った。

 この時間がいつも手持ち無沙汰で、得意の一発芸『手持ち豚さん』はこの時に生まれたのだけれど、それはどうでもいいか。いつもなら音楽を聴いたり、読書をしてやり過ごすけど、なんだかそんな気分にもなれず、物憂げに窓の外をぼうっと見詰めていた。

『まもなく二番線ホームより電車が出発します』

 プシューっと空気が抜けるような音と共に、のんびりと電車が動き出した。ゆったりと流れる景色。まるで時間がスローモーションで流れているみたいな感覚に囚われる。

 だけど、永延こそあれど永遠は無いのだ。

 始まりがあれば必ず終わりがあって、どんな結末になろうとも、どんなに面白い物語でも、幕は無慈悲に閉じられる。そこにアンコールの拍手は起きない。そんな事、あってはならない。

 だから、僕が抱える不安や、憂鬱にも、いつか終わりが来て、その時には色々と失っているんだろう。諦めもあるかもしれない。挫折だってある。そこに光を見い出せない現状では、後者の理由が一番しっくり来る気がする。

 ──それでもいいと、何度も自分に言い訊かせた。

 誰よりも他者と劣る僕は、猫が死に場所を探して彷徨うように、誰もいない静かな場所で、誰にも迷惑をかけずに息を引き取る。それこそが、空気に徹する僕の終焉だ。

 ──そう、思ってた。

 だけど、僕は知ってしまったんだ。

 いや、再確認したと言うべきかもしれない。

 孤独の寂しさを、苦しみを、恐怖を、僕は思い出してしまった。……それは、嫉妬とかそういう陰湿な感情であり、誰しもが忌み嫌う禍々しい欲望。

 そして、僕自身の変化に、僕自身が追いつけないでいる現状は、詮方無しと割り切れるようなも状況でもない。男としての性、女としての性、どちらの性にも自分があり、どちらの性にも自分が無い。

 ──僕は、どう存在するべきなんだろうか。

 恋愛観を語るのなら、まだ「僕は異性愛者だ」と言える。だけどもし、今日みたいに、恋愛とは一切関係無く、それこそ僕を恋愛対処とはせずに、あんな風にフォローされて、大なり小なり心が揺らいだ。

 これは『異常』なのだろうか?

 同性に対してときめいた自分は『病気』なのだろうか?

 有り得ないと思い込んでいた『同性愛』という恋愛感情が、選択肢のひとつとして発生してしまったのは、精神的異常なんだろうか……。

 世の中には『バイセクシャル』という『両性愛者』が存在する。佐竹の姉である琴美さんも、確かバイセクシャルだったはずだ。だけどあのひとに相談すると、絶対に腐った思考を植え付けられるだろう。それが悪いとは思わないけど、今の僕が欲しい答えじゃない。何より、月ノ宮さん、天野さん、佐竹に相談したくないのもある。……結局はまた、いつも通りの堂々巡りだ。こんなの、不毛だと言うのに。

 何度か答えを出した。

 その答えは妥協に過ぎなかった。

 だから僕は、この不毛な自問自答を何度も繰り返すんだろう。

 ……答えなんて、出ないだろうに。





 * * *





 最寄り駅に到着した電車は、僕が改札を抜けた頃に出発した。

 駅前にある紅葉が葉を落として、それを踏む度に子気味いい音を奏でる。

 ──もう、季節はすっかり秋だ。

 数日前までは半袖でも過ごせた気温は、いつの間にか長袖で丁度いいくらいの温度に落ち着いて、ここから更に下がっていくだろう。……そろそろ、本腰入れて服の整理をしなきゃならなそうだ。然ればとて、衣替えする程洋服を持っているのかと問われたら、そうでもないのだが。パーカー数枚とジーンズ数枚、後はウインドブレーカーとか、そういうアウターが二着程度。その中でも、もう着なそうな服も幾つかある。これは早めに冬着を買いに行かなければならなそうだ。

 ──女性服も、買うべきだろうか。

 いや、でもさすがに男が女性服を買うというのはどうだろう。これが例えば異性と洋服を買いに行っていれば、

『これどう? 似合う?』 

『君はどれを着ても似合うから、洋服選びが大変だね。ハハッ☆ ……それはそうと、僕もこの服を着てみたいんだけど、どうかな?』

 みたいな流れで、自然に女性服選びができそうなものだけど。……これ、自然な流れか? 明らかに強引な流れな気がするぞ? ハハッ☆

 ……そもそも僕はこんな風に、アクセントひとつ変えれば、世界的に有名なネズミの笑い方にもなりかねないような笑い方はしない。

 男性服だけなら兎も角、女性服も買い揃えるとなると、予算が大分削られるなぁ……。お小遣いは高校一年にしては多く貰っているけど、それは両親の帰宅が遅いので、買い物やら何やらをそれで賄えという理由もある。だから余計な物を買う余裕は無いのだけれど、こればかりはどうしようもないか。……あれ? 今、ナチュラルに女性服を買う方向に進んでない?

「結局の所、どうすればいいんだよ……」

 溜め息を吐いて小石を蹴飛ばす。

 蹴り飛ばされた小石は、コロコロと転がりながら、街路樹の茂みの中へと転がっていった。

 家に着く頃には思考を停止して、今晩の夕飯は何にしようかと現実逃避してみたけど、心労の重みに耐えきれなくなった僕は、その日の夕飯をカップ麺で済ませて、早めに眠る事にした。

 朝起きたら性別が変わってる。

 そんな魔法があればどんなに楽だろうか。

 水を被ると女性化する呪いがかけられている泉とかね。

 漫画やアニメじゃそれが常識なのに、悲しいかな、現実では絶対に有り得ない。

 だけど、それでも、奇跡でも起きればいいのにと願ってしまうのは、それだけ僕が追い込まれている証拠だ。

 だから眠る。

 この時間に眠れば朝まだきに眼が覚めるだろうけど、それでも、煩悶し続けるよりは楽だ。

 眼を閉じて、斑模様を追いかけながら思う。

 本当に、終わりはあるのだろうか──。

 僕の抱える不安、恐怖、それら引っ括めた、陰湿で、憂鬱な感情に、いつ、幕は下りてくれるのだろう……。




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