【完結】女装男子のインビジブルな恋愛事情。

瀬野 或

一百一時限目 梅高祭 ⑥


 理屈は理解出来る。だけれど、お前の考えが理解出来ない。──流星はそう言いながら、じっと僕の眼を見つめる。少し茶色が濃い黒目が印象的だった。

 僕は流星の言い分がわからない程頓馬とんまじゃない。少なからず、いや、多からず、流星の意のある所を汲める程度には許容がある。

 ──だけども。

 僕自身が僕自身について未だに理解出来ていないのに、それを説明しろと言われても無理難題だ。……それこそ「察してくれよ」と言いたくなるけど、それで許してくれるなら、今、こうして僕は頭を抱えていないだろう。

「これまでの話を整理すると、お前の女装は〝趣味〟って話になるんだが、それについてはどうだ?」

「趣味、かぁ……」

「その反応だと、そうとも言い切れないって感じだな」

 そう一緒くたにしてしまえば、僕の女装は趣味なのかもしれない。……でも、引っかかる。『それでいいの?』と、誰かが頭の中で再三再四さいさんさいし問い続けるのだ。だからきっと、容易く『趣味である』と答えてはいけない。それは、思考を放棄するのと同じだから。

 流星はマフィンを食べ終えて、お皿の上にホークを置くと、礼儀正しく「ご馳走様でした」と手を合わせた。

 悪ぶってる割に、こういう所は律儀なんだな。

 育ちのよさだろうか?

 いやいや、育ちがよければマイルドヤンキーにはならない。……とも言い切れないか。しかし、流星が月ノ宮さんのような豪邸で生活をしているとも考え難い。

 空になったお皿をテーブルの通路側へと押しやり、ロイヤルミルクティーを一服。……余裕そうな表情が腹立たしいけど、ヤンキー相手に喧嘩を売るなんて命知らずな行動は取らない。──だって、ヤンキーって眼が合ったら勝負をしかけてくるじゃん? ポケットなモンスターのトレーナーぐらいグイグイ来るじゃん。

『マイルドヤンキーの りゅうせいが しょうぶを しかけてきた!』

 ……字面だけだとすこぶる弱そうだけどね。




 いつの間にかショパンから、喫茶店らしい雰囲気のある、ゆったりとしたピアノジャズに変わっていた。ガリガリと珈琲豆を挽く音が相俟って、店内がしっとりとした空気に包まれている。

 もう、僕の珈琲はすっかり冷めてしまって、苦味が強くなっていた。これはこれで嫌いじゃないけど、最近、苦い思いばかりしているから、少し甘味が欲しい所だ。

 僕が言葉を詰まらせている間、流星は催促するような仕草もせずに、テーブルに肘をついて、静かに店内を眺めている。案外、ダンデライオンを気に入ったのかもしれない。……その様子を眺めていたら、不意に流星と眼が合った。

「どうだ。考えは纏まったか?」

「……ごめん」

「そっか。……じゃ、そういう事なんだろ」

「え?」

 呆れられると思ったのに、返って来た言葉は意外にも肯定的だったので、つい疑問が零れた。

「お前がわからない事を、オレがわかるはずない」

 そりゃそうだ。それが出来たら苦労はしない。

「そして、答えられないのならそれが答えだろ」

「随分と物分りがいいんだね」

「このまま退屈な時間を過ごすよりは、幾分マシってだけだ」

 その物分りのよさを、もう少し早く発揮してくれていれば、退屈な時間はもっと短くて済んだのでは? まあ、彼には彼なりの『落とし所』があったのかもしれない。

 『潮時』という言葉が浮かんだ。

 この言葉の本来の意味は『潮が充分に満ちた状態』を示す言葉であり、『好機』を指す言葉だけれど、現代においては『ちょうどよい時期』の意味合いが強い。

 流星はきっと、潮時だと思ったんだろう。

 残りのロイヤルミルクティーをぐいっと飲み干してから、「ま、女装してた時の方が生き生きしてたぜ」と含み笑いを浮かべる。

 僕にはそれが妙に納得出来てしまって、きまり悪げに微笑んでいた──。



 
 ダンデライオンから出ると、景色に黒が色濃く映る。

 太陽はすっかり西の彼方へと沈んでいて、あと三〇分もすれば夜の帳が訪れるだろう。

 いつの間にか蝉の鳴き声も聴かなくなって、本格的に秋の季節が巡っているのを肌で感じる。前髪を揺らす程度に吹く夕暮れの風も、幾許か冷たさを増した。

「何でお前と喫茶店で茶を飲んでたんだろうな」

 駅へと向かう途中、隣にいる流星が、思い出したかのようにぽつりと呟いた。

「それは僕が訊きたいくらいだよ。後、お前じゃなくて優志でお願いしたいかな。アマっち」

「オレをそのあだ名で呼ぶな。……優志、お前ってヤツは不思議だな。皮肉っぽく斜に構えてるのに、それが心地よく感じる」

「勘違いじゃない?」

 半畳を入れるように返すと、

「ま、……そうだろうな」

 と、流星は僕の方を視ずに、眼の前だけを向いて答えた。

 日がな一日、不本意でもこうやって一緒にいれば、勘違いも起こりやすい。僕のように空気を極めた存在は、そんな勘違いをしないけど、普通の人達なら勘違いして、そこに友情を見出すんだろう。

 でも、僕も流星も、騎虎きこの勢いで出た感情に呑み込まれるような、純粋な気持ちは持ち合わせていない。だから、互いに地歩ちほを築くまでは、めつすがめつながめつつ、空吹く風と聞き流すのだ。

「明日はどうするの?」

「どうするって、何がだ? 主語を言え」

「学校に来るのかって話だよ。ヤンキーは学校サボってゲーセンに行くのが美徳なんじゃないの?」

「いつの時代のヤンキーだよ。……別に、オレはヤンキーじゃない。極度の面倒臭がりってだけだ」

 それにしては、やけに付き合いがいい。

 辛抱強く僕の言葉を待ってくれてたのもあるけど、それ以前に、働く姿勢が『面倒臭がり』のそれではなかった。

「優志はどうするんだ。また女装するのか?」

「それは、……可能性は高いね」

「そうか」

「なんで?」

「むさ苦しい野郎おとこが増えるよりも、見た目だけでも女が増えた方がマシだからな」

 うん……? なんだか雲行きが怪しくなってきた。

「なんだその眼は」

「いや、貞操の危機を感じて」

「お前なんかに欲情するはずないだろ。アホか」

 歯に衣着せぬやり取りは案外気楽なもので、馬鹿だ阿呆だと言い合う相手が増えたのは、多少、学校へ行く楽しみが増えたと思えなくもないけど、まだ流星を測りきれていない部分もあって、気を許すにはもう暫く時間が必要だ。

 明日、どうなるか──。

 今日のように何とか上手くいけばいいが、そうは問屋が卸さないだろう。それに、流星が僕の事情を知ってしまった以上は、それが今後、どうなるのかもわからない。それに対しては月ノ宮さんが口止めしてくれているけど、実際はどうか?

 流星が信頼に値する人物かを知るためにも、月ノ宮さんを筆頭に、佐竹と天野さんも巻き込んでいくしかないだろう。



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