【完結】女装男子のインビジブルな恋愛事情。
九十五時限目 それでも月ノ宮楓は月ノ宮楓のままである
もうこんな時間だ。
店はとっくに閉店時間を過ぎているし、既に帰宅していてもおかしくない。だから、無駄足覚悟で足を運んだけど、その店にはまだ、黄色がかった明かりが窓から漏れ出していた。
月ノ宮家の長男であり、現在は絶縁状態である月ノ宮照史が経営する喫茶店〈ダンデライオン〉は、僕らにとって気兼ねなく通える格好の暇潰し場所であり、円卓を囲むにしても、丁度いい店だった。何より、照史さんは僕らの事情も理解しているので、優梨の姿で出向いても驚く事無く人並みに接してくれるので、平談俗語に花を咲かせるにしても程度がいい。
そういう事情も相俟って、僕らは学校帰りに寄ってみたりするけど、今回は気軽に『ちょっとお茶する』ような面持ちではなく、むしろ『法廷に出廷する』ような緊張感を持ち、僕は店の正面入り口のドアを叩く。
ノックの振動により、ドアベルが微かに鳴った。それで気づいたのか、それとも、僕が訪ねて来るのを予期していたのか定かではないが、思いの外、照史さんは反応早く出向いて、ドアの鍵を慣れた手つきで解錠した。
「やあ、こんばんは」
……と、いつも通りの笑顔で僕を招き入れた照史さんは、僕が来るまでの間、書類の整理をしていたらしい。カウンター席には、気難しくてお堅い役人が書いたであろうご自慢の書類がずらりと並べられている。
「散らかっていて申し訳無いね」
「いえ。急にお邪魔してすみません」
形式的な挨拶を終えると、照史さんはいつもの席を手で差しながら目配せをする。指し示された席の窓際に座ると、照史さんが珈琲を用意してくれた。
店内に珈琲の香ばしい匂いが立ち込めると、ホットだけにほっと一息。……どうやら、思っていた以上に気を張っていたらしい。それでも、緊張感だけは忘れずに残しておく。
「こんな時間に何の用かな? ……とは、少々白々しいか」
照史さんは机を挟んで向かい側に腰を下ろして、左手の肘を杖代わりにして顎に手を添えると、何か意を含むように訊ねた。
「報告というか、答え合わせというか……まあ、そんな所です」
「となると……帰り際に寄ったんだね? 今日じゃなくてもよかったのに」
「何となく、それでは遅い気がしたんです」
「ボクは逃げたりしないよ?」
「逃げ足の問題じゃないんですけど」
冗談さ、と照史さんは笑う。
「いち早く赴いたという事は、解決したのかな?」
「いえ。未解決のままです」
「そうか……。ボクも君に苦労をかけてしまったようだね。申し訳ない」
「この珈琲代で手打ちにしますよ」
「しっかりしてるなぁ」
軽口はここまでに、咳払いをすると、照史さんも僕の意を介したのか、先程まで浮かべていた笑顔が、すっと真面目な表情に変わる。
「……こうなる事は、予想していたんですか」
それはつまり、月ノ宮さんに海外留学の打診がされる、という意味だ。
これまでの経緯を鑑みると、照史さんは、遅かれ早かれこうなるだろうと想定していたように思えてならない。……例え、それが僕の憶測や、推測の域から出ない愚考な推論だとしても。
照史さんは僕の問いに対して暫く黙考した後、
「そうだね」
と、達観するように肯定した。
だからと言って、僕が照史さんに「どうしてもっと早く教えてくれなかったのか」と問うのもおかしな話で、他人である僕が月ノ宮家のいざこざに介入出来ない以上は、本家分家のお家騒動のようなものであり、僕が金田一耕助でない以上、犬神家のような奇々怪界な事件も起きないだろう。
──だけど。
「少しくらい、話してくれてもよかったんじゃないですか?」
僕は不満気に、そう言わずにはいられなかった。
ここまで遠回りさせられたのは、あの日、照史さんが口を噤んだからだ。口止めをされていたとしても、自分の妹が窮地に立たされているのに、見て見ぬ振りを決め込むのは如何なものだろうか?
「それが出来ないという事を、優志君はわかっているものだとばかり思ってたよ」
「僕が? どうして……?」
照史さんが月ノ宮さんに介入出来ない理由はわかる。それは、照史さんが月ノ宮と絶縁状態にあるからだ。……それもわかる。
じゃあ、僕に話せなかった理由って何だ? 『口止めされていた』なんてのは、些細な口約束に過ぎない。守秘義務は預けられた当人の采配に委ねられるはずだから、照史さんが言いたい事はこれじゃない気がする。それなら──
「自分で解決しなければ意味が無い……と、そういうことですか?」
「聡い君の事だから、楓と話して色々察したんじゃないかな」
「聡くはないですけど……まあ」
「つまり、そういう事だよ」
ふむふむ、なるほど。つまり、それでいっかな、あれがああなって、こうなったのか。
──うん。さっぱりわからん。
「いやいや、はっきり言ってください。幾ら何でも、そこまでの先見の明は有りませんから」
「ははは。確かに、思わせ振り過ぎたね」
思わず笑壷に入ったのか、珍しく声高らかに笑っている照史さんに、怨言をくどくどと言い連ねたい気持ちになるが、それをぐぐいずずいと呑み込んで、照史さんの笑いが収まるまで、冷ややかな眼を向けた。
「ごめんごめん。そんな顔しないでくれないかな。……いや本当に、申し訳ないね。まさか、そう切り返されるとは思わなくてさ」
「僕を過大評価し過ぎです。体も頭脳もまだまだ子供ですよ」
「だけど、蝶ネクタイは案外似合うんじゃないかな?」
「変声期と変声器を掛けているのなら、全然上手くないです」
「そうかい? いい線行ってると思ったんだけどね」
僕のコンプレックスである身長と声をネタにされるのは、あまり気持ちよくない。ビーマイベイベーも程々に、僕はもう一度、今度は大きく咳払いして話を戻した。
「……で、つまりどういうことですか」
「月ノ宮の姓を名乗る以上、父の言葉は絶対で、服従しなければならないんだ。ボクはそれに耐えられなかった。でも、楓はボクじゃないからね。あの娘はボクよりも優秀だ。だから、精一杯、その個性を伸ばして欲しい。それには優志君達がどうしても必要なんだ。他でもなく……、ね」
「それを見極める為に、わざわざここまで焦らしたんですか? ……照史さんもひとが悪いですね」
僕が恨み辛みをぶうぶう言うと、照史さんは片方の口角だけを吊り上げて、
「ボクだって、腐っても月ノ宮の人間だからね」
と、笑う。
この不敵な笑みを視ると、嗚呼──、確かにこの兄妹には同じ血が流れているんだと思えた。それくらい腹立たしくて、それくらい、もう、あれこれ考えるのが億劫になる程の笑みだった。
こうして、月ノ宮楓を巡る一連の曖昧模糊な騒動は、一旦、幕を閉じる事になる──。
* * *
月曜、終わりのホームルームで『学園祭の出し物はどうするのか』という議題に、結局、『たこ焼きを焼く鉄板が用意出来ない』という理由で『お好み焼き喫茶』なる、謎の催し物を開催する事になった。──なんだよ、お好み焼き喫茶って。珈琲片手にソースの香ばしい匂いを楽しめとでも言うのか? カオス過ぎて鰹節生える。
しかし、執事喫茶とお好み焼きの折衷案が、『執事とお好み焼きの融合』か……。この場合、『関西風』と『広島風』のどちらが合うんだろう? そう思いながら、高津さんが「お好み焼きで御座います」と提供する姿を想像して、あまりにもシュールな絵面に苦笑いを浮かべてしまった。
「そこ! もっと真面目に考えて下さい! そんな事では売り上げ一位なんて取れませんよ!」
「すみません……」
教壇に立って陣頭指揮を取るのは、商いに関して随一の知識を誇る、月ノ宮のお嬢様だ。
休み明けだというのに、物凄い権幕じゃあないですか。風邪の病み上がり設定は、果てさて何処へ行ったのでしょうねぇ……。だけど、いつも通りの様子を視れて、多少なりとも安堵した。
のだが……
「私が指揮を取る以上は、一位以外は有り得ません。月ノ宮に敗北は許されませんので!」
元気過ぎるのも、どうなんだろう。
このままだと、ピーター・ドラッカーのマネジメントを、クラスの人数分配られそうだ。
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