【完結】女装男子のインビジブルな恋愛事情。

瀬野 或

七十八時限目 取り留めのないこと


 店内で流れていた曲がクラシック音楽に変わった。

 オーボエの美しい主旋律にヴァイオリンが重なると、途端に音が華やぐ。ヴィオラ、チェロ、コントラバス、ファゴットの優雅なことか。

 ただ、煌びやかな響きの中に、鬱々とした陰がちらついているようにも感じた。

 ふううんきゅうを告げているような……そんな気がして。

 ──私たちは、大きな間違いを犯してしまったわ。

 険のある言い方で告げた天野さんは、僕と佐竹の出方を見ているのか、じいと閉口したままだった。仁王像とまではいかないけれど……佐竹に限っては、天野さんをそういう風に見ているかもしれない。

 クラス会議がこうちゃく状態に陥ったとき、決まって発言をするのが佐竹だった。ですら思案に余る要件──単に様子を見てるだけかもしれないが──だったとしてもだ。口にする内容は、さして妙案とは思えないけれど。

 だれもが閉口したくなる情勢で発言する勇気だけは、さすがクラスの頼れるリーダーだ、と評価できる。だから僕は、佐竹がリーダーっぷりを発揮してくれることに期待しているわけだが。

 空気を読まないふりをして空気を読むのが得意技だろう? という意味を込めて、佐竹を見遣る。僕と目が合うと佐竹は、頭を振って懇願するかのような視線を返してきた。

 ああ、これはだめなやつだ……今回に至っては、佐竹のリーダー然とした姿を拝めそうにない。

 自ら進んで火に飛び込むヤツはいないし、火中の栗を拾いたくない心理は当然といえる。強気に出れない相手の厳然たる態度を目の当たりにして、弱腰になる気持ちもわかるが……ふうむ、どうするか。

 理不尽だ、とは思う。

 天野さんたちがなにについて話し合い、どういう結論に至ったのかを知らぬまま、八つ当たりするかのように責めるのは筋が通らない。

 だけどなんとなく、二人がなにについて話し合って、どういう結論を出したのかわかってしまう分、なかなかにやりづらい。

 ということは、往々にして僕らの関係についてだろうそれは予想できた。ただ、その先が見えない……喩えるならば、テストでわからない問題と直面し、適当に書いた答えが正解だったときの曖昧さに近いものがある。

 理路整然としてくれれば、どうとでも対応は可能なのだけれど──。

 片方の眉を顰めて「参ったな」みたいな顔をした佐竹は、手元にあるアイスココアをごくっと飲み、音を立てないようにそっとコースターの上に置いた。

「間違ってるって……なにが、だよ」

 尻すぼみしていく言葉にどれだけの抵抗力があるのか、という話はさておき、自ら矢面に立った佐竹軍曹に心の中で敬礼。彼は戦場に散っていく運命さだめにあるようだ。と、勝手過ぎるナレーションを作ったのだった。

「なにがって、わからないの?」

 わかって当然と言いたげに、天野さんは首を傾げた。

「質問しているのは俺だぞ。普通に」

「質問に質問で返すのは感心しない、と。佐竹さんはそうおっしゃりたいようですが」

 これまで沈黙を貫いていた月ノ宮さんが横槍を入れる。

「なんだよ」

「意図せずして全員が集まった……そのことに意味があると思いませんか?」

 月ノ宮さんは、なぞなぞを出すように言う。

「わかるか、そんなもん」

 間髪入れずに呟いて、所在無さげに肘をついた。

 僕も概ね、佐竹に同感である。天野さんがなにを言いたいのか大体の予想はできたとしても、予想の範疇から出ない机上の空論みたいなものだ。それに、意図せずに全員が集まったからといっても偶然に過ぎないだろう。僕らがダンデライオンにくることを事前に把握していたのならば、必然である、と言えるが。然し、僕も佐竹も、今日この時間にダンデライオンにいくことは、だれにも口外していないはずで……。

「申し訳ないんだけど」

 そう枕詞を置いて、「説明を求めてもいいかな」と天野さんに訊ねた僕ではあったが、天野さんたちと僕らの間に、気持ちの、ないしは温度差のようなものを感じていた。

 お互いに反発するようにしている原因は、説明の義務を果たしていない天野さん側にあるのではないだろうか。

 状況から察しろでは、あまりにもヒントが少な過ぎる。

「そうね。たしかに言葉が足りなかったわ……いいえ、足りな過ぎたかも」

 着座したまま、天野さんは頭を下げた。

 天野さんの代わりに話を進めて欲しいという意味を込めて、月ノ宮さんにアイコンタクトを取る。その意を解するように首肯した月ノ宮さんは、波風立てぬようにゆっくりと口を開いた。

「では、私から説明致します……先ず、結論から申し上げると、今回の件はお二人が思うような重い事態ではありません。思わせぶりな態度を取ってしまい、大変申し訳なく思っています」

 月ノ宮さんは極めて冷静に、まるで謝罪会見のような形式で頭を下げた。カメラの激しいフラッシュにご注意下さい、のテロップが僕の脳裏に浮かぶ。

「……ことの発端は、三日前まで遡ります」

 三日前、天野さんと月ノ宮さんに何が起きたのか。

 月ノ宮さんが先に論じた、『お二人が思うような重い事態ではない』という言葉から察するに、取り留めのないことだと予測は立てられるけど、こうして改められると不安に駆られた。それは、隣に座っている天野さんが未だ口を開こうとせず、沈黙を貫いているからとも言える。

 その一方で、佐竹は顎を撫でながら、なにかをおもんみるかのように息を凝らしていた。


 

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