【完結】女装男子のインビジブルな恋愛事情。

瀬野 或

七十三時限目 彼と彼の宿題 10/16


 課題を手伝うことになって三日目の朝。

「ふわあ……はあ」

 本日の予定を鑑みれば、溜息を吐きたくもなる。いつかはこうなるかもしれないと予期はしていた。佐竹家で勉強を教えていれば、琴美さんとの接触は避けられないことも。

 姉が喧嘩を吹っかけてくれば、弟はそれに反発する。姉弟喧嘩なんて、そんなものだ。売り言葉に買い言葉の果てに、やってられるか、と逃げ出すのが弟の宿命とも言える。

 そういう経緯があり、本日から僕の家で課題を進めることになった。

 自宅といえば、僕の城だ。僕が僕であることを足らしめるのに、これほど適した場所は何処にもない。だけど、勉強に適した場所に心当たりがないのもまた事実。

「仕方がないな」

 佐竹が到着するまでに、やれることをやっておかなければ。

 僕はベッドから起き上がり、朝のルーティンを済ませ、直ぐに掃除へと移った。




 * * *




 リビングのテレビ前にあるソファーに座り、一息つく。

 テレビのスピーカーから、司会とコメンテイターの芸人のやり取りが訊こえてくる。

 昨今の世界情勢について、ああだこうだ、と意見をぶつけ合う様子をぼうと眺め、氷を多めに入れたコーヒーを一口飲んだ。

 市販品だから、味に締まりがない……こんなものだろう。

 膝下テーブルの上、テレビのリモコンの隣に置いた携帯端末に目が向いてしまうのは、佐竹からの連絡を待っているから。

 まだ待ち合わせ時刻ではないし、佐竹の到着を心待ちにしているわけでもない。

 どちらかといえば、ちゃんと指定したバス停に到着するかどうか、という心配だ。

 佐竹には『到着したら連絡して』と、事前に伝えてある。

 駅まで迎えにいくことも考えたけど、僕の住む町行きのバス停は、駅前にあるコンビニのすぐ傍だし、下車するバス停の名前も伝えた。どんなに方向音痴でも大丈夫なはずだ。それに、佐竹自身が『そこまでしなくてもいい』と言っていたし。

 討論のお題が変わる前に、一旦コマーシャル。洗濯洗剤、掃除機と続き、軽トラックが道路を力強く走る映像に切り替わったそのとき、ぶるるる、と携帯端末がテーブルの上でけたたましく振動した。

 ようやく到着したか、と思いながら通話ボタンをタップすると、佐竹の大声が僕の耳を、ずきん、とつんざく。

 慌てて耳から離し、スピーカーに切り替えた。

『着いたぞ』

「うん、わかった」

 それで通話を切ろうとした僕を、佐竹が『なあ』と止めた。

「なに?」

『どうしてスーパーの隣にコンビニがあるんだ?』

「……さあ? 知らない」

 佐竹が言うように、バス停近くにあるスーパーマーケットの隣には、二十四時間営業のコンビニが存在する。

 このコンビニができた当初は、隣接するスーパーマーケットで事足りるのに、どうしてわざわざ隣を選んだのか? と疑問だったけど、やはり、そこは便利なコンビニエンスストアだ。

 スーパーマーケットでは補えない用事を、コンビニがしっかりカバーしていた。

『まあいいや、待ってるぞ』

 僕の返事を待たずに、佐竹は通話を切った。




「佐竹」

 バス停から少し離れた場所に、ラフな格好で僕を待っていた佐竹に声をかけた。

「おう」

「随分と早いご到着だね」

 挨拶代わりに皮肉を、佐竹は肯定的に受け止めたようだ。にこっと笑ってサムズアップする。

「遅刻すると思っただろ?」

 待ち合わせ時刻は一〇時を指定していた。が、到着したのは九時半。

 三〇分前行動なんて、佐竹らしくない。

「うん」

 素直に頷く。

「優志の家は田舎だって訊いてたからな」

「だから、自宅を早く出た?」

 と僕が訊ねると、顎を引く程度に首肯する。

 佐竹は生硬い笑みを浮かべながら、

「電車の兼ね合いもあるけど……まあ、それだけじゃない」

 わかるだろ? と言いたげな目に「まあね」と答えた。

 昨日の一件以来、琴美さんを避けているのだろう。

 それもそうだ。

 あんな風に言われたら、僕だってそうする。

「いこうか」

「あ、ちょっと待ってくれ」

 挨拶もほどほどに踵を返そうとした僕を、佐竹が呼び止めた。

「その前に、アイス買っていいか?」

 朝っぱらからアイスをご所望とは、さすがは僕に引けを取らない甘党だ。

「待っている間に、買いにいこうと思ってたんだ」

 アイスを買いにいっている間に僕が到着して、佐竹がいないとわかるや、きた道を引き返すとでも思ったのか?

 そんな薄情なヤツだと思われているなんて、心外だなあ。

 悪戯心に火がついて、実行に移そうかどうか多少悩みそうだけど、さすがにそこまではしない。

「それくらいなら付き合うよ。スーパー? それともコンビニ?」

 佐竹はちらりと背後を見て、

「スーパーだな。普通に安いし」

 佐竹はスーパーマーケットに売っている格安のアイスが食べたいようだけど、僕はコンビニで販売している新商品が好ましい。

 その結果、佐竹はスーパーに、僕はコンビニへと分かれた。




 僕らは『アイス頭痛』に悩まされながら歩き、ようやく家の前に到着した。

 佐竹は「へえ」と興味深そうな息を吐き、外観を眺めている。

 白塗りの壁と、三角屋根。

 二階の部屋数は三つ。

 僕の部屋は一番左端で、真ん中が母さん、右端が父さんの書斎。

 父さんの部屋が一番狭い作りで、その次に僕。

 一番大きな部屋は、母さんが使っている。


 

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