【完結】女装男子のインビジブルな恋愛事情。

瀬野 或

六十六時限目 禍を転じて福となすかは僕次第[前]


 大失態をした日から、一週間が経過した。

 あの日を境に、天野さんからの連絡は途絶えたままになっている。真面目な性格が自分を許すことを拒否しているのかもしれない。それとも僕に愛想を尽かしたかの二択。ならば、後者がもっともらしい言い分に思えた。

 堂島さんの言う通り、冷静な判断ができていれば……いいや、熊田さんの注意をないがしろにしなければ、天野さんが離岸流に攫われることもなかったはず。準備運動が適当だったのも原因の一つだ。などと考えると、僕らは自ずと負のループに足を踏み込んだのは明白だった。

「はあ」

 思い返せば返すほど、溜息が出てしまう記憶だ。本音を言えば忘れてしまいたい。なにもなかったことにしてしまえたら、どんなに気が楽になるだろうか。

 過ぎてしまったことを悔やんでも時間が巻き戻るわけじゃない、ということも理解している。

 だからこそ余計に気が重くなって、ああだこうだと自分を責め続け……そうか、そうすることで、僕はある種の〈安心感〉みたいなものを得ようとしていたのかもしれない。

 安心感はちょっと違うな。

 どちらかというと『免罪符を探していた』に近い行為だ。「僕はこんなにも反省しているんだから、許して欲しい」みたいなアピールを、帰り際に寄った無人の公園で行っていた。「変わろう」と思ったのも、いま思えば酷く言い訳臭く思えてならない。

 具体的にどうするかまでは決めていないことが、なによりの証拠だ。

 いっちょういっせきでどうにかなる問題であればとっくのとうに解決しているだろうし、根が深い問題だけに、しかもその根が腐っているだけに、現状維持という体たらく。

 このままでは無駄に時間を過ごすだけだ、と思って着手した夏休みの課題は英語のみを残し、他は終えていた。

 いまは日本語を考えるよりも、外国の言葉を翻訳していたほうが気が紛れると思って課題に取りかかった。しかしいっかなこれまたどうして〈Long long time ago〉から始まる英文が、全然頭に入ってこなかった。




「はあ……」

 二度目の溜息を吐き、課題を勉強卓の隅に追いやる。やる気がないときにやったところで、勉強が捗るはずもない。

 勉強卓に頬杖をつき、ぼうっと窓の外を眺める。ジイジイジイと蝉が鳴いている外は、犬の足裏が火傷をするほど酷暑を極めているだろう。市民プールには人が集まり、流れるプールは地獄絵図みたいになっているはずだ。

「当分、水遊びはいいや……」

 ぐでんって感じに、勉強卓に突っ伏した。まだ午前中だというのに、この燃え尽きた感は尋常ではない。

 まるで八時間労働一時間休憩をした後に、上司から「これもよろしく」と仕事を押し付けられたときのような倦怠感と疲労感。

 サービス残業の果てに愛社精神が生まれるなんて思うなよ! 一人残されたオフィスで独り言をぶつぶつ呟いている心境だが、僕はアルバイトすら未経験であり、社会的な労働について詳しくない青二才がなにを言ったところで、だれにも響きはしないだろう。

 最近、脳を酷使し過ぎているからオーバーヒートを起こしているようだ。

 こういう日は休むに限る。

 英語の課題さえ終わらせてしまえばいいだけなんだ。

 大丈夫、夏休みはまだ残っているさ。

 そもそも、夏休みは休むために存在しているはずじゃないか。

 そうでないなら夏休みを〈夏期自宅学習期間〉って名前に変更するべきだろう? 学習期間だと思えば、勉強をするのも吝かではないのに。〈夏休み〉なんて名前にするのが悪い。

 教員たちは生徒たちが自宅で悠々と過ごしているのを羨みながら、今日も学校でこつこつと授業の準備に追われていることだろう。

 夏休みなのだから教員も休めばいいのに、なぜ仕事を休むことが悪いという流れになっているのか、子どもの僕には理解できない。

 一人が休めば周囲に迷惑が掛かるとか、出世に影響するとか、同調圧力がうんたらかんたらあるのだろうけれど、学校に限らず社会全体が仕事を休むことを悪としている風潮だ。

 インフルエンザにかかっても出勤しようとする企業戦士もいるくらいだし。あいがあるなあ、本当に。

 流行り病に犯されても出勤しなければならないのなら、地球に隕石が落下するその瞬間まで、大人たちは仕事を優先するに違いない……隕石はちょっと非現実過ぎる喩えだけど。

 死が確定している状況下に立たされても、「この案件を終わらせなければ会社に迷惑がかかる」と、企業戦士たちは生きる希望を捨てないのだ。

 社会の流れはプールと同じなのかもしれないなあ。

 と思いながら、課題の対面に置いてある本に目が止まった。




 * * *




 unhappy umbrella、邦題〈不幸の相合傘〉。

 ハロルド・アンダーソンが書いたこの本は、昨日読み終えたばかり。

 主人公は銀行員のジョッシュと売春婦のエミリー。冷たい雨が降る夜に、タイムズスクエアの裏路地で出会うシーンから物語は始まる。ずぶ濡れで膝を抱えて座り込んでいるエミリーを見つけたジョッシュは、咄嗟に傘を差し出す。このとき、ジョッシュはエミリーを『濡れた三日月のようだった』と表現していることから、エミリーに一目惚れしたことが窺えた。

 ──濡れた三日月のようだった、か……わかるようでわかり難い表現だ。

 エミリーが路地裏で膝を抱えていた理由は、エミリーの態度が気にくわないと激昂した客が暴行を奮って追い出したのだが、堅物のジョッシュにそこまでの想像力はなく、強盗に襲われたと勘違いして、ジョッシュが借りているマンションに連れ込む。そこでエミリーが真実を語っていれば、物語が悲劇に向かうこともなかっただろう。  

 ──優しい嘘も、虚しい嘘も、等しく偽りであることに変わりはない。でも、嘘を押し通すことでしか自我を保てないとすれば、エミリーの行動に偽りはなかったのかもしれないな。

 そうこうして、二人はお互いに惹かれ合い、恋人同士となった。エミリーは自分の職業を『しがない接客業』と偽り、ジョッシュに抱かれたその体で愛のない行為を続けた。

 ──このシーンは、読んでいて胸が苦しくなった。


 

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