【完結】女装男子のインビジブルな恋愛事情。

瀬野 或

四十五時限目 佐竹義信は留守だった[前]


 東梅ノ原駅から市営バスに乗ること二〇分。『梅ノ原ニュータウン入口』で下車して、そこから更に徒歩で一キロくらい歩いた場所に〈月ノ宮邸〉がある。片道、およそ三〇分といったところだ。

 高級住宅街ということもあり、梅高前にある坂と同じくらい斜面がある坂が続いている。金持ちが高い場所に住む傾向にあるのは、自分たちと庶民は違うというのを誇示したいからだろうか? まあ、そういう理由もあるんだろうけど、『見晴らしがいい場所に住みたい』って思うのは、当然といえば当然か。

 朝っぱらから太陽は絶好調で、額に汗をかきながら、傾斜がある坂道を黙々と上っていく。左右に並ぶ家々の駐車場には、高級な外国車が停まっていて、それが異様に嫌らしく感じてしまった。俺の推測だと、見せびらかしているんだろう。金持ちには金持ちなりに、プライドがあるってわけだ。車のメーカーでマウントを取るとか、ガチかよ。

 金持ちたちの意地の張り合いを見せつけられながら、ようやく月ノ宮邸の前に到着。月ノ宮邸の周囲は分厚い壁で覆われていて、中を窺うことは許されない。ただ、外観から飛び出している二階部分と屋根を見て、『大正レトロなハイカラホテルみたいだ』と思った。

「にしても……、でけえな」

 庭で、サッカー、野球、パターゴルフなんかもできそうだし、フリスビーしながら走り回っても不自由ないくらいには広々とした庭幅だ。なんなら、この邸宅の庭に俺の自宅がすっぽり入るレベルじゃねえか、こりゃあ。

「やべえ、ちょっと緊張してきた」

 ここじゃなきゃ話せないような仄暗い話なのか。

 人目を憚るような話ではなかった気がするんだけどな……。




 * * *




 一昨日の夜、前触れもなく楓から電話が入った。

 寝ようとしていた矢先のことで、無視してしまおうかとも思ったのだが、いつまでも震える携帯端末に嫌気がさし、根負けした形で通話ボタンを押した。

『夜分遅くに申し訳御座いません。……寝ていましたか?』

 電話越しから訊こえる声は遠慮がちで、多少なりとも俺への配慮を感じた。まあ、配慮してるなら夜分遅くに電話なんてしないんだけどな。言いたいことは山のようにあるけど、それを言ってたらなにも始まらないと呑み込んで、「なにか用か?」とだけ返した。

『明後日、予定は空いてますか?』

 ふむ、なにかあったか? 起き上がって、壁に貼ってあるカレンダーを見た。上部分に、だれが描いたかわからない海の水彩画がプリントされている。ちょっとした用事を書き込める親切スペースはない。去年の暮れにお袋から貰ったやつで、右隅にどこぞの会社名が黒字で印刷してあった。予定があれば丸で囲う、それが昔からの習慣だ。

 明後日は……、これといった用事は入ってない。やらなければいけないことは、まあ、あるけれど。課題は兎も角として、姉貴の手伝いをどうするかだ。同人誌即売会の期日も近いことだし、最近は、割と普通にガチで殺気立ってたりするんだよなあ。

「ちょっと待っててくれ。一〇分……いや、二〇分後くらいにかけ直すわ」

 通話を切り、重たくなった腰を持ち上げて姉貴の部屋を訪ねた。




 ドアの隙間から部屋の明かりが漏れて、暗い廊下に伸びていた。どうせ、今日も朝方まで作業をしているだろうという俺の予想は的中した。ワンチャン、寝ていてくれてもよかったんだが、起きているならとドアに向き合う。

 白いドアに、粘土で作成した『ことみの部屋』ってプレートが飾ってある。これを作成したのは、小学校低学年の林間学校。そこで出された課題だったらしい。子どもながら、よくできている。特に、花と蝶々を模した枠組みの細工は、小学生が作ったにしては巧妙だ。

 この頃から頭角を現していた姉貴と違って、俺にはこれといった才能が無い。体を動かすのが好きで、球技は一通りやってきたが、目覚ましい才能が開花するわけでもなく、平凡よりもちょっと勝るくらいの技術が身についた程度だった。

 周りからはちやほやされたり、俺を使いたいって地元の少年バスケの監督からオファーがきたりもしたけど、やってて楽しくなけりゃ続かないもんで、一週間待たずに退団した。

 やりたいことを直ぐに見つけた姉貴と、いまでも見つけられていない俺。同じ腹から産まれたてい関係であるにも拘らず、スペック差は歴然としている。今更、どうこうしようとも思わないが。

 ドアを三回ノックすると、「なあに? いまちょっとアレなんだけど」って、しこたま不機嫌な声がドアの向こう側から訊こえてきた。なんとなくだけど、隔てたドアの向こう側から『入ってくるな』みたいなオーラを感じてはいた。こういう日は、なるべき関わりたくないというのが本音。でも、そう言ってられないのが現状である。

 臍を固めて、ドアノブに手を掛けた。

「入るぞ」

 開けると、インクの匂いがツンと鼻に染みた。床にはおびただしいほどの画用紙や、ボツになった原稿や、飲み食いしたお菓子の袋、ビールの空き缶が散らかっていて、足の踏み場はほぼ無い状態。

 ゴミ屋敷さながらな光景に、思わず「掃除しろよ」って声が口を衝いて出た。

 姉貴がさっき言っていた『いまちょっとアレ』ってのは、『部屋が散らかっている』という意味だったようだ。それならそうと、普通に言えっての。つか、綺麗な日のほうが珍しいくらいだ。

 近くに放置してあるコンビニ袋にゴミを放り込みながら、作業台までの道を開拓。姉貴が座っている椅子は、プロゲーマーが使っていそうな黒のゲーミングチェアだ。本人曰く、『これじゃないとしっくりこないのよ』、とのこと。手摺りや椅子の高さを調整するレバーに油絵の具の染みがあって、いい状態とは呼べない。てか、汚れ過ぎててガチで触りたくねえ。








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 by 瀬野 或

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