【完結】女装男子のインビジブルな恋愛事情。

瀬野 或

二十五時限目 天野恋莉は逃がさない[前]


 ダブルデートの余韻が僅かに残る月曜の朝、遣る瀬無い思いを嘆じながら起床した。

「悪夢だ……」

 昨日のデートがの姿で再現されるなんて、これを『悪夢』と呼ばずしてなんと呼ぶ? お陰様で、寝起きはいつも以上に暗然としている。

 佐竹と間接キス? なんの冗談だよ……。

 思い出したら吐いてしまいそうだ。

 胃の中がすっからかんでよかったと思いながら、フローリングの階段を下る。ひんやりとした空気と、床の冷たさが相まってぶるりと震えた。

 夏はもう直ぐそこまで来ているのに、室内の温度は温まらない。

 昼頃にはポカポカ陽気になっているだろうと思うと、自転車で片道数十キロ走る僕としては、コートを羽織るかどうかが如何ともし難い問題だった。




 * * *
 



 学校に到着して、下駄箱で靴を履き替えた。

 いつもはイチバスでくるのだが、今日はイチバスを見送ってニバスで登校した。

 学校内は既に賑わい、所々から談笑が訊こえてくる。校庭からは野球部の掛け声がここまで届き、柄の悪いスケボー部の連中が、倒して置いたカラーコーンの上を飛ぶ。

 この『スケボー部』だが、実は正式な部活動として認可されていない。スケボーが好きな者たちが集まって、好き勝手やっているだけだ。それゆえに、アウトローな雰囲気が漂っているのだろう。校則が緩いのはいいことでもあるけれど、秩序と風紀を乱すこういう輩は、生徒会の力でどうにかならないものか。

 下駄箱の前でそう思いながら、スケボー部の一人が華麗なオーリーを決めたところでハッと我に返り、履き替えた靴を下駄箱にしまおうとしたら、トントンっと左肩を叩かれた。

「おはよう」

「え? あ、おはよう……ございます」

 声をかけてきたのは、半ば強引に友人関係を結ばされた天野さんだった。首元まであるミディアムショートヘアが、振り返った際に起きた風圧で揺れる。

「先、教室に行ってるわね」

「あ、うん」

 また後で、と言い残して、天野さんは去って行った。

 なんだろう、この違和感は。

 朝の挨拶は基本であり、仕事を円滑する上でもっとも重要だっていうのは、社会人としての基礎マナーではあるけれど、僕らは学生であり社会人ではない。

 学校でばったり出会ったら軽く挨拶するのも普通ではあるが、これまで、クラスのだれかに声をかけられるなんてなかった。

 だからこそ、違和感を覚えたのかも知れないとはいえ、昨日の今日だ。単純な挨拶一つにしても過敏になるのは当然で、嫌な予感というのは満を持して当たるのがマーフィーの法則である。油断せずにいこう、と某テニス漫画のキャプテンよろしくに気を引き締めた。

 教室が近づくと、僕のクラスのウェーイ軍団の奇声が徐々に増していった。廊下まで響く『ウェーイ』な声は、不愉快極まりなくって耳が痛い。然し、声の発信源は教室なので、『廊下は静かに歩こう』の決まり文句は通用しない。真面目な眼鏡女子が『ちょっと男子!』って叱咤してくれたらいいのだが、そういう感じの女子はいなかったはずだ。……多分。知らないけど。

 教室後方から訊こえてくるので、僕は前方のドアを開けた。

 こちらのドアを開くと、月ノ宮ファンクラブの面々が、月ノ宮さんを囲んでいる姿が飛び込んでくる。腹黒いけど、見た目だけは可愛いもんな。おそらく、このクラスでダントツだと思う。他の女子は天野さんくらいしか印象に無いけど、天野さんと月ノ宮さんは、そもそも可愛いと綺麗のベクトルが違う。日本人形とバービー人形くらいの違いで、比較するのがそもそもおかしい。

 ただ、天野さんは体型こそ派手と言えるが、ギャルのようなどぎつい派手さはない。化粧はナチュラルメイクで、顔のパーツの良さを引き出すような薄いメイクだ。月ノ宮さんもそうではあるけれど、腰くらいまで伸びた艶やかな黒髪が目を引くので、ナチュラルメイクをしていたとしても、一際目立つ存在だろう。

 ファンクラブの面々を見ながら自分の席に移動していると、並んだ頭の隙間から月ノ宮さんと目が合った。月ノ宮さんはにこっと微笑んで軽く会釈をしたけど、僕はそれを見なかったことにして、一番隅の窓際の席に腰かけた。

 しかしいっかなこれまたどうして、居心地の悪さが否めない。こういうときは狸寝入りと相場が決まっている。それとも、だれも近寄るなオーラを纏って読書に耽るかのニ択だが、カオスめいた教室で本を読む気にはなれず、鞄からイヤホンを取り出して携帯端末にイヤホンジャックを差し込んだ。これで、周囲のバイオレンスジャックから距離を置ける。ブラックジャック先生の救いが無い以上は、危機的状況に陥ったとしても自分の安全が最優先。

 けれども、そうは佐竹が卸さない。

「登校初っ端から寝るヤツがいるかよ。ガチで」

 相変わらずの取って付けたような語尾を訊くたびに、佐竹はどこまで行っても際限なく佐竹なんだなと思う。

「僕は朝からウェーイ勢と話せるほどウェーイできないから、ごめん」

「朝の第一声が拒絶かよ!? つか、ウェーイ勢ってなんだよ」

「認めたくない気持ちは理解できなくもないよ? でも、右を向けば僕の言いたいことがわかると思うんだ」

 教室の廊下に面した席付近では、『ウェーイ』という謎の言語を言い合いながら、ハイタッチをしている連中がいる。あんなにナチュラルにハイタッチするのは欧米人か、あるいは『ハイタッチ週間』とかいう謎の習慣を取り入れている企業だけだぞ。ガチで。

「朝の挨拶だろ? 別に変じゃなくね?」

「そうきたか」

 殺人が合法な国があったとしよう。

 その国で殺人事件が起きたとしても、その行為は法で裁かれることはない。だから「殺人は犯罪だ」と声を上げても『気に喰わないヤツを殺すだけだぞ』と、当たり前のように返答される。

 つまり、連日のように同じことを往々と繰り返していたら、そこには善と悪の区別がつかなくなるのだ。

 悪しき風趣が日本にこびりついているのはそういうことで、根性論も、政治家や警察の汚職も、いつまで経っても無くならない。

 であるからあこそ、佐竹は『ウェーイこそが正しい朝の挨拶だ』と認識しているのだ。そんな彼らに僕は言いたい。君たちのような人種は、川で『ジャパンレゲエ』を爆音で流しながらタオルをぶんぶん振り回して、濡れたまんまで逝ってしまえと。……取り敢えず先に、レゲエの神様であるボブ・マーリィに土下座してから出直して貰っていいかな?

「つか、昨日のだけどよ……」

 佐竹が曰く言い難しと口をもごもごしていたら、ファンクラブの面々から解放された月ノ宮さんが佐竹の隣に立った。

「優志さん……と、佐竹さん。おはようございます」

「おう、ウィーッス」

 お前、本当にブレないよな。

「どうして二人は僕の席に近づいてくるのさ」

 まあ、佐竹は僕の席の前だから致し方無いとしても、昨日の今日だよ? 二人は警戒心って言葉を知らないのかい? って、殊更に眉を顰めたけれど効果はいまひとつのようだ……。








 読んで頂きまして、誠にありがとうございます。もし差し支えなければ、感想などもよろしくお願いします。

 これからも、当作品の応援をして頂けたら幸いです。(=ω=)ノ

 by 瀬野 或

コメント

  • 瀬野 或

    >>娚のこ様

    ご報告感謝致します!

    ご指摘を受けて確認致しました所、確かにその後の文章が無くなっておりました。現在は修正致しましたので、ご確認頂けたら幸いです。

    これからも当作品をよろしくお願いします!(=ω=)ノ

    by 瀬野 或

    0
  • 风♥娚のこ

    ”真面目な眼鏡女子が『ちょっと男子!』って”その後の文章が無くなる

    1
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