あの日あの時、あの人の短編集。

牛若丸。

甘くて苦い。

今日も今日とて普通だ。朝起きて、顔洗って、ご飯食べて、ぐーたらな妹よりも先に出て、学校へ向かう。コンピューターの反復操作かってぐらいこの生活は繰り返される。途中で何かのバグが起こった事なんてない。自分の完璧過ぎる処理能力にうんざりする。

 

今日も今日とて快晴だ。昇る朝日が眩しい。だけど、それさえも鬱陶しい。まるで、君は陰に生きてるんだね、と笑われているかのようだ。そんなのは俺の被害妄想だけれど、そう思わずにはいられないほど、太陽は太陽で、俺は日陰だった。

 

 

 

そんな俺を、神様は可哀想に思ったのか、少しの変化をもたらしてくれた。それもほんの少しの変化だけれど。

俺は今まで帰宅部だったのだが、二年生の夏、夏休みが終わり秋に近づく今日この頃。俺はある部活に入る事になったのだ。まぁ、太陽の下でボール追いかけるような部活に入ったら、俺はいよいよ死ななければならなくなりそうだから、文化部なんだけど。

 

「こんにちはー...」

 

「あら、こんにちは...えーっと...名前、何だったかしら?」

 

「そのジョーク飽きました...黒瀬ですよ」

 

「ふふっ、ごめんなさいね、黒瀬君」

 

早速失礼な挨拶をしてきたのは、この部活[文化部]部長、[東城 華蓮]先輩だ。まじでやっばい財閥の娘らしい。名前もそれっぽいし、その容姿が、他とは違うという存在感を醸し出している。

冬の夜に溶け込むような、意外な事に肩下までしかない黒髪、見ていると吸い込まれてしまいそうな黒瞳、整い過ぎた端整な顔立ち。まさに美少女。校内でも類を見ない美貌を持つ東城先輩は、何とも摩訶不思議なこの部活、[文化部]の部長なのだ。

 

そもそも"文化部"というのは、主に校内で活動する部活の総称だ。なのにこの部活は、その総称を名乗っている。それは何故か。

 

「...今日は、何をしてらっしゃるのでしょうか...?」

 

「え? あぁ、今日は吹奏楽部の真似事よ。トランペットを吹いているわ」

 

なんと、この部活、"文化部"の活動をする[文化部]なのだ。この東城先輩、何をやらせても完璧にこなしてしまう完璧超人なのだ。なので、あらゆる部活から引っ張りだこになってしまい、あまり影響のない文化部に移り、この部活を立ち上げたというわけだ。部活に入った以上、他の部活から声が掛かる事もない。なんとも羨ましい理由である。

 

「...上手ですね」

 

「そう? 結構簡単な物ね...飽きたわ」

 

「はやっ!? もうちょっと頑張れよ...」

 

「.......」

 

しまった、思わずため口が...やべぇ、超睨んでる...。

 

「こっ、紅茶淹れますね!!」

 

「はぁ...今日の活動も終了ね...暇だわ...」

 

そう言って、机にぐでぇ~、っと突っ伏す先輩。こんな姿、普通は見られない。こんな姿を晒してくれるって事は、俺に心を許してくれているのかもしれない。

俺は慌てて部室に置かれているティーポットにお湯を注ぎ、紅茶葉を用意する。これでも、喫茶店の息子だ。紅茶の淹れ方ぐらい心得ている。

 

「吹奏楽部にも、トランペット以外に色んな楽器がありますよ?」

 

「...もうやったわ」

 

「そ、そうっすか...」

 

早い...飽きんのも早い...。

 

お湯が沸き、ティーカップに注ぐ。漂ってくる良い香りを少し楽しみ、先輩のところへ持っていく。

 

「どうぞ。今日は、うちのお薦め持ってきたんですよ」

 

「......美味しい...ありがとう、黒瀬君」

 

「い、いえ...」

 

うわぁ...やべぇ、めっちゃ可愛い笑顔。どうしよ、このまま押し倒そうかな...駄目だ。まず先輩に殺されて、その後に財閥に殺される。いや、その前に先輩ファンクラブ会員に殺される。リスク高過ぎだろこの人...。

 

「...私で一体何を妄想しているのかしら?」

 

「ひゃい!? い、いえ!? 別に何も!?」

 

汚物を見るかのような眼で睨まれてた。怖い。

 

「はぁ...黒瀬君の頭の中では私はどんな姿になっているのかしらね...」

 

「ご、誤解ですって!!!」

 

「...」

 

...? 何か、先輩の唇が動いた気がするけど、何も聞こえなかった。多分、気のせいだろ。それよりも...

 

「すみません先輩。俺、先生に頼み事されてて、ちょっと抜けますね」

 

「そうなの? それじゃあ仕方ないわね」

 

そう言って、先輩は紅茶を啜る。これはOKという事だろう。荷物はそのままでいいか。

 

そして俺は、部室を後にした。

 

 

 

 

 

「......」

 

 

 

一人残った先輩は、何をしているのだろう? また、本でも読んでんのかな。

 

しまった。上着忘れてきちゃったな...まぁ、いいか。

 

 

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「ふぅー...ったく、人使いが荒いっつうの...」

 

先生から頼まれた科学準備室の整理は、一人でこなせる量じゃなかった。標本とか実験器具とかを壊さないように慎重に運んだ時は本当に辛かった。

 

とにもかくにも、漸く部室へと戻ってきた俺である。

 

「すみませーん、遅くなりましたー」

 

「あら、お帰りなさい。黒瀬君」

 

「いやー、あの先生人使い荒いですよほんと...」

 

そう言って、自分の席につく。あれ?

 

「先輩、俺の上着知りませんか? 上着ってもブレザーなんですけど」

 

「......いいえ、見てないわ」

 

...? 何だ? 今の間は? ...でも、困ったなー、ここに無いとすると、何処に置いてきたか分からん。

 

「うーん...何処置いてきちゃったんだろ...」

 

「...そうね。教室とかじゃないかしら?」

 

「そうですね。帰り探します」

 

おかしいな...ここに来て脱いだ気がするんだけど...気のせいかな?

そして、俺は自分の本を開く。先輩は、自分の本に目を落とす。俺は、この時間が好きだ。言葉は無く、ただページを捲る音だけが室内に響く。この静かで優雅な時間は、俺の普通の日常を彩ってくれる大切な時間だ。

 

今はこの時間に浸ろう。そう思い、視線を先輩に向けようとしたら、突如、凄まじい悪寒が背筋に走った。恐怖に凍てつくような寒気。今までに感じた事のない感覚。

 

恐る恐る、先輩に目を向けると、

 

 

 

 

 

___先輩は、優しい笑顔で、俺を見ていた。

 

 

 

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「うーん...やっぱ無いな...」

 

部活動時間が終わり、自分の教室に戻ってきたが、やっぱり俺のブレザーは無かった。そうすると、部室の何処かに置きっぱなしにしてしまったのだろう。

 

「しゃあねぇ...戻るか」

 

 

 

 

三階にある生徒活動室。そこが、俺達の活動場所だ。もう辺りは暗く、言葉に出来ない恐怖感が、学校を覆っていた。

 

「ふぅ、やあっと着いた...」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「___黒瀬君」

 

 

ゾクッ。

 

先ほどと同じ悪寒が、背筋を再び走った。慌てて後ろを振り替えると、そこには俺のブレザーを持った先輩が立っていた。

 

「せ、先輩...?」

 

「ごめんなさい、驚かせてしまったかしら?」

 

「え? あ、はい...びっくりしました...」

 

「そう、ごめんなさいね。あと、これ...」

 

先輩は、俺のブレザーを手渡してきた。

 

「あぁ、ありがとうございます。やっぱり部室にあったんですね」

 

「...えぇ。探してみたら、机の下に落ちてたのよ」

 

「わざわざ探してくれたんですか、ありがとうございます」

 

先輩は優しい笑顔で、いい、と言ってくれた。なんやかんやで優しいのだ。東城先輩は。

 

「それじゃあ帰りましょうか」

 

「えぇ」

 

そう言って先輩は自分の腕を、俺の腕に絡めてきた。えっと...ドユコト?

 

「せせせせ、先輩!?」

 

「ふふっ。探してあげたのだから、これくらい良いでしょう?」

 

「ででで、でも!? あの、えっとおおお...!?」

 

「慌てふためく顔が見たかったのよ...ふふ、ふふふ...」

 

どういうこっちゃ!? あの、東城先輩が、俺に恋人繋ぎをををっをををを!?!? あわわわわ、何か!! 何か柔らかいんですけどおおおおおお!?!? 俺史史上最高の幸せが俺の腕を包んでやがるっ!!!

 

「今日はこのまま帰りましょう」

 

「えええええ!?」

 

俺と腕を組んだ先輩は、何だか、いつも以上に楽しそうだった。

 

...今日のアレには、困らそうにないな...。

 

 

 

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「...んはぁ、んぅ...はぁ...」

 

室内に響く、卑猥な声と、音。彼の匂いが染み付いたブレザーを、思い切り嗅ぐ。すると、彼女の身体には、まるで麻薬を吸ったかのような快楽で包まれる。彼の腕の感触が、まだ腕と胸に残っている。そこを触ると、身体に電流が走ったかのように身体が痙攣する。

 

彼に返したのは、もともと持ってきていた、予備のブレザー。そして、彼女の身体にまとわりついているのは、彼のブレザーだった。

 

「んはぁ..黒瀬君...黒瀬君...!!!」

 

彼女の身体を支配する、恋い焦がれる男の匂いと感触。彼女を快楽に引きずりこむのに、充分過ぎる素材だった。少し甘噛みすると、口に広がる彼の味。それが、より彼女を快楽に墜とす引き金となった。

 

「んはぁ...欲しい...黒瀬君...黒瀬君...」

 

 

_____彼が、欲しい。

 

 

果てた彼女の瞳に広がるのは、スマホの中に納められた、彼の顔だった。

 

 

 

「...好き...好き...好きよ、黒瀬君...」

 

液晶に写る彼の唇に口づけすると、彼女は立ち上がり、部屋を後にした。

 

 

 

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