世界が歪んだように、僕は普通。

アビコさん。

世界が歪んだように、僕は普通。

退屈な毎日と決別するためには、何か新しいことを見つけなければならない。


そんな当たり前の事実だけを確認し続けるだけの平凡な生活。


過去の栄光のみに浸り続け、同じことばかりを語っていくそんな風な大人にはなりたくない。


今の自分は何であるかを尋ねられれば、何も言えなくなる。


そんな感じだから、頑張っていたり何か大きな目標を掲げている人間がいやに鼻についてしまう。
妬み、貶めようと、嫉妬の心が強く浮き出てしまう。


そんな惨めな大人社会に入ってしまわないように、少し離れた位置から世界を傍観していたいと感じている。


朝の通勤電車に揺られているときなど、特にそう思う。


自分で考える力を育てることの出来なかった人間たちは、生きていくためのお金を獲るのに必死になる。
必死に吊革を掴み、少しでも他人と身体が触れ合えば憎しみのこもった瞳で、ドロリと一瞥する。
くたびれた、汚れきった顔で男も女も生きている。
そうして、ようやく迎える週末。その週末では別の顔になる。
喜び浮かれて、せっかく稼いだお金をばらまいていく。その金額を獲るために理不尽な目にあったことを全て忘れてしまう。目の前にある束の間の快楽のためだけに、理性を失ってしまう。


何も残らない日々。消化されていくだけの人生。


そんな風な生き方を選択したいとは少しも思えない。


何か自分独自の生活基本構想を企てようと感じている。


僕は馬鹿にならない。ワタシは馬鹿にならない。


そんなことを思いながら生きていた。






大学生活は特に大きな目的も無く立派な学歴もなく、多くの友だちにも恵まれることはなかった。
都心にある、少しは名のある大学に進んだ。


大学は卒業に必要な単位を取得し、それが揃えば自動的に社会へと排出されていく。
講義は、出席したという記録だけ残せればそれで問題はない。
講義内容については、出席しているものからノートだけ借りてしまえば問題はない。
あとはテストまでに頭に入れておけばそれで済む。
まあ、これは文系学部に限ったことであり、理系学部となれば実験などに追われて大変なもんだ。


講義を真面目に受けるでもなく、街中をフラフラと歩き続ける。
通り過ぎゆく人々の会話が断片的に耳に残される。
何も目的はない。


街頭インタビューを利きとして受ける若者。社会活動家らしき年輩者たち。
性を売る女たち。性を買う男たち。アニメの衣装を身にまとう人間たち。


何もかもが一箇所に集められ、雑多な空間を生み出す。
何が正解か分からない。何を追いかけてみればいいのか分からない。


もっと静かな下街とかに行きたくなる。そこで未知らなぬ若い女の子と手を取り合って、カフェでいりびたりたい。普通だけど普通じゃないねって言い合って、もっと普通な人生がよかったね言い合って、あれが普通の人たちなんだよねって笑ったりしていたい。


意味の分からない魚のTシャツとか着てみて、パンタロンて面白い名前だなとか言ってたいんだろうな。


薄味の和食のランチが700円くらいで食べられたらそれでもう満足で、あとは古本屋とか行ってみて、誰も読まないような本が多量に100円棚に刺さっているのを漁る。


ヤケあり、シミあり、水濡れあり。とかのボロボロさ加減が、自室の6畳ヒト間に合うんだろなと思う。
お金がもっとあれば幸せになれるのになとか、言っている奴は全員バカで、もっとボロボロになって生きて欲しいなと美しい女の子が言う。


いいね、君はクレイジーなんだよホント。普通よ、さようなら。そう言って、唇を重ねる。
柔らかいんだよ、温かいし。厚手のニットの上からでも分かるほどに女の子の胸は膨らんでいて、ブラの境界線とかも少し感じ取れたりして、うわーっと盛り上がったりして。


つまり、そういうことだよね?なんて言われた日には、どうかなってしまって、もっとドロドロになりたくなる。


もちろん此処から先は、場を移していこうよと強引さを見せつけてみて、女の子は凄く笑ってくれて幸せになる。


青春の恋とか、無塩で無煙で無縁だったのに素敵だな。


でも同時に女の子のことを深く知ることって、世の中の不思議がどんどんすり減っていくことで、かつお節を削る田舎のおばあちゃんの姿が蘇ってくる。アンパンマンのキャラクターのカツオブシマンってキャラクターの頭は減っていく一方で増えることは無いんだなと思うと悲しくなった。でも、他のキャラクターも同じ運命なんだけどね。だけど、かつお節とか子どもがあまり馴染みなさそうな見た目をキャラクターにするところも何だか物悲しくて好きだった。


女の子の家に上がり込んでみて、嬉しかった。


可愛い靴が玄関に並べられていて、この子はどういう気持で今日はこの靴を履いてきたのかなと考えてみる。面白と思ってとか言って、絵の具を何色もその靴に塗りつけていたりして、自分の色を殺してしまうなんて美しい。


友だちとルームシェアしているんだよとか言っているところが凄くよかった。
2階建ての家で、築40年以上でレトロ。


一階の女の子の部屋には絹とか、カラフルな布が沢山乱雑に散らばっていて、ハムスターみたいだった。
ここで滑車を回したり、寝たりしているんだな。


壁一面には、女の子が描いた絵が並べられてあった。どれも同じ顔をしていて、同じ洋服を着ている。
でも、違うんだって言うんだ。どれもよく観てくれたら、顔が少しずつ違うし、洋服の色も違う。それぞれ別の女の子なんだって。


違いが分からなかった。だけど、それが真実なんだろうなと思う。本当は全部違うんだ。


みんな同じ顔に見えてしまって、誰がここに来ても変わらないよとか、誰と付き合っても同じだよとか、結婚しても同じだよとか言いたくない。それが大人なんだよとか嘘だし、代替え可能な未来とか消えてしまえばいい。


パラレルワールドとかを想像してみて、もうひとりの自分に会いたいなとか、そんなことだけを想像していく生活になってしまってもいいかもね。


駅前の洋菓子店で買い求めたシュークリームからはどんどんクリームが溢れたし、それが女の子の口元を覆い尽くした。


そのクリームを舐めたかったけど、まだ昼間だからできなかったんだよな。


その日は女の子の家に泊まった。


2階の女の子は帰って来なかった。もちろん、今ならクリームを舐めることは出来た。


だけど、それよりも絵を眺めていたかったし、たまに出るというネズミの姿を探してみることの方が楽しかった。


もう二度と、その先はその女の子とベッドで会話をすることも無かった。
会うことも無かった。


だけど平行世界とかじゃなくて、そこに居たことは確かなんだからもっと、女の子を強く抱きしめておけばよかったなと後悔している。















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