異世界トリップした俺の相棒は、一振りの剣でした。
本編
ふと、意識が戻る。
はて、自分はさっきまで何をやっていたんだっけ? そう思いながら身を起こせば、そこには火の消えた焚き火と、遠くにそびえる山の合間から顔を出し始めている、太陽の姿があった。
「おはようございます、我が主。よく眠れましたか?」
ほど近い場所から聞こえた声に振り向いてみれば、そこには一振りの剣が、抜身のまま地面に突き立っている。眼前に広がるその光景を見て、ようやく俺は自分が野営をしていたことを思い出した。
「あぁ、おはよう。おかげさまでよく眠れたよ。……その様子だと、特に何もなかったみたいだな」
「はい。魔物も賊も現れませんでした。とても平和な時間でしたよ」
「そうか、ありがとな」
女性、というか少女の容貌を想起させる涼やかな声は、先ほど俺が見やった「剣」から聞こえてくる。当然であるかのように――実際、俺にとっては当たり前なのだが――返事をした俺は、その場でうんと一つ伸びをして、凝り固まった身体を軽くほぐしつつ居すまいを治した。
「今日はどうしますか?」
「ん? まぁ、とりあえず昨日と同じだ。このまま街道に沿って、次の街をめざす」
剣が喋る、なんて異常現象が当たり前に感じてしまうほど、付き合いの長くなってしまった相棒に向けて語りつつ、俺は剣の側に立てかけておいた荷物を漁り、一切れの干し肉と地図を取り出す。一口かじり、強い塩気で眠気を覚ました俺は、ルート確認を兼ねて地図に示された街道のマークをなぞっていった。
「今がこの辺りだから……そうだな、あと二日も歩けば街だろう。しばらくは、そこで資金繰りだな」
「いえ、マイマスター。それは「朝から夜まで通しで歩いた時の距離」です。……以前それで歩き疲れて、不注意から遭難しかけた時の事、忘れていませんからね」
「……訂正する。あと四日だ」
「はい」
人の姿も視線も感じないのに、無言の威圧感を感じてしまった俺は、素直に訂正する。相棒はそれで満足してくれたのか、威圧感はすぐに霧散した。
「……まぁ距離はともかく、そろそろ汗の一つも流したいからな。途中に川があるから、一度はそこで野営だ」
「そうですね。運が良ければ、魚も取れるかもしれませんし」
「まぁ、そっちはおまけ程度だろうけどな」
相棒と今後の打ち合わせをしながら、俺は干し肉を加えて準備を進める。置いてあった荷物を改め、内容物に不備が無いかをチェック。一通りの確認を終えたところで、突きさしていた剣の柄を握って、勢い良く抜き放った。
「じゃ、今日も宜しく、相棒」
「了解です、マイマスター」
軽く掲げた相棒と言葉を交わし、背中に背負い直した鞘に納めてから、俺は朝靄の残る平原を歩き始めた。
「……そういや、川と来たら魚もいるんだよな。焼いて塩か醤油をかけて食べたいんだけどなぁ」
「マイマスター、ショウユとはなんですか?」
「あぁ、俺の故郷にあった調味料だよ。料理にかけて食べるとウマいんだ。……あぁ、思い出したらなんか無性に食いたくなってきた」
雑談を交えつつ、俺は一人平原を歩く。さんさんと降り注ぐ暖かな日差しを浴びながら、俺の心はかすかな郷愁の念にとらわれていた。
元々、俺は「この世界」で生まれ育った人間ではない。地球は日本の片隅で生まれ育ち、争いや危険とは無縁の環境で育ってきた、一介の日本人なのだ。
「平凡な一般人」だと自分でも豪語できるほどにつまらない人生を送っていた俺は、しかしある日この世界へと落ちてきたのである。
この世界に呼び寄せられた理由は、いまだにはっきりしていない。それこそ俺の感覚では、寝落ちして目が覚めたらこの世界に居た、レベルなのである。
異世界に呼び寄せられ、途方に暮れていた俺を助けてくれたのが、今の俺の背に収まっている「相棒」だった。
彼女――聞こえてくる声が少女のものなので、暫定的にそう呼んでいる――は、俺が目覚めた遺跡に安置されていた不思議な剣であり、この世界に来た俺が最初に見つけた物体でもある。
当時の俺は状況も把握できておらず、訳も分からないまま「持っておけば何か役に立つかもしれない」程度の認識で持ちだした。それからしばらく遺跡の付近を彷徨っていたのだが、突如現れた怪物、こと「魔物」に襲われあわやと言ったところで、眠っていた相棒の意識が覚醒。最終的には彼女の助力もあって、どうにか窮地を切り抜けることができた、というわけである。
その後、どうにかして人のいる場所にたどり着いた俺は、そこでこの世界に「異世界人」という概念があることと、「異世界人」が元の世界に帰れた事例は、現代にいたるまで確認されていないということを知り、どうしようもなくなってしまう。 よもや帰れないとは思わず、俺は一時期精神的に不安になったのだが、その間真摯に俺に付き合ってくれた相棒の勧めもあり、現在はこうして、自らの居場所を見つけるために旅をしているのだ。
「……マイマスターは、やはり故郷に帰りたいのですか?」
相棒の、どこか不安と憐憫が混じった問いかけを受けて、俺は肩をすくめる。
「そう、だな。正直なところ、今でも帰りたいって気持ちは残ってるよ。あっちの世界は平和で暮らしやすいし、少ないけど残してきた友達もいるからな」
魔物や賊と言った脅威があり、なおかつ「魔法」を基盤とした文明レベルも、まぁまぁ高いが現代日本には数段劣っている。平和な世界で争いとは無縁の生活を送ってきた俺にとって、この世界は非常に過ごしづらい世界であることに違いはないのだ。
「――でも実のところ、それ以上に今が楽しいなって、そう思うんだ」
「楽しい、ですか?」
「あぁ。だってそうだろ? 平和な世界に居たら、今みたいな旅や命のやり取りなんてできないからな」
だが、幸か不幸か、俺はこの世界への順応に成功する。そうすれば後に残ったのは、未知なる世界への尽きない好奇心と、初めて経験した戦いがもたらす、平和な世では知りえない、戦いのスリルだった。
そもそも俺は、変わりばえのない日常に鬱屈とした感情を抱えていた人間。口では平和が良いと宣いつつ、その内心では「何か刺激的な出来事が起きないか」と考えていたのだ。
「平和もいいけど、俺は俺が望むままに生きたい。だから、それができるこの世界を離れる気は、今のところないよ」
「……そうですか」
飾らない本音を語ってみせると、相棒はそれだけ呟く。彼女の内心を見透かすことはできないが、その声音は何処か安堵したようなものだった。
「……なんにせよ、この世界に居る限り、俺は戦わなきゃいけないんだ。だから相棒、これからも宜しくな」
「……仕方ありませんね。これからも宜しくお願いします」
どうやら、お互いにこの関係は好ましいものらしい。
そんな今更な事実を実感しながら、俺は目的の街へと一日も早く到着するために、街道をひたすらに歩いて行った。
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