マーブルピッチ

大葺道生

第16話【待球】

小田原北条グラウンド
1回裏 花緑学院対小田原北条
花緑学院の先発投手は徳山が登板することになった。ここ最近全てのピッチャーにとってのピッチングの要であるストレートのコントロールが壊滅的な宮道に比べれば、水戸にとっては徳山のほうがリードしやすいように思えた。
――公式戦までに宮道はなんとか復活してくれればいいのだが。
もっともこの練習試合だって手を抜いていい試合ではない。1年生は基本的には大石の指導を受けていないが、宮道は小学校のころに指導を受けていたというし、スカウト組5名は彼が花緑学院に誘ったわけだ。
彼らが活躍することも大石の再雇用を後押しすることになるのは間違いないだろう。実際理事長の部下と思しきスーツの人物が最寄駅からここまで着いてきており、今も試合を見学している。これと言って会話はなかったが、常木とも知り合いのようだったしまさか不審人物ということはないだろう。
水戸は一呼吸置くと、目の前のピッチャーに向き直る。徳山の特徴はそのフォームである。徳山のフォームは真上から振り下ろすようなオーバースローだ。
昨今完全なオーバースローで投げるピッチャーは少ない。そもそもオーバースローでよい球を投げるためのチェックポイントは9個以上あると言われ、一方でサイドスローはたった2つしかないとすら言われる。また人間の身体の構造では速い球を投げるにはオーバースローより少しサイド気味のスリークォーターなどで投げるほうが適しているという説もある。
そのため上手投げと一口に言っても現代においてはそのほとんどがスリークォーターだ。それでもオーバースローで投げることにはどのようなメリットがあるのか。水戸が思うに、1つはリリースポイントだ。
サイドスローが横からの角度が付いて打ちづらいのと同様にオーバースローは上からの角度が付いているのでその分打ちづらいのである。加えて徳山は180センチを超える長身だ。
おそらくバッターの目からは高校野球ではなかなかお目にかかれないような光景が見えているだろう。徳山が相手打者にゴロを量産させるのはそのようなカラクリがあるのではないだろうかと水戸は考えている。弓弦のように引き絞られた左腕から真直ぐに白球が打ち下ろされてくる。
初回の攻撃は花緑学院側も三者凡退で抑える結果となった。


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2回表 花緑学院対小田原北条
カウントを取りに行ったストレートをセンター前にあっさりと弾き返される。打者は先頭の4番山本だった。捕手の明坂は柏木に気にするなと声をかけ、守備位置に着く。
――やばいな。この山本ってやつだけはものが違う。やたら落ち着いてやがるし。ホントに1年生かよ。
続く打者は5番ファースト鹿川。その初球を柏木が投じる瞬間、1塁ランナーの山本がスタートを切る。それを見てショートが盗塁阻止のために2塁のベースカバーに入るが、白球がキャッチャーのミットに収まることはなかった。
鹿川がストレートを三遊間に弾き返したのだ。本来であればショートの守備範囲だったが、ショートはベースカバーのために2塁に寄っていたため三遊間を球足の遅いゴロが抜けていく。


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「監督、初球エンドランとはやりますね」と梶尾は興奮しながら言う。
「今日の試合を見る限りナックルカーブは半分近くがワンバウンドしていますからね。ナックルカーブなら鹿川くんが空ぶっても山本君なら盗塁成功。鹿川君にはストレート狙いを指示していましたから。ストレートであれば鹿川君なら当てるぐらいは確実だろうと見込んだまでです」
続く打者はキャッチャーの水戸。無死1、3塁の絶好機である。


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明坂はミットを構えながら考える。前回の試合では純粋に力負けしていた感じだったが、今日は今日でそこはかとないしてやれれている感がある。無死1・3塁で下位打線。この場面でもっとも警戒すべきはスクイズであろう。
――やってくるとして何球目でやってくる? そもそも6番水戸でやってくるか? まだノーアウトだし、水戸にはヒッティングさせて次の7番打者でスクイズってのもアリと言えばアリだ。……だったらここは、バントもヒッティングもしにくい球で行こう。
柏木が投じた1球目。高めから斜め下に滑り落ちていく。ナックルカーブだ。高めに投じられたナックルカーブは変化して低目のストライクゾーンまで落ちる。審判もストライクを宣告した。
前の試合では多投していたナックルカーブだが、この試合ではほとんど投げていない。高めに投げられた落ちる変化球は変化が見切られやすく、変化幅も小さくなるため、痛打される危険性が高いからだ。
しかし明坂は変化を見切ったところで1年生にそう簡単に打てる変化球ではないし、落ちるボールはバントもしづらい。加えてストライクゾーンに来ているうちはスクイズを警戒しすぎたせいでカウントを悪くしてしまうようなこともない。そう思っての策だった。
2球目、1塁ランナーの鹿川がスタートを切る。無警戒だった明坂はあっさりと2塁を献上してしまう。
――くそ、スクイズのことばかり考えてた。まあでも今の場面警戒してたところで2塁に投げたらそのうちに本塁突入される場合もあるし……。畜生ややこしい。
その後、水戸が5球目を見事に3塁線に転がす。本塁は間に合わないと判断した明坂は1塁に投げて打者をアウトにする。しかしこれで1点を先制されたとことになる。
常木は続く7番打者宮道にもスクイズを指示するが、宮道はまさかの空振りを喫し、3塁ランナーの鹿川はアウトにされた。さらに宮道はその後内野ゴロを打ち、2回の花緑学院の攻撃は終了する。


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2回表 平和学園VS花緑学院
審判がフォアボールを宣告する。塁は全て埋まっていた。赤沢は先頭打者を打ち取るものの、次の5番打者に長打を打たれ、さらにそのあと2者続けて四球を与えてしまった。
赤沢は汗を拭いながら手元でストレートの握りに合わせて白球を握りしめる。しかし続く8番と9番を赤沢はなんとか2者連続三振に打ち取ると、マウンド上で吠えを上げる。
「うーん、土壇場でまた一段ギアを上げたように見えるね」
平和学園監督の平沢はそう呟く。
――球速だけなら横学の御柳や日笠の天河も赤沢と同じ最速140中盤の投手だよね。まあうちの子たちは御柳も天河も打ち崩せなかったけど、ストレート以外の引き出しがあの両投手とこの投手じゃまるで違うもんなあ。それでもここまで抑えられるもんかね。それとももっと出てるのかな、球速。高校生の成長なんて直ぐだからね。そういう可能性はあるか。スピードガンなんて今持ってないから計りようがないけど。
平沢はそう心中でぼやきながら手帳の右隅に黒い円を書くと、それを何重にもなぞり始める。彼の思考する時のスタイルだった。こうしていると円のなかから何かアイデアが浮かぶかのような感覚を覚えることがある。
――まあいずれにせよ、今見たいな好調はそう長くは続かないよね。なんといってもこの2回だけで50球だからね。


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平沢の目論見通り、ベンチに座る赤沢は肩で息をしていた。相手打者は2ストライクまでは徹底的にスイングしてこない。その上大石の進退もあって、赤沢だけでなくチーム全員が気負っている。赤沢も今日はいささか飛ばし過ぎなところがあった。
石田も2ストライクまでは徹底的に抜いて投げさせることを考えたが、その作戦は取らなかった。赤沢は意図して力を抜けるような器用なタイプではなく、結果球速を抑えることができても、制球をさらに乱す可能性があると考えたからだ。
2つ目は基本的には2ストライク目まで手を出してこないのだが、4番打者は1ストライク目を空振りながらもスイングしているし、5番打者はに限っては2ストライク目を2塁打にしている。
しかし思えばそうした考え自体、相手に誘導されているのかもしれない、と石田は考え始めていた。
相手のベンチを横目に盗み見るとそこでは相手の監督である平沢が試合前と変わらない張り付いたような笑みを浮かべていた。表情の読めない人物だ。

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