マーブルピッチ

大葺道生

第1話【紅白戦】

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「では入学式も終わったことですし、早速練習に出てみるのはどうですか」
常木は相変わらずさわやかな顔で言う。宮道の心中は穏やかではなかった。高校野球においては監督の能力は重要視される。
このチームの成績は昨夏は3回戦負け、昨秋は1回戦負けであるという。チームは今年で4年目ということになるが、いまだ3回戦の壁を破ることはできていないらしい。
「はっきり言って俺は大した実力の選手じゃないんですよ。監督に乗せられていい気になってましたけど、当の監督は人を誘っておきながら知らないうちにやめてるし。俺がいたところで甲子園なんて行けるわけがない」
「そうでしょうか。私も君の投球は見たことがありますが、素晴らしいものだと思いました。私の見解では何の保証にならないかもしれませんが、それに君はこれから君の仲間になるであろう人たちに期待していないようですが、そう捨てたものではないかもしれませんよ。君の恩師である大石監督は秋の大会でベスト4を狙えると公言していたそうです。結果は一回戦負けでしたが、君が信頼する監督がそこまで言ったんですし、期待してみてもいいのでは」
――恩師ね。つい先刻まではそう思っていたが、俺を誘っておきながらクビになってるし。しかもそれを伝えもしてくれないとは。正直なところ不信感しか抱けない。まあしかし大石監督の指導能力は確かなものだし彼が二年間鍛えた野球部に期待してみるというのも悪くはないかもしれない――


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ピッチャーの手元から矢のように放たれた速球がキャッチャーミットに突き刺さり轟音がうなる。今マウンドで投げているピッチャーは長身で目つきが鋭く、一球投げるごとに吠えている。いかにも気が強い投手という風貌だ。
「彼が赤沢くん。2年生でうちのエースを張っています。」
「速いですね、球」
「最速144キロだそうです」
――だがコントロールが悪い。どの投球も投げてからキャッチャーのミットが大きく動いている。――
「どうです? そう捨てたものではないでしょう」
「そうですね。少なくとも県大会1回戦負けが実力というわけではないのはわかりました」
「私が懸念しているのは宮道君がチームの皆さんに受け入れられるのかということです」
宮道は常木の言葉に怪訝そうな顔をする。
――そりゃああれだけの投手がいれば初っ端からエースになるのは無理だろうが、何も最初からエースになる必要はない。あれだけの投手がいるならば俺は2番手でも問題はない――
「大石監督は比較的2,3年生の信頼を得ていたようです。彼らから見れば私などはまだまだ学校が急に用意してきた邪魔者なんですよ。実際部活を見ているのも今月からですからね。さらに言えば宮道君は監督が代わるのと同時期に、その学校側が連れてきた期待の新人。このままではチーム内の分裂を招きかねないわけです」
「なるほど。で、常木先生は何が言いたいんです?」
「紅白戦をしてみるのはどうでしょう。すでに春休みには推薦組の1年生が4人参加していますし、どうやら新入部員もある程度は集まっているようです。上級生対下級生で試合をするには十分でしょう。どう説得したところで彼らの私達への反感は消せません。実力であなたが特待生に選ばれるだけの選手であると証明するほかない気がしますが」


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その後、新入部員の自己紹介や部長、監督のあいさつが終わり、早速上級生対1年生の紅白戦が始まろうとしていた。
「こっちのチームの監督は俺がやります。つっても打順やポジション決めたり、適宜ポジションの交代とか指示するだけなんで。具体的なプレーの内容とかは自分で判断して決めてください。この試合で活躍した人は3日後の地区大会のベンチ入りも狙えるんで頑張ってください」
坊主頭で眼鏡をかけた男が実に事務的な言い方で激励をしてくれる。彼は石田祐一郎。花緑学院野球部のキャプテンである。打順は6番、ポジションはキャッチャーである。
「じゃあまずこちらの攻撃からだし、ポジションは後回しにして打順から決めていきましょう。じゃあまず一番打ちたい人」
宮道は石田が言い終わるか終わらないかのうちに手を挙げる。
「それじゃ早い者勝ちで、宮道君が1番ということで」
「よし、それじゃいっちょかましてきます!」
自分たちの学年で唯一の特待生、その宮道がどれほどの打撃を見せるのか一年生全員が注目していた。
宮道は一礼して左打席に入る。彼は右利きであったが中学からは左打席で振ることが多くなっていた。それほど優れた打者ではない自分は一塁に少しでも近い左打席を選択するべきだと思ったからだ。相手ピッチャーの赤沢は右投手であるため、その点でも左打席に入るのは有効だろう。
赤沢は投球動作に入る。足を普通より大きく上げた比較的特徴的なフォームだ。ムチのようにしなった腕から矢のような速球が放たれ、キャッチャーミットに刺さる。同時に新盤を務める常木がストライクを宣告した。
――速ええ。遠くから見るのと打席に立って見るのじゃやっぱり違うな。高めの甘いコースに来てたけど、いくら甘い球でもこの速球をヒットにするのは簡単ではなさそうだ。――
その後あっさり2ストライクノーボールまで追い込まれるものの、続く2球は外れて2ボール2ストライク。


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正捕手の石田の代わりにマスクをかぶる井ノ口は目の前の打者を観察するように見上げる。
――随分あっさり見送るな。流石にバットは動きかけてるが。まさかとは思うが陣の速球を見極めてるのか? それともただ振る気がないだけか。まあ特待生だし、油断は禁物か。と言っても相変わらず陣の球は全然構えたところに来ないし、俺にできることはさしてないけどな――
5球目もボール。そして6球目は低めストライクコースに直球が来る。振る気がないかに見えた宮道だったが、小さなスイングでボールの真下辺りを叩く。ボールはバックネットに向かって飛んでいきファールになった。
「君やるなあ。陣の球に初打席で当てるか」
井ノ口は期待の一年生がいきなりエースの球に当てたことに敵チームながら素直に賛辞を贈る。
「スピードは慣れで対応できる部分も大きいですからね。打てるかどうかはともかく当てるだけなら」
――そういえば宮道君のチーム、東北沢シニアには中学生にして148キロを投げる超中学生級の選手がいたんだった。なんかカットする気まんまんっぽいし、ここで粘られるくらいなら出し惜しみしないほうがいいかな――
などと考えながら井ノ口は赤沢にサインを送る。
7球目コースも高さも甘いところに来たボールは打者の手前で鋭く落ちる。宮道のバットは空を切った。
「ストライクバッターアウト!」


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宮道がベンチに帰ろうとすると、前から同じ1年生の梶尾が歩いてくる。どうやら2番打者は梶尾のようである。梶尾は推薦組の1人で外野手であったはずだ。
「最後の何?」
「多分縦スラ。スピードあるぞ」
「了解。やれるだけやってみる」
結局赤沢は3番打者に四球を与えるも初回を3三振で終える。


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1回裏 上級生チーム対下級生チーム 0対0
上級生チーム
1番 左 野上
2番 二 高田
3番 右 寒河江
4番 一 青木
5番 投 赤沢
6番 遊 中森
7番 中 清野
8番 三 大津
9番 捕 井ノ口
下級生チーム
1番 右 宮道
2番 中 梶尾
3番 三 山本
4番 投 徳山
5番 遊 高坂
6番 捕 水戸
7番 二 鵜飼
8番 左 秋葉
9番 一 岡


1回裏
「くそっ、俺がピッチャーじゃないのか」
外野から自チームのピッチャーの投球練習をうらめしそうに見ながら宮道はぼやく。宮道が打席に立っている間にポジションが決められており、宮道はライトに就かされることになった。石田の話では全員出場させるし、投手希望者には全員登板させるというので、宮道の出番もいずれは回ってくるだろう。下級生チームの先発は徳山。宮道は聞いたことがなかったが、ボーイズリーグの強豪チームに所属していたらしい。
「まあお手並み拝見だな」


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5回表
高めに外れたストレートを打者が空ぶる。赤沢は今日のピッチングにかなりの手ごたえを感じていた。すでに四球を3つ出しているが、三振も今ので13個目、安打も一本も打たれていない。いつもは課題のコントロールも今日は次第にまとまってきている。一年生相手とはいえ公式戦の近いこの時期にこれだけのピッチングができているのはよい兆候なのは間違いない。捕手の井ノ口がベンチに帰る赤沢に走り寄ってくる。
「陣、今日すごい気合入ってるじゃないか」
「まあ嫌でも気合入るからな」
赤沢は出番が来なかったためネクストサークルからベンチに引き上げる宮道を睨みつける。宮道はまだ投手としては登板していない。しかし点差はすでに8点まで開いていた。先発の徳山が3イニングで5失点、その後続のピッチャーが先ほどの1イニングだけで3失点している。この試合は自分と宮道の投手戦になるだろうと考えていたため拍子抜けではあった。
――だが気は抜けねえ。宮道が登板した時点でそれまでの点差は一回忘れよう。そもそも打線のレベルが違うしな。俺が点を取られないに越したことはねえ――


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5回裏
下級生チームのマスクをかぶる水戸は守備位置につきながら思わずため息をつく。すでに8点まで点差が開いている。このイニングから噂の特待生である宮道がようやく登板するが、仮に守りがなんとかなったとしてもここまで圧倒的なピッチングをしている赤沢から8点どころか1点だって取れるイメージが湧かない。
部内の紅白戦、それも上級生と下級生に分かれての対決なのだから勝ちに行く理由もなければ勝てる望みも薄くて当たり前なのだが、ここまで圧倒的にやられると堪えるものがあった。
――そもそも花緑って毎年2,3回戦止まりのチームじゃなかったのか。それがここまで強いだなんて。俺たちが通用しないのはともかく推薦組ですらまともに活躍できていない。先発の徳山だって120後半から130前半ぐらいは出てるのに。あんな打ち頃の球みたいに――
考えているうちに宮道が投球練習を始めようとしたので、水戸はあわててミットを構え受ける。軽く投げ込んでいるだけなので何とも言えないが、球威は徳山の方がかなり上、コントロールは宮道の方が上といった風に見えた。正直なところ余りレベルは変わらない。場合によっては徳山のほうが上なのかとさえ思えるほどだった。
――ひょっとするとこれまた打ち込まれるんじゃないか――
すると宮道がタイムを取ってこちらへ駆け寄ってくる
「水戸君、この回俺にサイン出させてもらえないかな」
「俺の配球は信用できないってことかよ」
「そういうわけじゃないけど、まだ水戸君は俺がどういうピッチングできるのか知らないだろ。俺の投手としての持ち味は球種教えただけじゃわからないと思うからさ。とりあえずこの回だけ俺に任せてくれよ」
「わかったよ。そこまで言うなら好きにしてくれ」
―――ちっ、打たれても俺は知らねえからな――
この回の先頭打者である7番打者の清野がバッターボックスに立つ。ここまで2打数1安打の俊足の打者だ。
――この人はクリーンヒットだけじゃなく、内野安打にも気を付けないとな。さっき打たれた安打も内野安打だったし――
1球目、インコースのボール気味のストレートに清野は手を出したがボールがファールゾーンに飛んでいく。2球目、インハイのストレートに豪快に空振る。完全に振り遅れていた。
――あれ、今の球なんか速かったような――
3球目、先ほどとほとんど同じコースにストレート。しかし清野のバットは空を切った。今度は清野がバットを出すタイミングが早すぎたようだ。続く8番をセカンドフライ、9番をサードゴロに打ち取り、下位打線ながら下級生チームが上級生チームをこの試合初の三者凡退で抑える。
そしてこの回の宮道の投球は全て120~110程度のストレートだった。

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