恋は盲目とは言いますが

大葺道生

11話

 音桐たちは孝平の提案で、その後急いでドーナツ屋を後にした。あまりに注目を集めてしまったので場所を移すことにしたのだ。
 孝平に連れられてきたのはとある一軒家の隣に建つ木造の掘っ立て小屋のような建物だった。中に入ると絵の具のようなにおいがする。そして壁に10枚以上もの油絵が飾られていた。構図は違うが、そこに描かれているのはどれも金色の髪をした少女だった。
「湯島君、絵描くんだね」
 音桐がぽつりと言った。
「ええ。あ、駄洒落じゃないですよ。ここは昔祖父が作ったアトリエだそうで、今は誰も使う人がいないので俺が使わせてもらっているんです」
「これ。絵のモチーフは――」
「――全部私らしいです。そもそもこいつ私に声をかけてきたのが自分の絵のモデルになってほしいって理由だったらしいですから」
 楓子のあきれるような物言いに孝平はにこりとした微笑を崩さない。
「とにかくここなら誰にも聞かれずに話すことができますよ」
「そうだな」楓子が丸椅子に腰掛けながら言う。「で、皆川さん、いや音桐さんなんで姉さんに嘘吐いたんですか?」
「本当に言ってもわからないと思うよ。――いや怒らないでくれ。説明するつもりは、あるから」
 音桐は肩掛けバッグのなかにあるペットボトルの水を手に取ると、それを少し口に含んだ。少し間を取りたかった。
 自分はなぜ桜子に皆川俊などという名前を名乗ったのだろうか。まず同じクラスで同じ部活であっても自分と桜子はほとんど話したことがなかったし、いきなり話しかければ気味悪がられるかと思ったのだ。
「別に姉さんはそんなこと思わないよ。あの人相当なお花畑だぜ。まあそんなに仲良くなかったなら仕方ないか。でもだったら早いとこばらしちまったほうが楽になるんじゃないの?
 医者の話では姉さんの病気は精神的なものだって言われてる。原因は判然とはしないけど、いずれ治るんじゃないかって。そしたらアンタどうすんだよ。そのときになって実はクラスメイトの音桐でしたって言うのか? そんなこと私は許さないですよ」
 確かにそれはきっとひどく桜子を傷付ける行為だろう。
「別にいいじゃない。何を迷うことがあるの。今の説明そんなに変じゃなかったですよ。ねえ、孝平。ほら。姉さんだってわかってくれますよ」
 音桐は頭を横に二度振った。
「だからわからないって言ったんだよ。本当の僕じゃ星合さんには釣り合わないんだ」
「は? さっきから何度も言ってんでしょ。姉さんはそんなこと気にしないって」
 楓子は据わった目で音桐を見据える。思わず背筋が冷えた。しかしここは譲るわけにはいかない。
「普通に考えて釣り合わないだろ。僕は運動も苦手だし、勉強だって特筆できるわけでもない」
「あー、そういうことね。そりゃ確かにそういうのはあるよ。私も姉さんにはいつも引け目みたいのはある。うん、できる姉を持つと辛いね。でもそれは周りの目が気になるだけだろ。姉さんはそんなこと考えないと思うぜ」
「それは楓子さんが僕ほどには不均衡を感じてないからだよ」
「フキンコウ?」
「釣り合ってないってこと。楓子さんははっきり言って恵まれた容姿をしているよ。湯島君が絵のモデルにしたがるのもわかる」
 そうでしょう、としたり顔で言う孝平。少し黙っていてほしかった。
「不良に見られるって言ってだけど、それはそれだけ目立つってことの裏返しでもあるだろ。僕を見てみろ。どう見ても冴えないやつだろ」
 楓子はその場でため息を吐くと、つかつかと音桐に歩み寄る。そして拳を振り上げた。それを横にいた孝平が手首を掴んで止める。
「楓子、暴力はよくない。ここは話し合おう。それに俺は音桐さんの言っていることもわからないではない。俺も楓子に話しかけるときは緊張したから」
「はぁ、緊張してるやつが入学式初日に話しかけてくる?」
「だからそれは緊張した上で話しかけたんだよ。それに俺の髪だって楓子と釣り合うために染めたんだ。お前が髪の色が周りと違うことで悩んでいるって言ってたから」
――やめてくれ。湯島君。僕をかばわないでくれ。今の会話だけでわかった。君に俺の気持ちはわからない。
 次の瞬間、楓子は孝平の足を思い切り踏みつけその拘束を逃れると、音桐の顔面に思い切り右拳を入れた。ばきぃという音が耳に響くとともに意識が遠くなるのを感じる。
「そりゃ姉さんも女子だし、あんたの顔がイケメンだったらあんたに対する評価もあがるだろうよ。それにあんたの顔がイケメンだともこれっぽっち思わない」
 そんなにはっきり言われると心が痛かった。
「でもあんたがどんな顔だとしてもあんたの評価が下がるなんてこと絶対にないよ」
 その後も楓子が何事か言っていたが、音桐の意識が続くことはなかった。

 2
 再び目覚めるとそこはまだあのアトリエで、部屋の端では丸椅子に腰掛けた孝平が本を読んでいた。
「おはようございます」と孝平。
「……今何時?」
「21時ちょっと過ぎです」
 辺りを見回すとすでに楓子はその場にはいなかった。
「まさか女子中学生に一発殴られた程度で失神するとは。情けないなあ」
 本当に情けないのは女子中学生を殴るまで怒らせるメンタルの方だった。
「とりあえず僕も今日は帰るよ」
 音桐は傷む鼻筋を抑えながら立ち上がった。
「音桐さん、楓子のこと悪く思わないでやってくださいね。楓子はどうも直情的なところがありますけど基本悪いやつじゃないですから」
「わかってるよ。大丈夫」
 悪く思うも何も。今回悪いのは自分だった。

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