死神さんは隣にいる。

歯車

32.起きてからも忙しない

 目が覚めたら、横で、僕の腕を枕にして、幼女が眠っていた。


 それは純然たる事実で、今確かに、この目に映っているのは、まだ中学生どころか、もしかしたら小学生ですらないのかもしれないというほどに小さく、あどけなさを見せる端正な顔立ちをした、まだ未成熟な肢体だった。着用しているおそらくパジャマと思しき、熊耳フードの、柔らかい布でできたものはとてもかわいらしい、年相応と思えるようなものだ。すーすーと寝息を立てながら眠っている様は思わず撫でてあげたくなるほどに気持ちよさそうな表情である。


 腕に寄りかかり、熟睡しているためか、安堵した顔で眠っているのはまるで雛鳥のようで、思わず抱え上げてあげたくなってしまう。艶やかな黒髪は腕からの感触からもわかるほどにサラサラしていて、一本一本が鏡のように窓からの太陽の光を反射し、全体を見れば黒い絹のよう。緻密に編みこまれ、丁寧に洗練された最高級の物をかつて一度だけ、姉さんに見せてもらったことがあったが、それすらこの幼女のショートカットが相手ではいとも容易く霞んでしまう。それだけで、非常によく手入れされているのが分かるだろう。


 しかし、やはり女の子であるのか、いい匂いが漂ってくる。おそらく、風呂に入ったのが今さっきだったのだろう。シャンプーのいい匂いがする。のだが、朝風呂はやめておきなさいといったのを忘れてしまったのかこの子は。


 まあ、そんなことすらも今この匂いを感じれたことを鑑みるとどうでもよくなってきてしまう。その柔らかい黒髪が僕の腕を撫でるたび、くすぐったい感触がするのだが、それでもやはり絹のような手触り、いや、腕触りの良さだ。


 どうやら僕の体は抱き枕として扱っているのか、脇の下あたりに心地よい幼女の腕の感触がする。たおやかで、どこかぷにぷにとした、触れているだけで守りたくなるような、そんな心地よさというのだろうか。


 そんな幼女の顔は目と鼻のすぐ先にあり、すこしでも動けば頭どころか唇の先と先がごっつんこ――――うぼぁっ!?


「あっぶなっ!」
「――――ん、むにゃ……?」


 僕は全身のバネを使って、腕を勢いよく引き、それを気づかれないように掌で幼女――――りゅーこと佐野原さのはら ながれの頭を支えて、そっと衝撃を感じさせないように僕の枕に乗せた。


 しかし、起きたばかりだからか、少し振動が伝わってしまったらしい。流ちゃんは振動には敏感なので、そして眠りは浅めなので簡単に目覚めてしまった。――――いや、冷静に分析している場合じゃない。


 そもそも、この状況はなんだ。どうして僕が流ちゃんと一緒に!?


 えっと、思い出せ、寝る前僕は何をしていた!? えっと、えっとえっと、確か――――そうだ、レイドボス! 木製狼! じゃなくって、そのあとのアナウンスが――――いや、レアアイテムがどうすれば活用できるじゃなくて! おっちゃんにご馳走してもらったチキンステーキ! じゃない、そうじゃなくて!


「……どう、ヨルナ。おちつく」
「はっ」


 流ちゃんの一言で我に帰った。少し深呼吸して、頭を冷やす。すると、簡単に先日の出来事が思い返された。


 そう、レイドボスを倒したあと、ショックを受けてゲーム内でヤケ食いし、吐き気からログアウトして、現実でお腹すいたから唐揚げ丼を食べて――――ここにいる流ちゃんに抱きつかれて、その勢いから頭を打って気絶、と。


「流ちゃん。ちょっとこっちおいで?」
「……はっ。い、いや」
「いいから」
「そのかおは、やばいとき!」
「いいから来なさい! 君って子供は!」


 僕が流ちゃんに説教しようとすると、流ちゃんは何をやらかしたのかを思い出したらしく、脱兎のように逃げ出した。が、僕の腕の上にいたのを忘れていたのだろうか。やはり寝ぼけているのか。簡単に僕に足を掴まれ、コケかけてストップした。


「あんなに人にダメージを与えるような行為は控えなさいと、ずっと言い続けているのに! ここはゲームじゃないんだよ!? 痛いんだよ!?」
「ご、ごめんなさい」
「ダメ! 今日は許さん! 多分看病してくれたのかなって周りの状況を見る限りわかるけど、原因は君なんだからね!?」
「う、うう」


 僕の頭には打ち付けた部分に氷水でよく冷やされた濡れタオルが巻かれていた。周囲を見れば、プラスチック製の風呂桶に氷水が、多少残っている所を見ると、眠ってからそんな時間は経ってないかな。


 そういえば、あの後ゲーム内はどうなったのだろう。流石に「覇王様」の正体が割れた、なんて察しのいい連中はいないと信じたいが、それに近い何かが現れた、なんてことはあるかもしれない。となると、キャラ消去まではいかなくとも、名前を変えるとか、プレイスタイルを変えるとかはすべきなのかもしれない。


 また、特に似合うと思っていたわけではないが、目立つ白髪とかも変えるべきかもしれない。しかし、白髪はなんとなくそれなりに気に入っているので変えたいとは思えない。死神みたいな、格好よく大鎌を扱えるキャラを目指そうと思っているので、頭は頭がい骨とまではいかなくとも、近いものにしたい。


 ロングヘアーは現実とは違っていろいろ弄れるので楽しいから変えたくない。あと、アバターを変更するのに、髪を弄るのは可能だが、髪の長さは有料だというのもある。名前は変更用のアイテムがログインボーナスで届くので気にしてはいない。髪色は根本的に変えるなら変更用の課金アイテムが必要だが、染色するだけなら無料で素材を集めれば可能だ。素材は決して安くはないが、取ってくればいい話だし。


 身長、体重、体型等は変えるのは有料アイテムが必要だし、何より現実と違うとやりにくいので変えたいとは思えない。顔についても同様だ。その二つはベータ時代から守り続けてきた秘密であり、これまで隠匿してきた最大の禁忌だ。これが割れると、住所とかそういう面倒なものまで特定されかねないし、何よりそれらを変えると今までのプレイングが難しくなる。最近のゲームは技術が進んでいるとはいえ、体の違和感はどうしても拭えない。


 なので、ひとまずは現状の把握、そして使っているアバターの姿が割れているのか、そして名前を見られどう思われているかを確認し、それからアバターを変更しようと思う。


 ならば当面の目標は決まったな。まずはアバターを弄ることができるよう、噂が広まっていないうちに素材を集めることにしよう。できれば白髪とフード付き黒ロングローブの組み合わせを変えたくはないが、どうしようもなくなれば変えるとしよう。


 確か髪の染色素材はどこでドロップしてたっけな――――なんて。


 そんなことを、流ちゃんに・・・・・説教しながら・・・・・・考えていると、流ちゃんが文句を言いだした。


「む、ヨルナ、おはなしのうらでかんがえごとしてる」
「話を聞きなさい。今はそんなことでどうでもいいです。そもそも流ちゃんはいつもいつも何を自分がしたのかわかっていないことが多すぎです! 例えば」
「はなしにみがはいっていないひとのせっきょうはうけなくてもいいとおもう」
「よくない! というか少し位反省の気持ちを見せなさいな。僕軽く記憶とか飛びかけたんだよ? そこんとこわかってる?」
「ことばにこころがこもってない!」
「そういうそっちは反省の気持ちが微塵も籠ってないよね!?」


 まったく、ああ言えばこう言う……いや、何言っても同じことしか言ってない気が……。この子の将来は大丈夫なんだろうか。


 そんなやり取りをすること数分、ドアの方からコンコンとノックの音が鳴った。


「……あ、起きてた! よかったー!」


 入ってきたのは、案の定姉さんだった。やはりというか、今はお昼時なのだろうエプロン姿で、恐らくご飯の準備をしていたと思うべきか。大分仕上がっているようで、いい匂いが開けっ放しのドアの方から漂ってきた。


 しかし、姉さんは安堵した声を漏らし、僕の方に来た。そしてそのまま僕の頭を自身の胸に押し付けながら抱き留める。すさまじい安心感とともに、僕はついその身を任せた。


「全くもう。本当に心配させて。そりゃヨルナが戦闘に対しては天才だってことはお姉ちゃんだって知ってるけど、徹夜しながら、バカみたいなレベリングまでして、なのにもかかわらずボスまで倒しちゃうなんて」
「む、むぐぅ……」
「それに、システムアナウンスまであるんだから、相当強いんでしょ? それを一人で挑んで倒してきちゃうなんて。いや、それはいいんだけど、問題はそのあとよ。いくら楽しいからってこんな無茶はもうやめてよね。ゲーム内はともかく、リアルじゃ普通に倒れるくらいにはヨルナの体力はないんだから」
「むむむぅ、むぐっ……ぐむ、むぅ!」
「いくらゲーム内で動けるからって、まったくリアルでは運動してないんだから、戻ってきたときに現実との疲労の差が激しくて混乱するなんてことも実際にはあったらしいんだし、多少はその辺も考慮しなさい。それに」


 待って、待って、待って。


 死ぬ、死んじゃう。心地よさに揉まれて窒息して死んじゃう。ハーレムラノベの主人公みたく、胸の圧力で死にかけるとか、恵まれてるなとか思わないでもないけど、それが実の姉で、目の前に女子小学生がいて、これが現実と思うとその死にざまは痛くてしょうがないから!


「むぐっ! むぅ!」
「大体いつもいつも、無茶ばかりして肝心なそのあとのことは何も考えないんだから! 家出した時だって、マンションの部屋を借りる方法までは計画してあるのに、その後の生活についてはその時に考えるなんてあほなこと抜かすし、ホントにもう!」
「も、む、むぐ……」


 無意識的に姉さんが撫でているのだろう、掌の感触が頭からして、それで撫でられるたび、まるで極上の絹や最高級のベッドに包まれたような安心感があって、なんとか意識を失わずに済んでいる。


 しかし、それは理性があり、まだ生きている、意識を失わずに済んでいるからであり、それが消えた時、これは逆に諦めを加速するものになるだろう。そうなった時を考えると……。


 ああ……これは……死んだ……。


「ここぞというときに頑張るのはいいけど、ちゃんとそのあとを考えて、計画性を持って行動しなさいよ。今回だって、上手く致命傷は避けていたからよかったものの、一歩間違えたら大惨事なのよ!? 今までだって、例えば小六の時も……」
「……………」


 ああ、かわが、はなばたけがみえる……。


「そうやっていつもいつも無理なことを押し通そうとして、ぐったりと次の日とか寝込むんだから、ちょっとは我慢とか、限界とかを考えて――――って、ヨルナが死んでるぅ!?」


 ああ、さようなら、みなさん、さようなら――――。



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