豪運と七つ星

ノベルバユーザー257653

1-9 記述『苦しまないで』

「兄…さん…?」
「ゆ、柚希…」


柊は言い訳を懸命に探す。脳内のあらゆる記憶を総動員させて、この状況の理由を求める。なんとかして部屋に突然ペンギンが生まれる理由をーー。


(だめだ。どう頑張っても部屋にペンギンがいる理由が生まれない…っ!)


妹に説明するとなると、今日起こった全てを話さなくてはならない。柊はそれを避けたかった。家族を、妹を巻き込んではいけない。可愛げのない妹でも、大切な家族。関わらせては、いけない。


「兄さん…とりあえず、これ、母さんが持ってけって。」
「梨、か。すまない。わざわざ切ってくれたのか。」
食べやすいように小さく切った梨が、皿に並んでいる。柊はそれを見て申し訳ないような、ありがたいような複雑な気持ちになった。やはり心配なのだろうが、「ほっといてほしい」という息子の意を汲んでくれた母親。この梨にはそれでも抑えきれない気遣いと、応援の気持ちが込められているように思えた。扉へ近づき、柊は妹から梨を受け取る。妹もまた、母と同じ気持ちなのだろう。そうじゃなかったら、わざわざここまで持ってくるだろうか。


「兄さんは梨が好きだから。ちょうど梨が出始めた頃らしいわよ。病院の帰りに、兄さんのために買ってきた、って言ってた。感謝することね。そしてわざわざ持ってきた私にも感謝して欲しいわ。」
「あぁ、ありがとう。母さんにも言っておいてくれ。」
「一つ言っておくけれど、これは兄さんのための梨であって、ペンギンのためではないから。勘違いしないように。」


やはり言及しないわけにはいかないらしい。柊は妹の視線の牙に捕らえられ、逃げ出すことはできない。納得いく説明をしなければ引き下がらない、という強い意志をひしひしと肌で感じる。言い逃れは無意味、それでも柊は足掻いてみる。知らぬが仏、これは妹のためでもあるのだと言い聞かせて。


「ペンギンのことは…気に、するな。」
「わかった。気にしない。」
「ーーは?今なんて?」
「気にしないと言ったのよ。耳が弱ったのかしら。これだから老人は困るわね。」
世の中のご年配の方々に非常に失礼極まりない発言だ。それにしても随分と物分かりがいい。柚希はこんなに素直な子だったか?と柊は内心首を傾げる。
「兄さん、少し、いいかしら。」
柊の返事を待たずに、妹はペンギンなど目に入らないかの様子でズカズカと部屋に入り、ベッドの縁に腰かけた。柊はそれを見て何か話があると判断し、梨の皿を机に置き、側にある椅子に横向きに座る。柊にまっすぐ身体を向けている妹だが、柊は妹に正対する姿勢を取れない。横向きに座ったのは、そんな彼の弱さだった。


「兄さん」
「……」
「私は、兄さんが心配です。」
柊は驚いて妹を見た。珍しく、妹の本音が聞けた気がしたのだ。いつもとはどこか違う、余裕のない声だった。いつも憎まれ口や上っ面な言葉で会話する妹が、柊とよく似た性格の妹が、心の声を口にした。柊は今度は顔だけはしっかりと妹を向き、真剣に聞く姿勢を見せる。兄として、妹の真剣な態度を、キチンと汲んでやりたかった。


「兄さんは、何をしようとしているの。」
「何って、別に…」
「兄さんは、何に悩んでいるの。」
「何も悩んでいない。お前が心配することじゃない。」
「…心配になるに、決まってるじゃない。」


妹は声を震わせる。妹の目から、涙が溢れる。妹の涙を見たのは、何年ぶりだろう。柊は言葉を失った。こちらを睨みながらも、はらはらと涙を流す妹は、酷く儚げに見えた。柊は短く息を吸うが、次の言葉が出てこない。俺は、どうすればいいのだろうか。何をすればいいのだろうか。目の前で涙を流す妹に、なんの言葉もかけてやれない。無力だーーあまりに無力だ。柊は自らを戒めるかのように強く、強く唇を噛んだ。


「兄さんは、いつも、いつも一人よね。私に頼るなんて、考えもしなかったんでしょう?兄さんが苦しんでいるのなんて、すぐにわかった!当たり前じゃない。私は兄さんの妹、家族なのよ。ずっと、ずっと一緒にいたじゃない。心配、なのよ。私、兄さんがとても、今までにないくらい辛い思いをしているのがわかる。少しは、頼ってくれても、いいじゃない…」


酷い顔だ。仮面が落ちれば、こんなに弱く、縋るような顔をしてしまうのか。いや、俺は妹を、柚希を、見てなどいなかったのだ。兄妹など、一番近い他人くらいにしか思っていなかった。大して会話もしなければ、したとしてもつまらない、当り障りのないものばかり。


急に柚希の態度が変わったのは、それほど兄の態度が変だったということだろう。
そしてそれにちゃんと気が付いたということだ。


柊は逆の立場なら気が付けただろうか。いやーー無理だ。柊は妹など見てはいなかったのだから。だが柚希は、俺を見ていた。俺の身を案じてくれる。苦しんでるのを、見てくれていた。それでも、俺は、俺は、俺はーーどうしろと、どうしろってんだよ。妹は頼ってくれと言ってくれる。それに甘えてしまっては、妹は不幸になるかもしれない。でも…!ここまで言ってくれる妹に、何かーー




「やはり、何も言ってくれないのね、兄さんは。」




俯く妹から痛々しげに目をそらす。それでも何か言葉を探そうと口だけを動かす。
「俺、は…」
「わかってはいたのよ。兄さんは私を危険なことに巻き込むことはしないでしょう。それが兄さんなりの、私への思いやりだとも、わかってるつもりよ。でも、でもね。私だって、何か力になれたら、って思うのよ。苦しんでる兄さんは、見たくないの。」


静かに告げられる妹の思いが、柊の全身に響く。こんな風に感情を吐露するのはカッコ悪い、全て押し殺してこそ大人だと、そう思っていた。他人に弱さを見せるのは論外だと。それでも、今の柊は妹の告白を聞いて、そんな風には全く思わなかった。違う、俺は少し間違っていたのかもしれない。深い絆は、全てを見せ合ってこそ生まれるのだろう。そこには衝突も生まれようが、結果的にそれも絆へと終着するのだろうと。


「ごめんなさい、私、勝手なことばっかり言って。こんなこと言っても、困るだけよね。」
「いやそんな…」
「少し、意外だったでしょう?私があんなこと言うなんて。」
柊柚希は涙を手で拭って寂しげに笑った。その笑顔が、柊翔の心を更に締め付けた。
「人は、キャラじゃないのよ。兄さんはアニメとかマンガとか好きみたいだけれど、現実の人間の性格は一言で示せるものではないのよ。みんな、いろんな思いを、内側で抱えているのよ。」


言葉足らずで、論理的でもない。しかし柊の心に刺さる一言だった。確かに、ツンデレ属性とか姉属性、天然属性やアホ属性……そういうキャラ付けで人を無意識に他人を捉えていたかもしれない。妹の柚希のことも、生意気で強気な面が全てだと思っていた。彼女の内面の弱さなど、考えたことすらなかった。まさか妹に教えられることがあるとは思ってもみなかった。柚希は俺の知らないところで、随分と大きく成長したようだ、と柊は心なしか嬉しく思う。
「人はキャラじゃない、か…」
「兄さんには、私の気持ちを少しはわかって欲しいと思ったのよ。離れ離れになる前に。」
「離れ…離れ?」
柊の身体はいつのまにか、妹へまっすぐ向けられている。本人はそれに気づいてすらいなかったのだが。
「私、兄さんの身に何が起こってるのかは知らない。でも、どこか、兄さんが遠くへ行ってしまうような、そんな気がするのよ。」
「大丈夫、大丈夫だよ柚希。俺はいなくならないよ。必ずこの家に戻ってくるから。」
「本当に…?約束、だからね…?」
「ああ」




伸ばされる小指に自分の小指を絡ませる。
何があろうとここに帰ってくる。


約束だ。


俺はちゃんと、戻ってくる。




「そう。じゃあ、私は行くわ。梨、食べなさいよ。」
「ああ…柚希。」
「何?」
ドアの取っ手に手をかけた妹を呼び止める。信じられないほど素直に妹は振り返った。柊は情けない笑顔を浮かべて、ようやく本心を口にする。


「ごめんな、何も、話してやれなくて。ヤバくなったら、きっと、お前を頼るから。」


妹はその言葉に大きく目を見開いて、慌てて後ろを向く。腕で溢れそうになる涙を抑え、再び兄へ振り向いた。


「本当に、頼りない兄さんなんだから。」


見たことのないほどの眩しい笑顔だった。その満面の笑顔に、柊は深く感動した。この気持ちは、なんなのだろう。なんと表現すればいいのだろう。知らなかった、感じたことのなかった、感じようともしなかったこの気持ちは、なんて名前なのだろう。妹が部屋から去っていく。心配するな。俺は、ここにいる。いなくなるのは俺じゃなくて、ドッペルゲンガーの方なんだから。この力でも、手に入ったピストルでも、簡単に葬れる。柚希、お前の笑顔を消しはしない。お前の笑顔の元にまた帰ってくる。絶対に。


(ピストル…)


ピストルはベッドの端に転がっている。さっき妹が座っていた場所のすぐ近くに。
気づいていたのか、気づいていないのか、わからない。
でもなぜか、どちらでもいい気がした。気づいていても、妹はもう何も言わないだろう。俺にも、ほかの人にも。手に入れた力で妹の口を封じたり、記憶を消したりできるのかもしれないが、そうしたいとは思わなかった。妹には、力を使いたくなかった。妹とは、これから正面から向き合っていきたいと思った。


柊は机に置いた、母が切り妹が運んだ梨を食べる。
「あぁ、うまいなぁ。」
一口、二口と口に入れる度に、涙が一滴、二滴と垂れる。こんなに美味しかっただろうか、梨というものは。この果物には言いようもないほどの膨大な愛が込められている。




食べ終わり、皿を持って立ち上がる。下の階に行って、母さんに礼を言おう。そう決意した柊の目に、二匹のペンギンが映る。


(すっかり忘れてた…そういえば妹も全く気にしてなかったな…かなり異常な光景なのに、二人ともどうかしてたな)
「お前ら、南極に帰れ。」
刹那、二匹のペンギンが部屋から消える。と同時に柊は意外そうに部屋を見渡した。
「おかしいな、さっきも似たようなこと言ったはずなのに。どうしてさっきは効かなかったのに、今は効いたんだ?」
微かな疑問が頭を過るが、あまり気にしない事にした柊。問題は解決したんだ、今はそれでよしとすべきだろう。


柊は空になった皿を持って、自室を後にしたーー滅多に見せない、晴れやかな表情で。



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