シルバーブラスト Rewrite Edition

水月さなぎ

7-9 それぞれの思惑 3


 そしてキサラギ本家では……

「……何をしているんだ?」

 お土産を持ってやってきたマーシャは、目の前で黒髪の男達にフルボッコにされているタツミの姿を見て、呆れた視線を向けていた。

「ぐはっ! うぐっ! てめえらいい加減に……ぎゃあああーーーっ!!」

「うるせえっ! 一度ならず二度までもお嬢に不埒な真似をしようとしやがってっ!」

「そうだそうだっ! 反省しろこの野郎っ!」

「つーかいっぺん死ねっ!」

 げしげしげしげしっ!

「ぎゃあああああーーーっ!!」

 庭先で痛めつけられるタツミは、憤慨する男達に逆らえないまま悲鳴を上げるしかない。

 それをにこにこしながら見つめているのは、駄犬タツミの飼い主であり、キサラギの当主でもある美少女、ランカ・キサラギだった。

「マーシャ。思ったよりも早かったわね。あ、この駄犬の事は気にしなくていいのよ」

 にこにこしながら言うランカが少し怖い。

「気にするなって言われてもなぁ。一体この馬鹿は何をしようとしたんだ?」

 マーシャが尋ねると、ランカはぷくっと頬を膨らませた。

「戻ってくるなり、私にもう一度キスしようとしたのよ。許可も得ずにね」

「うわぁ……それは……うん……反論の余地無くフルボッコでいいと思う」

 あの時のびんたからまったく反省していない。

 もっと蹴られていいと思う。

「でしょう? 幸い、今回は未遂だったけれど」

「そうなんだ」

「そうよ。そう簡単に何度も奪われてたまるものですか」

 ぷくっと頬を膨らませながらも、そこに少し赤みが差しているのは、目の錯覚ではないだろう。

 内心では嬉しくても、それを表に出すのは悔しい、という心境なのかもしれない。

 素直にそれを言うとタツミが調子に乗るのは間違いないので、それはそれで正解なのだが。

「調査の方は捗った?」

「うん。結構捗ったよ。クロドも釈放して貰えることになったし、今回はこれで一段落かな」

 自分達の兼については一段落だとマーシャは判断している。

 後はキサラギの問題が残っているが、これについても出来る限りのことはしたつもりだ。

「はい。これお土産」

 そう言ってマーシャが渡したのは、大きなトランクだった。

「ありがとう。開けてもいい?」

「うーん。ここでは止めた方がいいかも」

「そうなの?」

「アンチミア・バレットが大量に入っているから」

「………………」

 つまり、銃弾が詰まっているらしい。

 玄関先でそんなものを開けたら、ご近所様に何事かと思われるのは必至である。

「分かったわ。どうもありがとう」

「どういたしまして。あ、こっちはお土産らしいお土産の方」

 もう一つ持っていた紙袋の方を渡す。

 小さな紙袋に入っていたのは、ミスティカで購入した有名菓子店の米菓子だった。

「あ、美味しそうっ! ありがとう、マーシャ」

「どういたしまして。ところで、そろそろタツミが死にそうだけど、放置でいいのか?」

 未だにフルボッコされまくっているタツミに視線を移す。

 そろそろ本当に死にそうだった。

「いいのっ! あれぐらいで死ぬような奴じゃないものっ!」

「そうか……」

 まあ、確かにあれぐらいで死ぬとは思えない。

 ランカお嬢ファンクラブの男達の恨みは、あれぐらいでは晴れないということだろう。

 今は好きにさせた方がいいのかもしれない。



 ランカは早速お土産の中身を確認していた。

 米菓子の方も気に入ってくれたが、やはりアンチミア・バレットの方を真剣に眺めている。

 自分達の生命線になるかもしれないのだから、当然の反応だろう。

「一応、そっちで使っている銃の規格に合わせたつもりなんだけど、大丈夫そうかな?」

「ええ。普通に撃ち込んで大丈夫なのよね?」

「もちろん。弾丸が身体に当たると薬品が入り込む仕様になっているから。もちろん弾丸としての威力も少しはあるから、心臓に当たれば流石に死ぬだろうけどね」

「そこはもう割り切っているわ。でも気遣ってくれてありがとう」

「別にそういう訳じゃないけど……」

 マーシャは気まずそうに口ごもるが、なんとなく、ランカが人を殺すのは避けた方がいいと思ったのも確かだ。

 人の醜い部分と正面から向き合って、それでも清廉であろうとするこの少女に対して、出来るだけ穢れて欲しくないと思ってしまう。

 これは友達に対する感情なのか、それともランカという少女がそういう気持ちにさせているのか、マーシャにはよく分からなかった。

 だけど自分の気持ちには正直でありたいと思っているので、それについて深く考えることはせず、思ったままに行動している。

「これは銃ほどの発射速度が無くても大丈夫なの?」

「ん? どういう意味だ?」

 ランカの質問の意味がよく分からなくて、首を傾げるマーシャ。

「お恥ずかしい話なのだけれど、私、銃を扱うのは苦手なの」

「え?」

 マフィアの当主としてそれはどうかと思ったのだが、マーシャが考えたのとは少し違う理由のようだ。

「銃に対する忌避感がある訳ではないのよ。射撃練習もしたことはあるのだけれど……」

 気まずそうにもごもごするランカは、どうやら言いにくいことを口にしようとしているようだ。

「?」

「その……ノーコンなの……」

「へ?」

「……当たらないの。的に」

「………………」

 つまり、射撃がド下手ということらしい。

「タツミも銃ではなく棒をメインアームにしているけれど、あれだって銃が苦手だから、というのもあるのよ。私もタツミも、どうしても的に当てられないのよ……」

 うぐぐ……と無念そうに唸るランカ。

「ええと……その……」

 なんと言っていいのか分からず、困ってしまうマーシャ。

 慰めは逆効果だろうし、かといって気休めも言えない。

「なら、針に無効化薬を塗っておく?」

 ランカが無効化薬を利用しようと思うのなら、自分の得意な武装に塗っておくというのが一番いいような気がした。

「それも考えたけれど、私の場合、どうしても経穴を狙う癖が付いちゃっているのよね。そこに薬品まで塗布したら、どんな反応が引き起こされるか、分からないわ」

「……そうか。それは少し危ないかもな」

「ええ。それに銃が苦手というだけで、遠隔攻撃手段が無い訳ではないの」

「そうなのか?」

「ええ。この弾丸、少し使ってもいいかしら?」

「いいけど。どうするんだ?」

 銃には弾を込めていない。

 その状態で弾丸をどうやって使うのか、マーシャにはさっぱり分からなかった。

「まあ見ていて。ちょうどいいから試してみるわ」

 アンチミア・バレットを二つ、手のひらで転がしながら、ランカは縁側の柱を睨みつけた。

「?」

 何をするつもりなのだろう、と興味深そうに見つめるマーシャ。

 ぐっと二つの弾丸を握り込んで、そして可愛らしい声で「やあっ!」と言った。

「っ!?」

 マーシャがその現象を理解するのに、たっぷり五秒ほど必要とした。

 ランカの右手から発射された二つの弾丸は、縁側の柱に二つの染みを作りだしている。

 床には薬莢が転がっていて、太陽の光にキラキラと反射している。

 柱の浸み部分には微妙な凹みがあり、かなりの圧力を加えられた事が分かる。

 ランカは薬莢を二つ拾い上げて、自らが作った染みと凹みを観察する。

「……やっぱり威力が少し心許ないわね。特殊コーティングされている薬品であって、鉛ではないのだから仕方無いわね。人体を貫通は出来ないけれど、体内に薬品を入れるぐらいならこの威力でも大丈夫かしら……」

 ふむふむ、と頷きながら冷静に分析している美少女。

 マーシャは唖然としながらも、今の技について質問した。

「それは、何だ?」

 振り返ったランカはにっこりと笑って、二つの薬莢を手のひらで弄んだ。

「射撃技術の代わりに身につけたものなんだけれどね。手から礫を高速発射させるものよ。手裏剣とか、投擲とか、そういう技術に類するものだと思うのだけれど。普段は鉛玉を利用しているの」

 懐から取り出したのは、鉛で出来た弾だった。

 それを今度は庭にある岩に狙いを定めて発射する。



 ビシビシッ!!



 そんな音を立てて、今度は鉛玉が岩にめり込んだ。

 今度は弾そのものに十分な強度があるので、岩をも破壊する威力が生まれたのだ。

 これが人体に向けられたらと思うとぞっとする。

「……凄いな」

「銃が扱えたら、身につけなかった技術かもしれないけれどね」

「いやいや。武器チェックに引っかからない分、そっちの方が有用性が高いから」

「そうかしら? 射程はそれほど長くないのよ」

 それはそうだろう。

 火薬によるブースト発射ではなく、あくまでも指の力による人力発射なのだから。

 飛距離に差があるのは当たり前だった。

「どれぐらいなんだ?」

「確実に人体にダメージを与えようとするなら、二十メートルが限界かも」

「……十分だと思う」

 拳銃の有効射程が五十メートルほどである事を考えると、指の力のみで発射する鉛玉がその三分の一すらも越えているというのは十分過ぎる。

 脅威ですらあった。

「この弾丸だと鉛玉とは形状が違うから、射程は少し下がるけれど」

「それなら鉛玉に薬を塗布すればいいんじゃないのか?」

「それは名案だわっ!」

 大喜びで手を叩くランカ。

 これで問題は解決した、と大喜びだった。。

「ところで、タツミも射撃が苦手だっていう事は、同じように鉛玉を手で発射するのか?」

「ううん。これはタツミが居なくなってから身につけた技術だから、同じようには出来ないと思うわ。タツミはナイフの投擲が得意だった筈だし」

「へえ……」

 お互いに遠距離攻撃手段は持っているという訳だ。

 拳銃という間接的な道具を使うよりも、己の身体で調節出来る鉛玉や投擲武器の方が性に合っているということなのだろう。 

 或いは、己の身体を十全に使えるからこそ、間接的な道具を使った攻撃が苦手なのかもしれない。

 そしてマーシャは少しだけ好奇心を刺激されてしまう。

 凄い使い手を見ると、胸がざわざわしてしまうのだ。

 嫌な感じではなく、ワクワクした感じの気持ち。

 つまり、自分もやってみたい。

「ランカ」

「何?」

「それ、私にも教えてくれないかな?」

「それって?」

「鉛玉の発射。面白そう」

「マーシャは射撃も得意でしょう? こっちの技術はあまり必要無いと思うのだけれど?」

「だから、興味本位だよ。駄目かな?」

「教えるだけなら構わないわよ」

「やったっ!」

 マーシャは大喜びで尻尾をぶんぶんと振った。

 銀色の瞳は嬉しそうにキラキラしている。

「といっても、これは反復練習で身につく技術だから、私が教えられるのは基本的なやり方だけになるけど、それでもいい?」

「もちろんっ!」

 それなら、という事でランカは鉛玉の握り方、指の動かし方、力を解放するタイミングなどを簡単に教えて、そして目の前で再び実演して見せた。

 それだけのことだが、それ以上の事は教えられなかった。

 理屈ではなく身体で覚えることなので、それ以上を言葉にするのは不可能なのだ。

「ははあ~。なるほどね」

 マーシャは基本的なことだけを教わって、後は渡された鉛玉で実践してみる。

「はっ!」

 気合いの入ったかけ声と共に、手から鈍り玉が発射される。

 岩に当たったそれはめり込むことなく、弾き返されて地面に転がった。

「ありゃ。威力が出ないなぁ」

 初めてなので、やはり威力を載せる事が出来ず、不満そうにぼやくマーシャ。

「………………」

 しかしランカは微妙な表情で庭に降りていき、岩の状態を確認する。

 マーシャが当てた部分には、僅かな罅が入っていた。

「……マーシャ。初めての試射でこの結果なのに、不満を口にするのは酷いわよ」

「え?」

「私が鉛玉の訓練を始めて、岩に罅を入れられるようになるまでは二年もかかったのよ」

「あ……うん……ほら、私は元々の力が強いから……さ……」

 ちょっぴり恨めしげに、涙目で睨まれると弱るしかないマーシャだった。

 美少女にこんな表情をさせてしまうと、罪悪感が半端ない。

 しかし少しコツを教わっただけでそこまで出来るのだから、やはりマーシャの天才性は凄まじいものがある。

「う~。悔しいけど、まあいいでしょう。それよりもお礼をしないとね」

「え?」

「え? ではなくて。この無効化弾丸のお礼よ。解析や開発、材料費も含めると結構なお金がかかったでしょう? 費用はもちろん請求してくれて構わないし、お礼も上乗せしないとね」

「うーん。お金には困っていないから別にいいんだけどな」

「そうはいかないわ。施しは受けたくないもの」

「それならお金じゃなくて物がいいな」

「何か欲しい物があるの?」

「せっかくだから、着物を何着か見繕って欲しい。ランカが着ているのを見ると、私も色々と着てみたくなるし」

「あらっ! それは名案だわっ! マーシャに似合いそうな物を張り切って選ばせてもらうわねっ!」

 嬉しそうに手を叩いてはしゃぐランカ。

 頭の中では既にあれこれと、マーシャに着せたい着物のイメージが湧いているらしい。

「もちろん尻尾の穴も開けておくわっ!」

「……そこは別に拘らなくてもいいんだけど」

「いいえっ! マーシャに着せるなら尻尾は出さないと駄目よっ!」

「えー……」

 そこまで力説されても……と困るマーシャ。

 しかし嬉しそうなランカを見ると、水を差すのも悪い気がしてくる。

「でも本格的に着物を選ぶなら、サイズを合わせないとね。後で採寸させてくれるかしら?」

「それはもちろん」

「ふふふ。楽しみね」

「なんで採寸が楽しみなんだ?」

「尻尾のサイズも採寸するからよっ!」

「それは明らかに採寸関係無いぞっ!」

「そんなことはないわよ。尻尾径をきっちり測ることにより、尻尾穴をアジャストさせられるじゃない」

「適当でいいよっ!」

「そういう訳にはいかないわ」

「何でっ!?」

「面白いから♪」

「………………」

 もう好きにしてくれ……と脱力するマーシャ。

 レヴィに再会してからは、ロッティの外にもこのもふもふを好意的に捉えてくれる相手ばかりに巡り会うので、嬉しいやら脱力するやらで複雑なマーシャだった。



 その日の食事は、キサラギ本家の料理人が腕によりをかけたものになった。

 新鮮な生魚の刺身や、丁寧に出汁を取った煮物や和え物などの繊細な味の和風料理がずらりと並ぶ。

 それらの料理に舌鼓を打ちながら、マーシャ達は今後の予定を話し合っていた。

 どうしても伝えておかなければならないことを、まずは切り出す。

 迎撃衛星とその乗っ取り、それによる軌道上からの超長距離狙撃の可能性についてだ。

「……そんなこと、本当に可能なの?」

 その話を聞いたランカは、難しい表情で考え込む。

 迎撃衛星は文字通り、その惑星の絶対守護を担うものであり、それは国の所有物であって、個人の好きにしていいようなものではない。

 その防壁は強固極まりないし、それ以前に、そんなことをしてしまえば惑星リネスそのものを危険に晒してしまうと分からない筈が無い。

 迎撃衛星の私物化など、普通は考えない。

 ランカは可能性としてすら考えなかった。

 だからこそ、ラリーがそこまでするとは思いたくなかったのだろう。

「プログラムを見た限りだと、遠隔コントロールは可能になってる。迎撃衛星はメンテナンススタッフ以外は無人の筈だから、直接のコントロールにはほとんど干渉しない。だから異常に気付いた時にはもう遅い」

「………………」

「ランカ。考えたくないからって、可能性を否定したら駄目だ。権力や支配力に取り憑かれた人間っていうのは、それを守る為や手に入れる為なら、どんな酷いことだってやるんだ。常に最悪を考えておかないと、手遅れになる」

「……まるで、何度もそんなことを見てきたような言い方ね」

「見てきたし、経験もしてきた。だから分かるんだ」

「………………」

 マーシャがどんな人生を送ってきたのか、ランカには分からない。

 だけど伏せられた銀色の瞳に垣間見えた哀しみや苦しみ、そして怒りや憎しみはランカにも伝わったようで、ちくりと胸の奥が痛んだ。

 亜人という種族に対して、全ての人間が友好的ではないことも簡単に想像出来る。

 しかし詳しく想像したりはしなかった。

 何も知らない自分に、そんなことをする資格は無いと思ったからだ。

「ラリーはどのタイミングで攻めてくると思う?」

「多分、もうすぐだと思うわ。武装や、それに例の麻薬がラリーの元に集結しつつあるしね。最終決戦は近い筈。だけど、こちらも負けるつもりなんてないわ。どういうタイミングで仕掛けてくるかまでは分からないけれど、出来る限り警戒は続けるつもりよ」

「そうだな。私も出来るだけ手を貸そう」

「いいの?」

「ここまで関わったんだから、見捨てられる訳がないだろう。迎撃衛星の方を何とかしてみるよ。ハッキングして、プログラムの修正をしてみるつもりだ。うちには腕利きの電脳魔術師《サイバーウィズ》が二人もいるんだからな」

 ふふん、と得意気に笑うマーシャは二人の電脳魔術師《サイバーウィズ》を見た。

「任せるですよ~」

「僕たちに不可能は無いしね」

 子供達はえっへんと胸を張った。

 小さくとも頼もしい電脳魔術師《サイバーウィズ》達は、今回も大活躍してくれるだろう。

「ありがとう。お言葉に甘えて、そちらは任せるわね」

 ランカもここで遠慮したりはしなかった。

 ここで意地を張っていてもいいことは何も無い。

 迎撃衛星による超長距離狙撃が実行されてしまえば、多くの人間が犠牲になってしまう。

 それだけは何としてでも避けなければならなかった。

 だから手を貸してくれるというのなら遠慮無く貸してもらい、後からめいっぱい恩返しをすればいいのだと考える。

「とりあえず、明日からシルバーブラストで軌道上に待機して、二人にハッキングを仕掛けて貰うよ。妙な動きをしたら、実力行使で止めてみせるから安心していい」

「破壊はしないでね。あれも一応、この星を護る為の大事な盾だから」

「そうしたいところだけど、でも衛星一つで多くの人命が守られるなら、破壊した方がいいんじゃないか?」

「なら、出来るだけ止める方向で。どうしようも無い時の判断は任せるから」

 最も優先しなければならないのは人命であり、迎撃衛星ではない。

 それは破壊されたとしても、残りの迎撃衛星でカバー出来るからだ。

 壊れた物は作り直せばいい。

 だけど、失われた命は二度と取り戻せない。

 ランカの中で、その優先順位だけははっきりしていた。

「了解」

「今日はゆっくりしていってくれるんでしょう?」

「もちろん」

「良かった。新しい浴衣も用意してあるのよ。マーシャ専用の」

「……専用?」

「だって尻尾穴がついているもの」

「………………」

「うちの専用仕立て職人は腕もいいからね。私の着物や浴衣を一杯作ってくれているの。その人にマーシャの浴衣をいくつか作ってくれるように頼んでおいたのよ」

「えーと……つまり、それを着ろと……?」

「嫌なの?」

 可愛らしく首を傾げるランカ。

 上目遣いの美少女に逆らえる強者は、この場所には誰一人として存在しなかった。



 それからガールズトークで盛り上がったり、露天風呂に入ったりと、それなりに楽しい時間を過ごした。

 ランカはマーシャだけではなく、レヴィやシオンたちの浴衣も仕立ててくれていたようで、それぞれに似合う色や柄を着せてくれた。

 シオンやシャンティの浴衣姿は可愛らしかったし、オッドもなかなか似合っていたのだが、レヴィは顔立ちの性か、和装が致命的に似合わなかった。

「……あれ? 何でだ?」

「うーん。私にも分からないけど、似合ってないな」

「うぅ……」

 二人して首を傾げるが、相性の問題にしておこう、という結論で落ちついた。



 そして今夜もランカとマーシャは同じ部屋で眠ることになった。

 布団は二つ敷かれているが、ランカはもぞもぞしながらマーシャの布団に潜り込んできた。

 そのままぎゅーっと抱きつかれたので、マーシャもランカのつややかな黒髪を優しく撫でた。

「ランカは意外と甘えん坊なのかな。タツミや他の人たちの前では凜としてて格好いいのに」

「そうかもしれないわ。マーシャと一緒にいると、無性に甘えたくなるのよね。どうしてかしら?」

「私に訊かれても分からないぞ」

「ふふふ。そうね。きっとこんな風に、誰かに甘えた経験が無いからかもしれない」

「そうなのか?」

「私が覚えている限りではだけど。小さな頃から私はキサラギの跡取りで、人の上に立つことが決まっていたから。父さんは立派な人だったし、私を大切にしてくれたけど、でも甘やかそうとはしなかった」

「お母さんは?」

「私が覚えていないぐらい小さな頃に、ラリーとの抗争に巻き込まれて……」

「そうか……」

 ぎゅっと、ランカを抱きしめる腕に力を込めた。

 大切な友達の寂しさが、少しでも紛れるように。

「今までは誰かに甘えたい、こんな風にしたいって、思った事は無かった気がするの。いつでもしっかりと、凜として立っていなきゃいけないって、ずっとそう思ってた。タツミが居なくなって、父さんが死んでしまって、私は一人になったから。もちろんキサラギの仲間達は一緒に居てくれたし、力にもなってくれたけど。でも私にとって、彼らは護るべき存在であって、弱音を吐いたり、縋ったりしていい相手ではなかったから」

「………………」

 たとえ部下がそれを望んでくれたとしても、人の上に立つ人間は、常に堂々としていなければならない。

 それが尊敬する父の教えであり、ランカ自身も共感出来る考え方だった。

 だからこそ、ランカは今までその通りにしてきたのだろう。

 それはタツミに対しても同じ事で、ランカは今まで誰にも弱いところを見せられなかった。

 しかしランカ自身の内面はかなりの甘えん坊で、寂しがり屋で、繊細な少女でしかないのだ。

 それなのに、ずっとその気持ちを押し殺してきた。

 だからこそ友達になってくれたマーシャに対しては、本当の自分を見せているのかもしれない。

 凜としたキサラギの当主ではなく、年相応の、もしかしたらそれよりもずっと幼いかもしれない、少女としての姿を。

 そんな少女の脆さと儚さを可愛いと思いながらも、それでもマーシャはこのままではいけないと思って、ランカに言い聞かせる。

「ランカ。私達は友達だけど、でも私はずっとランカの傍に居てあげられる訳じゃないんだよ。この件が片付いたらまた宇宙に戻るし、会えることも少なくなると思う。私だけにそんな弱さを見せてくれるのは嬉しいけどね。でもランカは私だけじゃなくて、他の人間にもそれを求めるべきだと思う」

 それを求められる相手は、きっとすぐ傍に居る。

 いつも傍に居てくれて、誰よりも彼女を想ってくれている。

「分かっているの。それは分かってる。でも、私はタツミに酷い事をしてしまったから。ずっと頼り続けて、これからも頼り続けたら、いつかタツミは私の為にもっと酷い事になってしまうかもしれない。私の所為で八年も犠牲にしたのに……これ以上、タツミから何一つ奪いたくないのに……」

 十二人を殺して、八年を犠牲にした。

 それがタツミに対するランカの負い目なのだろう。

 タツミがそれを全く悔いていないことは、ランカにも分かっている。

 だけど、そんなタツミの気持ちに甘え続けたら、いつか取り返しの付かないことになるという確信があった。

「タツミはそれを犠牲だなんて思っていない筈だよ」

「分かってる。でも、これ以上は無理なの……」

「どうして?」

「怖いから」

「でも、ランカが受け入れなくても、きっとタツミはランカを助けようとするぞ。その結果、また同じ事になるかもしれない」

「………………」

「一度は言おうとしたんだろう? だったらもう一度頑張ろう」

「……言おうとしたけど、でもあれはタツミが」

「うん。あれはタツミが悪い。馬鹿すぎる」

「そうよね。やっぱりそうよね」

 うんうん、と納得するランカ。

 自分を正当化出来て嬉しいのだろう。

 だけどそれは、臆病さを否定する理由にはならない。

「でも、もう一度頑張ろう。自分から言わないと、きっとタツミはランカを頼ってくれないよ」

「………………」

「いっぱい負い目があったとしても、その分、気持ちを返してあげればいいんだよ。大好きだっていう気持ちをね。それだけでタツミはもっと頑張るだろうし、ランカは今以上に頑張れるよ。頑張らなきゃって気負うんじゃなくて、頑張りたいって思えるようになるよ」

「そう……なのかな……?」

「そうだよ。それにタツミはもっとランカに頼って欲しいって思っているよ。弱さも脆さも見せて欲しいって思っているよ。見せてくれたら力になれるのにって思っている筈だよ」

「………………」

「だからもう一度頑張ろう。タツミに、ちゃんと気持ちを伝えよう。そうしたら、ランカはきっと大丈夫だから」

「……頑張るけど、また邪魔されたら自信が無いかも」

「うーん……」

 それは否定出来ないなぁ……と微妙な表情になるマーシャ。

 タツミ本人のアホっぷりは、もう直しようが無いレベルだ。

 告白を台無しにしようとした訳ではないのだろうが、彼はランカとは逆に自分の気持ちに正直過ぎる。

 恋人になりたいという願望の前に、犬になりたいという変態的欲求があるのだから始末に負えない。

「いっそのこと、犬を飼うぐらいの気持ちで付き合ってみるのは?」

「……犬に弱さとか脆さとか見せたくないわよ」

「それもそうだよなぁ……」

 マーシャだってそれは嫌だ。

 自分に出来ない事をランカにやれというのも酷な話だ。

「ならいっそのことランカから攻め込んでみたら?」

「え?」

「だから、この前はキスされたんだろう?」

「うん」

「今度はランカからキスしてやったらいい。強引に、押し倒す勢いで」

「押し……っ!?」

 淑女として育てられた少女には過激な表現だったのだろう。

 真っ赤になって、ぎゅーっとマーシャの胸にしがみついた。

 動揺している顔を見られたくないのかもしれないが、一瞬の表情をマーシャはしっかりと見ているので、既に手遅れだ。

「主導権を握ってしまえばいいんだよ。そうすれば勝手な真似は出来なくなるし」

「……あのタツミを相手にして、主導権を握るのは、凄く難しい気がするわ」

「それもそうか……」

 暴走駄犬相手に主導権を握ろうと思えば、自分も同じぐらい暴走しなければならないかもしれない。

 しかしランカはそんなことが出来る性格ではない。

「なら、その性格も含めて受け入れたら?」

「うぅ……難しいかも……」

「そう? だってその性格も含めて好きなんだろう?」

「………………」

 それも否定出来なかった。

 タツミが好き。

 その気持ちだけは、何があっても変わらない。

 何度も諦めようとしたけれど、どうしてもこの気持ちだけは消えなかった。

 だからこの気持ちを抱えたまま、ただ傍に居られればいいと思ったけれど、それでは駄目だという。

 ランカにも弱音を吐いたり憤ったりする相手が必要なのだと。

 マーシャという友達にそれをしてしまった今、ランカはその存在を狂おしいほどに求めている。

 いつも傍に居てくれる訳ではない友達だけではなく、ずっと傍に居てくれる相手にそれを求めてしまう心を止められない。

「が、頑張ってみるわ」

 ぐっと両の拳を握りしめて決意するランカ。

 一体どのように頑張るつもりなのか、具体的なことは何一つ決めていないのだろう。

 それでも頑張るつもりなのだ。

 前に踏み出して、今とは少しだけ違う関係を望む為に。

「その意気その意気」

「だからちょっとパワーをちょうだい」

「え?」

 ランカの両手がマーシャの尻尾に移動した。

 さわさわもふもふされている。

「……パワーチャージされるのか? それで?」

「されるわよ~。ああ気持ちいい♪」

「………………」

「頬ずりしてみたいのだけれど、駄目かしら?」

「駄目だっ!」

「レヴィさんはしているでしょ?」

「あのもふもふマニアと同じ真似はするなっ!」

「私ももふもふマニアになりたいわ」

「ならなくていいからっ!」

 二人はじゃれ合いながら、楽しい夜を過ごすのだった。

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