シルバーブラスト Rewrite Edition
5-7 加速の先にある世界 3
私はグラディウスの操縦席に乗り込んで、大きく息を吸う。
私の飛びたい道。
駆け抜けたい空。
それを教えてくれたオッドさん。
その全てが私を満たしていく。
「今なら、きっと飛べる」
操縦桿を握り、ぐっと前を見据える。
一気に飛翔してから、浮島へと突入した。
それは、戦いだった。
今までとは違う飛び方に対する恐怖。
死ぬかもしれないという恐怖。
危険な場所を、更に危険な飛び方で駆け抜けていく。
レーサーならば絶対に選ばない道。
そんな危険をくぐり抜けていく。
怖くて震えそうになる。
だけど、同時にワクワクしている。
恐怖と、興奮。
負けないように、押し潰されないように、今居る心の場所からほんの少しだけ前へと踏み出す。
とても怖いけれど、少しだけ誇らしい。
その気持ちを明確に感じ取って、分かったことがある。
きっとこれが『勇気を出す』ということなのだろう。
勇気を出して、恐怖と戦い、望む結果に少しずつ近付いていく。
これが、夢に向かうということ。
それに最も近付いた瞬間こそが、夢を叶えるということなのだろう。
「あははっ! そうかっ! そうなんだっ!!」
操縦桿を握ったまま、私は新しい世界を手に入れた。
動きが一気に変化するのが自分でも分かる。
今まで見えなかったものが見えてくる。
今まで魅せてくれなかった景色が、私を友人のように受け入れてくれる。
速度がぐんぐんと上がり、そして浮島はまるで道を空けてくれるように並んでいるように映る。
新しい世界を手に入れようとしている私を、迎え入れてくれるように。
私はきっと、この『世界』と仲良くなれる。
★
「掴んだな」
動きが一気に変わったシンフォを見て、俺は呟く。
彼女が自分だけの世界を手に入れた瞬間。
それを見届けられた。
俺の目的はこれで果たされたと言える。
「動きが良くなったですです」
隣に居るシオンも弾んだ声で言う。
「ああ。シンフォはもう大丈夫だ。あの感覚を掴んだのならば、後は飛ぶだけで慣れるだろう」
「どうしていきなり動きが良くなったですか?」
「意識の変化、だろうな。こればかりは言葉や技術で教えてやれるものじゃないからな。シンフォがそれを、自分自身で掴んだんだ」
「ん~。つまり自分で必要なものを見つけたってことですか?」
「そういうことだ」
俺に出来たのは飛び方を見せることだけだ。
レーサーではない飛び方を見せることで、その違いを感覚的に理解させる。
技術だけならば俺よりもシンフォの方が優れていると思う。
だから技術的に教えられることは何もなかった。
意志と覚悟、そして継続。
決して諦めなかったシンフォが自分の手で掴んだ夢の切れ端。
これからシンフォは再びトップに返り咲くことが出来るだろう。
異質なレーサーとして問題視されるかもしれないが、それでも結果を出し続けていれば、レーサーとして生きていくことは出来る筈だ。
俺の役割はここまでだろう。
後はもう、シンフォ一人でどうにか出来る筈だ。
「オッドさんっ! 私、分かりましたよっ!何が必要だったのか。何をしなければならなかったのか、分かりましたっ! 感覚なので上手く言葉には出来ないんですけど、でもちゃんと分かりましたっ!」
戻ってきたシンフォはテンションが上がりすぎておかしな事になっているが、喜んでいることだけは伝わってきた。
「ああ。良かったな」
そんなシンフォのはしゃぎっぷりを微笑ましく思う。
「はいっ! ああ、この感覚を忘れたくないなっ! もうしばらく飛んできますねっ!」
「ああ」
休憩も挟まずに再びスカイエッジに乗り込むシンフォ。
本来ならば休憩を入れなければ命に関わるのだが、あの状態のシンフォには何を言っても無駄だろう。
それにああいう具合でテンションが上がっている時は不思議とミスもしない、という謎な法則があったりする。
ああいう状態の時は感覚が研ぎ澄まされているので、必然的にミスをしないという理屈なのだろう。
あの感覚を身体に覚え込ませたい、という気持ちもあるので、このまま飛び続けることはある意味で正しい。
気が済めば休むだろうし、燃料切れになれば嫌でも落ちつくだろう。
そして加速することでアクセルを踏み込み、いつも以上に燃料の減りが早かったので、それは思ったよりも早く訪れた。
「うぅ……予備の燃料をもっと持ってくるべきでした……」
休憩無しで四時間も飛び続けた癖に、まだ足りないらしい。
気持ちは分かるが燃料が切れた以上、戻るしかない。
「諦めろ。それにいくらテンションが暴発気味とは言え、それ以上飛び続けると身体が保たないぞ」
「分かってますけど……。でももうちょっとなんですよ。後は機体の反応速度にラグがある感じなので、そっちの感覚をどうにか出来れば……」
「反応速度のラグ……?」
「ええ。いえ。整備不良じゃないですよ。ただ、私の操縦速度にシステムの方がついて行けていないみたいで。でも現状では最高の管制システムを積んでいる筈ですから、これは私が感覚を合わせていくしかないと思います」
しょんぼりしながら言うシンフォ。
機体性能が自分の腕に追いついていないということだろう。
「ねえねえ、シンフォさん。それ、ちょっと僕が見てもいい?」
「え?」
いつの間にかシャンティがシンフォの傍に来ていた。
「シャンティくん? いいけど、どうして?」
「機械関連なら僕は結構強いと思うからね~」
「?」
シャンティはワクワクしながらグラディウスへと乗り込む。
「じゃああたしも行くですです~」
シオンの方もシャンティが何をするのか興味があるのだろう。
ワクワクした表情でグラディウスへと乗り込んだ。
子供なので二人ぐらい乗り込んでもどうってことないらしい。
「あの……。あの二人は一体何を?」
「まあ、任せておけばいいと思う。悪いようにはしない筈だ」
「はあ……」
そうとしか言えないのが申し訳ないが、シャンティが出来るというのなら、それはいい結果へと繋がることの筈だ。
「大丈夫だ。あの二人は腕利きの電脳魔術師《サイバーウィズ》だから、管制システムにはめっぽう強い筈だ。なんせいつも軍用……もごもご」
「おーい。マーシャ。それは流石に言っちゃ駄目だろ……」
マーシャが得意気に軍用管制頭脳のシステムを台無しにしている二人の活躍を話そうとしたのだが、慌ててレヴィに口を塞がれていた。
「むー……むー……」
じたばたと暴れるマーシャだが、レヴィの意図を察したようで大人しくなった。
「ま、まああの二人なら大丈夫だ」
「?」
「とりあえず細かいことは気にしないということで」
「はあ……」
腑に落ちない様子のシンフォ。
まさか犯罪行為を堂々と自慢する訳にもいかないしな。
といっても、自衛の為であったり、大切な相手を護る為に必要なことであったり、本当の意味での犯罪として彼らの能力を利用したことはないのだが。
それでも知られない方がいいことは確かだった。
しばらく二人の様子を見ていると、それなりに盛り上がっていた。
シャンティは自分の端末をシンフォの機体に繋いで、システムを書き換えているらしい。
ハード面ではなくソフト面の問題ならば確かにシャンティならば解決出来るだろう。
「えーっと、ここのシステムに負荷がかかりすぎているから、こっちに処理速度を回して……ああもう、もっといいCPUを積んでたらなぁ……」
「現状でこれ以外のCPUを積んだら違反らしいですよ~」
「え? そうなの? 競技って不便だね」
「言えてるですです~。でもルールがあるから競技じゃないですか? 戦場だと何でもアリアリですし」
「確かにね~。卑怯卑劣何でもござれの戦場に較べたら健全だよね~」
「ですです~」
……会話は全く健全ではないのだが。
子供が二人ではしゃぎながら戦場の話とか、勘弁して欲しい。
「あんまり使っていない部分の処理を遅くして、操縦反応優先に費やしたらどうかな?」
「いいと思うですよ~。その場合プログラムの書き換えは……」
「おお~。流石シオン。でもそれだとちょっとやばくない?」
「大丈夫ですです~。違反にはならない筈ですから」
「発言がヤバいね~」
「ついさっきスカイエッジ・レース協会のマニュアルにアクセスしたですよ~。違反行為については基準値を超えるパーツを使うことだけで、プログラムの書き換えについてはまったく触れられていないですよ」
「へえ~。そうなんだ。まあそこまで調査出来る人間がいないからっていうのもあるかもしれないけど」
「言えてるかもしれないですね~」
……物騒なことを話している。
まあ、違反ではないのなら構わないが、かなりのグレーゾーンなのだろう。
それにシンフォの飛び方だと通常のプログラムでは追いつかない。
改変を加える程度のことはしてもいいだろう。
「よし。出来た」
「うん。これでバッチリですです~」
戻ってきたシャンティとシオンは達成感に満ちた表情だった。
「反応速度はかなり良くなったと思うよ」
「ですです~。まあ燃料が無いから明日のお楽しみですけどね~」
「折角だから今試してみたいのに……」
うずうずしながらグラディウスを見るシンフォ。
気持ちは分かるがやめておいた方がいい。
「やめておけ」
「はい……」
しょんぼりながら答えるシンフォ。
彼女自身にも分かっているのだろう。
精神が肉体を凌駕することは珍しくないが、そのツケは後になって必ず払わされることになる。
今日のシンフォは夢も見ないぐらいに深い眠りに就くだろう。
というよりも、そろそろ怪しくなってきている。
目がとろんとなって、身体がふらふらしている。
「こりゃあ、帰りの操縦は不味いな」
「でしょうね」
「俺がシンフォのグラディウスに乗るから、マーシャの方にシンフォを乗せてやってくれ」
「ん。分かった」
マーシャはうとうとなっているシンフォに肩を貸す。
「ほら、シンフォ。乗り込むまでは頑張れ」
「はい~……う~?」
「……うん。多分分かっていないな。仕方ない」
マーシャはそのままシンフォを抱えた。
華奢な見た目に似合わない力の持ち主なのだ。
「レヴィ」
「ん? なんだよオッド」
「俺の我が儘に付き合ってくれて、ありがとうございます」
「俺は別に何もしてねえよ。どちらかというとマーシャが大活躍だからな。礼ならあいつに言ってやれよ」
「もちろんマーシャにも感謝していますが、俺を飛ばせてくれたのは貴方なので」
「……久しぶりの操縦はどうだった?」
「悪くないですね」
「でも、戻りたい訳じゃないんだろう?」
「ええ」
「俺はそれを自覚して貰いたかったんだ。気持ちの上だけじゃない。自分で操縦桿を握って、その上で、今の自分が望んでいることをはっきりと認識して貰いたかった」
「………………」
戻りたいのか、そうではないのか。
自分では分かっているつもりだった。
しかし、確かに操縦桿が恋しいと思うこともあった。
そして違う機体を飛ばして、改めて気付かされた。
ほんの少しの懐かしさに縋っているだけなのだと。
俺が求めているのは、もっと違うものなのだと。
「それが分かればいいさ」
「レヴィには分かっていたんですか?」
「いいや。操縦桿を握って始めて分かることだと思っていたからな。だから今のオッドを見てほっとしているよ」
「ほっとしている?」
「お前に戦場は似合わないよ」
「………………」
それは貴方にも言えることだ。
だけど戦闘機と戦場は、きっと切り離せない。
誰よりも巧みに速く飛ぼうと思えば、戦場こそが一番の舞台なのだから。
レヴィも戦場を望んでいる訳ではないだろう。
ただ、マーシャはトラブル体質だし、トラブルに巻き込まれた誰かを助けようとする性格の持ち主だ。
だからこそ、彼女は戦場から切り離せない。
突発的な戦場に巻き込まれたり、首を突っ込んだりするだろう。
そしてそんなマーシャを護ると決めているレヴィは、戦場で飛び続ける。
俺はそんなレヴィを支えられればいいと思っていたけれど、俺自身の在り方はもっと違うものがあるのかもしれない。
操縦桿をこれほど恋しく思わないということは、そういうことなのだろう。
「まあゆっくり答えを探せばいいさ。今回のシンフォ嬢ちゃんの件は、オッドにとってもいい刺激になったみたいだしな」
「まあ、そうですね」
今夜のシンフォは夢も見ないぐらいに深い眠りに就くだろう。
というよりも、既にその状態だろう。
ハイテンションからのローテンションに移行した途端、ぐーすか眠ってしまっている。
今はゆっくりと休んで、落ちついたらまた飛び始めて欲しい。
★
ランファン・モーターズまで戻っても、シンフォは熟睡したままだった。
マーシャはシンフォをお姫様だっこしたまま悠々と歩いている。
見た目に似合わない腕力だが、不思議な雰囲気を出しているのが微妙だった。
「ただいま」
「おう。お帰り。って、どうしたんだよ、シンフォの奴は」
マーシャの腕の中ですやすやと眠るシンフォを見て、呆れた視線を向けてくるゼスト。
気持ちはよく分かる。
「限界まで飛び続けて、このザマだ」
「……珍しいな。そういう体調管理については割ときっちりしている奴なのに」
「そうなのか」
シンフォの様子を見るとそういう感じでもないように思えたのだが。
今はそれだけ追い詰められているのかもしれない。
「シンフォの家が分かるなら送っていきたいから教えて貰えるか?」
「家は分かるが、鍵はどうするんだよ」
「あ……」
肝心なことを忘れていた。
確かに鍵が無ければ中には入れない。
肝心のシンフォが眠ってしまっているので、借りる訳にもいかない。
睡眠中の女性の荷物を漁るのは最低の所業だろう。
「いいさ。ここに泊めてやる」
「いいのか?」
「まあ、女性を寝かせられるような場所じゃないけどな。野宿させるよりはマシだろ。こっちだ」
ゼストは居住スペースへと案内してくれた。
この店は住居も兼ねているらしい。
居住スペースは男の一人暮らしという荒れ具合で、確かに女性を泊めるような場所ではないのかもしれない。
しかし野宿させるよりはマシだし、何よりもその程度のことでゼストの気遣いを無駄にするのも気が引ける。
一番大きなソファにシンフォを寝かせて、毛布を掛けてやる。
まさか家主を差し置いてベッドに寝かせる訳にもいかないので、今回はこれで妥協してもらうしかない。
シンフォも借りている身で文句は言わないだろう。
「さてと。私達は一旦ホテルに戻ろうか」
「そうだな~。早くもふりたいし」
「他に言うことは無いのか?」
「無いな~」
「………………」
レヴィとマーシャは相変わらずだ。
しかし仲が良さそうなのでこれでいいのだろう。
「じゃああたし達も戻るですか~」
「そうだね。シンフォさんが明日どんな反応をするか楽しみだ」
「言えてるですです~。かなり反応速度は良くなっている筈ですからね~」
「馴らし運転の方が大変かも」
「シンフォさんならすぐにコツを掴むですよ」
「確かにね~。美人だし」
「……美人って関係あるですか?」
「美人は正義なんだよ」
「男の子の意見って感じですね~」
「じゃあ女の子の意見は?」
「うーん。やっぱり中身が大事ですです」
「真理だけど、模範解答すぎてちょっとつまんない」
「ぶ~」
つまらなそうに言うシャンティとむくれるシオン。
こちらもかなり仲良しな会話だった。
しかし美人は正義か。
男の意見というのは賛成だ。
正義かどうかは別として、目の保養にはなるから悪にはなりづらい。
悪女な美女というのもいるが、俺自身には関わりがないので、眺めているだけでいい。
美しいものを眺めるのは好きだ。
目の保養は人間にとってそれなりに大事だと思う。
「おーい。オッド。早く帰るぞ」
店を出ようとするレヴィが呼びかけてくる。
「俺はここに残ります」
「オッド?」
「このままだとシンフォは食事も忘れかねませんからね。少しは面倒を見ないと身体を壊してしまいます」
「あー。確かにそんな感じだな」
レヴィはやや呆れた視線をシンフォに向ける。
食事も忘れそうな危うさがあるということだろう。
「それなら任せるけど、あんまり入れ込むなよ。俺たちはここに長居する訳じゃないんだから」
「ええ。分かっています」
「まあ、シンフォが気に入ったならオッドは長居してもいいけどな」
「それはありません」
「あっさりと言うなよ。美人じゃないか」
「レヴィ」
「へいへい。怒るな怒るな。俺が悪かったよ」
からかい気味のレヴィを睨み付けてから、俺はここに残ることにした。
「仕方ない。今日も夜は外食にするか」
マーシャがやや落ち込んだ声でそんなことを言う。
俺に作らせるつもりだったらしい。
「悪いな」
スポンサーとしてかなり助けて貰ったマーシャに対しては悪いと思うのだが、今日は我慢して欲しい。
「いいさ。オッドがそこまで誰かに拘るのは珍しいからな。気の済むまでやってみるといい」
「珍しいか?」
「珍しいだろう。レヴィ以外には私達にだって深く踏み込むことを避けている癖に」
「む……」
「そういうところ、レヴィと似ているよな」
「え?」
「ちょっと前までのレヴィもそんな感じだったからさ」
「………………」
マーシャは分かっているのだ。
俺が必要以上に誰かに踏み込めない理由を。
かつてのレヴィと同じように考えていることを。
「これがいいきっかけになればと思うよ」
「………………」
「無理強いはしないけどな」
「……ありがとう」
「気にするな」
マーシャはそのまま俺の肩を叩いてから踵を返した。
彼女のこういうサバサバした部分は好ましい。
「オッドさんが残るならあたしも残りたいですです~」
「いや。シオンは戻った方がいい」
「え~。何でですか~? オッドさんのごはんにありつきたいのに」
「………………」
食欲か……。
まあ、シオンらしいとは思うのだが。
しかしこんなところにシオンを宿泊させる訳にもいかない。
こんなところと言ったらゼストに悪い気もするのだが、シンフォを寝かせたソファ以外に、まともに寝られる空間が見当たらないのだ。
流石に床に寝せるのは気が引ける。
ゼストのベッドは論外。
俺は床に寝転がっても構わないが、シオンには辛いだろう。
「床で寝たくはないだろう?」
「………………」
シオンはやや散らかった床を見渡す。
そして自分が寝られそうなソファも無いことに気付く。
「う~……。オッドさんはどうするですか?」
「俺は床でも気にしないから問題無い」
「凄いですです……」
この床に寝られるという事実に感心しているようだ。
もちろん、ある程度は片付けるつもりだが。
「とにかくシオンは戻った方がいい」
ホテルに戻ればふかふかの高級ベッドがあるのだ。
何もこんなところで寝る必要は無い。
「そ、そうするです……」
しょんぼりしながら戻るシオン。
そんなにシンフォのことが気になるのだろうか。
「オッドさんっ!」
「?」
俺にしがみついて必死な目で見上げてくる。
「何だ?」
「明日の朝ご飯、あたしの分もよろしくですですっ!」
「………………分かった」
力説するのはそこなのか。
そこだけなのか。
こうしてシオンは大人しく戻っていった。
「やれやれ」
すやすや眠るシンフォを見て、呆れたため息をついてしまう。
一生懸命になると周りが見えなくなる。
一部の天才にありがちなパターンだが、シンフォもその例には漏れないらしい。
操縦を見ていれば分かる。
今は行き詰まっていても、彼女は間違いなく天才だ。
明日にはきっと望み通りの結果を出せるだろう。
「何だ。お前も泊まるのか」
「少し心配だからな。食事ぐらいは面倒を見る」
「何だ。飯が作れるのか。だったら俺の分も頼む」
「構わないが、希望はあるか?」
「特に無いな。何でもオッケーだ」
「分かった。では台所を借りるぞ」
「おう。好きに使え。俺も今日はもう寝る」
「俺は床でいいか?」
「……度胸あるなぁ。この床で寝るなんて」
「家主の台詞じゃないな。少しは片付けるさ」
「そりゃラッキー。じゃあついでにあちこち片付けてくれ」
「………………」
かなり便利に使われている気がする。
まあいいか。
家事は嫌いではない。
ある程度片付けて、それから台所に行くと、以外と荒れてはいなかった。
というよりもほとんど使っていないからなのだろう。
外食か宅配弁当で済ませているらしく、ゴミ箱には大量の容器が詰まっていたが、調理スペースは綺麗なものだった。
片付いているのに荒れた生活を垣間見ているようで、奇妙な気分にもなった。
しかし調理器具がきっちり使えるのはありがたい。
一通り必要なものは揃っている。
手の込んだものは道具が足りないが、簡単なものならこの設備でもある程度は作れるだろう。
欲を言うならもっと幅広い調理道具が欲しいところだが、他人の家で贅沢は言えない。
ある物だけで出来ることをするしかないだろう。
冷蔵庫には温めて食べるものか、焼くだけで食べられるものしか入っていない。
生野菜も入っていない。
その代わり酒は充実している。
かなり不健康な冷蔵庫だった。
「……買い物が先だな」
何を作るにしても買い物が必要になる。
一度外に出て、必要な材料を購入して、それから自分の寝床になるスペースを片付けて、ようやく眠りに就くことが出来た。
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