シルバーブラスト Rewrite Edition
5-5 オッドとスカイエッジ 3
「………………」
「………………」
レストランゾーンを探して二人でうろついていたのだが、気がついたら人気の無い場所に出てしまった。
どうやら迷ったらしい。
中は広すぎるので、こういうこともあるだろう。
「ここはどこだ……?」
「うーん。ちょっと待ってくださいね。地図データを照合してみるですよ」
「………………」
そういうことが出来るのなら最初からしておけば迷わずに済んだと思うのだが。
まあ、生身でネットワークにアクセスするにはそれなりの疲労も伴うようだし、使わずに済むのならそうしたかったのだろう。
「あ、分かったですです。ここは格納庫の近くですね」
「格納庫? スカイエッジの?」
「はいです。だから人気が無いですよ」
「なるほど」
格納庫の近くならば、スカイエッジを着陸させる為にある程度のスペースが必要になるし、移動させた後は整備士達も持ち主も格納庫の中で作業をするだろうから、着陸スペースに人がいなくなるのは必然だった。
「えーっと。レストランゾーンからはかなり離れちゃいましたね」
「……場所は分かるか?」
「はいです。地図データを照合したのでバッチリですです」
「最初からそうすれば良かったんじゃないのか?」
「せっかくなのでオッドさんのエスコートを楽しみにしていたですよ」
「………………」
そんなものを楽しみにしないで欲しい。
歩いていたのはなんとなくだし、なんとなくで目的地に到着出来ると考えていた自分の甘さが嫌になる。
「それは悪かったな」
「いいですよ~。その分、オッドさんとデート気分が味わえましたし」
「……俺としてはお守りの気分だが」
「じゃあお守りデート?」
「……それはデートと言えるのか?」
「オッドさんがロリコンになれば言えるですね~」
「………………」
「にゃうっ!?」
ずびしっとチョップをしておいた。
悪ふざけをそのままにしておくつもりはない。
「誰がロリコンだ」
「ご、ごめんなさいです~……」
涙目で頭をさするシオン。
いい加減、学習してくれても良さそうなのだが。
「とりあえず、場所が分かるならシオンが先導してくれ」
「う~。分かりましたです~……」
まだ涙目になっているが、自業自得なので心配はしない。
「あれ?」
「どうした?」
「えっと、その……」
「?」
シオンは少し遠くを見ている。
よく見ると小さな人影があった。
かなり離れているので分かりづらいが、二人の人間が何やら言い合いをしているようだ。
「あの人、グラディウスさんですね」
「分かるのか?」
「生身の目だと見えませんけど、監視カメラのハッキング映像を見ればグラディウスさんだって分かるです」
「………………」
便利すぎて怖い機能だった。
こういう人間離れした機能を日常的に使われると、人間の中に混じって生活をする上で支障が出るのではないかと心配になる。
俺は知っているから構わないが、知らない人間が見たら何事かと思うだろう。
「何か言い合いをしているみたいですけど……」
「聞こえるのか?」
「監視カメラは音までは拾ってくれないみたいです」
「そうか」
「気になるですか?」
「少しな」
気になっているのは彼女自身ではなく、彼女の飛び方なのだが、それが原因でトラブルになっているのだとしたら、少しばかり成り行きが気になる。
「じゃあ出歯亀……もとい覗きに行くですよ~」
「……楽しそうだな」
「他人のトラブルは楽しそうですから~」
「………………」
一体どういう育てられ方をしたのだろう。
シオンの情操教育は恐らくマーシャの担当だろうが……
「………………」
こういう性格になるのは必然のような気がした。
マーシャ自身がトラブルメーカーのようなものだからな。
その傍で活躍してきたシオンならば、いっそのこと楽しむぐらいの肝の太さが身についていてもおかしくはない。
あどけない子供の外見で、内面は結構えげつないのかもしれない。
「オッドさんもちょっとは興味あるでしょ? グラディウスさん、結構美人さんですよ?」
「……まあ、多少は興味がある」
「おお~。やっぱり美人さんだからですか?」
「そういう訳じゃないが。というよりも、顔を見ていないのに美人かどうかはまだ判断がつかないだろう」
「あ、そっか。オッドさんには見えないんでした」
「………………」
感覚の違いが大きすぎて話がかみ合わない。
しかしシオンの見ているものを俺が共有することは出来ないので、これは仕方のないことなのだろう。
シャンティならば共有出来るかもしれないが。
「じゃあちょっと近付くですよ」
「食事はいいのか?」
「こっちの方が面白そうですし」
「………………」
困った性格だ。
しかし俺も気になり始めているので付き合うことにした。
どのみち、シオンを一人で放っておく訳にもいかない。
二人の会話が聞こえる位置にまで移動する。
「ふふふ~。ワクワクしますね~」
「趣味が悪いぞ」
「ついてきているオッドさんに言われたくないですです~」
「………………」
確かにその通りだな。
シオンが行くならついて行くしかないのだが、それでも興味が無いと言えば嘘になる。
「何か怒鳴っているですね」
「ああ」
怒鳴り声が聞こえる。
怒鳴っているのはグラディウスではなく、スーツを着た中年男性のようだ。
ちなみにグラディウスの方はシオンの言う通り、なかなかの美人だった。
年齢は二十代後半ぐらいだろう。
すらりとした体つきをしているが、華奢な訳ではない。
鍛えられているところは鍛えられて、引き締まっているところはしっかりと引き締まっている。
そういうバランスのいい身体をしている。
……変な意味ではなく、純粋に操縦者として理想的な身体をしているということだ。
灰色に近い銀髪は後ろの方で乱暴に結ばれており、あまり手入れされているようには見えない。
きっと外見にはあまり気を遣っていないのだろう。
化粧もしているようには見えない。
折角の美人なのに勿体ないとは思うが、きっと彼女にとっての優先順位に美容関連は含まれていないのだろう。
軍時代の女性整備士にもそういうタイプがいたので、よく分かる感覚だった。
大きな空色の瞳は悔しげに陰っているが、明るい笑顔を見せるようになればきっと化粧気の無い顔でも美貌が際立つようになるだろう。
「シンフォ! 何度言えば分かるんだっ! 基準のコースから大きく外れるなと注意しただろうがっ! どうしてあんなことをするんだっ!」
スーツ姿の中年男はグラディウスを怒鳴りつけている。
どうやら彼女はシンフォという名前らしい。
ヴァレンツにはよくある響きの名前だ。
「すみませんっ! 今はまだ慣れていないですけど、でも極めればあのコースが一番速いんですっ!」
「そんな訳があるかっ! そういうことは一度でも結果を出してから言えっ!」
「だから、結果を出すにはまだ練習が必要なんですっ!」
「プロのレーサーが本番で練習とかふざけるなっ!」
怒鳴りつけている中年男は唾を飛ばす勢いで感情が加速しているが、怒鳴りつけられている側はひたすら頭を低くしている。
立場的には彼女がかなり下なのだろう。
どういう関係なのかは分からないが、あまりいい結果には終わりそうにない。
「まったく。最初は期待の新人とか言われていたから目を掛けてやったものの、落ちぶれてしまえばどこまでも落ちていくんだな」
「………………」
吐き捨てるような中年男の言葉に、シンフォは悔しげに俯く。
何か言いたいことはある筈なのに、何も言い返せない自分が悔しいのかもしれない。
「大体、仮にスピードが上がったとしても、あんな目立たないコースを飛んだところで、客が盛り上がる訳がないだろうが」
「………………」
「スカイエッジ・レースは速さが全てではないんだぞ。客商売である以上、レースそのもので観客を盛り上げる必要がある。お前の飛翔はそれを真っ向から否定しているんだぞ。分かっているのか?」
「そ、それは分かっていますけど……。でも私はどうしても速く飛びたいんです。あれを極めれば私はもっと速くなれる。そういう確信があるんですっ!」
シンフォは必死で中年男に食い下がっている。
速さを追求するのはレーサーの本能でもあるのだろう。
操縦者として、その気持ちは少しだけ理解出来る。
確かに観客を盛り上げる為にある程度パフォーマンスも必要なのだろうが、それでもレーサーの本質は『より速く飛ぶ』ことにあるのだろう。
一定の速度を超えて見えてくる『世界』があるのだ。
そしてその世界を何度も見ている彼女は、新しい世界をずっと求めている。
その世界に呼ばれているのかもしれない。
だからこそ、新しいことに挑戦する。
どうして会ったことすらもないシンフォの気持ちが分かるのか。
それはレヴィと少しだけ似ていると感じているからなのかもしれない。
操縦者としての天性。
結果だけ見れば彼女はレベルの低い操縦者だが、俺は彼女の飛翔にレヴィの才能と同じものを感じた。
だからこそ気になっているのかもしれない。
新しい世界に手を伸ばそうとするその姿が、レヴィと重なったから。
それはかつて、レヴィが目指していたものと同じなのだ。
誰よりも速く、誰よりも巧みに、機体を操る。
そして新しい世界を見る。
『星暴風《スターウィンド》』にだけ見えていた世界があることを、俺は知っている。
地上と宇宙、娯楽と命懸けの戦場という大きな差はあるものの、根本にあるものは同じだと思う。
速度と共に限界を越えようとする意志。
それはレヴィアース・マルグレイトがその手に掴んだものであり、オッド・スフィーラがその手に掴めず挫折したものでもある。
挫折を悔しいと思う気持ちはもちろんあった。
それでも隣を飛んでくれるレヴィが代わりにそれを手にしてくれたから、俺の代わりにどこまでも飛んでくれたから、そこで満足してしまったのだ。
自分の代わりに何処までも賭けてくれる存在に全てを託したような気持ちになってしまった。
その頃の気持ちを少しだけ思い出して、懐かしさと共に苦い気持ちも蘇る。
レヴィにとっては勝手な願いを押しつけられて迷惑だったのかもしれない。
だけどそんなことをおくびにも出さず、いつも通りに笑ってくれて、無敵でいてくれるのが嬉しかった。
そしてシンフォと中年男の言い合いは終わろうとしていた。
「とにかく、これ以上は付き合いきれん。今日限りでお前のスポンサーを降ろさせて貰う」
「そんなっ!」
中年男が無情に言い放つと、流石のシンフォも顔色を変えた。
レーサーはスポンサーがいなければ何も出来ない。
彼女はそれを自覚している。
恐らくは飛ぶことが彼女の生き甲斐であり、それを奪われることは死刑宣告に等しい。
それは彼女の表情を見れば分かる。
「話は終わりだ。もう二度と会うこともないだろうよ」
「待って下さいっ! それだけはどうか考え直してくださいっ!」
「うるさいっ! この役立たずがっ!」
「っ!!」
吐き捨てるように怒鳴りつけてから中年男は去って行く。
シンフォは絶望の表情で立ち尽くしたまま、その場から動けない。
「………………」
流石にこのまま放っておく訳にもいかないだろう。
俺は立ち尽くしたままのシンフォに近付いていく。
「おい、大丈夫か?」
今にも倒れそうなほどに真っ青なシンフォは虚ろな空色の瞳を向けてくる。
絶望に染まりかけている。
よくない表情だった。
「だい……じょうぶ……です……」
「そうは見えないんだがな」
「あの……貴方は誰ですか……?」
「いや。たまたま通りかかっただけなんだが。災難だったな」
「……観客の方ですか」
「まあ、一応は」
今のところ一つしかレースを見ていないので、観客かと言われると多少後ろめたいものがあるのだが、一応は間違っ
ていない。
「君はグラディウスだろう?」
「……そうですけど。ああ、さっきのレースを見ていたんですね」
「ああ。本名はシンフォでいいのか?」
「シンフォ・チャンリィです」
「俺はオッド・スフィーラ。隣に居るのがシオンだ」
「……はあ。それで、私に何かご用でしょうか」
「用というほどのものでもないんだがな」
よく考えたら、放っておけなくて声を掛けてしまっただけなので、用があるかと言われると困ってしまう。
しかしここで困るだけならただのナンパに等しい。
流石にそれは問題だろう。
「オッドさんは泣きそうな女の子を放っておけるような人じゃないんですよ~。とっても優しいんです。だから今のシンフォさんに声を掛けちゃったんです」
「え?」
にこにこしながらシンフォの手を握るシオン。
あどけない微笑みに毒気を抜かれたようだ。
「えっと……」
「シオンですです♪ よろしくです、シンフォさん」
「えっと、よろしく。シオンちゃん?」
「はいです~。それからあたし達、実はシンフォさんに賭けてたんですよ~」
「えっ!?」
ぎょっとした表情で俺を見るシンフォ。
その空色の瞳には疑問と、そして僅かな歓喜の感情があった。
賭けてくれる人がいる限り、自分はまだ見捨てられていないのだと、そう思ったのだろう。
「いや……その……ここに来て日が浅いから、君に賭けたのは偶然というか、倍率が一番高かったからという理由だけなんだが……」
「そう……ですか……」
シンフォ自身を知って賭けて、期待してくれていた訳ではないと知って落ち込んでしまう。
罪悪感が込み上げてくるが、まさか嘘を言う訳にもいかない。
「その、私の最期のレースに賭けてくれてありがとうございます。でも、勝てなくてすみません」
「最期……?」
力なく言うシンフォに首を傾げる。
先ほどのやりとりでスポンサーがいなくなったことは知っているが、すぐに参加不可能になる訳ではない筈だ。
個人でもきちんと参加費を払えば、レースに参加することは出来る。
しかしシンフォは力なく首を横に振る。
「無理なんですよ。参加費はともかく、機体だけはどうしようもないんです。あの機体はスポンサーの……さっきの人、ロンタイさんって言うんですけど、彼の所有なんです。私は自分の機体を持っていません。だから参加出来ないんです」
「………………」
確かにレースの参加費用だけ払っても、肝心の機体が無ければ参加は出来ない。
しかしその辺りが完全にスポンサー頼りというのは意外だった。
操縦者にとって機体は己の半身そのものであり、所有は自分自身であるというのが当然の意識だと思っていた。
この辺りはレヴィの意識に毒されているのかもしれない。
軍時代だって機体の所有は軍のものだったし、己の半身であっても、所有権を主張出来るとは思っていなかった。
ただし、他の機体には絶対に乗らなかったし、整備士達にも一人一人違う調整を要求していた。
だからこそあの戦闘機は『自分の半身』として扱えたのだ。
そしてレヴィの乗るスターウィンドはレヴィ自身の半身そのものであり、所有もレヴィになっている。
本来はマーシャの所有なのだが、彼女はあっさりとレヴィに所有権を移した。
その気持ちが、俺には分かる気がした。
あれはレヴィ自身でもあるのだから、他の者が所有するのは侮辱になると考えているのだろう。
メンテナンスも改造費用も全てマーシャが負担しているがそれでも所有権はレヴィのものなのだ。
しかし世間にとっての当たり前はシンフォのようなタイプだろう。
戦闘機やスカイエッジのような大型の機体を個人で所有するということは、それだけで馬鹿にならない費用が発生する。
いくらプロのレーサーであっても、それは厳しい。
「まあ、無茶だと分かっていてあんなことをしたんだから、当然の結果なんですけどね……」
「レンタルの機体では駄目なのか? 借りる金ぐらいならあるだろう?」
スカイエッジそのものはヴァレンツの人気競技でもあるので、機体のレンタルも行われている筈だ。
それを使えばそこまでの費用を掛けずにレースへと参加することが出来ると思ったのだが。
「確かに借りるお金ぐらいは持っていますけど、無理ですよ。レンタルの機体だとどうしてもレースに耐えられるだけの性能を引き出せないんです。スカイエッジ・レースで使われる機体は、全て操縦者に会わせたチューニングが行われています。借りている機体にそんなことは出来ないでしょう?」
「確かに、出来ないな」
借りている機体に対して勝手な改造を施したら、貸している側にとってはたまったものではないだろう。
「だから自分で参加しようと思うなら、まず機体を用意しなければならないんです。だけど、流石に機体そのものを用意するようなお金は持っていませんので、これでお終いなんです……」
空色の瞳に涙を滲ませながら呟くシンフォ。
こういうのを見ると放っておけなくなるというのは、レヴィの悪影響なのだろうか。
レヴィが同じ状況に置かれたなら、絶対に放っておかないという確信がある。
あのお人好しの性格が移ったのだとしたら、なかなかに難儀だ。
しかし放っておけない気持ちになっている以上、このままにするのも気分が悪い。
シンフォ自身のことを放っておけないという気持ちも多少はあるが、俺は別の意味で彼女に興味を抱いている。
もちろん、恋愛感情ではない。
彼女の飛翔。
彼女が目指しているもの。
それが俺には分かる気がしたのだ。
だからこそ、そこに辿り着くのを見てみたい。
いや、見届けたいという気持ちになっている。
「いくらするんだ?」
「へ?」
「だから、スカイエッジは一機あたりいくらするんだ? これだけ繁盛しているんだから一機あたりの値段が法外ということはないだろう?」
「いえいえいえ。確かに法外って金額じゃないですけど、でも安くはないですよっ!?」
「オッドさん?」
いきなりそんなことを言い出した俺を不思議そうに見上げるシオン。
まさかそこまで関わるとは思っていなかったのだろう。
しかし関わってみたいと思ってしまったのだ。
だからこそ、もう少し踏み込みたい。
「いいから答えろ」
「えっと……」
有無を言わせない態度が功を奏したらしく、シンフォはしどろもどろなりながらも答えようとしてくれた。
「レースに耐えられるぐらいの性能を目指すなら、五百万ぐらいは必要ですけど」
「………………」
五百万か。
俺は携帯端末を操作して自分の口座に入っている金額を確認する。
千五百万ダラスと端数。
まあ、買えなくはない。
「あのー……オッドさん? まさかとは思うですけど……」
シオンが俺の携帯端末を覗き込みながら、恐る恐る声を掛けてくる。
何をしようとしているのかを理解したのだろう。
「参加費はいくらだ?」
「……一レースあたり二十万ですけど」
「ふむ。改造費用を含めてざっと七百万というところか……」
「………………」
信じられない、という視線を向けてくるシンフォ。
しかし空色の瞳の中には俺に対する希望を隠しきれていない。
期待はしているのだろう。
そして応えるつもりもある。
「俺は仲間の付き合いでここにいるだけだ。だからそれほど長い間は滞在しない。それでもよければ俺がスポンサーになろう。機体とレース参加費用ぐらいしか用意出来ないが」
「あの、どうして……」
期待に満ちた目を向けてくるシンフォだが、疑問も感じている。
後は警戒もしている。
見知らぬ男性がそんなことを言い出したのだから、下心すらあるかもしれないと考えているだろう。
「俺には俺の理由がある。それにずっと援助してやる訳じゃない。滞在期間からして、一ヶ月以内に結果を出せなければ、君はレーサーとしては終わる。俺はそれをほんの少しだけ先延ばしにして、苦しみを長引かせるだけに終わるかもしれない。その覚悟があるのなら、手助けしてもいい」
結果さえ出すことが出来れば新しいスポンサーを見つけることが出来る。
それが出来なくても、勝ち続けることが出来れば、賞金だけで何とか続けていくことも出来るだろう。
どちらにしても結果が全てだった。
「もちろん覚悟はあります。ですがオッドさんの真意が分かりません」
「別に、深い理由は無い。君の為という訳でもない。強いて言うなら君の飛翔、その完成形に興味があるといったところか。それを見てみたいんだ」
「っ!! あれが分かるんですかっ!? オッドさんには『道』が見えているんですかっ!?」
「っ!?」
いきなり俺に詰め寄ってきて服を掴むシンフォ。
ち、近い。
あと柔らかい。
柔らかさに動揺するほど初心ではないつもりだが、いきなり迫られると流石にびっくりする。
「一応、分かっているつもりだ。君は他のレーサーとは違う『道』を見ている。だから飛び方が違う。そうだろう?」
「そ、そうなんですっ! まだ上手く見えないから遅いんですけど、でもきっともっと上手く見えるようになれば、速くなる筈なんですっ!」
「だろうな」
「びっくりしました。あの『道』が見えているのは私だけだと思っていましたから」
自分以外、誰もその『道』を飛ぼうとはしなかったからだろう。
本来、『レーサー』が飛ぶ『道』ではないのだ。
あれは、あの『道』は……
「昔、似たようなものに乗っていたことがあるからな」
しかし俺はその『道』については答えなかった。
先に答えを与えるべきではないと思ったし、何よりも同じように見えているものでも、彼女が自分自身で探し当てたのならば、別の解釈もあるのではないかと思ったからだ。
「そうなんですかっ!? 一体何に乗っていたんですか!?」
「それは秘密だ」
「え……」
興味津々で見上げてくるシンフォ。
しかしいい加減、離れて貰いたい。
「悪いが、少し離れてくれ」
「あ……す、すみませんっ!」
自分がどんな状況になっていたのか、ようやく理解したようだ。
真っ赤になって離れるシンフォ。
反応は可愛いと思うのだが、それ以上の感情は無い。
「まあ、俺には俺の理由がある。協力するつもりはあるが、無理強いするつもりもない。初対面の人間の協力なんて胡散臭いと考えるのならば、断ってくれて構わない」
興味が湧いたのは本当だが、執着するつもりはない。
ただの気紛れなのだ。
だからシンフォが拒絶すれば、それまでの話なのだ。
「いえ。事情は分かりませんが、協力してくれるというのなら、ありがたく受け取っておきます。今の私には、そうするしかありませんから。私はもっと、飛びたいんです。少なくとも、自分が納得出来るまでは」
「そうか。ならこれからよろしく。シンフォ」
俺はシンフォに手を差し出した。
これから協力関係になるのだから、こうするのが当然だと思ったのだ。
「はい。よろしくお願いします」
シンフォは花開くような笑顔で俺の手を握ってくれた。
そしてすぐに闘志を取り戻した瞳で俺を見た。
自分はまだ飛べる。
シンフォにとってはそれが一番大切なことで、それ以外ははっきり言ってどうでもいいのだろう。
俺が何を考えて手助けを申し出たのか、それすらも踏み込むつもりはないようだ。
彼女にとって大切なのは、自分にとって最高の飛翔を目指すこと。
そしてそれが俺の望みでもある。
「詳しいことは後日話そう。今日はもう戻ることにする。待ち合わせをしたいんだが、どこかいい場所はあるか?」
「シェンロンのグエン・ターミナルは分かりますか?」
「そこなら分かる」
ホテルから出ているシャトルバスがグエン・ターミナル直行だからな。
今回はレース会場直行バスに乗ったが、明日はグエン・ターミナル直行バスに乗ればいいということだろう。
「ターミナルの噴水広場は分かりますか?」
「ああ」
確かに上空から見ると噴水があった。
道は覚えていないが、降りれば探すことも出来るだろう。
「念の為に連絡先を交換しておこう」
「そうですね」
……初対面の女性相手に連絡先の交換など、まさしくナンパだが、警戒はされていないようで何よりだ。
元よりそんなつもりも無いしな。
お互いに携帯端末のアドレスを交換して、今日は別れた。
そのままバス停に向かおうとしたのだが、むくれたシオンに袖を引っ張られた。
「ん? どうした?」
「………………」
涙目の翠緑で見上げてくる。
訳が分からない。
彼女を怒らせるようなことをした覚えはないのだが。
「う~……」
「?」
「う~……」
「なんだ。言いたいことがあるならハッキリ言え」
言わなければ分からない。
言わないのならば察するつもりもない。
必要なことをきちんと言葉にするのは大切なのだ。
「………………」
きゅるる……と可愛らしい音が鳴った。
「あ……」
「う~」
空腹を訴える音だ。
そう言えば食事に行くところだった。
そしてそれを忘れて帰ろうとしていたのだから、シオンから恨みがましく睨まれるのも当然だった。
「……すまん。忘れていた」
「オッドさんの馬鹿ーっ!」
ぽかぽかと殴られるが、これは甘んじて受けておくべきものだろう。
忘れていた俺が悪い。
レストランエリアに移動してから、何でも好きなものを注文していいと言っておく。
ちなみに俺の奢りだ。
シオンも金銭的には困っていない筈だが、ここは俺が奢らなければならない場面だろうと判断した。
「オッドさんは忘れっぽいですね~」
食事を始めたシオンはご機嫌になった。
空腹で不機嫌だったので、解消されればご機嫌になるということだ。
分かりやすいところが可愛い。
「悪かったよ」
「別にいいですけど。でも本当にスポンサーになるつもりですか?」
「おかしいか?」
「理由がよく分からないです。泣きそうな女性を放っておけないっていうのはオッドさんらしいと思うんですけど、そこからスポンサーになるっていうのは、ちょっと踏み込みすぎかなと思って。確かに大金ってほどじゃないので、懐的には痛くないですけど」
「その金銭感覚はおかしい。俺にとってはかなりの大金だぞ」
少なくとも、貯蓄の半分は消えるぐらいには。
「そうですか? マーシャにおねだりすればすぐにお小遣いとして貰える金額ですよ?」
「………………」
それは断じてお小遣いの金額ではない。
子供の金銭感覚を狂わせる教育方針はかなりどうかと思うのだが、やはり俺が口出しをする問題でもないのだろう。
「まあ一種の暇潰しだ。気紛れでもある。俺の金を俺がどう使おうと、基本的には自由だろう?」
「まあ確かにそうですけど。でも人一人の人生を変えるようなことを暇潰しとか気紛れとか言わない方がいいと思うですです」
「それも正論だな。だが人生を変えるというほど大袈裟なものではないつもりだぞ。現状維持の助力なんだから」
「失敗したらシンフォさんの人生が狂うですよ」
「今日から狂う筈だったのを少し先延ばしにしただけだろう。どのみち彼女はこのままでは潰れていた。俺はほんの少し彼女にチャンスを与えようとしているだけだ。そのチャンスをどう生かすかはシンフォ次第だろう。それだけは俺が金を出したところでどうこうなるものではないからな」
「オッドさんはきっかけに過ぎないってことですか?」
「そういうことだ」
「シンフォさんが美人だったからほだされちゃったとか?」
「……なんだそれは」
「だってシンフォさん、美人だったですよ?」
「まあ、確かに美人だったな」
「オッドさんの好みですか?」
「……基本的な好みとしてはもう少し肉付きがいい方が……って、何を言わせる」
「なるほど~。肉付きですか~。おっぱいが重要ですね?」
「………………」
子供とこんな会話はしたくないんだがな。
「オッドさんの好みはおっぱいですか~」
「………………」
誤解……でもないのだが、子供の口から言われると何故か腹立たしい気持ちになる。
しかし怒るのも大人気ない。
「……どうして俺の好みにそこまで食いつくんだ?」
「だってオッドさんに彼女が出来たら笑ってくれるかもしれないでしょ?」
「………………」
「オッドさんはあまり笑わないから、どうやったらちゃんと笑ってくれるか、ずっと考えているですよ」
「………………」
「あと、自分の為に笑わないから、彼女が出来たらもっと幸せになれるのかな~とか」
「………………」
ずっと俺の為にそんなことを考えていたのか。
どうしてシオンがそこまで考えるのか、俺にはまだ分からない。
ただ、この子はみんなが笑ってくれるのが嬉しいのだろう。
その心は尊いと思う。
しかし俺はそれを望んでいるのだろうか。
俺が俺自身の為に生きることを、望んでいるのだろうか。
「オッドさん?」
俺が黙ったままなのが不安なのか、シオンが近付いて覗き込んでくる。
透き通るような翠緑はどこまでも見通されそうで恐ろしい。
「何でもない」
「そうですか?」
「ああ」
「ならいいですけど。シンフォさんと仲良くなりたいなら協力するですよ?」
「しなくていい。元より俺は特定の恋人を作るつもりもないしな」
「そうなんですか? それって寂しくないですか?」
「寂しいかどうかは俺が決めることだ」
「ん~。だって一人は寂しいですよ?」
「一人なら寂しいだろう。だが俺は一人じゃないだろう? レヴィがいて、シャンティが居て、マーシャがいて、シオンがいる。この仲間達がいるんだから、寂しくはない」
「それはそうかもしれませんけど。うーん。何かが違う気がするですよ」
「違わないさ。求める絆は必ずしも恋人に限られる訳じゃないからな」
「それは分かるですけど」
「だから俺はこのままでいいんだ」
といっても、女性を求めていない訳でもない。
一夜限りの関係、割り切った相手ならばそれなりに遊んでいる。
そういう相手で一時的に寂しさを紛らわせている。
……そう考えると基本的には寂しいのかもしれない。
だが俺はどうしても特定の相手を作ろうとは思えないのだ。
それが何故なのか。
……それ以上は、思考が停止する。
考えないようにしている。
考えてしまったら、俺はきっと、レヴィとも離れなければならなくなるから。
「……えいっ!」
「っ!?」
シオンから小さな手で叩かれた。
痛いというほどではないが、何故叩かれたのかが分からない。
頭をぺちん、というダメージとも言えないようなものだが、いきなり叩かれたことが理解不能だ。
「なんだ? いきなり」
「今のオッドさんは嫌いですです」
「は?」
何故いきなりそんなことを言われなければならない?
「最初から何かを諦めているような態度は嫌いですです」
「………………」
最初から何かを諦めている。
その言葉を否定出来ない。
それは確かに俺の心なのだから。
だけど、求めるのはもう……
いや、考えるな。
これ以上は、考えたくない。
考えてはいけない。
「上手く言えないけど、オッドさんは今のままじゃ駄目なんです」
「仮にそうだとしても、シオンには関係無いだろう」
「関係あるです」
「何故だ?」
「だって、オッドさんはあたしの家族ですから」
「?」
「マーシャもレヴィさんも、シャンティくんも、そしてオッドさんも、シルバーブラストのみんなはあたしの家族ですです」
「………………」
なるほど、シオンにとってはそういう扱いなのか。
「だからオッドさんにはちゃんと幸せになって欲しいですよ」
「………………」
ありがたい、と思うべきなのだろう。
だがどうしても余計なお世話だという気持ちが拭えない。
純粋な気持ちに対してそんなことを思うのは、俺が人でなしだからだろうか。
「だからお節介でもなんでも、あたしはオッドさんがちゃんと自分の為に笑ってくれるようにしたいですよ。今のオッドさんとなるべく一緒に居たいって思うのは、きっとそういうことだと思うですです」
「………………」
最近やたらとつきまとうようになったのはそういうことか。
俺の中にある何かがシオンの琴線に触れたのかもしれない。
「ファンタジー」の人気作品
書籍化作品
-
-
35
-
-
15254
-
-
39
-
-
93
-
-
4405
-
-
361
-
-
314
-
-
4112
-
-
26950
コメント