シルバーブラスト Rewrite Edition

水月さなぎ

5-3 惑星ヴァレンツ


 それから一週間もすると、流石にオッドの機嫌も治っていた。

 シルバーブラストのクルーも出発準備を整えていたので、いつでも旅立てる状態になっていた。

「じゃあそろそろ出発しようか」

 シルバーブラストの方も完全にメンテナンスを終了していて、いつでも発進出来る状態になっている。

 マーシャは操縦席についていつでも発進出来る状態だし、シオンの方もニューラルリンクに入って準備万端だった。

 シャンティもオッドも所定の位置に付いているし、レヴィはのんびりとその様子を眺めていた。

 船の操縦に関してはレヴィの出番がないので、彼だけはのんびりとしているのだ。

 戦闘時ではない限りオッド達にも出番は無い。

 比較的平和な旅立ちとなるだろう。

 マーシャはリーゼロックの管制に出発することを伝え、宇宙空間へのハッチを開けて貰う。

 エンジンは既に温めているし、いつでも出発出来る。

「じゃあそろそろ出るぞ」

「いつでもいいですよ~」

「僕もいつでもいいよ~」

「問題無い」

「おう。早く出ようぜ」

 クルー達も発進準備の姿勢は整えている。

 しかしマーシャはニヤリと笑った。

「エンジンに改良を加えたから、最高速度で出るぞ。ちゃんとシートベルトをしておいた方がいい」

「「「………………」」」

 マーシャが本気を出した時の操縦の凶悪さはよく知っているので、レヴィ達は冷やせ混じりにシートベルトを着用した。

 シオンだけはニューラルリンクの中で固定されているので、のんびりとその様子を眺めている。

 新しい機能を組み込んだばかりなので、マーシャはそれを試すのが楽しみでたまらないのか、ワクワクした表情で操縦桿を握っている。

 こういう部分は彼女も根っからの操縦者なのだろう。



 一秒後、恐怖の加速が開始された。







「相変わらず、いい腕はしているけど……」

「長時間アレはきっついよぅ……」

「………………」

 レヴィ、シャンティ、オッドはマーシャの全力操縦のダメージを受けてげっそりとしていた。

 戦闘中ならば頼もしい限りだが、平時にこういう操縦をされるとこちらの負担が半端ない。

「ふう~。まあまあだな。もうちょっといろいろ試してみたいけど。小惑星帯とか、バンバン行ってみたいなぁ」

 マーシャは充実した表情でそんなことを呟いている。

「出力七十パーセントですからね~。もうちょっと加速しても良かったぐらいですよ~」

 そしてシルバーブラストのシステムと同化しているシオンも少しばかり消化不良のようだ。

「………………」

「………………」

「………………」

 マジで勘弁して下さい……というのが三人の正直な心情だった。



 ともあれ、惑星ヴァレンツに無事到着した。

 通常航行で八日の道のりだったが、加速が恐ろしかったので、どっと疲れた。

 しかし他の船ならば一ヶ月はかかったであろう道のりだ。

 シルバーブラストとマーシャ、そしてシオンがどれほど凄まじいかはそれだけで理解出来る。

 軍艦でも二十日はかかるだろう。

 最新鋭というよりはチートフル稼働というイメージになってしまっている。



 無事に停泊手続きを済ませてから、ヴァレンツに入国する五人。

 街に出るとすぐに浮島の光景が目に入った。

「これは、凄いな」

 ワクワクした表情でマーシャが尻尾を揺らす。

 未知の光景を目の当たりにするのはいつだってワクワクする。

 このままいつまでも旅を続けていたいという気持ちになるが、リーゼロックの仕事もあるのでそういう訳にはいかない。

 割と好き放題に生きているつもりだが、それでも家族に対する義理だけはきちんと通したいと考えるマーシャだった。

 だからこそ、仕事の範囲で行ける場所では目一杯楽しむつもりでいる。

「確かに凄いな。久しぶりに来たけど、また浮島が増えてるな」

「そうなのか?」

「ああ。前に来た時はこんなに浮島は多くなかったと思う。多分、地方から移動させてきたんじゃないかな」

「移動出来るのか……」

「浮いてるから、牽引してくれば出来るんじゃないか?」

「なるほど」

 確かに島ごと牽引してくれば可能なのかもしれない。

 そうやって人工的な景観を造っているにしては、美しいと思えるのが不思議だった。

 空と雲、そして浮島。

 地上から眺めるそれらは、素直に美しいと思える。

 自然との調和も取れているから、そう思えるのかもしれない。

「とりあえず拠点が必要だよな。どこにする?」

「ちょっと待って。今検索かけてるから」

 マーシャは携帯端末で近くのホテルに検索をかけている。

 検索基準はもちろん『高級ホテル』だった。

 金に余裕があるだけではなく、セキュリティ面での安全を確保する為にも、グレードの高いホテルを選ぶのは必然という意識になっている。

 贅沢が身についてしまっているが、それを無駄遣いだとは考えない。

「あった。あそこにしよう」

 マーシャは一番大きな浮島を指さす。

「浮島ホテル?」

「うん。眺めもいいし、セキュリティもしっかりしている。悪くないと思うんだけど、どうかな?」

「俺はいいけど、高くないか?」

「問題無い」

「……まあ、マーシャが言うんならその通りなんだろうけど。うん。眺めも良さそうだし、俺は賛成かな」

「みんなは?」

 マーシャがシオンたちを振り返る。

「あたしはいいですよ~」

「僕も。いいホテルだとご馳走が食べられそうだよね」

「俺も構わない」

 三人とも同意した。

 高級ホテルに泊まれるなら文句は無いらしい。

 というよりも、子供達はワクワクしているようだ。

 浮島のホテルに泊まれる機会なんて、これを逃したら無いと思っているのだろう。

 オッドの方はマーシャとレヴィ、そして子供達が構わないのなら異論は無いという態度だった。

「なら決まりだな。よし。部屋もちゃんと空いてるし。最上階スイートで決定♪」

「……まさか、五部屋ともスイートで取るつもりか?」

 オッドがおそるおそる問いかけてくる。

 確かに五部屋ものスイートともなるとかなりの出費になる。

 他人の金で泊まらせて貰う身としてはスタンダードな部屋で十分なのだが。

「大丈夫だ。四部屋だから」

「?」

「私とレヴィで一部屋。残りは各自一部屋ずつ」

「なるほど。って、それでも高くないか?」

「いいんだよ。私が払うんだから」

「………………」

 確かにその通りだが、やはり金銭感覚が恐ろしい。

 しかしマーシャ本人が構わないと言っているのだから、口を出す問題でもないのだろう。

「それともオッドはシオンと同じ部屋が……あ、ごめん。何でもないです。怖いから睨まないでくれ……」

 ビクビクしながらレヴィの後ろに隠れるマーシャ。

 つい口から出てしまったのだが、氷点下のアイスブルーの視線に貫かれるとすぐに萎んでしまうマーシャだった。

 胃袋管理人を怒らせる怖さは身に浸みて……もとい胃袋に浸みている。

 道中の食事はとても美味しかったのだ。

 帰りの食事がカップラーメンになったらかなり困る。

 マーシャの中でオッドは怒らせてはいけないリストのほぼ最上位に位置づけられていた。

「あたしは別にオッドさんと同じ部屋でもいいですけど?」

「俺が良くない」

「そうですか~」

 シオンの方は無邪気にそんなことを言う。

 一人よりも誰かが居てくれた方が寂しくないからだろう。

 しかしオッドの方はそうもいかない。

 別に子供相手にそんな気持ちになったりはしないのだが、周りの意識がそういう方向に向いてしまうのは困るのだ。

「……なんだかシオンとオッドにフラグが立ってる感じ? 僕だけ独り身の寂しい予感が。まさかね~」

 フラグ立ても冗談であると分かっているのだが、冗談でもフラグが立っていることにピンチを感じるシャンティだった。

 仮にシオンとオッドにフラグが立ったとして、このメンバーで自分だけ独り身になるのはちょっと遠慮したい。

 というよりも、彼女が欲しい。

「別にフラグは立っていない。マーシャが悪ふざけをしているだけだ」

「そうなの?」

「そうだ」

「……なんか知らないけど、怖いからそれ以上は言わない」

 アイスブルーの氷点下で見据えられると怖くなるシャンティだった。







 そして一行はホテルに移動する。

 それぞれの部屋にチェックインしてから、各自自由行動となった。

 マーシャは取引があるので先に仕事をする必要があるのだが、それ以外はただ付いてきただけなので、それぞれで自由行動をしても構わないということになったのだ。

「ああ、でもオッドは珍しい食材とかあったら買っておいてくれ。帰りの道中で美味しいものが食べたいからな」

「分かった」

 料理担当のオッドに仕事が与えられる。

 オッドはそれも仕事の内だと考えているので快く了承した。

「じゃああたしが買い物に付き合うですよ~」

「一人でも十分なんだが」

「じゃあ一人で見て回るですです」

「……分かった。一緒に行こう」

 一緒に行く必要は無いのだが、子供一人で街中をうろつかせるのも心配という、過保護なオッドだった。

「シャンティも買い物があるなら付き合うが、どうする?」

「僕? 僕はいいよ。ちょっと自由に見て回りたいからね。女の子じゃないから、そこまで心配は要らないと思うし」

「分かった」

 女の子と違って、男の子は過保護にしすぎると反発されるので、オッドは大人しく引き下がる。

 シャンティはいざという時に自分を護る術を持っている。

 周辺のネットワークにハッキングをかけて警備システムを発動させ、オートのレーザー銃や警報を操作することが出来るのだ。

 シオンもその気になれば同じ事は出来るのだろうが、それでも女の子だと心配になってしまうのは仕方が無い。

「………………」

「………………」

 そしてレヴィとマーシャはオッド達を見て、やはり脈有りなのではないかと思ってしまう。

 もちろん、過保護だから、子供が心配だからというのは理解している。

 それでも、オッドのその過保護さが、いつかほだされてしまうレベルのものに変わるのではないかと思ってしまうのだ。

 もちろん、口に出したりはしないのだが。








 俺は自分の部屋に行くと、まずは間取りなどを確認した。

 元軍人としての性なのか、安全確認だけはどうしても怠れない。

 セキュリティがしっかりしているホテルなのでそこまで神経質になる必要は無いと分かっているのだが、それでもこうやってチェックしてしまうのは、ある意味で職業病なのかもしれない。

「………………」

 全ての安全を確認すると、ようやくくつろぐことが出来ていた。

 本当に職業病だと自分でも呆れてしまう。

「まあ、何もしないでストレスを抱えるよりはマシか」

 敢えて我慢して、そわそわするよりはマシだと思っておく。

 落ちついたところで部屋の中にある各種パンフレットを眺める。

 折角なので街を回りたいのだが、その為にもある程度の知識は必要だ。

 観光雑誌ぐらいには目を通しておくべきだろう。

「………………」

 マーシャに言われた通り、珍しい食材や調味料などがあれば購入するつもりだが、街そのものにも興味があった。

 以前、軍の任務で訪れたことはあるのだが、その時は観光どころではなかった。

 とんぼ返りも同然だったので、ゆっくり見て回れるのは俺にとっても嬉しいことだった。

 こうやっているとほとんど遊んでいるニート……もといヒモのように感じてしまうのだが、現状に不満がある訳ではない。

 少しばかり居心地が悪いと思ってしまうだけだ。

 マーシャとリーゼロックに護られている以上、レヴィの安全はほとんど確保されている。

 だから今の俺がレヴィの傍に居続ける必要は無いのかもしれない、と最近は考えていたりもする。

 それでも離れようとしないのは、俺がレヴィの傍から離れたくないと思っているのか、それとも心配がまだ残っているからなのか。

 自分でもそれがよく分からない。

 ただ、レヴィが自分自身の生き甲斐を見つけている現状で、俺だけが宙ぶらりんのままでいるのは良くない気がする。

 もちろん、与えられた仕事はこなしているし、いざという時はまあまあ役に立っているという自負もある。

 レヴィとの連携を高度なレベルでこなせるのは俺以外にはマーシャだけだろう。

 だから今後も役に立てるという自信はあるのだが、まさかいつも戦闘ばかりという訳でもないだろうし、マーシャ達にはいざとなればリーゼロックPMCの戦力もある。

 だからこそ、俺自身がやりたいことを探してみるのもいいのかもしれない。

「といっても、何をやりたいのか、まだはっきりしていないのが困りものだが」

 レヴィの為に生きてきた。

 彼に恩を返す為にこの命を使おうと決めていた。

 だけどレヴィの状況が落ちついてくると、それが重荷なのではないかと考えるようになっていた。

 少なくともレヴィがそれを望んでいないことは知っている。

 それでも不安定なレヴィを放っておけなかったし、自分が支えたいと思っていた。

 しかし今のレヴィは違う。

 安定しているし、マーシャがいる以上、俺の支えはほとんど必要なくなっている。

 だからこそ、俺は俺自身の生き方を見つけなければ、いつまでもレヴィに心配を掛けてしまう気がするのだ。

「ん?」

 ぼんやりとパンフレットを眺めていると、変わった物が目に付いた。

「なんだ?」

 戦闘機らしきものが空を飛んでいる。

 しかし俺の知る戦闘機とは少し違う。

「大気圏内専用機か」

 宇宙空間も飛び回れる無重力対応機ではなく、大気圏内だけを飛び回るものらしい。

 それに厳密には戦闘機ではないのだろう。

 武装が無いし、何よりも装甲が薄い。

 これでは敵の攻撃どころか、岩石に当たっただけでも機体が破損してしまうだろう。

「大気圏内専用機にしても、仕様が脆すぎないか?」

 不思議に思ってパンフレットをめくってみる。

 そして内容を見て納得した。

「なるほど。レース仕様なのか」

 どうやら、岩石の浮島が密集する地帯を飛び回るレースらしい。

 そういうことなら納得出来る。

 レースならば武器は必要無いし、重い装甲を抱えていては高速で飛び回ることが出来ない。

 この仕様はレースにとって必然なのだろう。

「しかし、純粋なレース仕様の機体か。面白いな」

 戦闘機乗りとしての本能が少しばかり刺激される。

 レヴィのように根っからの戦闘機操縦者という訳ではないのだが、それでも過去の経験が、このレースに興味を持ってしまう。

 血が騒ぐ、とでも言うのだろうか。

「スカイエッジ・レースか。一般人はギャンブルとして参加するらしいな」

 レースで使用する機体の名称は『スカイエッジ』。

 そしてレースそのものは『スカイエッジ・レース』という名前があるらしい。

 ヴァレンツの各地でレースは行われており、国内の公式ギャンブルとして大きな利益を上げているらしい。

「見に行ってみるか」

 どうせ暇なのだ。

 買い物以外で時間を潰すのなら、楽しめることがいい。

 スカイエッジがどんな風に空を飛び、レースを争うのか、少しばかり興味が湧いてきた。

 レヴィも誘えば楽しんで貰えるかもしれないが、彼はマーシャとのデートに忙しいだろう。

 マーシャがこういうレースに興味を持つかは分からないが、まずは仕事を優先するだろうから、一人で見に行くことになるだろう。

「よし」

 俺は立ち上がってから外出の準備をする。

 興味が湧いた以上、すぐにでも見に行きたいというせっかちな気持ちがあるのだ。

 他にやることが無いからというのもあるが、やはり早く見てみたいという気持ちが大きいのかもしれない。

 しかしその希望は叶わなかった。

「オッドさん。入っていいですか~?」

「……ああ」

 ノックをして入ってきたのはシオンだった。

 既に出かける準備を終えている。

 ……そういえば買い物に付き合う約束をしていたのだった。

 シオンを一人で買い物に行かせる訳にもいかないので、こちらを先に済ませるべきだろう。

「あたしはいつでもお出かけ出来ますけど、オッドさんはどうですか?」

「俺もいつでも構わない。何を買いたいんだ?」

「特に決めてないですよ~。ただ、見て回って、欲しいな~と思ったものを買うですよ」

「………………」

 浪費癖が激しそうだ。

 いつも大量の荷物を持たされる身としてはげんなりしてしまうが、マーシャが許可しているのなら俺が口を出す問題でもない。

 金があるのならば浪費するのも悪くはないだろうし。

「ついでに食材も見て回るですよ。オッドさん、マーシャに頼まれてましたよね?」

「ああ。そうだな」

 どうせ見て回るのならマーシャの頼みも一緒に済ませてしまった方がいいだろう。

「えへへ~。じゃあお出かけなのですです~」

 シオンが俺の手を取って歩き始める。

 当たり前のように手を繋いでくるのは、彼女自身が寂しがり屋だからなのかもしれない。

 マーシャとのやりとりを見ていると、他人に甘えるのが好きなようだし、ここで突き放しては傷つけてしまうような気がして、好きにさせることにした。



「えへへ~。こうしているとまるでデートみたいですね~」

「……誤解を招くような発言はやめろ。年齢差がありすぎて俺が犯罪者になってしまう」

「じゃあ親子?」

「……そこまで歳は取っていない」

 シオンの外見は十五歳ぐらいなので、親子だったら俺が完全な壮年になってしまう。

 まだ三十代前半なので、そこまでの『おじさん』扱いは勘弁して貰いたい。

「どうせなら下まで降りましょうか」

「分かった」

 浮島の上にあるこのホテルの眺めは最高だし、ある程度のショッピングモールがあるので買い物も出来るのだが、限られた空間なだけに品揃えが豊富とは言えない。

 その分厳選されたものが置いてあるが、もっと雑多とした感じで眺めたいという気持ちもある。

 バスに乗って下まで降りると、すぐに到着した。

「先にシオンの買い物を済ませるか」

「いいんですか?」

「俺のは急いでいる訳じゃないからな。後回しでもいい」

「えへへ~。じゃあお言葉に甘えるですよ~」

 にこにこしながら俺の手を取るシオン。

 新しい場所に来ると好奇心でワクワクしてしまうので、自分の買い物を優先したくなってしまうのだ。

 今回は俺の買い物もあるのでなるべく我慢するつもりだったが、こうやって甘やかしてくれるのなら遠慮無く楽しむことにした。

「………………」

 ご機嫌に歩き始めるシオンを見て気分が和んだりもしたのだが、すぐに後悔した。



「………………」

「オッドさん、大丈夫ですか?」

「……そう思うなら、少し控えてくれ」

「そうしたいのは山々なんですけど、欲しいものが一杯あるですよ~」

「………………」

 俺が大量の荷物を持たされて、シオンがご機嫌に歩くという図が完成していた。

「………………」

 いつものことだし、ある程度の覚悟はしていたが、今回は特に多い。

 自分の買い物も控えているので、出来れば少しは遠慮して貰いたかったのだが、気がつけばこの有様だ。

「ごめんなさいです。これじゃあオッドさんの買い物は難しいですね」

「……それは、別にいい。急ぎではないからな。明日にでも、また行くことにする」

「じゃあその時はあたしが荷物持ちに付き合うですよ~」

「いや。一人でいい」

「む~。あたしじゃ足手まといですか?」

「……また買い物をしそうな気がして、台無しになる予感がするからな」

「うっ!」

 否定出来ないシオンだった。

 確かにいろいろな物に目移りしてしまうシオンは浪費癖が激しい。

 買い物に付き合うという名目で、自分の買い物を増やしてしまう可能性は大いにあるだろう。

「じゃ、じゃあ絶対買い物しないですからっ!」

「……? 別に我慢する必要はないだろう。欲しいものは買えばいい。今度はマーシャと一緒に行けばいいだろう。俺は別の用事があるから今度は付き合えないが」

「嫌です。オッドさんと一緒がいいんです」

「?」

 訳が分からない。

 どうしてそこまで自分と一緒にいることに拘るのだろう。

「もしかして、マーシャ達に何か変な事を吹き込まれたりしたのか?」

 レヴィとマーシャの反応を思い出して、シオンに問いかける。

 もしも余計なことを吹き込んだのだとしたら、再びお説教をしておかなければならない。

「別に変な事は吹き込まれていないですです」

「そうか」

「でも面白いことは言っていたですよ」

「……嫌な予感がする」

「マーシャはオッドさんのレヴィさんへの恩義や忠誠心が恋愛感情だったら話は簡単なのに~とか言っていたです」

「……怖いことを言わないでくれ」

 怖いというよりはおぞましい。

 レヴィに対する愛情はもちろんあるが、それは家族に対する親愛に近い。

 断じて恋愛感情ではない。

 そんなつもりも、趣味も、一切無い。

「レヴィさんもオッドさんと同じように身震いしていましたよ~」

「それはそうだろう」

 そうでなければ困る。

 非常に困る。

「でもレヴィさんもオッドさんが自分への恩義や忠誠心を優先して生きることは望んでいないみたいでしたよ。自分の為に生きてくれた方が嬉しいって」

「………………」

「でもそれは難しいとも言っていました」

「……そうだな。今の俺には、難しい」

 そうするべきだということは分かっている。

 だけど、どうしたらそんな風に生きられるのかがまだ分からない。

 いい歳をして情けないとは思うが、本当に分からないのだから仕方ない。

「レヴィさんがそれを望まないと分かっていても、難しいですか?」

「……他に理由が見つからないからな。レヴィに負い目を感じさせているのは悪いと思っていることも確かだが」

「………………」

 シオンが俺の服をぎゅっと掴んできた。

 両手はシオンの荷物で塞がっているので、手を繋ぐことは出来ない。

「シオン?」

 どうしていきなりそんなことをしてくるのかが分からない。

 それに、どうしてそんな悲しそうな顔をするのだろう。

「シオン?」

「あたしは、みんなが笑ってくれるのが一番嬉しいですです」

「………………」

「だから、オッドさんも自分の為に笑ってくれると嬉しいです」

「………………」

「もちろん、簡単にそうなるとは思ってないです。でも、あたしはあたしに出来ることで、オッドさんに笑って貰おうって、そう思ったんです」

「シオンに出来ること?」

「一緒にいるです」

「え?」

「誰かが一緒に居てくれると、あたしはそれだけで嬉しいです。こうやって一緒に居て、体温を感じていると、寂しさや悲しさなんて薄れてしまうですよ。オッドさんは違うですか?」

「……まあ、否定はしない」

 身近な人間が傍に居てくれるのはそれだけで落ちつくし、その体温を感じることが出来るのはそれだけで好ましいと思う。

 倫理的な問題を抜きにすれば、シオンの手から感じる体温すらも好ましいと思えるのだ。

「オッドさんは時々凄く寂しくて辛そうに見えるです。だからあたしはそんな表情をさせないように、一緒に居ようって思ったですよ」

「そんなことをする必要はないし、してもらう理由も無いぞ」

 そんなことをされたらまたロリコン疑惑をぶつけられてしまう。

 俺としては全力で遠慮したい状況だった。

「あたしがそうしたいと思うから、そうするですよ。それじゃあ駄目ですか?」

「………………」

 そう言われると否定しづらい。

 周りに唆されるのではなく、それがシオン自身の望みであるのなら、俺が強制するのは筋が違う。

 もっとも、拒絶する自由ぐらいは俺にもあるのだろうが。

 しかし拒絶出来ないのは、シオンが俺自身のことを慮ってくれていることが分かるからだ。

 こんな子供に心配を掛けてしまっているのが情けないとは思うのだが、シオンはそういう部分が鋭いのかもしれない。

 そしてこれは自分でもどうかと思うのだが、そんな風に俺の幸せを願ってくれる相手がいて、口に出して、その為に行動してくれる相手が居てくれるということが、思っていた以上に新鮮な驚きをもたらしたのだ。

 もちろんレヴィも同じように願ってくれていることは知っていたが、それとこれとは話が別だ。

 同じ戦場を生き抜いて、同じ地獄を乗り越えた、もう一人の自分自身。

 誰よりも慮ろうとする気持ちは、俺自身がよく分かっている。

 だからこそ、そんな『他人』が居てくれたことに驚いたのだ。

 シオンの言葉には全く裏が無い。

 自分がそうしたいから、素直に行動している。

 心のままに動くこと。

 そういう部分はマーシャによく似ていると思う。

 少しばかり猪突猛進なところもあるが、マーシャも直球な行動を好んでいる。

 それが良い影響なのか、それとも悪影響なのか、現時点では判断が難しかったりもするのだが、俺自身はそこまで嫌な気持ちにはなっていない。

「シオンがそうしたいのなら好きにしろ」

「えへへ~。好きにするです♪」

 すりすりと腕に寄ってくるシオンだが、流石にそれは遠慮したかったので引き離す。

「あう」

「それ以上は却下だ」

「何でですか?」

「俺が変態扱いされるからだ」

 ここは公衆の面前なのだ。

 親子扱いも遠慮したいが、それ以上に恐ろしいのはロリコン扱いだ。

 少女を侍らせているロリコン野郎……という通行人の視線が時折突き刺さる。

 じろじろと見る通行人の視線が嫌でも感じ取れてしまう。

 誤解だと叫びたいが、それをやってしまえば泥沼だということは目に見えている。

「いっそ変態さんとして開き直るという手もあるですよ?」

「………………」



 ずびしっ!



「あうっ!?」

 少しばかり強めにチョップを食らわせた。

 とんでもないことを言うお子様にはこれぐらいのお仕置きが必要なのだ。

「何か言ったか?」

 少し低めの声でシオンに問いかける。

 怒っている、ということを少しはアピールしておかなければ、同じ事が繰り返されるだけだ。

 ついでにチョップの第二撃の準備もしておく。

「ご、ごめんなさいです……」

 痛む頭をさすりながら涙目で謝るシオン。

 冗談が通じないタイプをからかうと痛い目に遭うと彼女も学習したようだ。

 それでも懲りずにくっついてきているので、シオンの決意は本物だということだろう。

「じゃあそろそろ戻るか。俺もこれ以上荷物を持つのは限界だ」

 重量的にはまだいけるのだが、精神的にはそろそろ限界だった。

 ブドウみたいになっている持ち手の下の紙袋は、かなりギリギリの強度を保っていると思う。

 いつ破裂してもおかしくない。

 そうなる前にホテルへと戻っておいた方がいいだろう。

「はいです~。あ、でもちょっと待って欲しいです」

「……まだ何かあるのか」

「そこまでげんなりした顔をしなくてもいいのに~」

「この状況でよくそれを言えるな」

 全ての荷物を俺に持たせておいて、そんなことを言える神経はある意味で驚嘆に値する。

「えへへ~。オッドさんは頼りになるですよ」

「………………」

 褒められているのに嬉しくない。

 しかしシオンはお構いなしに店へと入っていく。

 どうやらウィンドウの外から何かを見つけたようだ。

 また荷物が増えるのか……とげんなりしそうになるが、一つぐらいならシオンに持って貰うというのもいいだろう。

 というよりも、本来は彼女の荷物なのだから、それが筋というものだ。

「……エプロン?」

 自分用の買い物かと思ったのだが、シオンが手に取ったのは大きめのエプロンだった。

 メンズ用のエプロンのようだが、描かれているのはデフォルメ化された猫だ。

 かなり可愛らしい猫だが、このプリントでメンズ用のサイズというのはある意味で酷だと思う。

「……まさか」

 嫌な予感が再び襲いかかってくる。

「えへへへ~」

 嬉々としてそのエプロンを持って俺の方に寄ってくるシオン。

 まさか……

 猫エプロンを俺に合わせてご機嫌に笑うシオン。

「やっぱり似合いそうですです~」

「……勘弁してくれ」

 つまり、このエプロンを俺に着させるつもりなのだ。

 猫だけではなく、猫の足跡もところどころにプリントされた、実に可愛らしいエプロンを。

「嫌ですか?」

「男には可愛すぎるだろう」

「オッドさんは可愛いのが似合うですよ」

「………………」

 全く嬉しくない。

 男としての何かを否定されたような気がする。

「じゃあちょっと買ってくるですです~」

「あ……」

 止める間もなくレジへと向かうシオン。

 すでに会計を済ませてプレゼント袋へと詰め込まれていた。

 そして戻ってくるシオン。

「今日一日付き合ってくれたお礼にプレゼントですです~」

「………………」

 プレゼント?

 嫌がらせではなく?

 これをつけて、俺に料理をしろと?

「嬉しくないですか?」

「う……」

 上目遣いで見上げてくるのは止めて欲しい。

 しかし三十路過ぎの男がデフォルメ猫エプロン。

 考えただけで凹みそうになる。

 しかしシオンはお構いなしに続ける。

「やっぱり料理人にはマイエプロンが必須なのですです♪」

「マイエプロン……」

 というか、いつから料理人という扱いになったのだろう。

 確かに料理は担当しているが、それは雑用の一環であり、本格的な料理人になった覚えは無いのだが。

 強いて言うなら胃袋管理人だろうか。

「これをつけて料理して欲しいですよ」

「うぅ……」

 上目遣いは卑怯だ。

 ここで拒絶すれば子供を虐めているような気分になってしまう。

 かなりいたたまれない。

「ど、どうして猫なんだ?」

 苦しまぎれにそんなことを訊いてみる。

「可愛かったので一目惚れしたのですです」

「………………」

 それだけの理由か。

 自分が可愛いと思うことと、俺に似合うかどうかは完全に別物なのだが、シオンはその辺りのことを気にしていないらしい。

 深く考えるのが馬鹿らしくなってきた。

 その無意味さを悟ったとも言う。

 もう、いろいろと諦めるしかないだろう。

「分かった。受け取っておく」

 あって困るものでもないし、シオンが俺の為に選んでくれたエプロンをこれ以上拒否するのも気が引ける。

 猫のエプロンという事実が少しばかり抵抗があるのだが、それもまあ、いずれは慣れるだろう。

 人間、諦めが肝心だ。

「えへへ~。早くオッドさんがそのエプロンを着けた姿を見てみたいですです~」

「………………」

 俺は見たくない。

 いい歳したおっさんが猫エプロン……。

 考えただけで凹みそうになる。

 こうして俺はシオンからのプレゼントとして、猫エプロン……もといマイエプロンをゲットすることになった。

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