シルバーブラスト Rewrite Edition

水月さなぎ

2-2 クラウスとの再会 7


 そして後にはウルトラ不機嫌なマーシャと、大変気まずい様子のレヴィが残された。

「まったく。酷い状況だな」

「すまんすまん。俺もまさかこんなことになるとは思わなかったんだ」

「まあいいけど」

「……いいのか?」

 てっきりティアベルの件についてもっと責められると思っていたし、その覚悟もしていたのだが、予想外にマーシャは大人しく引き下がってくれた。

「いいも何も、レヴィの女性関係について私が口を出す権利は無いだろう」

「………………」

「私はレヴィと何も約束はしていないんだ。だから何も言う権利は無い」

「………………」

「ただ、助けたことを責めるつもりはないけど、私が取った部屋に連れ込むのは止めて欲しいな。仕方ないと分かっていても、やっぱり面白くない」

「それは悪かったよ。とにかくあのままにはしておけないと思ったんでな。あの姿のままフロントに連れて行って新しい部屋を取る訳にもいかなかったし」

「まあ、今回は仕方ないか」

「そういうことで許して貰えるとありがたい」

「分かった」

 マーシャはそのまま浴室に移動してシャワーを浴び始めた。

 レヴィはそんなマーシャを見送るしかない。

「うーむ。怒られないのは助かるが、物分かりが良すぎるというのもなんだか寂しいものだな……」

 妬いて欲しいという気持ちがあることに驚いてしまった。

 そして妬いていても割り切ることが出来てしまうことが寂しかった。

 私が口を出す権利はない。

 マーシャははっきりとそう言った。

 そこがマーシャの線引きなのだろう。

 決定的なところまで踏み込めない理由でもあるのだろう。



 そしてしばらくするとマーシャがバスローブ姿で出てきた。

 ぴょこんと三角耳が出ている。

 尻尾はバスローブで隠れてしまっているが、ゆったりとした格好なのでマーシャもようやく気が抜けたようだ。

 表情がゆるっとしている。

「レヴィも入ってきたらどうだ?」

「そうする」

 いい加減、正装を保つのもしんどくなってきたので、早めに脱いで楽な姿になりたい。

 しかしシャワーを浴びる寸前でマーシャが意地悪く笑った。

「ちなみにバスローブはもう無いぞ」

「え?」

「レヴィがあのお嬢さんに貸しただろう? ここは二人部屋なんだから、二着しか用意されていない」

「あ……」

「タオル一枚で出てくるか?」

「それはちょっと……」

 腰にタオルを巻いたまま出てくるのは少しばかり情けない。

 しかし着替えがなくなったのは自分の責任なので仕方ない。

 裸のまま出てくるのは論外だった。

 情けない表情になるレヴィを見て、マーシャもクスクスと笑う。

 少しだけ機嫌が直ったのかもしれない。

「フロントに追加を頼んでおくから、入ってこい」

「すまん。頼む」

「ああ」

 少しだけレヴィを虐めて気が済んだのか、マーシャは楽しそうに背を向けた。

 そしてレヴィもシャワーを浴びる。

 熱いお湯に顔を打たせながら、今日一日のことを考える。

「なんか、いろいろあったなぁ……」

 クラウスとの再会。

 慣れないパーティーと正装。

 そしてギルバートやティアベルとの遭遇。

 いろいろあったし、気まずいこともあった。

 それ以上にレヴィの頭を占めていたのは、マーシャのドレス姿のことだった。

「まあ、ああいう装いも可愛くていいな」

 いつもの自然体なマーシャもいいのだが、ああいうドレス姿も新鮮でいい。

 マーシャもレヴィの正装を気に入ってくれたようだが、それはレヴィにとっても同じことだった。

 同時にマーシャを独占したいという気持ちもある。

 それはレヴィの中にある迷いだった。

 もう二度と、大切な存在は作らない。

 これ以上、何も失いたくない。

 そう決めた筈なのに……

「はぁ……」

 マーシャが欲しいと思ってしまう気持ちが抑えられない。

 しかしそれでは自分自身の誓いと反してしまう。

 気持ちのままに行動出来たらどんなにいいだろう。

 しかしそれは出来ない。

 それが臆病さの現れだということは理解している。

 それでも、どうしても出来なかったのだ。

 あの恐怖を、あの喪失感を、二度と味わいたくないと思うのは、人としてそこまで責められることだろうか。

 いや、そんなことはない。

 そんなことはないと思いたい。

「………………」

 答えが出ないまま、レヴィはシャワーを終えた。

 宣言通り用意されていたバスローブを着て、部屋へと戻る。

 するとマーシャは既にベッドに潜り込んでいた。

「おーい。マーシャ。もう寝てるのか?」

「………………」

 獣耳がぴくんと動いただけで、後は何も反応がない。

 答えるつもりはないという意思表示なのかもしれない。

「マーシャ?」

 なんとなくシーツをめくると、マーシャの顔は真っ赤だった。

 真っ赤なまま目を閉じている。

「おい、マーシャ? 大丈夫か?」

 真っ赤になっていたが、気分が悪そうという訳でもない。

「らい……じょーぶ……」

「呂律が……」

 気分が悪い訳ではないが、明らかに普通ではない。

 テーブルに視線を移すと、瓶が四本ほど転がっていた。

「……もしかして、あれは全部酒か?」

「ちょっと……ねざけ……」

「……明らかに寝酒って量じゃねえし」

 グラスが転がっていないところを見ると、全てストレートで飲んだらしい。

 普通なら急性アル中でぶっ倒れるところだ。

 しかしマーシャの酒豪っぷりは知っている。

 このぐらいは飲まないと『寝酒』にはならなかったのだろう。

 中にはとんでもない度数のものも含まれている。

 割って飲むものだろうと突っ込みたくなるが、しかし何も言わなかった。

 盛大なため息をついてから同じベッドに潜り込む。

「何やってんだよ」

「べつに……なにも……」

 ぼんやりとした答えしか返ってこない。

 頭がはっきりしていないのだろう。

 いくらマーシャでもあれだけの度数、そしてあれだけの量の酒を一気飲みし続ければ、酔っ払い状態になって倒れるのも無理はない。

 寝酒というよりはふて寝酒なのかもしれない。

 同じベッドに入り込んで、マーシャを自分の上に乗せる。

「ん……」

 レヴィの胸板に心地よさそうに頬をすり寄せるマーシャ。

 拗ねていても、レヴィといちゃつけて嬉しいという気持ちは変わらないらしい。

 こういう素直さが愛おしいと思う。

「あのな、マーシャ」

「ん?」

「ちょっとは妬いてくれてもいいぞ」

「やいて……ほしいの……間違いじゃないのか?」

 ぼんやりとした口調で答えるマーシャ。

 頭ははっきりしていなくても、考えることは出来るらしい。

「まあ、そうとも言う」

「どうして……私が……レヴィの思うとおりに……しないといけにゃい……?」

「にゃいって……なんか可愛いな」

 呂律が本格的に怪しくなってきているが、可愛いので許す。

 むしろもっとプリーズという気持ちになる。

 レヴィもいろいろ駄目な感じだった。

「……何をしてるんだ?」

「もふもふ♪」

 抱き上げたままマーシャの尻尾をもっふもっふするレヴィ。

 彼はもふもふ出来ればそれだけでご機嫌なのだ。

「………………」

 マーシャの方も呆れつつも諦めているようで、素直にもふられている。

 甘やかしてくれるのが嬉しくて、尻尾がぱたぱた動く。

 そんな尻尾を捕まえてもふもふするのがレヴィも楽しいようだ。

「マーシャ」

「ん……?」

 とろんとした銀色の瞳がレヴィを見る。

 いつもの強い光は無い。

 どこか弱々しい感じがする。

 マーシャらしくないと思ったが、案外、これが彼女の隠れた本質なのかもしれないと思った。

 マーシャは強い。

 その心も、身体も。

 在り方そのものが強い。

 絶望の中でも決して諦めず、未来を信じて、ただ、力の限り前に進む。

 幼い頃からそんな強さを持つ少女だった。

 そしてそれは今も変わらない。

 欲しいものがあって、望んだ未来があったのなら、マーシャはひたすらそこを目指す。

 そうやって、二度と会えないと覚悟していたレヴィに会いに来た。

 同じ場所に立って、同じ宇宙《ソラ》を飛んで、旅をしようと言ってくれた。

 存在そのものが輝いている。

 マーシャの真っ直ぐさ、そして強さは、レヴィにとってとても眩しいものだった。

 同時に強烈な憧れも抱かせた。

 マーシャはレヴィに憧れている。

 しかしレヴィの方もマーシャに憧れていたのだ。

 強いマーシャに対する憧れ。

 しかしそれは、弱さを見ていないということでもある。

 強さの裏には、弱さがある。

 それはレヴィ自身もよく知っていることだった。

 マーシャは強い。

 だけど、ただ強いだけではない。

 きっと、レヴィと同じなのだ。

 強く在ろうとしている。

 だから強く見える。

 その裏側、そして奥底には、脆くて弱い自分自身が隠れている。

 そこから目を逸らさない。

 全て受け入れた上で、それでも強く在ろうとしている。

 だからこそマーシャを眩しいと思ったのだ。

 そんなマーシャが今は弱さを見せてくれている。

 いつもは隠している弱さを、ほんの少しだけさらけ出してくれている。

 だからこそ、今ならいつもとは違う答えが聞けると思った。

 今しか聞けないことなのかもしれない。

「マーシャ」

「ん……」

「俺はマーシャの本音が聞きたい」

「………………」

「今なら言えるんじゃないか?」

「………………」

 強さの裏側に隠した弱さが表に出ている今なら、普段は自制していることでも言える。

 レヴィはそう促している。

 しかしそこで強いマーシャが少しだけ表に出てくる。

 言ってはいけないことなのだと、自制している。

「言う権利……無い……」

「俺が認めているのに?」

「………………」

 そんなことを言う権利は無いとマーシャは主張する。

 しかしその権利はあるとレヴィが言う。

 ならば、言ってもいいのだと、そう思える。

 どれだけ筋違いなことでも、受け入れてくれる。

 今ならば、言いたいことを言えるのだ。

 そう思わせてくれた。

 それでも銀色の瞳は戸惑う。

 本当に言っていいのかどうか、迷う。

「全部吐き出しちまえよ。溜め込んでいる気持ち。俺はそれが聞きたい」

「どう……して……?」

「マーシャの本音が聞きたいから」

「私は……嘘なんか……ついていない……ぞ……」

「分かってる。マーシャはいつだって本当のことしか言わない」

 嘘は吐かない。

 いや、吐けないのだろう。

 真っ直ぐすぎる性格故に、嘘を吐いてもすぐにバレてしまう。

 ならば本当のことだけで挑むしかない。

 いろいろなことをこなす器用さを持っている癖に、こういう部分では酷く不器用なのだ。

「それでも、言いたくても言えないことはあるだろう?」

「それは、言いたくないこと……だから……」

「俺はそれが聞きたい」

「どう……して……」

「どうしても」

「………………」

「私は、言いたくないのに……それを、暴くのは……趣味が……悪い……」

「そうだな。趣味は良くないな」

「じゃあ、諦めろ……」

「嫌だ♪」

「………………」

「じゃあ俺から少しぶちまけようか。そうすればマーシャの口も軽くなるだろう?」

「……?」

 何をぶちまけられるのだろう、と首を傾げるマーシャ。

 しかしレヴィがぶちまけてくれることなら、一言一句聞き逃さないと耳を立てる。

「俺も嫉妬ぐらいはするぞ」

「……?」

 意味が分からないらしく、レヴィをじっと見る。

 何に嫉妬しているんだ? と問いかけている。

「さっき、他の男と一緒に戻ってきただろう?」

「ミスター・ハーヴェイのことか?」

「そうそう。ドレス姿のマーシャと一緒に戻ってきたあの研究者。俺はそいつにちょっとだけ嫉妬したぞ」

「……なんで?」

 ユイと会うことはレヴィにも言ってある。

 あくまでも資金援助の話であり、男女の関係ではない。

 それは分かりきっている筈だ。

 嫉妬する理由などどこにもない。

 だからレヴィが嫉妬する理由が分からなかった。

「もちろん分かってる。だけど理屈じゃない。そういう状況そのものが面白くない。マーシャのもふもふは俺のものだからな」

「……そこにもふもふは……いらない」

 どうせなら『マーシャは俺のもの』だと言って欲しかった。

 肝心なところで残念すぎる。

 しかしそれがレヴィらしさでもある。

「わははは。まあそんな感じで、分かってはいても面白くないと思う程度には妬く訳だ」

「………………」

「だったら今回の件は誤解にしても、マーシャが妬くには十分な状況だろう?」

「………………」

「俺はそれが聞きたい」

「どう……して……?」

「どうしても」

「………………」

「誤解だって分かっていても、嫉妬ぐらいはするだろう? マーシャがそんな気持ちになったところで、俺は責めたりしないし、筋違いだって文句を言ったりもしない。だからたまにはぶちまけちまえよ。マーシャが嘘をつかないのは知っているけど、でも言わないことだって、我慢していることだって、山ほどあるだろう? 俺はマーシャにそんな我慢はして欲しくない」

「………………」

「マーシャ」

「うー……」

 金色の瞳がじっと銀色を見つめる。

 この色に見つめられると弱い。

 本音を聞きたいと言うのなら、言ってしまいたくなる。

 言ってもいいのだろうかという気持ちにさせられる。

 大量に摂取したアルコールがいつもの理性を奪い取っていく。

 だからこそ、本音が漏れた。

「もう一度会えた」

「うん」

「一緒に居てくれる」

「うん」

「それだけで満足するべきだって思ってる。それは本当なんだ」

「もっと求めてくれてもいいぐらいだぞ」

 ここまで真っ直ぐに追いかけてくれたのだ。

 だからこそもっと求めて欲しい。

 それがレヴィの本音だった。

「でも、一緒に居るとどんどん欲張りになる。レヴィを独り占めしたくなる」

「すればいいじゃないか」

「出来ない……」

「なんで?」

 それぐらい妬いてくれた方がレヴィとしても嬉しい。

 そう思えることに自分で驚いた。

 やはり、自分はマーシャに参っている。

 過去の誓いが揺らぐほどに。

 それを自覚していても、まだ踏み込めない。

「出来ない……よ。私とレヴィは仲間だけど、それだけだから」

「………………」

「私の気持ちは言ったけど、レヴィからは何も言って貰っていない。だから、私達の間には何の約束もない……。独り占めする資格も、嫉妬する資格も、今の私には……無いんだ……」

「………………」

 マーシャはレヴィに好きだと言った。

 身体も重ねた。

 今だって恋人同士みたいに抱き合って、甘えている。

 だけどそれはマーシャが望んだからであり、レヴィはそれに応じているだけなのかもしれないのだ。

 少なくとも、マーシャはそう考えている。

 レヴィもマーシャに好意を抱いているのかもしれないが、それでも決定的なところまでは踏み込まない。

 他に想う相手がいるのかもしれないと考えたこともある。

 望みに応えることは出来ても、気持ちには応えることが出来ない。

 レヴィはマーシャに何も言わないから。

 ただ、傍に居てくれるだけでいい。

 一緒に居られるだけでいい。

 マーシャはそう自分を納得させている。

 いや、納得させようとしている。

 それで十分だと納得しようとしていても、それだけじゃ嫌だという気持ちが表に出てくるのを止められない。

「………………」

 マーシャはレヴィの着ているバスローブをぎゅっと握りしめる。

 いつもからは考えられないぐらい、弱々しい声だった。

「でも時々、それがどうしようもなく寂しくなるんだ。レヴィを、自分のものにしたくなるんだ……」

「マーシャ……」

 強くて、凜々しくて、飄々としていて、完全無欠の美女。

 レヴィの目に映るマーシャはそういう存在だった。

 それは彼女が乗り越えてきた過去を強さに変えてきた証であり、それこそが本来の強さだとレヴィは考えていた。

 だが、それは間違いだった。

 最初から強い人など、誰も居ない。

 ただ、強く在ろうとしているだけ。

 それは分かっているつもりだった。

 しかし、本当の意味では分かっていなかった。

 いや、分かろうともしなかった。

 マーシャ自身の強がりがちょっとやそっとじゃ崩れないほどに完璧だったから、今まで気付くことが出来なかった。

 マーシャ・インヴェルクは当たり前の弱さを持つ女の子であるということに、本当の意味で気付こうとしなかった。

 このタイミングでなければ、聞くことは出来なかっただろう。

 本音を聞けて嬉しかったかと問われれば、否と答えるしかない。

 聞きたくなかった。

 知りたくなかった。

 出来ることなら、聞かされるのではなく、自分が気付いてやりたかった。

 言われる前に、見抜いてやりたかった。

 本音を求めておいて情けない限りだが、それがレヴィの本心だったのだ。

「……さっきの女の子のことだって、本当はもっと文句を言いたいし、詰りたい」

「まあ、それは受け入れる」

「後、殴りたい。蹴りたい」

「いや、暴力だけはマジで勘弁してくれ。俺、勝てないし」

「………………」

 責められるのも詰られるのも構わないが、殴られるのと蹴られるのは遠慮したい。

 嫉妬で理性を無くしたマーシャからそんな仕打ちを受けたら、病院送りになるのは確実だった。

 エミリオンでそんなことになれば個体情報も採取されてしまうし、何処でレヴィアース・マルグレイトの情報と一致するか分からない。

 それだけは勘弁して貰いたかった。

「レヴィの気持ちが知りたい」

「………………」

「言葉が欲しい。約束が欲しい。もっと、ちゃんとした絆を結びたいんだ」

「マーシャ……」

「でもそれは、私だけの願いだから……」

「………………」

「だから……言えない……」

 すぅ……すぅ……と寝息を立てるマーシャ。

 どうやら意識を保つのが限界だったらしい。

「やれやれ」

 マーシャを抱いたまま盛大なため息を吐くレヴィ。

 眠るマーシャの目元には涙の痕。

 泣いた訳ではない。

 ただ泣きそうな気持ちになっただけだろう。

「こりゃあ、どう考えても俺が悪いよなぁ……」

 なんとなくあやふやにしていたことが、ここまでマーシャを苦しめているとは思わなかった。

 そういうことを気にするタイプには見えなかった。

 相手が自分をどう思っていようと関係ない。

 自分が相手をどう思っているのかを重視する。

 そういうタイプに見えていたのだ。

 そしてそれは間違いという訳ではない。

 マーシャがそう在りたいと願った自分自身がその姿なのだから。

 望んだ自分を演じて、演じることすら忘れるぐらいに『自分』として刻みつけている性格でもある。

 だけどその中にも確かに存在する弱さ。

 そこから目を背けず、逃げ出さず、きちんと向き合って、自分自身で折り合いをつけようとしている。

 だからいつも一人で苦しむのだ。

 器用な癖に、どうしようもなく不器用な性格。

 レヴィもマーシャを好ましく思っているし、好きだと確信している。

 しかしそれは過去の誓いを破っていいほどの気持ちなのかと問われれば、躊躇いが生じてしまう。

 再会してから日が浅いというのも、理由の一つだろう。

 それでも放っておけないという気持ちだけは本物だった。

 たった一人で苦しんでいるマーシャを少しでも安心させてやりたいと思ってしまうこの気持ち。

 それは、過去の誓いと天秤にかけて、どちらに傾くのだろうかと自問する。

「うーん。いや、しかし……それとこれとは……うぐぅ……」

 再び唸るレヴィ。

 マーシャを安心させることは簡単だ。

 好きだと言ってやればいい。

 確かな約束をすればいい。

 お互いに同じ気持ちを抱いて、絆を確かめさせてやれば、きっとマーシャは安心してくれる。

 寂しい思いをさせなくて済む。

「あー……うー……」

 レヴィは本当に困っていた。

 本当に今更ではあるが、自分はそのあたり、かなり不器用であるらしい。

 いい歳をして、今更気付かされた。

 その事実にもショックを受ける。

 来る者拒まずの生活を送ってきたレヴィは、もっと恋愛関係に対して器用な方だと思っていたのだ。

 それが本気の相手を前にすると、とことんまで不器用になる。

 自分自身に呆れてしまう。

 マーシャに甘い言葉を囁く自分というものを想像してみた。

「………………困った。想像出来ん」

 そして失敗した。

 そもそも、他の女相手にも甘い言葉など囁いたことはないのだ。

 そういうことが出来る性格ではないと自覚している。

 しかし甘くなくても、それなりに誠実に接してきたつもりだ。

 何よりも、レヴィはマーシャに対して踏み込めない致命的な理由がある。

 それは、恐怖。

 絆を失うことへの恐怖。

 記憶に蘇るのは、護らなければならないと信じていた人たちの屍の中心に立つ自分の姿。

 生き残ったのは偶然だった。

 だけどあの時死んでいれば良かったと後悔する瞬間もある。

 そうすればこんなに苦しまなくて済んだのに。

 自分だけ生き残っていたら、とっくに耐えられなかっただろう。

 オッドが生き残ってくれたからこそ、一人ではないと信じられたからこそ、その苦しみにも耐えられた。

 そして今はシャンティがいる。

 マーシャがいる。

 シオンがいる。

 オッドと二人生き残ってから、二度と仲間はいらないと思っていたのに、気がつけばこんなに沢山の仲間が傍に居てくれる。

 きっと自分は変わったのだろう。

 変わることが出来たのは、時間の所為だろうか。

 それとも、傍に居てくれた人たちのお陰だろうか。

 今の時間が楽しいと思うと同時に、怖いと感じる気持ちも本物だった。

 それでも、恐怖だけでは前に進めない。

 生きているのだから、前に進まなければならない。

「………………」

 それでも、怖い。

 意識的に踏み込もうとする度に、あの地獄が蘇る。

 記憶の中で、容赦なく襲いかかってくる。

「………………はぁ」

 情けない。

 本当に情けなさ過ぎる。

 マーシャは迷わず自分を目指してくれたのに、自分はこんなにも臆病だ。

 いい歳をして女一人安心させてやることが出来ない自分の不甲斐なさを、心の底から呪いたくなる。

 自分で自分を殴り倒したくなってくる。

「うー……」

 意味不明な呟きばかりが漏れる。

 視線を落とせば、涙の痕が残るあどけない寝顔。

 言葉も、絆も、約束してやれない。

 それでも、傍に居たいと願ってくれている。

 そんな気持ちに応えられない自分は、正しいのだろうか。

「………………」

 そんな筈はない。

 これ以上泣かせたくない。

 笑顔が見たい。

 その気持ちは、あの恐怖よりも下回るものだろうか。

「それは、ないな」

 過去は、捨てられない。

 逃げることも出来ない。

 だけど、それは現在《いま》から逃げることとは違う筈だ。

 過去を理由にして現在《いま》から逃げるのは間違っている。

 少なくとも、これ以上マーシャを泣かせたくないという気持ちは本物なのだ。

 そして、マーシャに傍に居て欲しいという気持ちも、間違いなく本物だ。

「まあ、仕方ないかな……」

 眠るマーシャの頭をそっと撫でる。

 獣耳がぴくんと動いて、それでもそれがレヴィの手だと分かると安心したように口元が緩む。

 世界で一番安心出来る場所だと思っているのかもしれない。

 そんな気持ちを向けられて応えないのは、男として最低すぎる。

 だからこそ、レヴィは決意する。

 マーシャの願いを叶える為に、らしくないことをしてみようと決めたのだ。

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