シルバーブラスト Rewrite Edition

水月さなぎ

02-3 外に出てみよう 2

 それからすぐに市街地に出た。

 駐車場に車を止めてから、二人は街中を楽しそうに歩いていた。

 護衛の二人はその後ろから付いてきている。

 近すぎず、遠すぎずの距離を保っているので、目立つことはない。

 別の二人組としての距離を保っているのだ。

 だからこそマーシャ達も護衛の姿を煩わしく思うことはなかった。

 彼らは自分達の邪魔にならない距離を心得てくれている。

 だから安心して楽しむことが出来た。

「服を見て回るのも楽しそうだけど、まずは肉かな」

「そっちが先なのか?」

「もちろんだ。肉串の買い食い。これを最初にやりたかったんだ」

「なんで?」

「なんとなく。レヴィアースが買ってくれた肉串の屋台に行こう」

「……うん」

 レヴィアースという名前に拘っているマーシャのことを、トリスが複雑な表情で見ている。

 命の恩人であることは確かなのだが、もう会えないかもしれない人にそこまで拘るのはマーシャにとっても良くないことだと思うのだ。

 もちろん、正式な戸籍を得た今となっては、レヴィアースに会いに行ってもそれほど危険ではないのかもしれない。

 しかし何がきっかけで彼の行動が暴かれるか分からないのだ。

 任務違反をしてまで自分達を助けてくれたレヴィアースには、二度と会わない方がいい。

 その方がレヴィアースの為でもあるのだ。

 亜人という存在に注目されてしまえば、レヴィアースにも危険が及ぶ。

 それだけは避けたかった。

 しかしマーシャはそんなこと関係無しに、純粋にレヴィアースともう一度会いたいと思っているらしい。



 マーシャは屋台に行って肉串を二十本も注文した。

 亜人の姿を見て店員も驚いていたようだが、嬉しそうに見上げるマーシャに自然と口元がほころんだようだ。

 珍しい姿ではあるが、可愛らしいことに間違いない。

 それに支払いもきちんとしてくれるのならば、拒絶する理由もないのだ。

 店員は手早く二十本の肉串をパックに詰めてマーシャに渡してやった。

 それからトリスのところに戻る。

「半分こしよう」

「うん」

 二人で肉串を食べる。

 尻尾がぱたぱた揺れている。

 ご機嫌な証だった。

 亜人の子供二人が堂々と外をうろついているが、あたりの人間はちらりと視線を向けるだけだ。

 アクセサリーだと思っているかもしれないし、ちょっと珍しいものを見たと思っているのかもしれない。

 あからさまな侮蔑や嘲笑の視線がないのはありがたい。

 元々、ロッティには亜人を差別する空気が無いお陰なのかもしれない。

 或いは、クラウスが手を回して、亜人への感情を操作したのかもしれない。

 彼ならそれぐらいの影響力はある。

 大切な子供達が堂々と日常を過ごせるように。

 せめてこの星では安らかに過ごせるように。

 そんなクラウスの気持ちが表れているのかもしれない。

「なんかさ、夢みたいだよな」

「トリス?」

「あの頃が、夢みたいなのか。それとも、今が夢みたいなのか……」

「………………」

 地獄が夢か。

 天国が夢か。

 それはマーシャにも分からないことだった。

 どちらも現実であることは間違いない。

 地獄は実際に経験したことだし、天国も実際に経験していることだ。

 ただ、あまりにも違いすぎて、どちらかが、あるいはどちらも夢なのだと疑いたくなる気持ちは理解出来る。

「どっちでもいいんじゃないか?」

「そうかな」

 悩むトリスと違って、マーシャの方はあっけらかんとしていた。

 彼女はシンプルに出来ている。

 悩んでも意味の無いことでは悩まない。

 それは無駄だと割り切っているのだ。

 悩み甲斐のあることならばしっかりと悩んで答えを見つけることも吝かではないと思っているが、これは悩んでも意味が無いことだと思っている。

「今の時間が楽しい。今の時間が幸せだ」

「うん」

「それ以外に何が必要なんだ? 私達は今を生きているし、これからを生きるんだ。過去に拘るんじゃなくて、未来を見る。大事なのはそこだろう」

「そうだね」

「でもトリスは違うんだろうな」

「え?」

「トリスは過去に拘っている。過去を絶対に忘れようとしない」

「それは……当たり前だよ。あんなの、忘れられる訳がない」

「まあ、私も忘れてやるつもりなんてないけど」

「そうなの? てっきり忘れたいと思っていたんだけど」

「あんな侮辱を忘れてやるつもりなんてない。だけど恨んでも仕方ないじゃないか」

「………………」

「相手が個人ならば復讐も考えたかもしれない。誰かを殺せばいいのなら、そうしていたのかもしれない」

「………………」

「でも、違うだろう。相手は『個人』じゃなくて『社会』だった」

「………………」

 あの頃、マーシャ達を地獄に突き落としていたのは、彼女達が暮らしていた世界そのものだった。

 誰かが個人的にそうした訳ではない。

 世論が、情勢が、つまり社会がそうしてしまったのだ。

 恐ろしい悪意の産物だが、やっている方はそれほど悪意を持っていた訳ではないだろう。

 状況に流されるまま、命令に従っただけの人間もいるのかもしれない。

 周りの価値観に染められて、無意識の内にそうしてしまった人間もいるのかもしれない。

 つまり、誰かを恨めばいいという問題ではないのだ。

 社会そのもの、世界そのものを恨まなければならない。

 そんなことはしたくなかったし、しても意味が無いと分かっていた。

 だからマーシャは割り切っているのだ。

 あれは運が悪かっただけなのだと。

 そして生き残ったのは運が良かっただけなのだと。

 それならば、運で拾った命を精一杯楽しもうと思った。

「だから私は過去には拘らない。忘れてやるつもりはないけど、引き摺るつもりもない。死んだ仲間は戻らないけど、それは拘っても意味が無いことだ。復讐しようと思えば社会そのものを相手取ることになる。そうなれば何人殺すか分からないぞ。私はそんなしんどい生き方はしたくない」

「……そうだね。僕もそれは遠慮したいな」

 許せないという気持ちはある。

 殺したいという気持ちも捨てられない。

 だけど相手は個人ではないのだ。

 人間そのものを相手取ることになる。

 そうなれば何人殺すか分からない。

 一生をかけて人を殺し続けても、それでも足りないのかもしれない。

 そうなればトリスは大量殺人犯だ。

 そうするだけの理由があったとしても、それは許されない。

 そこには何も知らない、自覚していないままに亜人を追い詰めた人間もいる筈なのだ。

 彼らは自分がどうして殺されたのかも分からないと首を傾げるだろう。

「レヴィアースさんにも言われたよ」

「何を?」

「いろいろ」

 レヴィアースのことはかなり気になるらしい。

 マーシャが身を乗り出してトリスを見ている。

 しかし少し恥ずかしかったので言えなかった。

 マーシャの為に復讐を我慢する。

 トリスがその感情から逃げ続ければ、マーシャを巻き込まずに済む。

 死んだ仲間の為よりも、生きているマーシャの為に今を選ぶ。

 そういう生き方をレヴィアースは示してくれた。

 だから今のトリスは現実と向き合おうとしている。

 過去ではなく、現在《いま》を選ぶ。

 たった一人残された、守りたい女の子の為に。

「なんか、気になるんだけど」

「そんなにレヴィアースさんのことが気になる?」

「うん」

「………………」

 そこまではっきり言われても複雑だった。

 自分ではなくレヴィアースのことが気になっている。

 それはなんだかトリスの気持ちをざわつかせた。

「あのさ……」

「ん?」

「マーシャはレヴィアースさんのことが好きなの?」

「好きに決まってる」

「………………」

「トリスは嫌いなのか?」

「そんなことはないよ。命の恩人だし。優しい人だし」

「うん。レヴィアースが私達を救ってくれたから、今がある。そして人間を恨まずにいられるのも、きっとレヴィアースのお陰だ」

「そうだね」

「だから私にとってレヴィアースは目印なんだ」

「目印?」

「私が私として生きる為の、目印」

「………………」

「いつかもう一度会いたいな」

「それは……」

 トリスだってレヴィアースにもう一度会いたい。

 しかしそれではレヴィアースに迷惑がかかる。

 正式な身分を得たとは言え、本格的に調べられたら、彼の任務違反が露見してしまうかもしれない。

 そんな迷惑はかけられない。

「もちろん、迷惑を掛けない方法を考える。それに、その方法も見えている」

「え?」

「力を得ればいいんだ」

「マーシャ?」

「戦闘能力でも、経済力でも、権力でもいい。とにかく偉くなればいいんだ」

「………………」

「何があってもレヴィアースを護れるだけの力を手に入れればいい。そうすれば堂々と会いに行ける。レヴィアースは軍にいるのが嫌みたいだから、引き抜くのも悪くないな。お爺ちゃんがそう言ってた。エミリオン連合軍よりも、自分のところのPMCに欲しい人材だって」

「そうなの?」

「うん。レヴィアースって実は結構凄い人みたいだ。戦闘機に乗せたら最強なんだって言ってた」

「戦闘機? でも、あの時は乗ってなかったよな?」

「別の任務だったんだろう。本職は戦闘機乗りで、星暴風《スターウィンド》って呼ばれてる。宇宙海賊からはかなり恐れられているみたいだ」

「詳しいね」

「調べた」

「………………」

 いつの間に……と呆れるトリス。

 しかしこの調子だと本気でレヴィアースとの再会を目論んでいるらしい。

「僕も出来ることならまた会いたいと思うけど、難しいと思うよ。そんなに有名な人なら、エミリオン連合軍だって手放さないだろうし」

「そうかもしれない。だけど、何もせずに諦めるのは嫌だ」

「マーシャらしいね」

「当然だ。私はいつだってそうしてきたんだから」

「うん。そうだね」

 いつだって諦めない。

 いつだって足掻き続ける。

 そうして、未来を掴んできた。

 その生き方にトリスも憧れている。

 きっとこれからも、マーシャのそんな姿に憧れ続けるだろう。

「だから頑張る。いっぱい勉強して、偉くなって、いつか堂々とレヴィアースに会いに行くんだ」

「うん。応援してる」

「トリスは頑張らないのか?」

「うーん。僕は今のところ、目標が見つからないんだよね。だから勉強はしてるけど、その方向性はまだ見えていない感じ」

「なりたいものとか、ないのか?」

「今のところは無いかも」

「そうか。その内見つかるといいな」

「うん」

「でもレヴィアースに会いに行く時は一緒に行こう。きっと二人一緒の方がレヴィアースも喜ぶだろうし」

「そうだね」

 二人一緒に会いに行けば、きっとレヴィアースは喜んでくれる。

 その時に立派に成長していれば、更に喜んでくれるだろう。

 その姿を想像しただけで頑張ろうという気持ちになれた。

「じゃあ僕も宇宙船の勉強でもしようかな。それから戦闘機の操縦も。レヴィアースさんに会いに行くなら、彼に近付ける技術があった方がいいと思うし」

「私もそう思う。技能を身につけたからって会いに行ける訳じゃないだろうけど、会えた時に共通の話題があると、話が弾むかもしれないからな」

「確かにね」

 すっかりレヴィアースに会いに行く話になっている。

 すぐには叶わない夢だけど、いつかは叶えたい夢。

 そんな気持ちで話していた。

 未来への目印。

 マーシャにとってのレヴィアースはそういう存在だ。

 自分はそんなマーシャを守ることを目標にしてみよう。

 トリスはそんな風に考えていた。

 この時はまだ、未来を見ることが出来ていたのだ。



 それからいろいろな場所を歩き回った。

 ロッティの街並みは自然と建築物のバランスが取れていて、なかなかに楽しい。

 無機質な建築物の数は少なく、レンガや木造などの温かみのある建物が多かった。

 高層建築の数は少なく、低層の建物が多い。

 街の景観を保つ為に敢えて制限しているのだろう。

 リーゼロック・グループの本社にも行ってみた。

 ロッティではかなりの規模を誇る会社の筈だが、建物そのものは三階建てのシンプルな構造だった。

 仕事の大部分を支社に分散しているので、本社はそれらをまとめるだけの役割となっている。

 それほどまでに大規模にする必要が無いのだ。

「ここがお爺ちゃんの会社かぁ」

「結構大きいけど、思ったよりは大きくないね」

「うん」

 もっと大きな高層建築を予想していたのだが、思ったよりも小さいので意外だったらしい。

 しかし付いてきた護衛が苦笑しながら説明してくれた。

「これでも郊外にある支社はかなり大きいんですよ。ここは街の中心部ですからね。景観に気を遣って敢えて小規模にしています。それにまとめるだけの仕事ですから、そこまでの大きさは必要無いんです。詰めているのも百人程度ですしね」

「そうなの?」

「本社ってそれだけの人数でいいんだ」

 マーシャとトリスが意外そうに首を傾げている。

 そういう反応は可愛いので口元がほころんでしまう。

「細かい仕事の大部分は支社の方で行っていますから。本社で行われているのは仕事内容の確認と、後は監査ですね」

「なるほど」

「じゃあ支社の方はかなり大きいんだ」

「ええ。私の所属するPMCはこの何十倍もの広さがありますよ」

「うわあ……」

「それはちょっと見てみたいかも」

「会長に言えば連れて行ってくれると思います」

「うん。お爺ちゃんに頼んでみようかな」

「僕も見てみたい」

「貴方達が来たらたちまちマスコットになるでしょうね」

「マスコット?」

 マーシャがきょとんとした表情で首を傾げる。

 意味が分からないらしい。

 護衛の男はそんなマーシャの頭を撫でた。

「可愛がられるという意味ですよ」

「………………」

 可愛がられるというのは、つまり好かれるということだ。

 ここの人たちは自分達を好きで居てくれる。

 戸惑うことも多いけれど、嬉しい経験であることは確かだった。

「じゃあ、楽しみにしてる。それに戦闘訓練にも付き合って欲しい。あと、宇宙船や戦闘機の操縦とかも教えてくれると嬉しい」

 マーシャが銀色の瞳をきらきらさせながら護衛の男を見上げた。

「随分といろいろなことを学びたがるんですね。将来はPMCで働きたいんですか?」

「そういう訳じゃないけど。でも、強くなりたいって思ってる」

「なるほど。では戦闘訓練は力になりましょう」

「ありがとう」

 護衛役なだけあって、戦闘能力には自信がある男は戦闘訓練の方は請け負うつもりだった。

 亜人の戦闘能力は高いと聞いている。

 この小さな少女がどこまでやれるのか、少しばかり興味もあった。


 こうして、その日のお出かけは終了するのだった。

コメント

コメントを書く

「ファンタジー」の人気作品

書籍化作品