シルバーブラスト Rewrite Edition
0-5 新天地と別れ 6
車に乗り込むと、そこはかなり広い空間だった。
車の中なのに、後部座席だけで小さなテーブルを囲んで向かい合って座れるようになっている。
かなり快適な空間だった。
買ってきた肉串はテーブルに並べられて、マティルダは大喜びでそれを頬張っている。
かなりご機嫌な表情だ。
「本当に身体は大丈夫なのか?」
「ん。少なくとも、食べられないほどじゃない」
「……それは見ていれば分かるけどな」
バクバクと肉串を頬張っているマティルダを見れば、食欲減衰とは無縁であることが分かりすぎるぐらいに分かってしまう。
食べられる元気があるのはいいことだが、元気すぎるのは逆に呆れてしまう。
それともこれが亜人の強靱さなのだろうか。
そう考えれば一応は納得出来る……かもしれない。
「トリスは? 美味いか?」
「うん。美味しい」
トリスの方はマティルダと違って、黙々と食べている。
マティルダのことが心配なのだろうが、呆れの方が勝っていて、やや複雑な心境らしい。
やはり亜人の基準からしてもマティルダの態度は微妙なのだろう。
「どれ。喉が渇いたじゃろう。何か飲み物を出してやろう」
そして老人は車内備え付け冷蔵庫の中からグラスと氷、そして飲み物を取り出した。
しかしその表情はやや複雑そうだ。
「すまんな。子供に飲ませられそうなものは水しか入っておらんかった」
老人が出してきたのは高級そうな瓶に入っている水だった。
恐らくはどこかの名水なのだろう。
よく冷えていて美味しそうだった。
「飲めれば何でもいいよ」
マティルダの方は水で十分のようだ。
水と言ってもかなり上質なものなので、むしろ興味津々だ。
「そうかそうか。なら好きに飲むとよい」
老人はご機嫌な様子でマティルダとトリスのグラスに水を注いだ。
マティルダ達は嬉しそうにそれを飲む。
「この水、美味しい」
「うん。美味しい」
名水は二人に大好評だった。
「それは良かった。そちらは酒はイケるかね? 水以外は酒しか入れてなくてなぁ」
老人は快活に笑いながらそんなことを言ってくる。
レヴィアースはかなり呆れてしまった。
「つまり、あれは水割り用ですか」
「正解じゃ。まあストレートで飲めるものもあるから、そちらでどうじゃ?」
「……いただきます」
酒を飲んでいる場合でもないのだが、この場合は好奇心が勝った。
こんな高級な車に乗る機会も、車の中で本格的に飲酒出来る機会も、この先は無いだろう。
だったら貴重な経験をしてみるのも面白そうだと思ったのだ。
「うむ。ではこれなどどうじゃ?」
老人が出してきたのは『ミラージュ・コンティス』という酒瓶だった。
「………………」
レヴィアースでも知っているかなりの高級ワインだ。
年数にもよるが、最低でもレヴィアースの年収クラスの金額が必要になる。
そんなものを車の中に入れていて、しかも気軽に進めてくる。
ある程度は分かっていたことだが、この老人は恐ろしいほどに金持ちらしい。
しかし金持ちだということは、いろいろな伝手があるということでもある。
ここでレヴィアースの頭はマティルダの精密検査という以外にも、別の企みが生じた。
この老人と良い関係が築ければ、マティルダ達にとっても明るい未来が望めるかもしれないと考えたのだ。
金があれば大抵の無茶はまかり通る。
今後、子供二人だけで生きていくという無茶な状況も、金さえあれば割となんとかなるのだ。
この老人との関係をきっかけにして、その足がかりを得られれば上出来だと判断した。
「いただきます」
「うむ」
グラスに注がれたワインをじっと眺めて、そして老人とグラスをぶつけた。
車内の乾杯というのもなかなか珍しい経験だった。
そして一口飲むと、芳醇な香りとピリッとした辛さが口の中に広がる。
かなり美味しかった。
「いいですね」
「じゃろう? 儂のお気に入りじゃ。毎月飲んでおるよ」
「………………」
自分の年収が吹っ飛ぶ酒を毎月飲んでいるらしい。
深く考えない方が良さそうだ。
「自己紹介が遅れたな。儂はクラウス・リーゼロックじゃ」
「……リーゼロックって、もしかしてあのリーゼロックですか?」
「うむ。多分、お主の考えておるリーゼロックで間違いないじゃろうな」
「………………」
クラウス・リーゼロック。
リーゼロック・グループの総帥であり、この惑星ロッティの経済を支配していると言われる大富
豪。
元々は宇宙船開発の小さな会社だったが、そこから運送業、製造業、飲食業や民間軍事会社にまで手を広げて、一大グループを築き上げている。
このロッティにおいてリーゼロックの影響を受けていない企業はほとんど存在しないと言われている。
クラウス・リーゼロックはその頂点に立つ人間だ。
この惑星における経済的な支配者で、その気になれば政治にも口を出せる。
エミリオン連合もロッティにおいては彼を無視できないと言われている。
現場の軍人であるレヴィアースですらこの程度のことは知っているのだ。
実際の権力は更に大きいのだろう。
とんでもない人物に会ってしまったものだ。
いや、遭ってしまった、というべきなのかもしれない。
「俺はレヴィアース・マルグレイトです」
「ふむ。レヴィアースか。何となく軍人っぽい雰囲気じゃの」
「……本職はそうです」
「ならばロッティ軍所属かのう?」
「いいえ。エミリオン連合軍です」
「ほう。エミリオン連合軍の軍人さんがこんなところに何の用じゃ?」
「今は私用ですね。この子達の保護者みたいなものです」
レヴィアースはマティルダとトリスを見る。
肉串は既に無くなっていて、マティルダの視線はじーっとレヴィアースの肉串に注がれていた。
「………………」
食欲旺盛すぎる。
元気なのはいいことだが、元気すぎるのもどうかと思う。
五本あった肉串は四本にまで減っている。
レヴィアースはまだ一本しか食べていないのだ。
なかなか美味しかったので出来ればまだ食べたいし、食べてしまいたいのだが、キラキラした銀色の瞳を見ていると、それをすれば恨まれることは確実だった。
自分の分を食べるだけなのに恨まれるのは理不尽だが、子供相手だとどうしても甘くなってしまうのが困りものだった。
「食っていいぞ」
仕方なく自分の肉串の入ったパックをマティルダの方に寄せる。
「ただし、トリスと半分こだ」
「え?」
きょとんとしたトリスはレヴィアースの方を見る。
しかしレヴィアースはトリスの紫色の瞳も少しだけ物欲しそうにしているのを見逃したりはしなかった。
彼の性格からして、自分から欲しいとは言い出せなかったのだろう。
そしてマティルダが欲しがるのなら喜んで譲る筈だ。
そんな優しい少年にも、少しはいい目を見て欲しかった。
「食べたかったんだろう?」
「……うん」
じっとトリスを見てそう言うと、彼も照れたように頷いた。
なかなか素直な感情を表に出せない少年だが、だからこそこうやって素直になってくれた時は可愛らしいと思える。
「じゃあ、トリスと半分こだな」
マティルダの方はかなり素直に喜んでいるので、すぐに食べ始めた。
「やれやれ。轢いてしまった時は焦ったが、これだけ元気なら本当に大丈夫そうじゃな」
「ご心配をおかけしました」
「構わんよ。こちらの不注意でもあったのじゃ。警察が介入してこないなら、どうとでも出来るしのう」
「………………」
それはそうだろう。
リーゼロックの権力を使えばその程度は朝飯前の筈だ。
「レヴィアース」
「ん? どうした?」
肉串を食べながら、マティルダがレヴィアースの方をじっと見る。
「それ、飲んでみたい」
「え?」
じっと見ているのはレヴィアースとクラウスが飲んでいるワインだった。
『ミラージュ・コンティス』。
一本でレヴィアースの年収が消費されていく代物。
余程美味しそうに飲んでいたのだろう。
だからこそマティルダが興味を惹かれたのかもしれない。
「いや、しかしなぁ。子供に酒を飲ませるのはちょっと……」
困ってしまうレヴィアース。
美味しいことは確かなのだが、未成年の飲酒はあまり賛成できない。
頭の堅いことを言うつもりもないのだが、健康に悪影響を与えるかもしれないことを考えると、どうしても賛成しかねるのだ。
しかも今のマティルダは車に轢かれたばかりで、平気そうに見えてもどこかを悪くしているかもしれない。
そんな時に酒を飲ませるのは、どう考えてもよろしくない。
「飲みたいな」
「………………」
しかし銀色の上目遣いで見られると弱い。
困ったようにクラウスを見るレヴィアース。
しかしクラウスの方は茶目っ気も悪戯心も満載の老人だったので、楽しそうに頷いた。
「よし。では飲んでみるか?」
「うんっ!」
水の入っていたグラスにワインを注ぐ。
マティルダは琥珀色の液体を興味深そうに見ていた。
「そういえばそちらの嬢ちゃん達の名前はまだじゃったな。教えてくれるかのう?」
「マティルダだよ」
「トリス……です」
「ふむ。マティルダにトリスか。儂はクラウスじゃ。よろしくな」
「よろしく」
「よろしく」
ぺこりと頭を下げるマティルダとトリス。
こういう部分はきちんと礼儀正しい。
敬語は使っていないが、そういう環境で育っていないことを考慮すれば十分すぎるぐらいの態度だった。
「せっかくじゃからトリスも飲んでみるか?」
「いいの?」
「うむ。遠慮することはないぞ。仮に倒れたとしても責任を持って介抱してやるからな」
「……倒れるのは嫌だけど、でも興味はあるから」
おずおずとグラスを差し出すトリス。
遠慮深い性格をしているが、いざとなれば自分の要求をきちんと口に出来る。
琥珀色の液体を嬉しそうに口にするトリス。
そして、その顔がほころんだ。
「美味しい」
「それは良かった。まだお代わりはあるから遠慮無く飲むといい」
「私も!」
さっそく一杯目を空けたマティルダがキラキラした瞳でお代わりを差し出す。
「おいおい……」
結構度数の強い酒なのだが、一気飲みしてしまったらしい。
流石に心配になるレヴィアース。
それ以前に、知らないというのは恐ろしい。
レヴィアースでさえもったいなくて少しずつ味わって飲んでいるのに、あの酒を一気飲み出来る神経が信じられない。
知らなければそんなものなのかもしれないが。
……いや、度数を考えてもおかしいことは間違いない。
マティルダは将来とんでもない酒豪になるかもしれない。
トリスの方はきちんと味わって飲んでいる。
そしてクラウスの方は面白がってお代わりを注ぐ。
「あっという間に無くなったのう。もう一本出すか」
「え……」
あっさりと言ってのけるクラウス。
これと同じクラスの酒がもう一本……。
考えただけで恐ろしくなった。
金持ちの感覚とは、一般人とはかけ離れ過ぎてついていけない。
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