恋人を寝取られて退役した救国の騎士は冒険者になりました

水源+α

序章 五年前 戦地での咆哮と邂逅

周囲に数多の二国の兵士達の死体が無造作に転がっている先程まで戦場だった荒れ果てた地の中心でただ一人、鉄の軽装を半壊させ、全身から血を流れさせるがまま立ち尽くす、一人の男が居た。
 側には損傷が激しい、多量の血に染まった鈍重な、中柄なその男の背丈分の長さの斧槍ハルバードが血と泥で滲んでいる地に刺さっており、男はそれに少し身を預ける形で、数々の死体の中で今にも雨が降りそうな曇天をただ見上げながら呆然と立っている。

「……」

 曇天を見上げるその黒の瞳からは、大粒の雫が溢れでていた。

 無言ながらも、男は泣いていた。

 情けなさ、弱々しさ等、そのようなものは関係無く、ただ男は沸き出てくる感情のままに従い、涙を流しているのだ。

 逡巡する。

 ──あなたは……あなたはどうしてそこまで戦えるの

 男はあの時そう聞かれ、返答することが出来なかった。

 喉まで出掛かったその言葉──その本心を押し殺し、あの場は苦笑し、誤魔化した。

 しかし、今ならば、その問いに答えることが出来るだろう。

 どうして、そこまで自分は戦い続けるのか。

 どうして、そこまで傷付いてまで戦うのか。




 ──どうして、俺は戦うのか。

 失ってから気付くものは、これほどまで残酷なんだろうか。

 男は見上げていた目線を自身の他人の血と混ざった自分の血で汚れる掌へ移すと、何かを悔やむように、掌を握り締める。

「……パスラ」

 男の心を一色に染めた相手の名を口に出すと、そこで雨が降りだしたのか、肩、頬、そして握り拳の順に、雨粒が降ってきた。

 冷たい。

 小降りから、大降りになった雨に全身を打たれながら、男は又思う。

 寒い。

 何故、この鍛え上げてきた体が、数秒で雨によって冷えるのか理解できなかった。

「……」

 これは、疲弊しているからか。

 それとも、心労からくるものなのか。

 いずれも違うだろうと、男は思った。

 では何だろうかと考えた時、直ぐに答えは出てしまう。

「パスラ、俺は……何時まで戦えばいいんだ」

 寂寥感、悲壮感、そして孤独感。

 戦場に居るときは、何時もその感情だが、それは日常生活でも男にとって同じ感情のままだろう。

 ──ごめんなさい……好きな人が出来たの

「……ッ」

 突如、頭の中で響く、掘り返されたあの時の彼女の表情と声。

 ──もう、あなたを愛せない

 幻聴だった。
 しかし、幻聴だとしても、看過せずには居られなかった。

「……やめろっ」

 ──……もう、あなたの元には居られない

「……やめてくれっ、パスラ」

 ──……行きましょう? 伝えるべきことは伝えたわ

「行くなっ……行かないでくれッ!」

 ──さようなら






「ああぁあぁああああぁぁああああああああッッ──」



 思わず咆哮した。

 あの時、あの問いに答えてさえいれば、この戦場で汚れきった心を、優しく迎い入れて、包み込んでくれたのだろうか。

 君を守るため。君が生まれたこの故郷を守るために戦うと。

 そう返答してさえいれば、俺はあの時、目の前で勇者と名乗るものと親しげに腕組みながら立ち去るパスラの姿のむざむざと見せつけられずに済んだのだろうか。
 あの勇者の、魂を失ったの如く動かずにただ茫然自失としている俺を下卑た笑みを浮かべながら嘲るような目で見られることなんて無かったのではないだろうか。

 何時まで、何時まで戦い続ければいいんだ。

 何時振り向いてくれる。

 何時あの笑顔を向けてくれる。

 何時あの優しい瞳で見守ってくれる。


 俺にはこれしかないのに。

 戦い続けるしかないのに。

 ──何時まで人を殺め続ければいいんだ。

「───ッッ!」

 雨が降りしきり、何時しか周囲には男の咆哮は響かなくなっていた。

 しかし、男は天に吠え続ける。

 様々な想いを乗せて。





 そんな時だった。


「──風邪、引いてしまいますよ?」

 耳元で囁かれた、女声は高く、そして何処か爛漫なものを思わせた。

 男は吠えていた口を閉じて、力無く肩越しに後ろを見ると、そこには白髪碧眼の端麗な少女が微笑んで、両腕を後ろに回して立っていた。

 着ている白いワンピースは大雨が降り、濡れて肌とくっつくはずなのだが、不思議と一粒の雨粒も付いていないように見える。

「……」

 男は少女に誰だと問う気力もなく、ただ少女を肩越しで死んだ目のように輝きがなくなった瞳で見つめ続ける。

「急に降りだしましたよね」

 少女はそれに動じることもなく、話続けた。

「私にとって雨は凄く助かるものなのですが、貴方のように人間にとっては不都合なことなんでしょうか?」

「……」

 男は少女の問いに答えず、肩越しで見ていた瞳も瞑り、後ろ見ていた目線を戻して立ち上がる。
 その場で一回深く息を吐き、目元の涙を腕で拭うと、やがて、側に刺していた斧槍ハルバードを掴み抜き、そのまま少女に意を介さずに歩き出した。

「……布、使いますか? 本当に風邪を引いてしまいます」

 そんな男の対応に、少し眉を落としたが、少女はめげずに歩く男の横へ小走りで並走したあと、ポケットから真新しい布を差し出した。

「……」

 構わず、歩き続ける男。

「あの……」

 それに、眉を落とす少女。

 そんなやり取りを数回繰り返したとき、男は急に立ち止まった。

「あっ……」

 少女はやっと立ち止まって話してくれるのか、嬉々とした声を上げて布を両手で大事に持ちながら駆け寄るが、その瞬間。

「──」

「──ぇ」

 少女の首元に、斧槍ハルバードが突き付けられた。 


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