RIP!

斎吏・伊匡

葦鶴の進むセカイ

 
 風呂上がり。

 水気をバスタオルで吸い、下着をベストフィット感が得られるまで調整していたり、髪を乾かしていたり。
 そんなこんなでやはり風呂上がりは忙しく、気づけば、鶴院ランカの身体はもう既に冷めてしまっていた。

 ボフン。
 疲れ果てて、ソファに飛び込んだ。

「────んげぁっ!?」

 着地失敗。
 声の影に隠れて本人も聞こえてはいなかったが、左足小指がポキッと、間抜けな音を鳴らしていた。或いはミシリと折れたような。
 だが、どのような音かとの仔細は、ただただぷるぷる震えているのみのランカには重要視する必要のないことだった。
 いや、正確には、

「いったたたたた、ンゥアタァッ!?」

 重要視できなかった。痛すぎて。
 折れてしまったかもしれないというのに、クンフー系の拳法家のような声を上げ、幼子のように手をブンブンと振っている。すると、今度は目の前にあったガラステーブルにぶつけた。

 さらに言えば、テーブルにはなんと罅が入っていた。

「今度は絶対ミシッて……『コレきちい、ミシッて鳴ったよ、マイレッグ』……三十一文字いぃたいっ!?」

 などと、割と余裕そうではあったが、悲痛な叫び声をあげて悶える。
 しばらくすると、その手は理性的に卓上のリモコンに伸びていき、シリコーンゴムの赤い電源ボタンを押し、向かいにあるテレビの電源をつけた。

「アンラッキーちくしょい……いや、戦場でのアンラッキーよかマシかとは思うけどネ!」


 ふと、ランカは気づいた。


「ええ……。リモコン砕けるってどういう状況で起こるよ? ねぇ、怒るよ泣くよ?」

 リモコンが、破砕していたのだ。
 そう。あの『350メートル上空から叩きつけるように落としても壊れない』という謎の商品説明文が大ウケし、SNSアプリケーションBIG UP, the worldにて世界的に広まり空前の大ヒットを果たしたガルベス・デ・ガンテ社のリモコンが、である。

 つまりだ。

「アタシ、強くなったの? えー。イェー……」

 どこかラップ調の喋り方であったのは、現実逃避したいが故のものか。
 なぜなのか。
 やがて、それと思い至り、

 ────グランディ・フェリシジマ・エスペランサ/祝福は至高にして偉大なり、希望はそれを浴びて……

 呟いた。
 昨日の夜、あの時にさらっと見た術式。ふと気になった。

「はぁ……」

 ひとまずは、うん、どうしようか。
 そう思考を廻らせていると、気づけば、ため息のまま、抹茶風味のチョコレートスティック菓子を手に取っている自分がいることに気づいたランカ。「わお、いつの間に」と戯けて言うと、その菓子を折り、三分の二ほど山羊のミルクにインスタントのココアを溶かしたそれに入れて、スプーンで掻き混ぜた。

「やっぱり次の時代これ来るはず、コレクルだわ」

 それにチュッと、キスするように口をつける。

「熱いッ!? ぐ、知ってたけど……」

 それに今思えばキスとかしたこたァねぇよバカヤロー。
 そう吐き捨てるように言いながら、まずはということで外出の準備──飲みながらなので簡単な用意、例えば鞄にノートやペンを入れることしかできなかったのだが、それに取り掛かる。


 目的は二つ。

 第一は、日常的に行っているヴァンキッシャーなどの勉強。
 第二は、古代の術式の勉強。

 自分の身に何が起こっているのか。この正体不明で制御不能の力は誰のものか。

「今後、仮に指揮官コマンダーとして動くのなら、もっともっと知らなくちゃ……」

 責任を負いつつも、圧迫感など微塵もない。
 感じる暇などありもしないのだ。

 ────だって。

 彼女は、万里を照らす暁の時で、なおも燦然と輝く熒惑にココロ奪われたのだから。

「今になって足に痛みがグハッ!?」

 変な音が聞こえた気がしたなら、立ち止まることこそ大事よね。
 そう学んだランカであった。

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 京不知夜--中等学校兼高等大学院--図書館

 世界暦2024年 5月31日 23時58分


 あの夜から、もう何日も経った。そんなある日の夜更け。

 ランカの前には本が山積みになっていた。

 読んでいたM・F・マックロイ博士の〝2023年版・ヴァンキッシャー図鑑〟をパタンと閉じる。昨年に発刊されたこの図鑑は、全世界から収集されたヴァンキッシャーのデータを余すところなく記しているというものだ。

 ────この図鑑、面白い。……中途半端にしか読んでいないが。

 高難易度ヴァンキッシャーのあたりは、自然と鳥肌が立ってくる。
 他のページが写真であるのに対し、危険であることもあってか、生存者の証言を元に描いたイラストや、また生存者本人が描いたイラストなどがメインに載せられているためだ。
 ところで、ランカはホラーの類を好む。ホラーゲーム実況もしているくらいだ。

 ではなぜ、そんなランカでも鳥肌が立つのか? 

 それはただの絵ではないからだ。
 普通の絵──この場合の普通とは、精神状態が安定している一般人が描いたことを指し示す──であるなら怖くないし怖がる必要もないのだが、この絵は普通のものではない。
 精神面に大きなダメージを受けたものが描く抽象的な絵画であるのだ。

 ────特にPTSDとの診断を受けたイギリス帝国の討伐隊員、バートランド・モーソンの絵なんだけど……これがなかなかどうして。

 問題のイラストの左隣には、彼が12歳の時に描いた不思議の国のアリスの主人公アリスの絵が載せられている。奇妙なまでにリアリティー溢れるアリスで、まるで写真のようだ。
 彼は元々絵が趣味だったらしい。欧州では、ノブレス・オブリージュという思想に基づき、こういった芸術家、つまりハイレベルの人材であれば誰でも屡戦場に、それも前線出るらしい。詩人然り哲学者然り。

 ────で、だ……。

 例のイラストは、赤と黒の二色で描かれた黒い影のような人だった。
 背景はぐちゃぐちゃとしていて、人らしいものもぐにゃぐにゃに捻れている。ドレスらしい何かを着ている女の足元には、人なのであろうか、バラバラと解体された何かが描かれている。

 ────この女、どこかで見たことが……。

 そこまで考えるも、わからない。
 妙に引っかかって気分が悪いが、それよりしかし。

「ぐゆぅぅー! 上半身が痛い!」

 夢中になるあまりに背中を弓形ゆみなりに曲げていたらしい。それも鏃いっぱいまで引き絞った弓形だ。
 立ち上がり、背中、ついでに腕も伸ばすとギチギチと音が鳴り、少し立ち眩んだ。ランカは、気分転換に窓から雲上大陸の都市でも見ようと、そう思ってよたつきながら椅子の上に正座してカーテンへと手を伸ばした。

 その時だった。

 ブゥン……!
 祷力映写装置の電源が入れられた。モニターの技術を用いたもので、図書室に置かれたこれは、簡単な話、『祷力を用いた緊急速報などしか流さない、娯楽性を捨てたテレビ』である。
 さて、それの突然の起動に驚いたランカと言えばだ。

「んなっ、んぐぉ!?」

 椅子ごと後ろ向きに倒れてしまった。
 その際に机を蹴ったので、大きく揺れたカップは、注がれていたキャラメルコーヒーをぶちまけたのだった。キャラメルコーヒーは黒のインクに入ったのか、何とも言えない色になっている。これは何とも筆舌に尽くし難い色だ。

 ────あっ!? 本に……は……良かった、かかっていない。

 かかっていた時のことを考えると、神に感謝する他なかった。

 本が汚れた場合は、司書さんが怒る。
 とても怒る。
 彼女の必殺技である『怒りの爆速・弩すとれーとぱんち!』をモロに受けた者の顔を思い出すと、それと同時に胃液の酸味を思い出せるほどだ。
 どんなものかと言えば、

 ────それはもうぐちゃぐちゃで……ってああ! 思い出してしまった畜生!!

 ありえたイフに怯えながらキャラメルコーヒーを拭き取っていると、『ピンポンパンポーン』と祷力映写装置から聞こえた。
 お知らせを意味するチャイムだ。漸くかと思いそちらを向くと、先程までのノイズが走ってばかりいた画面ではなく……。

『──市民の皆様、こんばんは。航空島【京不知夜】の大総長ドミナ・マグナパトリシア・ガルベス・デ・ガンテです』

 学習スペースで零した飲料を拭き取っているランカ。
 ジャージの上に制服ブレザーを着てその作業をする姿はどこか滑稽だった。

 その彼女は今、祷力映写装置に映る憧れの女の笑顔に、違和感を覚えていた。

「…………?」

 苦渋の決断と怒りに歪む顔に、無理矢理笑顔を張り付けたかのような。
 それに、

大総長ドミナ・マグナ……」

 これは国家の長が緊急事態にのみ使う称号だ。
 特に、この国では、戦時独裁者となる時にだけ使うとして、即位後すぐにパトリシアが国民に誓った、〝覚悟〟の代名詞である。
 つまり、

 ────まずいことが起こる……?

 では、まずいこととはなんだ。
 そう考えるも、冷静に考える脳が眠りこけている。
 ただ苛々が積もっていき、顔が真っ赤になった。その時に声が聞こえた。

『────先ほど、VENDETTAが解散されました』

「……え」

『イギリス帝国議会第一席ユアン・パットナムが協定を破ったことを受けて、VENDETTAの指導者であるスペイン=ポルトガル共同統治王国両国王がこれを批判しました。これを受けイギリス帝国とその支持派がVENDETTAを脱退しました。また、イギリス帝国支持派でない他の首脳国や先進国などの大国は、VENDETTAの存在意義や費用対効果などの観点から、もはや不要であると主張し、脱退。総数は百五十以上にのぼり、これはVENDETTAの六割以上を占める国家が京不知夜の実質的対立国となったと解釈できます。スペイン=ポルトガル共同統治王国両国王はこれに激憤し、残る四割にも満たぬVENDETTA構成国に組織の解散を決議しました。その旧構成国間で秘密協定を結びましたが、後日、詳細をお知らせいたします。ではその問題となる協定ですが……』

「…………」

『女神オルテンシアの大墳墓を荒らしてはいけない、というものだ』

 左手を腰部に回し、右手で下唇を引っ張りながら歩き回り、淡々というパトリシア。
 対して、ランカは--絶句していた。
 オルテンシアの墓を荒らすということは、予言上、本格的に『終末世界』が始まるとのことであるからだ。


 ランカが勉強する理由は二つある。
 第一は、その『終末世界』を生き延びたいからだ。
 終末世界とは今から七年以内に、つまりランカが25歲を迎える前に訪れる、復活する古き邪悪なる存在との宇宙規模の戦争をさす。
 また終末世界開始の合図の殆どが、その邪悪なる存在を剿滅したオルテンシア女神に関わるものだ。
 そのうちの一つに、墓を荒らすことがある。

 ────もはや世界を征服することだけが、平穏への道か……。

 ちなみに、ランカが勉強するもう一つの理由だが、それは……。

「…………」

 今は置いておこう。
 画面の向こうのパトリシアを見る。

『外さない予言に定評のある女神オルテンシアによると、これにより終末世界は開始した』

 淀みなくその唇は動いた。
 実際、予言したものの規模の大小はあるが、今までに千もあったオルテンシアの予言は、全く外れたことがない。
 オルテンシアの予言は、内容が細すぎること、絶対の的中率を誇ること、そして終末世界以降の予言がないことから『未完成の台本』などとも呼ばれている。

「世界征服、か……」

 自分で口にしてみると、これ以上にイイ選択肢はないと感じた。

 ────今度、パトリシアに言ってみよう。『世界、奪っちゃいましょ』って。

 そう考えた、いや、そう決めたランカ。
 やはり、どんなに考えても、それこそが最良に思えてならないのだ。

『またイギリス帝国とイギリス帝国を賛同する国家は、オルテンシアが一度としてその使用を推奨しなかった特殊能力〝カルディア〟の限定的封印を破った』

 深くため息を吐くパトリシア。
 そして大きく息を吸うと、

『オルテンシアの碑文にはこうある』

「碑文、か……」

 碑文に予言を刻ませるとは、よほどの心配性だったのかもしれない。

 ────苦労性? 大胆不敵を体現した、あの神が?

 我ながらアホくさいと鼻で笑った。

『封じられた真核すなわちカルディアを解き放つ者が百万を超えるとき、崩壊の鐘が鳴る────百万どころか、今では40億を超えたであろう。研究者が言うには、カルディア解放の際に使われるエネルギーが、樹上世界とヴァンキッシャーの棲む樹下世界を隔てているものらしい』

 パトリシアは、枯れた花のように、顔に出ている失望感を隠そうともせずに言い切った。
 このペースでカルディアの解放が行われると……。
 声は続く。

『終末世界は、再来年の三月までに必ず起こる第四次世界大戦末期に訪れる』

 何度も言うが、旧VENDETTA予言研究機関が推測し、しかしありえないとして現実から目をそらした結論である。
 そう、付け加えて。

「────」

 ランカは、半笑いの表情のまま固まった。
 人同士で相争う時でないというのに、一体何を考えているのかと呆れているのだ。

『崩壊を止めるには、もう既に遅い、遅すぎた』

「……遅い、か」

『直に滅んでしまう。そう考えた世界の指導者たちは、イギリス帝国や賛同者でなくとも、誰であっても迷うことなくカルディアの封印を解き始めた』

 ────我々も、明日より完全解放する。

『生きるための闘争、滅ばぬための戦争が、始まる』

 目を瞑るパトリシア。

 ────毒を以て毒を制す。まさか、そんな物語じみた舞台に自分が立つとは。

 主役は皆 。モブをも兼ねる我々彼ら彼女ら。
 この物語、恐らく行き着く先は悲劇じゃないか。

「……恐悦、ええホントに恐悦極まってますヨー」

 普段の己であればまずすることのない、ギラギラとした目付きで笑った。
 それと同時に、喇叭らっぱの甲高い音が、耳を聾さんばかりに鳴り響いた。







 知りたまえ、君達
 戦始まれば岩は涓滴けんてきに穿たれん

 聞きたまえ、諸兄
 戦場いくさばにあれど汝らの瞳は輝かん

 言いたまえ、諸姉
 進む彼らは希望なり、喉枯れるまで叫びとおせよ

 おお! おお! 何と長き長き雌伏であることか!

 我々にとっては実に長い時間だった

 浴びせかけられる憎悪を打ち破れ、この世の勝利全ては我らのもとに!



 問いたまえ、君達
 我が守らずして誰が隣人を守るのか

 誓いたまえ、諸兄
 我々が自分の手で守るのだ

 笑いたまえ、諸姉
 この革命の地に花を咲かせんと

 さあ! さあ! 雪辱果たすは今この時であろう!

 進め我ら、空を砕き海を貫く雷光が如く

 我々一条一条稲光であるが故、みやこ不知夜よるをしらず

 その名は世界に轟く!

 その名は世界を揺るがせる!







 国歌だ。国歌が流れた。
 翻る国旗から姿を現したのは、皇帝パトリシア・ガルベス・デ・ガンテ。軍服に身を包み、帽子を目深に冠る彼女。
 立てた襟に付けられているバッジは、射し込む月光を大輪の花のように拡散して反射した。
 思わずまじろいだランカ。

 ────なんていう目をしている……!

 まるで機械のような。
 その目を見たランカは、しかし物言わぬ道具のようには全く感じなかった。
 何ものにも動じず、感じない。天変地異さえ自らすすんで足下に伏せる。そう思わせる、あの夜網膜に刻み込んだ不遜な顔つきに見えたのだ。

『これより、永世武装中立国である我々京不知夜は、--中立であることを完全放棄する。新生〝京不知夜〟となるのだッ!』

 言い切り、兎のように唇を歪ませ笑うパトリシア。
 ランカは、実に興奮していた。その笑い顔は、まるで童女のそれであった。

 哄笑が止む。
 するとパトリシアは、言い出しにくいことがあるといった顔をしていた。

『あぁー……うん。実は全国民分のビザは発給できているんだ。ただ出国の期限は6月14日の23時59分まで』

 希望者は余が責任もって国まで送ろう。健康で文化的な生活を送れられるよう便宜もはかろう。
 それを聞いたランカは、

 ────あれ?

 何かが引っかかった。
 引っかかりまくりだったとも言える。
 偉大なりし皇帝は自身の友人である。その手腕を発揮すれば、およそできないことはないことも知っている。

 だからこその違和感だった。

 まさかと思うランカだが、

「……出ていかれたらへこむって感じ?」

 一度言葉にしてみれば、ああ成程と得心した。
 たとえば。
 学校内では友人。街に出れば職人。店に入れば店員。そして王宮ではメイドや大臣達と、といったように、必ず誰かの横にいるのだ。しかも自分から行かなくとも来るというのに、積極的に絡みに行っているという具合だ。さらに言えば、花摘み・・・の時でも誰かが近くにいるようにしてるぐらい。
 それでも不快にならないのだから、まったく不思議だ。

 ────実際に、今もパトリシアの後ろにメイドいるしね。

 余談ではあるが、ランカはパトリシア唯一の弱点が寂しん坊であることを知っているのだ。

「かわいい……」

 では、京不知夜に残るかね、否かね。
 そうキリッとした顔で言うパトリシアを見て、ランカは「ン可愛いー!」と、今度は叫んでしまった。図書館にいるにも関わらず。

 その後、なされた説明に従い、モニターのホーム画面から新着情報を開くと、次に6月1日0時0分にアップされた緊急のお知らせをタップした。

 《京不知夜国民をやめますか? はい/いいえ》

 ランカは迷いなく、いいえを押した。
 今はまだこの段階では取り消せるらしい。尤もランカにその気は無いが。

「……お?」

 顔と指紋、声紋に虹彩認証を同時に三度やると、新生京不知夜国民として確定されるらしい。

「やったろやないかいっ!」

 一番のりはいただいた。
 そう調子に乗っていたが、

「え……『サーバー混雑中』だと……!?」

 つまりは、こういうことか。

 ────皆、夜はちゃんと寝とけよおおぉぉぉおおぉ?!

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 待機時間中、祷力映写装置には『カルディア』と『起源』、『自己という隣人アルター・エゴ』についての説明がなされた。
 余談であるが、制作担当は藤仁田旗織フジニタ・キオリメイド長とのこと。名前だけであれば扶桑皇国らしいが、その容姿はハーフだった。

 ────簡単にまとめると……。

 カルディアは祷力をより実体化させたものであり、個人のもつ特殊能力である。
 持ち主の個性を表しており、その効果は、たとえば召喚や支援などというように、様々なものが存在する。人によっては能力が大きく違っており、特殊な場合であるが遺伝するケースも存在する。
 また、カルディアは祷力を消費して発動するものが殆どらしい。

 起源は、その者の使うことができる術式やカルディアの性質や特性を大まかに定めるもの。あれが出たから強いだとかダメだとか、そうやって悲観するようなものではないらしい。
 属性とはまた別のものらしい。

 自己という隣人アルター・エゴは、超常的な生命体であるT-FOHティー・フォフが、契約により個人と結び付き、術式を使うときのサポートなどを行うようになったもののことを呼ぶ。
 小春はかつて、『一人の人として権利を保証されるから、会議の代役とかも任せられる』と言ったが、それはほぼパトリシア限定だった。ほぼというのは、言語を手に入れた自己という隣人は世界でもごく僅かにしかいないからとのこと。ちなみにその数、両手足の指の本数以下だ。
 また、祷力を流せば強くなるらしい。そして強化段階により大きく賢くなり、また色が変わるらしい。体表が白いものは最上位であるとか。

 ────パトリシアが契約した蜈蚣MUKADEのチャカ=チャカさんも、白地に金模様だったよね。

 すなわち、

「チャカ=チャカさんやべぇ」

 そう呟いたランカ。

 ランカはその後、内容をノートにまとめていたのだが、ふと祷力映写装置を見れば、国民登録が完了していた。

「おっ。新生京不知夜国民……第10万人目! ジャスト、だけど夜は寝ろよ……」

 ブーメラン発言である。これはもう、紛うことなき特大ブーメラン。



 ◇



 京不知夜宮殿の、皇帝の寝室にて。


「うわぁ……」

 困っているような、喜んでいるような。
 その声の主は誰あろう、パトリシア・ガルベス・デ・ガンテであった。
 どうされましたかとメイドが机の角に立つと、パトリシアは「見てコレ」と抱き寄せた。

「10万人を越したというのに、誰もこの国から出ていく意志がないらしいよ」
「それはまあ、当然のことかと」

 当然だと?
 本当に理解できていない様子のパトリシアに、メイドは言葉を続ける。

「我々は、他でもない貴女様に救われました……。これ以上の言葉は無粋でしょう?」
「……ただ、生きるという艱難辛苦への路を歩む機会を作っただけというのにか?」

 そういうものです。
 誇らしげに胸を張ったメイドのその言葉に、暫時はポカンとしていたものの、やがてパトリシアのもとに傲岸不遜が戻ってきた。
 そうだ。

「そうだ……予言をどこまで知っている?」
「予言、ですか。一般人並にです」

 なら良い。いずれ話す。
 そう言うと押し黙った。

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「……む」
「? どうされましたか?」
「予感だ……」

 ワイヤージュエリーのネックレスとして首にかけていたジュエル。
 何か思案していたのだろうか、先程まで水の中の死人のように静かだったパトリシアは、そのネックレスを外し、左手にジュエルをのせるとすぐに起動した。
 ジュエルには祷力を通すことで、遠方にいる者と会話をしたり、3Dモデルを映し出したりと、言わばスマートフォンやパーソナルコンピュータの上位互換であるモニターとそう変わらないものだ。
 違いを挙げれば、ジュエルは祷力を使うがモニターには必要ない。前者はごく一部を除けばどこでも使えるが、後者は所属国家と同盟国内に限定される。アプリケーションの数では今はモニターが勝るが、直にジュエルが追いつくだろう。
 これらの点では1対2でモニターに軍配が上がる。
 だが両方使う者の中では、ジュエルの方が良いというものも勿論ながらいる。寧ろ圧倒的多数であろう。何せ、使用者の体内貯蔵可能祷力量の実に0.8パーセントを消費するだけで、まる一日つけっぱなしにできるのだから。
 ただパトリシアは、

 ────モニターの方が使いやすいけどね。

 こういうヒトだった。
 故に危機が差し迫る時以外はジュエルを使わない。ランカの前では敢えて使ったし、今でも大した理由なく使っているのだが。

「ジュエルよ、マップを起動しろ」

 便利なことに、そう言っただけで、アプリケーションを起動させることができるのだ。
 光り輝くと、一秒もしない内に3Dの青い光でできた地図が浮かび上がってきた。

 これは浮遊島、つまり京不知夜だ。

「ほぉー……これが、ジュエルですかっ」

 感動したように唸るメイドに「そーだよー」と言いつつ、パトリシアは立体地図をピンチインした。
 その後スワイプを繰り返すと、京不知夜からおよそ11,000キロメートル先の世界が映った。
 そこは、同盟国となるべき──実は、パトリシアとしては『なれたら良いな』程度の認識だが──日本国の百万都市東京都に組み込まれている人工島〝新都島〟であった。

「……近い」

 呟くと、北東にスワイプしていった。
 すると、新都島のオウメミハラ区が見えてきた。

「近いな」

 区の中央を映すと、見えた。
 今は廃墟なのだろうか、大きな煉瓦造りの建物に緑のターゲットマーカーが見えた。

「その緑色の直方体は……?」
「ターゲットマーカーのことか。ターゲットマーカーはその色や形により内容が変わるのだが、フラグ型の青は友軍・味方・敵対意志のないものを指す。箱型の緑は物資などを、円型の黄色は中立勢力を。菱形の黒色は死亡者や機能を果たさなくなったもの、要するに絶望的な状態のものを指す」
「……国家機密では?」
「あと数時間で国家機密でなくなるし、ぶっちゃけその数時間も要らないんだけどね」

 説明しつつ、幻影に親指と人差し指をぶちこみ、その二指を閉じていく。ピンチアウトだ。
 そして右手を向こうから手前へ、向こうから手前へと動かしていくと--見えた。

「…………」
「陛下、あの、これは……?」

 見えたのだが、これを中心に広がる赤のターゲットマーカーの数が異常だ。
 しばたたくメイドの顔は青く染まっていく。その赤が何を示すのか気づいたのだろう。

 ターゲットマーカーの赤の四角錐とはつまり、ヴァンキッシャーだ。

 この狭い空間にこの数は、おかしい。
 収容可能な質量の限界を超えている。
 ひっと声を漏らしたメイドを抱き寄せ、その左頬を華奢な背中から回した左手人差し指で撫でるパトリシア。恐らくは自然発生ではないだろうと推測しつつ。

「こんなことができる国家を、ああ、我々は知っている」

 心の底から呆れた声を出すパトリシア。
 敵はもっと頭を使うべきですねと、恐怖心が少しはほぐれたのか、メイドは苦笑いのまま云う。

 ────しかし。

 褒められたことではないが、よくやれたな。
 そう言いながら、地図を拡大したり縮小したり、回したり。あらゆる角度から見ると、脳内に概数が浮かんできた。

 ────黒が120、赤はその5倍……600か、いやそれ以上ある……。

 まるで真っ赤なブロッコリーだ。誤報の可能性がないとは言い切れないが、可能性は限りなくゼロに近いとも言える。

 ────涅槃寂静すらない可能性を求めることに意味はなく。また、価値はなく。

 髪をかきあげ、メイドに聞こえるよう呟く。
 執務を手伝わせてみたいと考えたからだ。

 自身を含めて三名しか使えない〝千里眼〟を限定解放し、こっそり使った。

「1階に377体、2階に144体、3階に95体、4階に49体。そして最上階に緑と黄が1つずつ……。はっきり敵と判別しているのはその665体か。……ん、だが種は〝ナーサリー・テールズ〟、推定難易度はFクラスといったところか」

 やはり、誤報ではなかった。
 正直な話、倒すべき敵としては、パトリシアのクラスになればゴミのような存在だ。
 だがメイドの方はそうでもなかったらしく、体が重い鉄の拘束具を付けられたかのように硬直していた。呆然とし、「ヴァンキッシャーが665体も……」とパトリシアの言葉を反芻するだけの肉人形となっていた。

 ────そうだ。

 頭にある案が思い浮かんだ。
 これを手伝ってもらおうと思い、メイドを見ると、目が合った。言い出しにくいという顔をしていたメイドに、パトリシアは「どうかしたかね」と言い、促す。
 では、とメイドはわざわざ挙手して質問した。

「陛下、その……ナーサリー・テールズとは?」
「……Fクラスヴァンキッシャー〝ナーサリー・テールズ〟」

 ナーサリー・テールズはその名の通り、童話や御伽噺ナーサリー・テールの登場人物の姿をしたヴァンキッシャー。
 単純な膂力では人を上回ることが屡々ある。最初期には初心者殺し、無知殺し、難易度詐称にもほどがあるエネミーだと、旧VENDETA対ヴァンキッシャー科委員会で叫ばれていたが、今ではロールプレイングゲームでいう最初の街付近にいる雑魚敵--たとえるならゴブリンやスライム程度でしかない。

 以上のことを、胸に抱いているメイドに説明した。

 ────そういえば。

 対ヴァンキッシャー科委員会では、現場の声、特殊部隊に説明してもらおうという公聴会が、定期的に行われていた。
 ある時メイド長を連れて参加したパトリシアが聞き、興味を持った話がある。それは、『笛の音を聞くと忽ちに意識を失い、気がつけば救出され病院にいた』という話だ。そのヴァンキッシャーは〝ハーメルンの笛吹き男〟と名付けられたのだが、なにか今でも嫌な予感が胸の底で燻っている。ちなみに証言者の手足と左目はその際に失われたらしい。

 ────あのヴァンキッシャーは、最警戒対象だったか……。

「陛下……あの、どうされました?」
「……ん。何でもないよ、それよりまだ起きていられるの?」 

 問えば、ええと元気よく首肯した。

「なんせ私、夜の皇族ヴァンパイアですから!」

 大切に育てた向日葵が咲いたことを喜ぶような。
 パトリシアはそんな笑顔を見て、「この京不知夜皇帝の前でよく言えたな」と、自然、笑みをこぼした。幼子が犬を撫で回すように少女を撫でたパトリシアは、ではと言ってあるものを取り出した。

「……何です、コレ?」
「これこそが私の知恵だ」

 そう言ってパトリシアはにっかりと笑って机の上に置いた。
 それとは、

「鉛筆ナイフ消しゴム、そして……お絵かき帳ですか?」
「然り。さて、仕事を手伝ってもらおーかね?」

 戸惑うメイドを膝の上に座らせる帝王。
 まこと、不思議な絵面であった。



 ◇



 世界暦2024年 6月1日 1時38分


 新生京不知夜国民となったランカは、その後寝た。

 というわけでなく。

 ────…………。

 勉強を続けていた。
 抑々図書館に来たのは、『古代の術式は周りに影響を与えるか。与えるとしたら、その中に、安定性を欠いた肉体強化などがあるか』ということを調べるためであった。

 しかし今読んでいるのは2023年版・ヴァンキッシャー図鑑であった。

 どうも強化には波があるらしい。そして今は非強化状態で、どうもこれは長く続きそうだ。
 それは、ただの直感でしかないのだが。

「……ブレームス博士の考えでは、『ヴァンキッシャーは、人間の死後の存在であるが故に、その数は今後一切減ることはない』か……」

 パタン。
 本を閉じ、ホットアイマスクを着けたランカ。椅子の背もたれに身体を預けてダラリとリラックスする。
 ポキポキと、首と手首、足首に腰を鳴らしながら思考する。

 ────死なばヴァンキッシャーと化す。ならそのヴァンキッシャーは何を考えることが、何を思うことが、何を感じることができるのか……。

 考えれども皆目見当がつかない。
 生前の記憶と感情があるとしたら、元は同じ生き物だった自分たちに嫌悪され、倒され、物として加工されるのはどんな気分なんだろう。
 案外、人間同士で戦争するのと同じ気持ちなのかもしれないなと、冷笑する。


 先程の話に戻るが、ランカが勉強する理由はふたつある。

 ひとつが、終末世界を生き延びたいからというもの。

 ────正直な話、ハードモードにも程があるんよ?

 発展した知的生命体は、殺生──たとえば、屠殺──など本来生活の一部にあったこの自然な現象を隠した。隠した次には、知的生命体の社会はその自然な現象を邪悪或いは穢れたものとして否定・・してきた。この歴史は知的生命体の理性の脆弱さの表れと言えるであろう。

 その歴史はこう教えていると、ランカは考える。

「生活における無知・偏見の放置の積み重ねは否定を助長し、助長の終着点には破滅がある……的な」

 世間一般に健全とされる人は殺人を嫌い、なのに特定の状況下に置かれると、一切の容赦なく人類同士で相争う。おそらく、これから社会が荒廃することがあるだろう。すると、訪れるであろう最悪のシナリオへの対策もせずに、ただ殺し、奪い、犯して快楽を得る。これは間違いない。
 また、仮に協力しあっても、作戦行動を失敗したときには責任を擦り付け合い、自ら破滅を促進させる。呉越同舟は紙面上の美談、理想のものでしかない。

 これが人類の大半。
 故にベリー・ハードモードであるわけだ。


 ところで、オルテンシア時代以前の神話であるが、戦争の神が愛の女神との間になした子どもが調和の女神だったらしい。
 ランカはこれを、戦争と性の両者が艱難辛苦に打ち勝ち、そして平和が実現すると解釈する。

 ────戦争、か。

 それは生命にとって不可欠、自然的な生の一部だとランカは思う。性のない社会、戦争すなわち死のない社会は不要な大量死メガデスを引き起こし、一度崩れたバランスはついには総てを御破算にするものだ。
 これに例外はない。
 平和なアドア王国も、オルテンシアの血を汲む者を失ってすぐに滅んだのだから。

「あー……パトリシアが世界征服すればいいのに」

 パトリシアなら、やれる。
 多種族多文化多言語のこの国家をまとめあげたのだ。それも敵を作り上げて独裁をするという一番楽な方法をせずにだ。
 それに、本人は気付いていないかもしれないが、手伝えることがあるなら手伝わせて欲しいと皆思っているのだ。
 いつもみたいに独りで仕事して欲しくない。

「それを、なんで言えないのかなー……」

 言い、視界が熱を帯びた涙でぼやけるランカ。
 最近、己の弱さが理由で涙を流すことが多くなってきた気がした。

 気づけば第二の理由に片足を突っ込んでいた。
 その理由は、凄くと言うのだろうか、至極の方がいいだろうか。
 とにかく単純だ。

 それは────、

「ピンポンっ。パトリシアに憧れたからッ!?」
「正解です! ドンドンパフパフパ……へ。ええ、あああ人がおるっ!?」

 突然の声に驚き、椅子に座ったまま全身で、魚のように跳ねた。
 当然机にぶちあたり、首は背もたれ部分に打った。「だ、大丈夫かい?」と困惑若しくはドン引きした声を聞いいたランカ。「ある程度は大丈夫です」と混乱状態ながらも応えると、冷静に手を動かして淡々とアイマスクを外した。

「失礼。少々お待ちを」

 断るランカに「え、う、うん……」と返す誰かよくわからない人。
 ランカはグッと目を瞑り眉間を押さえると、少しずつその薄ピンク色の闇から現実に戻っていく。

 目の前に立っていたのは、

 ────どっちだ……?

 男だと断言されれば、いや女だろうと。女だと言われたなら、男であろうと判断できる。そんなヒトだった。
 薄紅から空色へとグラデーションされた、腰までかかる長い髪。垂れ気味の細い眉は鷹の目から離れており、鼻は高くて唇はぷっくりとしている。
 服装もローブなどのゆったりとしたもので、肌を露出した面積はほぼなしと言える。岩を削ったような杖を握る手を見ても、大きくてゴツゴツとしたようなものでなく、むしろ柔らかそうであった。

 ────男であり、だけど女である。

 そんな印象をランカは抱いた。

「どっちでもある。両性具有のヒトの亜種さ」

 ……最近、自分がかかわる人は皆読心術を持っているらしい。
 目の前の者は本人曰く人外とのことだが、京不知夜では珍しくはないから、正直そんな程度の情報などどうでも良い、自己紹介にすらならぬと感じた。

 ────この国には、外の世界に住む人類を嫌悪するものが多くいるからか。

 そう考えれば、人外であるとの自己紹介はポイントが比較的高いとも思われる。

「……入国許可証を見せてもらって良いですか?」

 待ってね、と言った彼乃至彼女は、--虚空から取り出した。
 マザー・ヴァンキッシャー同様に空間が、石を放り込まれた水面のように波打っている。

 ────…………!?

 とぷん、と音を鳴らした空間は静まり、はいどうぞと目の前で提示され、ランカは漸く正気に戻る。

「異空間持ち……!?」
「ん? ああ……そういうことか。今はそう呼ぶんだね」
「……今は?」

 今は、と言ったのか。一体こいつは、何だ、何なんだ。
 そう思い、パトリシアに直接通報できるよう用意しつつ、入国許可証を見る。

 ────フェイクではない……か。

 細かいところまではわからないが、入国管理局と安全保障局、その他各種委員会や審問会の印が押されていたこともあって、まだ通報しなくて良さそうだと判断する。
 当然、警戒は解かないが。

「で、勉強する理由はパトリシアに惚れたからだよね」
「ぐはッ」
「すごくわかりやすかったよ、いやホント」
「ごばッ」

 リバーとアッパーを同時に食らったような気分のランカ。
 食らったことはないが。

「それに独り言が大きかったしね」
「ウェっ!?」

 テンプルの追加がきた。
 食らったことは当然ない。

「パトリシア以外に関する独り言の内容も良かったよ。『助長の終着点には破滅がある』とか、おもしろかったもん」
「恥ずか死い!」

 さて、それを聞いて質問させてもらうよ。
 そう言うヒューマノイドにランカは何故か武術的に構える。

「それじゃあ、頑固で責任感の強い友達が困っていたら?」
「助ける」

 早いね。
 そう目を伏せて、呟くヒューマノイド。

「その友達は演技が上手くて、全く困っていなさそうな振りをしている。でも自分だけは気づいたとしたら?」
「隠れて助ける」

 本当に、早いね。
 嬉しそうに笑っている彼乃至彼女を見て、ランカは疑問に思った。

 ────術でもかけられているのか?

 言ったことは全て本音であるが、初対面の人に話す義理はない。義理がないなら、自分という女は何も話さないはずだから。
 それ故に、目の前の存在に操られている気がしてならなかった。

「その友人が、もしも多重人格者だったとしたら?」
「ひとりでハーレム味わえるやん、おーるこれくとぅ」

 ────なんだ……胸につかえる、このイヤな感じは?

「その友人が……」
「────」

「その友人が……」
「────」

 ---
 --
 -

 それからも、気が遠くなるほど問答が繰り返された。
 気づけば、ランカは正気と狂気の狭間にいた。

「その友人が、自分よりも長く生きてきて、そしてこれからも長く生きていくとしたら?」
「その友人が望むのなら、胸にナイフを突き立てる」

「その友人が、記憶の大半を失っていたとしたら?」
「取り戻す」


 ────何故だろうか。


「ありがた迷惑かもしれないのに?」
「私には有難い」


 ────じわりじわりと熱い炎が湧き上がってくる、この感覚は。


「でも、嫌な記憶が蘇って苦しんだら?」
「私が隣に立つ、一緒に背負う」

「……うん。でもね? 自分が、苦しむこと--」


 ────そうか、これは。


「 くどい 」

 怒りだ。

 突然制止できないほどのものとなったそれは、過熱した湯が氷を投げ込まれ突沸したように、ついには爆発したのだ。
 何か尊厳を汚されているような、真核に触れられているような。

 ────ああ、非常に、フユカイだ……。

 本当に、なぜなのか。
 ついで感覚で枷のように引っかかるモノが外れた気がしたが、そんなことは些事であろうと思考する。

「--に、な……」

 うん、そうか。そうか、そうだよね……。
 満足そうに何度も繰り返す存在ヒューマノイドを前に、ランカは荒い呼吸をしていた。
 冷静さを取り戻すにつれて、ウソみたいに荒れた心が凪いでいく。

 ────は、はは……恥ずかしっ!!

 全く見ず知らずの〝人擬き〟にブチギレてるだなんて!
 うおおと唸り声を、魂のようなものとともに吐き出すランカ。

「いやはや、参った! その傲慢さ、いつだってこの仄暗い夜に朝を呼び寄せたのが、まさにそれなんだったな!」
「え、ええぇ……」

 目の前で頤を解くヒューマノイドに、正直ランカの理解は追いつけなかった。

「お礼に、答えられることはなんでも答えよう。あと一分以内なら」
「いきなりで短いですねっ?!」

 そう口では言いつつも、脳はフル回転していた。

「ヴァンキッシャーの目的は?」
「パトリシアが答えるだろうし、次」
「ちょっ!? ……ヴァンキッシャーの正体は?」
「パトこた次」
「くっ……あーじゃあオルテンシアの正体は?」
「この世界の他、様々な平行世界に召喚される……あ、時間だわ、ウン」
「え?」
「この姿でないとココに来れないってのが弱点かなー……」
「え、えぇー……」

 そうだった、そうだった。
 思い出したようにヒューマノイドは呟いた。
 疲れ果てたランカは「何ですかぁ……?」と問えば、

「あの娘に、パトリシアにこう伝えてくれ。『トロオヤーニースティー』と」
「? と、とろおやーにーすてぃー? ……わかりました」
「そっか」

 ありがとう。また来るよ。
 言うと、ヒューマノイドは消えていった。

「……最近、名前聞くより先に会話してる気がするんですがっ!」

 ガンッと拳を机に叩きつける。
 その痛みに悶えながら、はぁとため息をつく。気づけば、もう午前二時であった。

「今日はもう無理眠いショートスリーパーにもきつい……」

 読まずに返す本ができたとを憂い、立ち上がるランカ。
 本を戻して受付前も通り、寮舎の通路に出るドアに手をかける。


 よりも早く、ドアは開いた。


「あれ」
「わおっ」

 エイブラムスだった。



 ◇



 気づくと、見知らぬ部屋にいた。

 ピンク色を基調とした部屋で、オレンジ色のライトが今自分のいるベッドを照らし……。

「…………!?」

 何故自分はパンツを履いていないのか。
 何故自分はブラジャーをつけていないのか。

「……そして正確に言うと、『気づくと』でなく『目覚めると』であった。まる……」

 そして横には、掛け布団には謎の膨らみがあった。

 ────無視しよう……。いや、できるかっ!?

 思い、恐る恐る布団をめくると、

「エイブラムス……? あっ」

 そう言えばと思い出す。
 図書館で出会ったあと、ランカはエイブラムスと少し話をしたのだ。

「確か内容が……」

 曰く、京不知夜内におけるあの出来事--、すなわち人類にとって不倶戴天の敵であるヴァンキッシャーが突然艦内に現れ、それと戦闘したということは、歴史の闇に葬り去られるところとなったとのこと。『頃合いを見て開示するけどネ。それで国益利潤を産ませる予定だし』とはパトリシアの言らしい。

 曰く、住民へ大きな混乱がもたらされることはなかったのだが、それは事情を察したエイブラムスが行った艦内放送によるところが大きいらしい。

 ────ドヤ顔が可愛かったなー……。

 曰く、小春は何をしていたのかと言えば、ランカ達の救助活動をしようとしていたと。
 小春は演習場に駆けつけると、熱や衝撃で歪んでしまった扉をミニ戦車の火砲で壊した。そこまでは良かったのだが、その横で武麟が天井に風穴を開けて脱出したため徒労に終わる、なんてことがあった。気の毒ではあるのだが、仕方無し、それはそれとして置いておくとする。

 そのあたりまで聞いたランカは不安になった。

 ────修繕費、コレ……あ、想像したくないできない無理だワ。

 パトリシアが11年前に起こしたクーデター、そして第二共和政の開始。その後望まれて皇帝に即位し第三帝政を開始した後は、負債だらけだったこの艦、もとい独立国家〝京不知夜〟も、年に17兆円程度は難無く稼ぐまでに成長した。しかも『上からの改革』に掲げられていた内のひとつ、『半年間の実験的倹約生活』を実施したために、今では国民の末端まで節約術に秀でている。簒奪と解放の英雄。そして至上にして比する者なき天才が支配するのだ、熱狂は必定、国民は心を入れ替えるほかなかった。
 また、先述の通り世界でトップクラスと称される頭脳を持つ雲下大陸解放軍の大将である。加えて、対ヴァンキッシャーの傭兵稼業も行い、莫大な外貨を稼ぐことも少なくないのだ。
 吝嗇りんしょくの小国家と揶揄されても、客観視すれば、世界で最も豊かで強い国であることに誰もが気づく。それに、若いながらもそうした批判や侮辱に正面から立ち向かう皇帝を見ていると、国民としては特段意に介すことはなかった。

 ────……ラグビー戦争は除こう。ウン。

 ラグビー戦争。
 ある時、ラグビーワールドカップ予選で、対立関係にあった某国と対戦した。その際に相手国の観客がパトリシア皇帝を誹謗中傷する横断幕を掲げた。
 その時点では、京不知夜民は堪えきれた。まだ、なんとか。
 対戦に勝利すると、この敗北を苦にして相手国の熱狂的ラグビーファンの19歳の女性が拳銃自殺をすると、女性の死を悼んで相手国の大統領まで葬儀に参列するまでの騒ぎに。この後に、相手国のファンにより京不知夜国民二名が殴る蹴るの暴行を受けて死亡。さらに京不知夜サポーターの乗用車が放火される被害が出た。
 これも、京不知夜は堪えた。
 その後に聞こえてきた、パトリシア皇帝に対する侮辱で戦争が始まった。国民議会が暴走し、空軍が主要都市を焼き付くし、陸軍が相手国兵士を無力化した。その時、海軍は兵站を担当していた。世界に京不知夜社会の狂気を見せつけたが、そこは賢帝パトリシア。さらっと京不知夜に利益ができるよう、相手国の支援をある程度行い、今に至る。

 そんな国家がそうして積み重ねた貯蓄の額は、思わず変な笑いが出るほどあるのだから、修繕費は別に問題ないだろう。

 当然、軽く兆単位は動くのだろうが。

 ────勿論、費用が掛からないのであれば、掛からないほうが喜ばしいのですがネー。

 そうランカが考えているとパトリシアは「あー、演習場のことならもう直したよ? あっはは!」と。エクスクラメーションマークと言うよりは星マークだったのだが、いや、そこは特別に問題視すべきところではない。
 そして金の問題ではそもなかった。「修理工など不要ッ! 時を止めつつ再生術式を発動し、さらに無限小の世界を祷力で満たして以前より強くすれば良いッ!!」という国家元首だったからだ。さも容易そうに言うが、こんなこと人類どころか、最強の生命体であるドラゴンでも不可能である。まずないだろうが、旧VENDETAにこの神がかりな偉業がバレたとしたら、パトリシアは全世界から狙われるだろう。捕まれば水槽の中で余生を送ることとなるだろう。

 ────サポートしなきゃ……。胃が、痛い……ぞ……

 その時にランカはまた気を失ったのだ。
 人はあまりに大きな衝撃を受けると、防衛反応だろうか。とにかくそういうので気絶するのだナーと、他人事のように思いながら豚のように眠りこけた。

 以上のことが今朝の話である。
 当然、無断欠席であるが、パトリシアの説明により公欠扱いとなった。



 ◇



 時は、あの夜--ランカ達とヴァンキッシャーの対決に遡る。


 天井と壁全てが液晶ディスプレイでできた、その部屋。
 この画面の向こうでは、毎日のようにパーティーが開催されている。毎度変わる劇場に立つ舞台役者の笑い声だけを、このわずかな埃もない部屋は記憶し、役者が動けばその度に、部屋と研究員の長は一緒になって笑うのだ。


 ただの研究員である彼ら彼女ら78人は知っている。『光栄ある王国のための人型兵器研究・開発所』の理念など偽りに過ぎぬことを。

 ただの研究員である彼ら彼女ら78人は知っている。『かの欲に協賛する者がいる限りの人間屠殺場』との深い闇が現実にあることを。


『Ah……いよ……世界よ! ……たしは、貴方が憎い! 憎……くい、ただ憎いッ……!」

 ノイズ混じりの声が響いた。
 それは、研究者である彼ら彼女らの恐れの対象であり、大博士--グリーディン・ウィーンズスマンにとって到達すべき目標の声だった。

「────オおっ……お、おオオおッ!!」

 映るは敵対者の王。
 輝く美貌に耀く凶眸宿す、雲の上では太陽を焦がし、雲の下では大地をいだく最強のオンナ。

 ────自分の手で苦しめてみたい。

 鎖骨に歯形を残せば、どんな顔を見せてくれるだろうか。
 乳房をつかめば、どんな声が聞けるだろうか。
 秘蜜の園に指を伸ばせば、背中で跳ねてくれるだろうか。

 ────きっと。

 あの首を絞めれば、赤黒く染まった肌が見られるだろう。
 より強く締めたら、綺麗な中身が飛び出してくれるのだろう。

 首だけになっても、ああ、それはそれは美しいのだろう。

「これが、鎮西賢帝パトリシア……。あの、パトリシア・ガルベス・デ・ガンテか……!」

 妄想に耽る彼を、しかし現実に呼び戻す声がその耳を響かせる。

「サー・グリーディン!」「ドクトル・ウィーンズスマン!」
「二人して何かねっ。今はこの玉音を録っているのだが! あァッ!?」

 研究員の男女は怒鳴られ、ひっと声を漏らして硬直する。
 二人は共に、このモニタリング室中央にある、現在パトリシアの話に傾聴し涙しているマザー・ヴァンキッシャーのヴァイタルを、そのデジタル立体図を見てレポートする仕事に就いていた。

 ────チッ……。

 ウィーンズスマンは舌打ちすると、乱れた髪を掻き上げて後に流し、「それで?」と続きを聞く姿勢をとった。
 そこで漸く硬直が解けた研究員の男女は、報告することとなった。

MAGVEZマグヴェズ211、コアが消滅しました……!』
「なに……?」

 ええ、報告に間違いはありません。そう首肯く研究者の二人。
 実は、MAGVEZにはあまり素材は要らない。ウィーンズスマンのカルディアにより、既存の兵器と、人間の脳、心臓、腸さえあればつくることができる。重要となるのが今挙げた人間の部品であるのだが、それは、もっとも重要な部分--コアを構成するのが脳、心臓、腸だからだ。
 この三個が重要になるのは……。

「ん……?」

 ふと、画面の向こうのパトリシアとマザー・ヴァンキッシャーすなわちMAGVEZ211を見る。

「なに……?」


 何だ、あの笑みは。


 恐ろしく低いダミ声だった。水の中で声を発したかのような、ゴボゴボとした酷い声だ。
 向けた視線の先にはMAGVEZ211の、花よりも華やかで眩しい笑顔であった。

 ────ただの兵器のクセに。

 私がいなければ、ただの娼婦だったクセに。私がバラさなければ、貴様はドブと小便に塗れて死んでいくだけだったというのに。
 頑張ったのは私だ。貴様じゃあない。他でもない私なのだ。
 なのになぜだ。
 何故貴様は、かの女帝と微笑みを交わしている。
 巫山戯るな。巫山戯るな。巫山戯るな。ふざけるな。ふざけるな。


 フザケルナ。


 ────その席は、譲れぬ……!

「MAGVEZ、我が楽器よ……」

 貴様が奏でていい音は私の成功を祝うファンファーレだけだ。

 呟き、怒りのままに緊急自爆ボタンを押した。


『だから、おやすみなさい。良い時を……』


 爆発するより先に、浄化されてしまった。

 ────失敗した。

 いや、それどころかMAGVEZ211は新たに名さえ貰っていたじゃないか。

「満足そうに逝きましたね……」
「────くはっ……!」

「…………。そうだな……」

 突然現れた少女二名に、ウィーンズスマンは、一瞥すると温度を感じさせない声で返した。
 少女二名。彼女らは暗殺者のような風貌の彼女らはフードを目深に冠っている。その腰には二つのベルトが巻かれており、ナイフがスカートのように提げられている。
 研究員たちからは、一体どこから現れたんだ、全く足音なんか聞こえなかったなどの声があがっていた。

「お答えしましょう……」

 オルヌッド、女の方に。
 そう言う静かな少女に対し、応と答えるもうひとりの少女。

 言うや否や、少女二人は消えた。

『ヒッ……!?』

 怯えた声を出したのは、ウィーンズスマンに報告した研究員の男女であった。
 彼と彼女は後ろ手に縛られ、そしてその首は周囲をナイフに囲まれて。

「私たちは暗殺者……。私の名はドゥルヌッド、妹の名はオルヌッドよ……」
「おうさ! オレたちは、この世の影すべての支配者だい!」

 そう言って拘束を解くと同時に、何か音が聞こえた。
 その方向を向くと、雇い主であるウィーンズスマンがひゅうひゅうと空気の抜ける音を口から流していた。

「え……は? どうしたんだって言うんだよ、オッサン?」

 心配そうに言うオルヌッド。しかし手指の間にはナイフが挟んであった。

「は────はっはっは……イヒヒ、ふふ、フハ、フハハハはは!!」
「気を、違ったのでしょうか……?」

 理由はなんであれ、契約分の金が払えないと判断すれば、今までひとつの例外もなく消してきた。
 それが暗殺者ドゥルヌッド・オルヌッド姉妹だ。だがそれさえ気をつければ、想像以上の成果を残す最高の暗殺者だ。

 この状況は、その見定めの時間であった。

 研究員のひとりが「ドクトル・ウィーンズスマン! お気を確かにっ」と言うと、姉妹はその状況に対する解を得た。

「何かね! 断じて、私は狂ってなどいないさ。一瞬間たりとも、狂ったこと、狂わされたことは無いッ。けれども、アア、狂人とは、たいてい私たちのような存在をそう言うものらしいな……!」

 ウィーンズスマンは白髪を掻き乱し、どこか歓喜の混じった怒声で喚き散らす。
 パトリシア・ガルベス・デ・ガンテには完全敗北したが、創作意欲が湧いてきたのだ。

 ────我ながら優れた脳を持っている!

 この閃く力もそうなのだが、女帝パトリシアと関わる度に自身の脳は発達しているような。

 ────私に追いつけ、私を追い越せ、そして……。

 私を殺せ。

「……そう言っているのだな」

 ウィーンズスマンはそう信じて、信仰して疑わない。

「……おい、君たち」

「は、はい」
「何でしょうか……?」

 呼び出したのは、先程彼に報告した研究員の男女。

「君達は実に役立った。次の人造ヴァンキッシャーMAGVEZ212でも活躍を期待しているよ」
「あ、ありがとうございます!」
「ありがとうございます……!」
「それにあたって、相談したいことがある。……第三薬品管理室に先に行ってくれないか? あそこなら、外から中の音は聞こえないからね……」
『了解しました』

 鍵を渡され、陰惨なパーティー会場を出ていくふたり。
 その背中を見送ったウィーンズスマンが暗殺者姉妹に目をやると、彼女らは理解したように影に潜伏した。

 ────しかし。

 あの鶴院ランカとは何者であったのか。
 安武麟アン・ウーリンの情報は既に持っているが、あの少女は何なのだ。
 女帝と神狼が前に出てまで守るための戦いをし、だがその彼女らに守りたいと大馬鹿者のようなことを言う。気力で戦い、義心で立ち、動じることなく女帝に物申す。そして--、瞳には冷酷さを、しかし仁心を持ち合わせた小さな少女。

 ────どこかで見たような……。

 それを調べるために、また適当な暗殺者でも送ってみるか。いや、それより例の期限・・まで調査すべきだろう。

 ウィーンズスマンは思考をまとめる。

 鶴院ランカを調べる目的は、例の期限までに自身の楽器として新たに命を与えたいと思ったから。
 調査手段は今までのとおりに、暗殺者を京不知夜に送り三日間の諜報活動。情報を得られたなら、そのままパトリシアに暗殺者を差し向け、そして消えてもらう。消えてもらうという表現は、暗殺者が死亡したのかを今まで確認できたことがない故に。

 ────人造ヴァンキッシャーはそのコアで、そのコアは四要素次第で強さが決まる……。

 そしてコアは脳、心臓、腸でできている。
 脳、心臓、腸の三つをコアとして加工すると四要素、すなわち理性に獣性、そして記憶に感情が正常に起動する。その四要素は攻撃力や防御力などに直接繋がってくる。
 他の臓器は、最悪、なくてもよい。なくてもよい、何方かと言えば不要ですらあるものだが、捨てるには勿体無い。

 ところで、ウィーンズスマンの趣味は料理だ。檜チップを使って燻した肉など、ヨダレで顎を濡らしてしまうほどに大好物であるのだ。

 ────今日の夕飯は、歯ごたえのある……そうだな、肝臓なんかがイイな。

 乾いた唇を舌でなぞると、ポキポキッと首を鳴らし、ウィーンズスマンは立ち上がる。
 満面に醜い笑みを湛えて。

「さて、各員休憩に入りたまえよ。私は少し自室に戻る」

 言うと、光が入らぬよう注意しながらカーテンの内に入り、ドアに手をかける。

 ────ん……?

 返答がなされない。
 生来短気な彼であったが、上下関係には特に興味はなかった。それでも最低限の受け答えはしてもらいたいものだと不満に思い、ドアノブに掛けた手を、今一度カーテンに掛け、部屋の中を覗く。

 その前に。

「────おお、おお。これでは、余の鼻が曲がってしまう、曲がってしまうではないか」

 女の声が聞こえた。
 一頻り哄笑が続いた後、さてと続けた女の声で正気に戻ったウィーンズスマンは、深い悦びを抱いた。


 同時に恐怖した。


 その声は透るようだったからだ。
 これまでの、機械により限りなく似せられた人工の音の並びではなく、本当の声。

 ────振り向けば、そこで終わる。

 第六感が予言した。
 確信めいた物言いは、程度の高さを表現しているのか。
 だがウィーンズスマンは、パトリシアと自身の兵器を用いた対決をせずして死ぬつもりなど、毛筋一本さらさらない。

 ポン……。
 肩に乗せられた手は異常に冷たく、そして重たかった。

 そして、今度は振り返らなければと直感した。

 ---
 --
 -

 ウィーンズスマンが後ろを振り向いた時、もう生きている者・・・・・・はいなかった。

『────良い夜を』

 どうも、今夜の役者は、観客席までやってきてくれたらしい。
 液晶ディスプレイの向こうで笑う、まるで神を身に降ろしたかのような女を、その首は眺めていた。

 千切れた彼の腸は、床に熱烈なキスをしていた。






 イギリス帝国、その〝光栄ある我らが祖国がための戦力兵器研究所〟にて。
 所長グリーディン・ウィーンズスマン以下研究者全79名が、一夜の内に死亡した。家畜のように解体されたウィーンズスマンを除く研究員は、検死したがその死因は解明されず。「突然心臓が止まったとしか言えない」という専門家の意見を聞くと、この謎の事件を政府はもみ消した。これにより、イギリス帝国の社会は普段どおりの日常が続くこととなった。



 国家は、もたげられた魔性の鎌首が見えていなかった。


 イギリス帝国政府は、その絶望をつゆも知らずに日常を送る。

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