RIP!
序 葦鶴は緋色を知り、熒惑を見る。
ランカはぐるぐる眼鏡が所有する【自己という隣人】の頭を撫でた。
その時にだが、ぐるぐる眼鏡の自己という隣人--ドラゴンは田舎の無垢な童のような、聞くものが聞けば満面に笑みを湛えるであろう鳴き声を出した。
「む? この声……。初めて顔を合わせるというのに懐くとは珍しい……。ガルベス・デ・ガンテ以外には、私も含めて誰にも懐かないというのに……」
「パッティーには、どんな?」
「んう……。畏敬の念、みたいな……?」
「畏敬? あの、パッティーに? ……ちょ、痛いってぇの?!」
自分の赤髪を噛む小型ドラゴンを丁寧に引き剥がしながら、ランカは思わず聞き返した。
────まさか、ね……?
そう思うのも無理はない。
第一にドラゴンの種族的な性質だ。
ある本にはこうあった--『姿形は今様とは異なれども、彼らの起源は人類の発生以前よりも遥かに古いもので、正しく地上と海洋さらには空域の支配者であった』と。
実際にランカが授業で習う世界史では、人間種や獣人をはじめとした人の発展により、彼らドラゴンはその生存可能領域を狭めていったが、それでもなお世界最強の生命体であったことは間違いないとある。
事実、アドア王(注1)による大陸鎮護のための遠征でも二番目に被害が大きかった戦争は、狡猾な人間に唆された、龍王アンドルヴァイユ率いる龍王軍との〝マフス河畔の二王二帝会戦〟であった。膨大な肉と死が積み上がった戦で、マフス川の冷水が流れ入る、現在の祈りの海にあたる湖も三十日は真っ赤だったとのこと。
なお、自然環境に対しての被害の大きさが最大であり、アドア軍遠征部隊総数一千余には大して被害がなかったとか。
────実質的に不死の軍隊やん……や、それもうラスボスだよね。ウン。
この後、龍王統治下にある国家を平和的に吸収したアドア王国はさらに版図を広げる。
最初は南極大陸の一部を支配する程度でしかなかった王国は、この戦争での勝利をきっかけに大陸外に出て、時には交渉、時には遠征をし、知的生命体史上初となる世界の統合、すなわち世界連邦を造り上げた。
────あれ? ドラゴンの話じゃ、ない……?
To return to the topic……
以上の歴史からわかるのは、竜が支配する絶頂からの堕落。
甘露なりと生を謳歌し、しかし、ついには空から引き摺り下ろされた彼ら。生活や身の安全を保証された彼らの多くは、オルテンシア女神昇天の後に悪辣で残酷で意地汚く、そして何より傲慢なただの獣と化したのだ。高潔な神獣は、斯くして反転したのだった。
また彼らが戦っていた相手、オルテンシア女神サイドは多くが人型だったことが原因だろうか。
かつて支配者の座に居座ったときのプライドを捨て切れず、自らをその椅子より引き摺り下ろした人類に牙を剥き、人類の不倶戴天の敵対者であるヴァンキッシャーと組むドラゴン、或いはヴァンキッシャーに頭を垂れて隷属するドラゴンなどが増加している。
それは過去の話ではない。現在において進行中の話である。
そんな彼らが、どうして人であるパトリシアに畏敬の念を抱くだろうか。
そんな彼らが、どうして人に仕えるだろうか。
第二に、パトリシア・ガルベス・デ・ガンテという女だ。
畏敬されるというのは少し違うと、ランカは思う。
いつだってお道化て才能を遊びに使う残念天才の彼女は、所謂愛されキャラで、放ってはおけないということで、クラスが一丸となっているということは、確かに厳然たる事実。いや、クラスどころか国家が纏まっているぐらいだが。また取る行動はまさに奇天烈の極み。趣味はガーデニング。正確には農場経営。最近は根菜がホットらしい。
愛される天才、誠実なカリスマ、守るべき支配者。それでも、
────どんなに凄くても、それでも人類だよ。……本当に、何でなんだろう……?
「……い……」
ランカは声を聞く。長考の海に沈んでいた彼女を引き上げる、その声は心地よい低音だ。
「おぅい……?」
「あ、すいません。考え事を……」
「そ、そうか……。脳が煮立ちすぎると危険だから、小休止、しっかり挟めよ……」
心配するぐるぐる眼鏡。
その心遣いに感銘を受けたランカは彼女に、食堂へ行きませんか、奢りますよと言って、ぐるぐる眼鏡を連れ立った。
◇
「うわぁ……うはぁ……んへぇっ……」
ため息をつくランカ。
ここ最近のため息回数総計を測ったのなら、それはもう凄い数なのだろうと、どこか他人事に思える自分がいたことに変な笑いが出る。というか出ていた。
しかし、
「しっかし、アレは凄いですね……」
量、然り。
質、然り。
遠くからでも見える「アレ」。それこそはテーブル中央を支配する大きな平皿の上には肉と野菜の城。顕現するは、食材の暴力。
そんな席での会話が、食堂を満たす群衆の喧しい声を貫いてランカ達の耳へと届いてきた。
つまりは爆音と言っても問題ないほどの声量だったということで。
『あァァーちゃぁぁぁんン! 特製ドレッシング……もどき……の時間だあオラああアァーハッハッハッハァッっぐおえぇっン噎せましたわっハハハァン!』
噎せながらもそう叫んだパトリシアは今、ランカ達がいる出入口に対して背中側を向けている。
なのでランカ達からは表情はわからないが、声の調子や腕のぶん回しぶりから判断するに、かなり楽しんでいるのだろうと。酩酊状態の初期段階との表現も可能だなと、そう言うのはランカ。死にたてホヤホヤの鮮魚の目をしながらである。というか、実際にランカの目はまさにそれだった。
彼女の右横で赤髪長身の女--あーちゃんが、これまた変な笑いが出るくらいの量を食べているのだが、その赤髪の前と足元に瓶が置いてあった。よく見ればテーブルの三人は皆酔っている。
余談だが、空の瓶は、それはもう丁寧に積み重ねられていて、特に足元のものは神聖ささえ感じさせるオブジェとなっていた。
『あーちゃん言うなコラ! あとボソッと何言ったしゴラァ!? ちょオイ!?』
『ふっひっひーの、んひー』
酔っ払いパトリシアがおもむろに、あーちゃんの制服ブレザーを脱がし始めた。そのままカットシャツのボタンを、途中鎖骨をアマガミしながらも外していく。
『ずぼ────っ!』
右手を胸の谷間に挿入。ウィズ、セルフ効果音。
『んヒィッ!? つ……冷てぇッ!!』
『たいしょーどのー、あてくし何かゲットしたれすよー! ……ま、私が持っていたのだけれどネー』
フリーダム。
ついにはいつもの調子に戻ったらしい、非酔っ払い状態のパトリシアがあーちゃんの谷間から取り出したのはボトルだった。惚れ薬でも入っていそうなダイヤモンド型のボトルで、よくそんなものを収納できたなパトリシアの手とあーちゃんの胸と思えるくらいには大きい。そのキャップを外して後方へ投げるパトリシア。ガゴンッと、ゴミ箱に入った小気味好い音が聞こえると同時に、ボトルの口から何か虹色に輝く気体が漏れ出る。
そして、
『喰らって向かいなヘイヴンにッ!』
『殺す気かって!? ……え? ドレッシングって七色に光るものだっけ? おう? ドレッシングではない? だろうな。で、一体それは何だ? 改良した? いやだから何をだよ、何を。え、ちょっと待てや、それどうするつもりだ話せば分かるきっととてもメニメニわかるなぜならIQ300オーバーのパトリシア・ガルベス・デ・ガンテだものそんなのわかるはずに決まってんだよなしかもあたしとアンタの仲だぜこういうのってオイぶっかけんなぁぁぁぁ!?』
放たれたボトルは空にハートを描き、光を放ち乍ら霧散。
肉へ野菜へと降り掛かる、輝く液体。
あれが、あの光り輝くモノが何であるのか。その場にいた高等部生はわかった。わかってしまった。
────あれはッ……液体化祷素(注2)!? 違う、上位版の〝神の髄液〟ではないですかパッティー!?
薬品だ。
それも、限りなく神話時代の魔力に近いとされている祷素を液状化したもので、あらゆる分野で使われるものの高級版だ。
時に、城塞級ヴァンキッシャーに対して即死を狙える兵器。
時に、万病の秘薬。
とくに後者に関してなのだが、実は下位版こと廉価版でも同様の効果は理論上は期待できる。
しかし、
────塵が億万と積もったところで、なんだよね……。
やはりそれは理論上のもので。
濃度が低いため多大な量を摂取しないといけない。それは、有害物質が混ざった粗末な塩を大量摂取することとよく似ている。
だがそれの上位、純粋すぎる祷力では、過剰摂取による急性祷力過多で死ぬのは必至となる。
つまり死ぬ。何れにせよ死ぬ。
そんな危険性を、しかし神の髄液は持たない。持たないからこそ神の名を冠するのだ。
それ1ミリリットルで国家の二つを買えるとさえ言われている神の髄液を見て、皇帝がドレッシング感覚でかけているものの正体がわかった中等部以上の学生は、現実逃避的にただ綺麗だなとおもうばかりだった。
『ん、ふふ……! そう言いながらどことなく嬉しそうですねぇ。えぇ? 武麟、安武麟! 何はともあれ、胸に駄肉たくわえたオマエはパトリシアに今夜鳴かされるのですぅ! こう、イロイロエロエロな感じでぇ……。あぁ……アタシも一緒に、ねぇパ・ト・リ・シ・ア……』
同情的な目で名前を呼びかけるピンクツインテール。
煽情的な声でパッティーを誘うピンクツインテール。
────あれ。私、あの子たちの名前知らないよね?
今更感にチクチクとされる。
ハリフキダシが後頭部に刺さっているような。
────関わりたくないけど、いずれは介入すべきか、いやでも……。
そんな葛藤やら迷いやらが混交していた思考だったが、ついには前者に従うことを決定した。
『良いよエイブラムス、全力で来い! そのためにドレッシングもどきに〝体内貯蔵可能祷力限界値の上限解放薬カッコ自家製カッコトジ〟とポン酢、その他に何か適当なもの混ぜたんだよ! 喜べィ!』
このことを、後にR氏は「上流階級でも買えない賢者の薬でした。自家製とかもう意味がわからない。さすがVENDETTA序列十位の人は色々とちがうナー。あとピンクツインテールさんは人によってキャラ変えすぎやない?」と、虚ろな目でそう語った。
正確には『後に』ではなく『現在、内心で』であるとか、そんな細かなことは豚にでも食わせておこう。
カオス、控えめに言ってケイオス。
ランカは、自身の内面にあったパッティー像の崩壊などの心的ストレスにより口から魂を吐き出しながら、しかし手作りの秘薬をドレッシングとして躊躇いなく使うという英雄的行為に腕を組んで感心していた。
『んもっもっもっ……ん、くん……。案外、存外にイケる……。てかなあおいパト、エイ』
『何ですかぁ?』
『ドア付近に立っていて、それではるすけの横にいる女史のこと? その子のことなら、名前は鶴院ランカって言って、孤児院時代からずっと私と同じクラスの友人だよ』
『いやそのことじゃないし、というか何の話かわかってんだろ? ……スルーしたが、相変わらずだなその知覚能力。あーっと、話戻すけど────』
騒がしかった彼女らの声は小さくなっていたが、耳が京不知夜内でもかなり良いランカには何とか、ギリギリではあるのだが聞こえた。
────全く以てその通りです! え? 見えてんの? え。えぇー……あと、こっち見んなパッティー周辺の群衆コラぁ。
ランカ達は食堂の出入口に。対しパトリシア達は食堂の端、つまるところ50メートル先の真反対に位置している。今の位置関係はこのようであった。
────驚いては……いない? え? 慣れるモノなの? 背中を向けていながら人を見るって……はぁ?
ランカは聴力だけでなく視力も4.0と、現代人の中でも良い方であるので、パトリシアを除いた彼女らの表情を此処、食堂出入口からでも見ることができていた。
腹が潰れて轢死体となったカエルのような目、外れてストンと抜けて落ちたような顎……表情のアンハッピーセットをランカは注文。一瞬、毛深い脚をくねらせて躙り寄って来る胃痛薬を幻視した。
────なるほど、貴方がメサイアか。
ストレス故になのか。
本気でそんな幻影が見えたランカは、気付いたときにはほつれていた髪を、特に直そうともせずにため息をすると、
『本当よねぇ……。脈絡膜での色素が凄く少なくてぇ? それが原因で網膜における光の受容能力が低くて……? それで視力が弱いとかそんな感じだったかしら?』
ピンクツインテールが頬杖をついて、銃付き大鎚の棘先に突き刺したウィンナーをパトリシアに食べさせながら彼女に問うたのを聞いた。
割と危険な行為だ。幼い子どもが真似をしないことを祈るランカは、ふと。
「え、視力弱いのにどうやってこっち見てんの……。というか背中向けてんだけど……」
「ん……? あぁ……。軽く体を捻ったときにこちらを見たんじゃないか……。一瞬……。パトリシアは、ただ一瞬目を向けるだけで視覚的情報を獲得できるし、かつその情報を記憶できて、さらにはそれから相手の動きを予想できる……らしいしな……。エイブラムスも言っているしお前も気づいているだろうが、パトリシアは色素をかなり欠乏している……」
呟きを聞いたぐるぐる眼鏡はそれに応答。いつの間にかヘッドホンのようなものを付けていたが、一先ずそのことは無視する。
「ん……? これは、集音機だ……」
貴女も人の心を読むのか。
そんなことを考えていると、ぐるぐる眼鏡は、パトリシアの目を思い出せと、そう云う。
対しランカは、血よりも血らしい赤色の目だね、と。
「それもあるが……」
「それも……?」
ランカに、ああと応える。
「言って良いのかな……。いや……問題にはならないし、何があっても問題にするつもりなど、毛筋一本たりともはないが……」
「いや、あの……?」
呼びかけると、眼鏡がずれて鋭い目が見えた。
────暗い橙色に輝く、まるで、鬼系統のヴァンキッシャーのような……。
いや、きっと気の所為だろうとランカは考えた。それより人の話は聞くものだとして耳を傾けることにした。
「いずれ分かるだろう……。私からは何も言わないでおくことにした……」
────…………。いや、気になるんですけど。
その言葉をぐっと唾とともに飲み込んだ。
◇
「お前ら、ずっとあんなところでなにやってたんだ?」
顔に大きな傷を負った深い赤髪の女〝あーちゃん〟が、ランカ達に問うた。その彼女が手に持つのは皿でなかった。今度はワゴンごと持って来ていた。
それも、2つだ。
────肉食性猛獣っぽい方に目ぇつけられたっ!
級友との絡みであれば『どれだけ食べるんだよっ』と、言葉に出して突っ込んでいるのだが、彼女とは初めて話す。
それに何より怖い。とても怖い。
神獣のような艷めく髪、傷だらけで巨大な体躯を持ち、上から見下ろしてくる。さらには髪の影で隠れている右目には、妖しい光を煌々と灯している。
「わ、私は……ランカが立ち止まってたから……?」
ぐるぐる眼鏡のはるナントカは、言い終わってから申し訳なさそうにランカの方を横目で見た。
アテレコをするとしたなら『身内のノリで言ってしまったよ、いやごめん』と言ってウィンクしている、というのが合っているようだ。
「いや上昇調で言われてもな……」
いや、そのアテレコはキャラじゃないような気もするかなと考えていたランカ。そんな時にあーちゃんがランカの方を向き、それと同時にパトリシアが答えた。
「ランカ氏、あーちゃんの食事量見て引いてたっぽいよ?」
「マジか。やっぱり?」
「割とガチマジ大マヂに」
そう言い切ったパトリシア。
すると、椅子に掛けてあった、彼女が総攬する海軍軍帽からニョロニョロカサカサと。蜈蚣が、這い出てきた。デフォルメされていて今ではマスコットキャラクターでも通用するだろう。左肘を通って左肩に乗ったゆるキャラ蜈蚣が、むいむいと、パトリシアの皿を見て鳴く。
────鳴く……? 蜈蚣って鳴くの?
「……んあ? チャカ=チャカはこのスゥイィィートポテェト食べたいの? さすが私というか私の自己という隣人というか。とにかくお目が高い! よしよし! 新入りたる君にはこのフランベした焦がしメレンゲに覆われ、さらには紅茶を凍らせた氷を粉末状にしたものが混ぜこまれているクリームに囲まれた、まるで『水攻め受けてるなうat忍城』的な芋を喰らえぇ!」
パトリシアは、実にハイテンションだった。
蜈蚣にしっかり「チャカ=チャカ」と名付けていたことから、そのハイ具合は容易にわかる。
────というか、チャカ=チャカの体、前は赤茶だったよね。
今では、白地に金模様となっていたのだ。
染めたのだろうか。とにかく、たまたま目を逸らしていて、丁度食べているところを見逃したので恐らくと付くが、食べかけのスイートポテトをあげるくらいには気に入っているらしい。
────…………? 自分で、作ったと?
ふと厨房を見る。
食堂に来て勝手にスイーツを作るというヴィラン的行為はしかし、食堂のおば様たちとしてはレパートリーが増えるとのことで受けているようだった。
パトリシアは、実に、ハイテンションだ。
そんな陽気の体現者だが、
────……アレ? 正解当ててきやがったッ!?
ちゃんと、そしてさらっとランカの考えを言い当てていた。
あーちゃんは頬を掻き、唇を突き出し気味にその後に続けて述べる。
「ん? あぁー、まそりゃそうよな。燃費悪いの、あたしも気にしてんだがな〜。おっと……」
「ほれ、茶だよー」
「ん。ありがとな」
パトリシアがさらっと鞄から湯呑みを出し、そこに如雨露型の鉄器の急須で茶を入れて、竹を編んだ茶托に載せてあーちゃんに渡した。気づけばお茶請けまで出している。
『夫婦かよ!?』
ギャラリー、吼える。彼女ら、無視する。
もう一杯今度は別のを願えるか、とモニター(注3)を見ながらそう言って、湯呑みの底を見せるあーちゃん。それを、わかったと、なかなかに良い笑顔で受け取るパトリシア。控えめに言って、その雰囲気はまさに夫婦のそれだ。熟年・円満・共にダイというレベルにまで到達しているそれだ。
「…………」
「…………」
「…………」
『…………』
またパトリシアは何かを作るようだ。
数秒、ほんの数秒後。
空になったフラスコだけを見たのなら、「化学の実験かよ」と突っ込むだろう。
削られたためにできた氷の破片を見たものは、「水属性の祷術をここで使ったのか」と問うだろう。
そんな状況が、此處にできあがっていた。
────いや、材料を机に並び終えた瞬間できあがっていたのですが!? ……ですが!?
そういうふうに、群衆に内心でツッコまれているパトリシアはといえば。
「はいどうぞ。飲めるデザート、ヨーグルトMODOKIだよ。花塩にレモン。豆乳やサイダー、そしてヨーグルトに他色々! それら原材料に至るまでパトリシア雲下大陸農園製だよー」
「おおー、超安心設計だな。氷のコップにも変えてるあたり真厉害! では……」
「飲んじゃいなよウィズアスほいさっさーっ!」
そう言って、ランカ達にも渡していく。
「あ。おいしい。横から見ると三層に分かれてるんですね、コレ。私は一層目の……クリームチーズかな? これが好きだなー」
「こだわりチーズだね! ナカナカでしょうランカ氏!」
「これ、下の方が……。おおっ……。豆乳のムースになっていたのか……」
「はるてぃー!」
「さすがアタシのパトリシア! いつの間にかテーブルに置いてあったコレ。グレープフルーツピールの……もぐ……ハチミツ漬けかしら? それと黒砂糖を使ったシフォンケーキなんだろうけど、それも相まって素敵って感じよ!」
「エイブラムスっイェーイ!」
パトリシアは、素直に喜んでいた。
具体的にその様子を表すなら、ピンクツインテールと両手でハイタッチをし、次いでその両手を腰に当てて「ふふーん!」とHカップを揺らして物理的に鼻を高くしている、と言ったところか。
────どうやって伸ばしてるの……キノピオかよ?
そんな目で見ていると、周囲の人々がモノ欲しげに見ていることに気づいた。『そう言えば、ここは隔離魔境カッコ心理的にカッコトジだった』とはランカの後の言。
「ナカナカよりも遥かに良い。んぐ。ぞ!」
そう発言したのはあーちゃん。展開していたモニターを閉じ、浸したクリームチーズを零さぬよう、フリーになっている左手で髪を押さえ、
「おっ、そうだ! こうして、ちぎったシフォンケーキをクリームチーズに付けてだな? ……んぅ、んぇっ、むっぐ……」
顔を上方へ傾けて舌から触れると、舌にぽたりぽたりと白いモノが絡まり、武麟は大きく喉を動かした。唇周りを舐め、クリームチーズに蕩けるシフォンケーキを、んくっ、んくっと音を立てて嚥下。
「ジ・エロスって感じねぇ……」
「ふあぁひぃ! むぐっ…………。讃、実に讃! クリームチーズは結構濃いめに作ったんだな?」
「生クリームからミルクまで、全部ヤギのを使ってみたんだ。あとチョップはやめたげて。エイブラムスがノーブラムスになったらどうすんの?」
「ま、ノーブラだけどね」
『うぇっひひひひ』
「付けろォ」
そんな、やらしい女よ武麟は。
ツッコむ武麟に、そう言いながら、よよよと泣くポーズを取るパトリシアとピンクツインテール。あーちゃんは遠慮なく、今度はパトリシアにもチョップし、一方でぐるぐる眼鏡は「ブログ更新っと……」とモニターに文字を打ち込み、ランカは目のハイライトを節電モードに切り替えていた。
「ったくもー! で、えぇーと? 飼って──」
「デートなら私の超長期試験が終わる次の日の6月27日ね」
「私も……ねぇ?」
「──る……。いや、まぁ、うん……。ってその日はパトリシアも試験じゃねぇのか?」
「その試験について集めたんじゃないですかー。ネー?」
「ネぇー」
「…………。(あっ)ね、ネー」
「あーもう、わかったよ……。で、ヤギのミルクってことは農場で飼ってるアイツらのなのか? というかヤギのってしつこいイメージあるんだが?」
「そそ、飼ってるアイツら。あーっとねー? シェーブルチーズの方は、まぁあれだネ。にほいがナカナカでしたニャー」
「どんなニオイだよ?」
「可視化地獄」
『地獄……?』
「4歳の時に初めて作ったんだけどね? もうね、ジゴク=ミエタさんだよ。割とトラウマなんやわー」
『軽いなッ!?』
ツッコむ群衆。
ちなみに、あーちゃんは「可視化地獄」の前後で椅子の裏に回り、「取り出すなよ? 絶対取り出すなよシェーブルチーズ。フリじゃねぇぞ?」とへっぴり腰で訴えていた。それと同じ頃、ランカはついに物言わぬ機械となっていた。
あーちゃんのぷるぷると揺れる山脈を見て、
「はふぅ……。この欲しがりさんめ! ここ食事量故にの大きさなのか、それとも大きさ故の食事量なのかしら?」
「よ、よし……。私もつつくぞ……!」
「やっめ!? んぅ……タイッ、ンムゥ!? そこはアウトだろぉっん!!」
くぴくぴと牛乳を飲んでいたピンクツインテールとぐるぐる眼鏡。彼女らは飲むのをやめ、ピストルのように突き立てた人差し指であーちゃんの胸をつつき始めた。怒鳴られてすぐやめていたが、両者ともにテクニシャンらしい。
物言わぬ機械のランカは、ついには悟りロードに行ってしまった。
「…………。あレぇッ?」
いつの間にか買ったらしい焼きイカを蜈蚣に与え始めたパトリシアが、声を漏らした。
れの字で声が裏返っていたが、それは些事。ランカとしては悟りロードに現れた魔羅とも言える存在だったが、その悪魔は意識を覚醒させたという意味で助けとなった。
「何ですかーパッティー」
「そういえば自己紹介してなかった? もしかして?」
パトリシアがランカにそう聞いた。顔を蜈蚣蠢く彼女の手元に向けて、だったが。
「ソデスヨーパッティー」
機械的で適当さ溢れる返答。
ランカとしては内心、疲れた寝たいもうええですか、というようなものであった。
────パッティーどこから馬大頭やら蠍やら蛇を取り出したのさ。というかその子たちめっちゃ私のこと睨んでるのですが! ですが!?
しかして無慈悲に、そして唐突に自己紹介は始まるのだった。
「あたしは安武麟。京不知夜には2歳の時に来た。というか、親に連れられて、だな。で、普通科の二年で所属クラブは弓道部。拠点作成と戦闘がメインだ。【カルディア】は形態変化で【起源】は炎。よろしくな」
「よろしくお願いします!」
あーちゃん、もとい安武麟はクールにそう言った。
だが悲しい哉。
取り乱しているところを見た人からすると、背伸びする子どもに自然と見えてくるのであった。
「あの……カルディアって、起源って何ですか?」
ランカの問いに、四人は目を丸くした。
「あれ? 言ってなかった? カルディアは特殊能力で、起源はその人の使うことができる術の性質や特性を大まかに定めるものだよ」
「え」
「え」
さも当然のように発言、説明するパトリシア。
聞いてない。ランカがそう言う前に武麟は、
「……一般生だからだろ?」
つまり、秘匿してきた情報だから知られていなくて当たり前だ。
そう言ったのだ。
「……よ、よぉーし! アタシはエイブラムス・ヴァーンでーす。教育学部一年で所属クラブは軽音楽部ぅ! 起源は風で、カルディアはその内でって感じ。よろしく、ちみっこい感じの!」
「は、ははっ……よろしくお願いしますね!」
何事も無かったように続けたピンクツインテールは、なんと年下だった。
口にはしないが、もう少し年上を敬ってほしいと思う。簡単に握手を済ませた両者は、ともに小柄だった--。
「あ……私は、黒峯……黒峯小春だ……。生命理工学部の一年で、映画部だ……。あ……起源は水……カルディアは、今はまだ秘匿する……。よろしく、な……」
「え……よろしくお願いします!」
お前もかと言いたいが、耐える。ランカは、よく耐える。
どこか鼻につく少女と、寡黙で頼りになる少女。その両者が年下であると知り、私の方が年上なのにと内心へこたれるランカ。
「腹ごしらえも済ませたし、消耗品とか改めて買いに行くぞー?」
立ち上がりつつ言うパトリシアの声は、どこか楽しげだった。
◇
食堂を出て、購買の支配者、野球見てんだよぉオバサンの元に、ランカ達はまた戻ることに。
「さて試験なんだけど、これは私のために行われるわけじゃないのよネー」
突然振り返り、そんなことをのたまうパトリシア。
その先導するパトリシアは謎の骨付き肉を手に持ち、後ろ足で立って肉を食わんとするワニ六頭を華麗に回避している。先程からお前は一体何なんだ論争が、ランカ内で続いている。
「あー。アンタ……パトリシアの試験ではあるが、鶴院のってことか」
「経験を……多分だけど先に? つませるため? って感じかしら」
「私達は……チュートリアルの師匠キャラ、というところか……」
「そうそれまさに、その通り」
理解している三人。一方で理解していないランカ。
まず第一に思考するのはパトリシアと安武麟の発言。
自分のためとはどういうことか。
パトリシアが行う試験は、一部の層にのみ情報が公開されているという特殊なものだ。一般生が知ることができるのは、せいぜい地上解放戦──雲下大陸解放戦、樹下大陸解放戦とも──があるということだ。一般生用のヴァンキッシャー討伐シミュレーションとは異なる、命を落とす可能性が有り得る本当の戦闘だ。
今回自分は、地上解放戦の部隊長として立つ。
自分のためなのだから利益が……。
────自分のため……利益?
一旦置いておこうと頭を振って、第二にエイブラムスの言を浮かべる。
あの言葉が、「先に経験をつませるため」というのが正しいのであれば、今後この遠征試験を活かす機会が来るというようにも取れる。
────いやまぁ、生涯で何度かは地上解放戦に参画しなきゃいけないんだから、当然と言っちゃ当然なんだけどね?
なら、今でなくても良いのでは? 大学に進学した後に短期遠征が繰り返し行われるのは、そのためだろう。
つまりだ。
つまり「今後この遠征試験を活かす機会が来る」のではなく、「今後この遠征試験を活かす機会が〝すぐに〟来る」と捉えて良いのかもしれない。猶予の期間が、より短くなっているとも換言できる。
第三に小春の言葉だ。
言葉通りにゲーム的な思考をしたとしたら、「この部隊に参加するのは一度ないし数回で、その後はまた別の部隊に参加する」ということか。
いや、深読みをしすぎて暴走するのはマズいだろう。
そう思い、ランカは思考の整理に入る。
────私のために行われる試験と捉えて良い。これは……是。
親指を折る。
────なら……『鶴院ランカが世界十位の所属する部隊を数度指揮することで、今後行われるだろうホンモノの遠征における指揮官の能力を一般生に身につけさせる』……も是。
人差し指を折る。
────また、部隊を率いる指揮官とは、隊員の生命を預かり、預けている主要な人物……というのも是。
中指を折る。
────なら、何で私……?
ランカは疑問を持つと、すぐ壊す子だった。
「私のための何らかの……鍛錬? を、パッティーの試験で行うということ?」
「イェス」
「今後行われるであろう一般生の遠征試験……違うか。これからは一般市民も遠征をするようになる、実際に雲下大陸に降りてヴァンキッシャーを討伐することになる……ということ?」
「イェス」
「そのために必要となる部隊指揮官として選ばれた鶴院ランカ──私が、パッティーの部隊でそれ学ぶと?」
すると、くつくつと笑い始めた。
「Yes……それだけできれば逸材。ただもう少し思考時間を縮めなきゃ……オー、多くの隊員が死にますネー」
パトリシアは目線をランカに合わせた。
そのまま左手をランカの右頬に添えて、反対側の手で軽く二三度、ランカの左頬をぺちぺちと叩いた。
それでも「そのためにナカナカ死なない私たちを教官にしたんだろうね」と楽しげに笑って言っているあたり、機嫌はかなり良いのだろう。
「では最後に」
何で私が選ばれたか、わかるだろうか。
そう聞こうとした。が、その言葉は呆気なく殺された。
「先程から質問が多いナー。先に答えておくと、成績……ステータスさ」
「私が選ばれたのは、それ?」
ケタケタと笑い、そのように答えを言った。やはり考えを読んでいるな、とも思い、しかしそれよりも何故との疑問が大きく膨らんだ。
────私は割と平凡なんだけど。
そう言うと、
「あーちゃん、エイ、はるぴん。ここにランカ氏の各種成績表がある。渡すから見てみてよ」
『お? ん、ああ、あー……』
三人は、これに対して何か言及すべきか、難しいところだというような声を漏らした。
四名の反対側にいるランカは焦る。
「えっちょっ! 何で持ってるの!?」
「答え……三軍を統帥する皇帝の権利は凄いのネ。んでまぁ、まず身体能力なんだけど……」
「ふむ、低めではある……が、そこは問題ではないな」
「あらっ? 視力と聴力は京不知夜でもトップクラスって感じね!」
「ん……。人類でも上位だろう、が、それ以外は……。…………お、お淑やか? だな……」
冷静に解析する三名。
約一名、フォローを誤っているが。
「では」
パトリシアはそう言うと、手を振り背を向けた。
一瞬目を離すと、彼女はいつの間にか近くに売っていた食用マグロを解体し、ワニに餌として与えていた。そのパトリシアの背を見て、「まさか……。一般よりも各種成績があまりに低すぎて、オマエ・ノットコマンダー・バット・ヒジョーショク的なっ!?」と聞くランカ。
大口開く六頭のワニにマグロの肉やら目やらを放り込むパトリシアは、特に答えず。
それらを食べながらランカを見るワニ。
「凄い光景だな……ん……? あぁ、それはないと思うぞ……」
「何でですかっ!?」
「うわ目がドロッドロォ……ヒジョーシク程度には十大指導者・鎮西賢帝・万能人たるパトリシア・ガルベス・デ・ガンテの知恵は必要ないよ。だから、とりあえずちみっこいランカちゃんはある程度までは安心できるって感じなんだから、意気までちみっこくならなくて良いの! それにパトリシア、身内には優しいからっ」
「喜んで、食ってるし……。ん? まぁある程度は、だがな」
まぁ、そう言えばそうか。
そう納得したランカ。乾いた喉を潤すために口へと紅茶を運ぶ。それとほぼ同時にパトリシアが戻ってきた。
「いやー、バラすのは楽しいね! しかも嬉しそうに食べるんだもの。私に気づかぬまま首をへし折られた鶏は、その羽を懇切丁寧に毟られワニの口内へとシュートされちゃいましたとよ!」
楽しげに笑うパトリシアの肌は、心做しか、いつもより艶のある雪肌だった。
「おかえり。そろそろ買いに行かないか?」
「そうだネ」
パトリシアは、おもむろにモニターを展開し、胸の谷間から筒状に丸められた紙を取り出す。
地図だ。
紙を床に広げ、その少し上空にモニターを移動させた。地図に描かれた地形がモニターにより立体的となる。
宙に映写された立体地図に、ペンで書き込んでいくパトリシア。
「……買いに行かない感じ?」
エイブラムスが、ランカにとっては謎の行動をしているパトリシアに、特に何も不思議に思っていないような顔で聞いた。
もうちょっち待ってネ、と応答したパトリシアは続けて言う。
「三日後向かうのはっと……。此処--トウキョウで、範囲はここまでだネ」
「トウキョウ……?」
ランカが問い返し、武麟が答えた。
「雲上大陸の〝日本皇国〟の方じゃあない、半水没した雲下大陸の古代都市の方だな」
「う、雲上大陸の方は私の出身国、だな……。ニェポーンとかジャーパンとか、呼ばれてるな……」
ちなみに首都は京都府だ、と続けた。
私はジャパン呼び、エイブラムスちゃんはニェポーン派、あたしはジーパングォ、私は気分次第派閥。
一斉に情報が入ってきて、「私はプリンス・オブ・ショウトクじゃねぇぞコノヤロウ」と言いかけたランカは、とりあえずという気持ちで情報を整理する。
黒峯小春はその出身だから日本皇国と呼ぶ。
エイブラムスはニェポーン呼びだから、欧米系の、特に〝アメリカ合衆国〟系の言葉を使用する国家と思われる。
武麟は名前からして〝大中華国〟出身、ジーパングォ呼びからその仮説は強まった。
パッティー、一応の出身地である〝スペイン=ポルトガル共同統治王国〟の公用語はどうした。いや京不知夜の統治者だから、コイネーつまり世界共通語で良いのだが。
「うわぁ……都会要素駆逐済みって感じ……」
推測とツッコミをしていたら、エイブラムスが彼女のモニターを見て感想を述べたのが聞こえた。
見れば、
「オール緑だね……」
そう。本当に緑だけだった。
地形図の緑はつまり自然。見渡す限りの木林森密林。つまりトウキョウは自然と悪意、加えてヴァンキッシャーの猖獗する、物凄い都市なのだ。都市要素など無いのだが。
「あぁ……緑、だらけだな……。ん……? あ……よく見たら、湖ならあるな……」
「うん。此処この湖は13条もの地下水脈に接続しているんだ」
実はデカいんよ?
そう付け加えるパトリシア。確かにそうだと、一同は首肯く。大きさを比較するために、トウキョウ立体地図の横に人間とドラゴン、そして小型のヴァンキッシャーとで見比べさせられたのだ。それはもう誰でも首肯くだろう。
「出没するとしたら……。んー……」
「天使型……いやよくて戦車・自走砲憑依型か。ま、それでもキツいって感じだけれど」
「あの、エイブラムスさん、そんなのがいるんですか? シミュレーションでは獣型ばかりと戦っていたので、勉強はしているんですがあまり詳しくはなくて……」
普段から図鑑などを見て勉強しているランカは、実は融合型に関しても知識を持っていた。
ただ現場に立つ人の知識が必要だと思った故の行動だ。
「堅苦しいデスマスはいらないわよ、先輩」
「あたしも無しで」
「私も……」
「あっ、うん!」
思わずエイブラムスにどつくぞと言いかけたが、抑えるのが先輩というものだろう。むしろお前が丁寧語で喋れと、思いつつ話を聞く。
「たくさんのタイプが存在するヴァンキッシャーで、憑依型はオモシロイの」
「オモシロイ、です……の?」
そうと言って首肯くエイブラムス。手はワキワキ、目はキラキラだ。
「なぜか雲下大陸に数百年存在している物だけに憑依ができて、人間には自ら憑依はできないって生態のことを言ってるんだろうな」
「人工物……コンピュータやライターなんかに取り憑くぞ……」
「それに……。他には……」
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結論から言うと、あまり収穫はなかった。
正確であると判断した情報はすぐにメディアに知らせ、すぐに更新していくという、VENDETTAのヴァンキッシャーに対する敵意或いは殺意100パーセントの誠意とも言える意気は伺えた。
分かったのは、およそこの程度だ。
ただ、ランカとしては武麟が最初に言っていた「人間には自ら憑依できない」というところが気になる。
「んお? パトはどこ--」
言いかけた時、
「ただいまでごーざるー」
ちょうどのタイミングで帰ってきた。
「--へ……。どこへ行ってたんだよ?」
「いやーワニさんに連れられてさ。人工池で狩りを見せられて、その後泥の臭いやら汚れやらを落とすために家でシャワー浴びてた!」
ニパッと笑いながら言っているが、ランカとしてはやはり「いつものことだが、何言ってるんだコイツ?」状態だ。
「さてと。買い物して作戦立ててタノシイことして寝ますかー」
「……なんであたしの方見てんだっ!?」
ふふっと笑い、体を楽しげに揺らして歩くパトリシアを先頭にし、購買内を回ることになった。
◇
「えぇっと……購買、スペース、地下空間で検索っと。…………。ヒット数は無し」
「何やってんだ鶴院?」
武麟のツッコミは正当なもので、しかしランカの行為も正当なものだった。
「いや、一般生は購買に隠し扉と螺旋階段にプラスで地下演習場があって、しかもそこにはガチな武装があるとかそんなこと知らないからねっ!?」
目の前に広がる武器。
黒く光る銃や、祷力を流すことで麻痺効果が付与される鞭。将又、表面に錆加工を施した鉄筋など、これは武器庫ですかそうですかと言いたくなるものが揃っていた。
これらは、当然と言えば当然であるが、普段ランカ達一般生が使う練習用のものではない。
人に当たれば確実に命を奪う、正しく武器だ。
背面にあるのは金属張りの演習場。天井も奥も霧が立ちこめて、正確な大きさがわからない。
その中をランカ、パトリシア、武麟は歩いていくことに。エイブラムスと小春はまだ武器庫にいるらしい。
「そういや……そうだな。うん」
確かにと、腕を組んで言う武麟。そんな彼女に対してパトリシアは、
「変なものがあったら困るし、異物回収しておこうゼーっと」
変なものって何だよ。
ツッコミをしたいランカがそこにはいた。
「《ふふふ……貴様ら、戦うことを望むか?》」
突然のアナウンスに跳ねて驚くランカと武麟。
そんな彼女らを見てショックを受けたのだろうか。スピーカーから「うぐっ!?」という、胸を押さえて苦しみ踠いていそうな声が聞こえた。
それに続いて「そんなにビビられると凹むし、マジ貴様ら許さぬし」と低い声で言うエイブラムスに二人は謝った。
「……うっし。対ヴァンキッシャー戦を想定して、軽く戦おうぜ!」
「《そういうと思ったから、先に調整室入って黒峯さんと勝手にセットしたよー》」
『早っ!』
「ナイスゥッ!」
モニター越しにエイブラムスの声が届き、それにランカと武麟が返す。サムズアップするのは勿論パトリシア。
ツッコミサイドに武麟もいて良かった。後にR氏は語る。
「じゃあ半水没古代都市トウキョウに似せてちょー」
ぴょんぴょんと跳ねて手を振り回し、武器庫隣の方を向いて大声を出した。調整室はおそらくそっちなのだろう。
「《天気予報で見た、三日後のトウキョウに合わせるね。……よし、おーるこれくとぅって感じ。正しくシティ・オブ・ミストだね》」
「まぁこれって煙なんだけどねって……うわぉ急に寒い。これさ、気温3度にしたネ。わかるともよぉ……へへっ」
「《3.1度だ……。わかっていなかった、のな……》」
「あややー。あ、朝パン買うの忘れてた」
「《あら、買ってくるわよ?》」
「おー、ありがとう。強力粉10キログラムと卵64個、あといりごま適当に買ってきて。お金は後で払うからー」
「《そこからって……素敵! でもひとりでは持てないし……》」
「《つ、着いて行こう……》」
小春も結構自由だし。
そう思っていると、武麟が前を歩くパトリシアに話しかけていた。
「行こうぜパト」
「全身全霊の勝負はしないの?」
「今日は良いからよ。ていうか今ルビ振り狂ってなかったかっ? あっそう言えばランカは……」
PostScriptum
--購買前廊下--
「あのー」
「んお……ど、どうし、た……?」
小春とともに食堂へ向かう途中、ランカは小春に聞きたいことがあった。
「自己という隣人って、何で所有者が少ないんですか? 単に信用できる人にのみその所有を許可してるのか、或いはT-FOH自体が少ないのか……」
「んー……」
まあ。
「後者……」
「後者」
「……からの前者」
「からの!?」
まずい、コイツもボケ側の人間だ。
ランカは警戒の念を抱いた。警戒する理由などないのだが。
「T-FOHは野生で取れるんだが……」
「Einen Augenblick, bitte!」
「おうっ!? ……ど、どうした?」
つい履修古代語で『ちょっと待って』と言うランカ。
最早第二外国語の域には留まっていない。第二外国語程度で留めてはならない。これこの意識の高さは何もランカだけに限ることではない。この時代で生きていくには五から六言語が前提、常識、必須なのだから。
それはともかく、『野生』である。野生。
「野生……え、野生なの、は……まあ理解できるけど、地上産?」
「地上産、というと……?」
「雲上大陸産なの?」
「は、発生は樹下大陸で、捕獲も、大体はそこだな……」
そ、そういうモノですか。
言うランカに、潮風に曝されて花が萎れるような、そんな頷きを見せるぐるぐる眼鏡。
「そ、そうだな、どこから話すべきか……ふん……し、知っての通り、樹上大陸に現れるヴァンキッシャーは、多くは海から上がってくる……そうだな?」
「? そうですね。『多く』に含まれない謂わばマイノリティは雲下大陸で発生し、世界樹の樹冠を抉り雲上大陸の土を掘削し出現……って感じですね。ただそのマイノリティは大体タイプ・クイーンだったりしますよね」
詳しいな、とぐるぐる眼鏡は感嘆の息とともに漏らす。
ヴァンキッシャーには、様々な種がいる。たとえば、代表的なタイプ・ノーマルには、A、B、C、D、E、F、G、H、I、J、K、L、M、N、O、P、Q、R、S、T、U、V、W、X、Y、Zの26種類いる。今挙げたヴァンキッシャーは、必ず身体のどこかにその文字が刻まれている。またこれらタイプ・ノーマルは、例を挙げるとAであれば、『AXT/アクスト』即ち斧を特徴にもっている。頭部に斧のような角を持っていたり、或いは振り下ろす攻撃を得意としていたり。ただ、常にAが『AXT』だけを意味するわけではない。例えば『ab/水』かもしれないし、『AIR/空気』かもしれない。そのアルファベートからはじまる古代語の語彙を考えなければ、強敵との戦闘時の生存率が著しく下がることとなる。
また、そういったタイプ・ノーマルなどとは別に、タイプ・エクストラオーディナリーやタイプ・ノベルズなど、その種は多様である。特に、人型に近いヴァンキッシャーの事をタイプ・クイーンや、タイプ・プリンセスなどという。祷力エネルギーの不足した状態──たとえば、人界に現れたばかりの個体など──のヴァンキッシャー・タイプ・クイーン達は、その容姿以外人間と変わらない。それどころか、容姿も大きくは同じでさえあるのだが。
────そうだ。コミケでタイプ・クイーンやプリンセスがメインの作品をちらっと目にした覚え……。
確かシリーズ物で、地上に出てきたクイーンやプリンセスがずた袋の中にぶち込まれて持って帰られ、穴さえあればイイという屈強な鉱夫達に好き放題されるという、御家芸級のお決まりパターンの弩助平マンガがあるらしい。
『人類の脅威さえネタにする辺り、拙僧も読者も、なんならこの世界、もうダメなんじゃないかなァ』
自称元軍人の作者でさえも、7冊目の巻末コメントに書くのだ。
人類案外既に終わってる説濃厚だと、ランカはそのコメントを読んで思った。ヴァンキッシャーには敵としての興味以外あまり無かったので、そういった欲を抱く人はスゴイナーって。あくまで資料の一部としてソウイウ作品を買ったのだ。ランカに他意は無い。
重ねてのこととなるが、ランカに他意は無い。
ちなみにヴァンキッシャーは魂を持たないとされる世に唯一の生物だ。
魂を持たないが、身体は魂を補助すると考えられている祷力エネルギーで構成されているのが、実に不可解なところである。外殻が筋肉を動かしているといえば良いのだろうか。とにかく、魂を持っていないので、ヴァンキッシャーには祷術の類を使用できない。だが攻撃力、防御力、凶悪性でそれを補っている。加えて、例えば人間なら脳や局部といったような、そんな全個体に共通した弱点などはない。光に強いものもいれば弱いものもいて、熱に強いものもいれば弱い者もいる。祷術に弱いが、それもやはり多くの個体はとの注釈がなされる。 また先述のように、ヴァンキッシャーには様々な形態や大きさのものが存在し、特に後者についてだが、大きさは年齢に比例するらしい。悲嘆、害意、憤怒、恐怖といった負の感情に引き寄せられるとも考えられている。
また、人類が過去に負の感情の痕跡を残している地、たとえば虐殺が起こったところなどに集まったり発生したりするというのも屡見受けられる。この習性・性質により、襲撃された人間が混乱や恐慌の状態に陥ると、ヴァンキッシャーがさらにヴァンキッシャーを呼び出すとのこと。
────死が死を呼んで、絶望が絶望を呼んで、人類可住地は瞬く間に死臭漂う地獄と化す。 
ヴァンキッシャーは多くの場合、群れや同じ種で構成された大きな社会集団を形成する。
あるヴァンキッシャーが群れからはぐれたとしても、人類を狩り、すべてを破壊するという本能により新規に社会集団に所属することとなる。彼らにはナントカ民族意識や、貴賎等の格差が同タイプ内にはないらしい。ただただ強い個体がリーダーとして集団を維持し、同時にそのリーダーはさらに上位タイプに仕える。リーダーが何らかの理由でリーダーでなくなったときには、次に強い個体が新リーダーとなるだけだ。
そういったものの例外がタイプ・クイーン達だ。
魂は確かにない。だが祷術を使える個体も数例発見されているし、爪など攻撃性が現れる部分が秀でている訳でも発達している訳でもない。負の感情に集ることもなければ、灰──灰とは言っているが、多くの場合消滅時は花弁が散るような光景が見られる──から新個体が生まれることもない。また有性生殖だということが、口にするには悍ましい実験の結果が証明されている。
「じゅ、樹下大陸でT-FOHは発生するといったな……?」
「え、はい」
「……T-FOHというのは、ヴァンキッシャーとそう変わらないんだ」
「…………」
「……とある生命体の、とある種〝アインス〟がいたとしよう」
その道の研究者の知識になるが、いくつかランカにも知識を得てもらおう。
言う小春。
「てぃ、『T-FOHとはオルテンシアの眷属のこと。姿形は、通常通常私たちが目にする動植物と酷似しているが、肉体を構成するのは物質化した祷力が全身の80パーセント以上を超える個体のことを指す』んだ……。あ、あと『主従契約を結んだ場合はその所有者の祷力に依存して能力値が増減する』というのもあったか……」
「そう教科書にはありましたね」
ちなみに、最初にT-FOHの出現が確認されたのは、オルテンシア戦死後三百年は過ぎていたらしい。
そう付け加えた小春。
「こ、これ以上詳細なことを書かないのは、生活において不要な知識と判断されたからだ……だが、今からする話には必要だろうから加えよう……」
今からする話。
すなわち、
「アインス種にて、共同生活などを営む集団に所属するアインス・アーは、祷力エネルギーの吸収力が強かった……斯くしてT-FOHとなる……」
ということだ。
だが、一方で。
「同集団に所属するアインス・ベーは逆で、吸収力が弱かった。生命活動の維持すら困難なほどに……」
そこで……アインス・ベーは、代替エネルギーを見つけた。
負の感情だ。
「アインス・ベーは、自身の内に芽生えたものや、自然から吸収した負のエネルギーで生命活動を行うこととなる……斯くしてヴァンキッシャーとなる……」
「……自然から負の感情をエネルギーとして吸収?」
そうだ。
小春は頷いた。
「負の感情が、『自然』環境に蓄積やら何やらで存在している……? …………! 狂った旧い神の残滓ってこと!?」
「『だろう』と考えられているし、わ、私もそう考えている……」
そこでピンと、小春は人差し指を立てる。
「だ、だが旧い神の残滓だとしても、少し不可解な点がある……」
それは、
「ば、ヴァンキッシャーの発生数と人類との闘争の期間が、旧世界の、樹下大陸の溜め込んだ負のエネルギー総量概数と計算が合わない。それに……」
ああ。
『オルテンシアを追い詰めた〝ヴァンキッシャー〟は、どのようにして発生したか』
要するに、アインス・アー・アンド・ベー進化論では旧い神が残した負の感情を利用してヴァンキッシャーが生まれる。
それは、おかしいのだ。
あまりに時期がズレているのだ。それに、恵まれた体質故に苦労なく悠々と進化したT-FOHの発生でも、オルテンシア戦死後だ。それなのに、環境に適応して特殊な進化を辿る必要と、その時間が不可欠であったヴァンキッシャーが、一体T-FOHより先に発生するだろうか。進化とは、膨大な時間と莫大な先達の死から生まれるのだから。
────ならアドア王家を壊滅させたのは? 本当にヴァンキッシャーなの?
「……しょ、正直に言おう……アドア王家を滅ぼしたのは旧い神自身だと、思う、んだ……」
「……生き残りが雌伏して機が熟したのを見て、突いたってこと?」
そういうことだ。
「事実、アドア王は、特にオルテンシアはアマかったらしい……」
「アマい、というと?」
「敵でも一定の懲罰を与えて支配に置いた……政治には関わらせないようにして……」
「アッマ。粉砂糖と蜂蜜をかけた角砂糖を食べるぐらいアッマ」
「あ、アマいものって、食べすぎたら辛いものに似た苦痛を感じるが、あれってなんなんだろうな……」
「……味覚障害?」
「……医者……手術……合法的に休めるなっ」
単位を取ると、学校というものは暇なのだ。
ぐるぐる眼鏡もそういう暇人なのだろうか。そうランカが考えていると、
「おっ。食堂着きましたね」
広い食堂は生徒達で溢れんばかりだった。
しかも、誰も彼もが同じように騒いでいたからだろうか。それはあたかも活気溢れる商店街といった光景だった。
【今回の登場人物の好きな洋菓子】
鶴院ランカ……みんなしゅき
パトリシア・ガルベス・デ・ガンテ……ギャズ
安武麟……ザッハトルテ
エイブラムス・ヴァーン……クラプフェン
黒峯小春……クイニーアマン
注
1)大地母神オルテンシアは降臨後、人魔共存国家アドア王国を建国した。その際に行なわれた、繰り返す出征の中で名乗った名の一が〝アドア王〟だった。
2)祷素とは、オルテンシア女神失った現世界の地球における構成要素のこと。生命の居住空間を満たす空気のような存在であり、その空間に祷素を供給しているのが地下10キロメートル以下に存在する祷素の奔流こと地脈である。また空間を満たす祷素を体外祷素、肉体を満たしている祷素を体内祷素と呼称する。今回、鶴院ランカが述べた「液体化祷素」とは、文字通り液体化した祷素であり、ほんのりと輝いている。呼吸時に身体に蓄積されるため、料理として摂ることは日常においてはそうそうない。ないのだが、味としては水割りコーラのようで、割と不味い。おまけに体内祷素を失うと死滅するというのに、余分に摂ることができない。過剰摂取すると中毒症状を引き起こすためダメゼッタイと来た。
実に面倒なものでアル。Byパトリシア・ガルベス・デ・ガンテ
3)祷素でつくられている、空中に浮遊させることができ、映像や動画、或いは文字などを表示するもの。厚さがミクロンの世界に到達したノートパソコンと言い換えることが可能だ。
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