おクルマの営業

たんぴん

心境の変化

 
 無事に配属店舗が決定したが、さすがの俺でも緊張はしてしまう。俺や米田が合格する会社ということについては言い様のない不安感を拭えない。今働いている人も、凄まじい人なのではないだろうか。


 そう考えていると、春日井支店長が口を開いた。


「焦らずじっきりやれば結果は出るもの。新人のうちは上司に色々聞いて学ぶこと」


 春日井支店長は優しい言葉を投げ掛けてくる。現状は穏やかな人という印象を受けた。


 都島区を通過し、そろそろ旭店に到着するだろう。到着するまでの景色で見たことがない場所は一つとして無い。地元の企業に就職すれば、こうも働くという実感が湧かないのは、無理もないかもしれない。


 旭店に到着すると、ショールームの入り口手前に車を停めた。支店長が、作業服を着たエンジニアにキッと目配せをした。なんだろうと思案していると、エンジニアが迅速に車を移動させる。


 平日の昼前だけあって、ショールームは閑散としていた。おじいさんが新聞を読みながら、座っているのみだった。平日なんて営業にやることなどあるのだろうか。そこは上司に尋ねる部分であろう。


 旭店は比較的に規模が大きい店舗である。入り口は大通りに面しており、アクセスも良いと推察できた。また、建家も大きく洗車場も4台程度ならば、同時に洗車出来る程度のスペースは備えている。洗車場の奥にはスロープがあり、そこを登ると、建家の屋上の立体駐車場に繋がっているのだろう。
 下から見上げると、立体駐車場には新車でナンバープレートの付いていない車と、サービス預り車だと思われる車が保管されていた。


 車だらけの環境に興奮し、キョロキョロしていると、春日井支店長から話しかけられた。


「すごいやろ。まあ後でいくらでも見れるからまず皆に挨拶しよか。事務所行くから着いておいで」


 言われるがまま、事務所に着いていく。
 ショールーム脇から事務所に入ると凄まじい光景が目に焼き付いた。
 壁には各営業スタッフと思われる名前と、縦軸には(新車販売台数、登録台数、車検台数、割賦契約金額、保険契約金額)と様々な項目の実績が容赦なく書かれている。
 その中に一目見ただけでわかるほどに全てのグラフの縦軸が突き抜けた人が居る。なんだこれは…
 通天閣が三本建っていると仮定しよう。その横に東京タワーが悠然と建っているところを想像して欲しい。
 その差は歴然としていた。


 名前を見ると佐々木係長と書いてある。この人がトップクラスの営業マンなんだろうか。


 その光景に圧倒されていると、何処からともなく、営業スタッフとエンジニアがゾロゾロと事務所に入ってきた。


「はーい、皆注目! 新入社員の榊原君です。皆さん色々と教えてあげてくださいね。では榊原君、自己紹介よろしく」


 春日井支店長の突然のフリに動揺したが、なんとか対応する。


「新入社員の榊原勇気です。至らぬ点は多々ありますが、宜しくお願いします」


 スタッフ一同がお客様に配慮してか、小さく拍手をした。その後はエンジニアが現場に戻っていった。
 残った営業は各々で俺に自己紹介をしようとしていた。


「宜しく。佐々木です。一応係長なので何かあれば頼ってください」


 ん?この人が係長なのか…
 一見して一番冴えないよう人だったが、人は見かけだけではないということだろうな。なんなら米田が係長といった方がしっくりくる。佐々木係長には心中で謝罪をした。


 その他の営業としては3人がいた。


「平川です!よろしゅう!」


 16年目の平川さん。役職はないが、佐々木係長よりもよっほど営業マンといった風貌だ。中肉中背にスポーツ刈りで、朝の公園に行けばよく居そうなイメージだ。佐々木係長よりも年上のようどで、そこは推測になるが、絶妙なパワーバランスで上手くやっているのだろう。


 7年目の宮田さん。


「宮田。宜しく」


 ぶっきらぼうに挨拶をするこの人は明らかにヤバそうだ。何がやばいとは説明不要であるほどで、見た目は眉毛が細くサイドは刈り上げ、トップはパーマをかけている。俺のたった22年の拙い経験則から、眉毛が極細な人にロクなやつはいない。これは独断と偏見と願望による勝手な決めつけにつき、何の根拠もない。
 だが最も関わりたくないタイプだろう。


 次に挨拶をしたのは須藤さんだ。


「須藤です。おれも2年目の新米やからアレやけど宜しくね」


 この方はおとなしいタイプの人だろうな。言葉の節々からは自信が感じられず、オドオドした印象を受ける。


 最後は営業事務の松原さんだ。


「松原です。宜しくね」


 特徴的な話し方で、語尾には句読点でなく音符をつけるのが妥当であろう。黒髪のショートカットに身長は150ないくらいだろうか。20歳の契約社員だそうだ。
 営業事務はお茶出しを始めとして、成績の取り纏めや受発注入力などの補助業務を担当する。


 一通り挨拶が完了したところで、自分のデスクとノートパソコンを与えられた。


 さて、自動車の一般的な商談とはどのようなイメージだろうか。
 カタログを見ながら手書きの見積りと言ったイメージを持つ人もいるかもしれない。
 だが、ほとんどはシステム化されており、PCの商談支援ソフトでディスプレイに自動車の3D画像を投影できるし、外装パーツをクリックすればそこに反映される。また、CADソフトのように360°自由に回転させて外観を見ることができる。これは研修にて全員が使いこなせるよう指導を受けていた項目であった。
 また自動車のスペックや、各々のカーライフに合わせた、トータルコストまでをも算出可能である。
 そのようなシステムが充実すると、昔のような、口八丁での商談はできないだろう。全てが可視化され、根拠となるデータを基にお客様に納得して契約していただくことが重要となるわけだ。
 システム化された商談に慣れたお客様の前には、曖昧な根拠で「お得ですよ」と、言ったところで説得力に欠けてしまうは自明の理である。


 本日は挨拶を終え、デスクとノートパソコンを受領したことで退社することとなった。
 当然ながら明日は9時半から定時時間である18時半まではいることになる。


「お先に失礼します」


「お疲れ様」


 皆がボソボソ同じ言葉を発した。
 ちなみに先に退社する人間が「お疲れ様でした」と、言うことは間違った用語であるらしい。


 そうして旭店を出た俺は駅に向かう。
 最寄り駅は地下鉄谷町線の千林大宮駅となる。千林大宮駅は国道1号線の枚方及び京都方面に繋がる道に面している。
 駅前には有名な千林商店街があり、商店街にはテーマソングまで存在しているほどなのだ。無論、天神橋筋商店街に比べれば小さいが、昨今の大型ショッピングモールによって圧倒されがちな商店街の中では、かなり活気がある場所である。
 千林大宮駅からは谷町四丁目駅まで行き、中央線に乗り換え、森ノ宮駅まで帰ることになる。所要時間は30分弱といったところだろうか。吹田東店に配属された相沢を不憫に思った。


 明日からは早速だが、仕事をこなしていくことになる。すぐさま売れることはないだろうが、気長にやっていけそうだし頑張るか。
 電車に乗り込むと、私服の大学生や主婦などが多く、サラリーマンの姿は多くない。明日から毎日仕事というのも、憂鬱だがその気持ちに相反して、やってやろうという気もなくはない。
 入社同時からすると、信じられない心境の変化であろう。


 米田と相沢にメッセージを入れるため、スマートフォンを取り出した。当然ながら優先座席からは遠い位置だということは、補足しておこう。俺のような人間でも公序良俗はしっかり守る人間だ。


 米田と相沢に状況を連絡し終え、電車内で様々なことをイメージした。自分が車を売る瞬間や、誉めらることを脳裏に焼き付けた。


 逸る気持ちからか、谷町線のアナウンスの独特で耳につく英語でさえ耳に入らなかった…





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