『 インパルス 』 ~宝くじで900億円当たったから、理想の国を作ることにした~
265話 夜会 [前編]
夜会の会場は、二階と三階に分かれていた。
二階は宴会状態で料理が並んでいるが、三階は光が抑えられ、透明なドーム天井の先には夜空が見えている。その影響もあってか、二階には子供たち、三階には大人たちが集まっていた。
横で腰を下ろした男が、視線を空に向けたまま口を開いた。
「落ち着きますねぇ」
男の背後には警護が三人ついている。それに、視線をチラリと向けると応えた。
「ええ、ここは安全ですから」
それに口角を上げた男は、小さく手を振って合図した。すると、待機していた護衛の内一人が横に屈むが……その顔には見覚えがあった。
何やら二、三やり取りをした後、他の二人に声を掛け離れて行った。その間際小さく会釈を向けて来たので、軽く手を上げ返しておいた。
「おや、面識が?」
「いえ、少し前に娘が遊んで貰いましてね」
どうやら、それで分かったらしい。
納得した様子で『あぁ、それで会場に入れたんですか』と呟いていたが、それを横目に一先ず礼をしておく事にした。若干貸しがある状態ならば、無茶な見返りも比較的抑えやすくなるだろう。
「保護頂いていたようで、感謝します」
すると、それに顔を上げた男が首を振った。
「友好国たる我が国としては、ごく当然の事をしたまでですよ。それに、高名な方でしたのでね、その英知を失う事は人類の損失であると……」
教授――日本政府が保護していた人物は、どうやら今井さんと深い繋がりがある人物だったらしい。聞けば"育ての親"と言うのだから、その存在の大きさが分かる。
その教授も、つい最近までガムルスで研究者をしていたらしい。それが、気付いたら見張りの衛兵がいなくなっていたので、慌てて逃げて来たと言う話だった。
いつ見張りの兵が居なくなっていたかは、研究に没頭していて気付かなかった――と言うのだから、この親あっての子だなぁと苦笑していた。
因みに、マムが言っていた"サプライズ"の一つは、この教授の事だったらしい。今井の喜びようを見れば、見事"大成功"と言って良いだろう。
もっともらしい話を続ける男を横に、マムが小さく捕捉を入れる。
「恩を売る機会を探していた様でしたので、マスターに縁のある教授の情報を流しておいたんです。正解だったみたいですね」
ある意味予想通りだったが、どうやらマムの思惑通りだったらしい。
となると、当然その後の流れも計算に入れているだろう。日本政府の立ち位置と、関わって来る利権に関して思いを巡らせた正巳は、マムの意図を理解して頷いた。
「ありがとうございます。そこでですが、今回の謝礼――友好の印にある提案があります」
男が頷く。
「聞きましょう」
その眼には、それまで何処に隠れていたのかと言いたくなるほど、狡猾にして強かな光があった。視線を合わせた正巳は、ある意味、初めて本当の姿――政治家としての東寺春日彦――日本と言う経済大国に於いて、政権を握る現役首相の姿を見た気がした。
◇◆
少し離れた場所に、楽しそうに話す今井と、その横で柔らかい笑みと共に頷く男性がいる。男性の髪には白髪が混ざり、その額には年相応に刻まれたしわがあった。
「お疲れ様ですパパ」
言葉と共に差し出された器に口を付けると、爽やかな酸味と共に仄かに甘みを感じる。
「はちみつとレモンか疲れに効くな」
「はい、今朝採れた国産です!」
レモンはともかく、はちみつにまで手を出すとは……工場がどうなっているのか考えると、少し怖いものがある。あまり考えないようにしながらのどを潤すと、マムが口を開いた。
「これで、しばらくは持ちますね」
それに対して、一言で返す事は出来なかった。先ほどの交渉でテーブルに乗ったのは、両者にとってある意味進退に関わる問題だった。
「そうだな……ふぅ。国民の不安か、やはりこの問題が出て来たな」
国民と言っても、正巳が責任を持っている"ハゴロモ"のではない。飽くまで隣国、この日本に住む一億数千万の国民に関してだ。
この日本と言う国は、数十年に渡って戦争のない国だ。ある一種、高度に練られた根本教育によって、戦争に対して"アレルギー"とも呼ぶべき反応をする民族でもある。
これ自体は、一種素晴らしいと言えるだろう。
それこそ、世界中の国が同じようになれば、戦争が激減するとさえ言えるかも知れない。しかし、それはそれ――現状に於いては、その国民性が裏目に出始めていた。
東寺首相は、「国民の不安が募りつつある」と言っていたが、この問題の処理を誤れば、政権への反発と不信感の増大に直結するだろう。
首相側からすれば、そうなる前に"出て行って欲しい"のが本音に違いない。それでも、出て行けと言えないのは、それだけこのハゴロモと言う国に力があるからだ。
力だけではない、利権もあるだろう。とてつもなく甘い香りのする利権が。
「今回はどうにかなりましたが、このままでは削られ続ける事になりかねませんね。どうしますかパパ……それこそ、支配すれば早いと思いますが?」
それに首を振ると言う。
「この国にその必要はないだろう。少なくとも、敵対しない限りはな。それに、今回のはある意味"予定調和"だろ? 限りある手だが、それまでにどうにかすれば良い」
今回切ったカードは、"電力供給権"に関する一項だ。
これは、日本政府と共同設立中の電力事業に関わる内容で、ハゴロモ側が持っていた権利の一部だった。分かりやすく言えば、"供給先を決める権利"だが……なぜこんな強権をハゴロモが持っていたかと言うと、理由があった。
その理由と言うのは、"バランスを取る為"だったのだが――
電力事業の技術、建設、運用、保守をハゴロモが担当し、日本側は運用が始まった後で、時々現場に来て状況を確認する。
つまり、大変な部分はハゴロモが負担し、それでいて利益は折半と言う、アンバランスな状態だったのだ。そのバランスを取る為、負担の代わりに幾つかの権利をハゴロモが保持していた。
日本政府側にとってのメリットは、国内で使用可能電力の増加と電力事業における利益、この二つだった。これだけでも莫大な利権だろう。
正巳達ハゴロモにとっても、この時点ではメリットが大きく、デメリットが小さいと言えただろう。最も避けたかったのは、敵対者に電力エネルギーが渡る事だったが……供給先を決める権利があった為、もし敵対する企業や団体に電力が渡りそうになっても、コントロールできた。
しかし、今回の取引でこのバランスが崩れたとも言える。
今後、仮に敵対組織を助ける事になるとしても、日本政府が供給すると決めれば、電力を供給しなくてはいけないだろう。
厄介な事だが、それでも所詮はその程度。
元々、外貨稼ぎとパイプつなぎの為に決めた事業なのだ。ある意味、共同で始めた事業全て丸々"交渉のカード"だった、とさえ言っても良い。
正巳の"予定調和"と言った言葉に、マムが頷いた。
「はいパパ。アレが完成すれば、この拠点は飽くまで"窓口"に過ぎなくなりますからね」
言いながら歩いて来たマムを、膝に乗せると小さく聞いた。
「もしかして、アレを設計してる時点から、この状況を読んでいたのか?」
今井が、マムと設計したと言って見せて来た、ある"設計図"を思い出しながら聞くと、それに微笑みを浮かべたマムが言った。
「ふふ、パパ"良い女には、一つくらい隠し事があるもの"ですよ」
その笑みは、女と呼ぶには少し可愛らしいかったが、仕草だけはいっちょ前なレディだった。
「これは、一本取られたな……」
頭を掻いた正巳だったが、そこに背後から迫る影があった。その気配を背中で受けた正巳は、相変わらず容赦のない衝撃に、苦笑しながら言った。
「楽しめたかサナ?」
「なの!」
その両手には、ソーセージとポテトチーズの棒があった。
それを正巳の口元に運んだサナは、キラキラとした目で言った。
「おいしいなの!」
断れる雰囲気ではない。
仕方ないので、周りに聞こえないよう応えた。
「……ひと口だけな」
口に含むとチーズの濃厚な味が広がる。
チーズの濃厚さに呑まれそうになった処で、次に感じたのは辛みだった。どうやら、スパイスが中に練り込まれていたらしい。先に感じた濃厚なチーズと相まって、バランスが取れていた。
「確かに美味しいな」
礼を言うと、サナはそれに満足した様だった。
その後、隣に座りモグモグとしていたサナだったが、下の方から聞こえて来た歓声にハッとしていた。そこには、階下へとつながる階段があったが、どうやら下の階で何かあったらしい。
慌てた様子のサナが、持っていた残りを詰め込むと言った。
「ふぁのふぇ、ふぃんたち、帰っで来たって……!」
「そのようだな」
その頬が、どんぐりを詰め込み過ぎたリスのようになっているのを見て笑った。
◇◆
笑う正巳を不思議そうに見上げ、モシャモシャとしていたサナだったが、階段を上がって来た姿を見ると手を振って言った。
「ただいまなのー!」
「サナお前、何処から帰ったんだ?」
「んー……あ、おかえりなの!」
「そうだな」
少し間違えてしまったが、嬉しい気持ちの前では些細な事だった。
――ガムルスとの間に於ける"戦争"、その終わりを知らせた使者。そして、旧政府を終わらせ、新たな政府の設立の宣言をした代表者たちが帰って来た。
二階は宴会状態で料理が並んでいるが、三階は光が抑えられ、透明なドーム天井の先には夜空が見えている。その影響もあってか、二階には子供たち、三階には大人たちが集まっていた。
横で腰を下ろした男が、視線を空に向けたまま口を開いた。
「落ち着きますねぇ」
男の背後には警護が三人ついている。それに、視線をチラリと向けると応えた。
「ええ、ここは安全ですから」
それに口角を上げた男は、小さく手を振って合図した。すると、待機していた護衛の内一人が横に屈むが……その顔には見覚えがあった。
何やら二、三やり取りをした後、他の二人に声を掛け離れて行った。その間際小さく会釈を向けて来たので、軽く手を上げ返しておいた。
「おや、面識が?」
「いえ、少し前に娘が遊んで貰いましてね」
どうやら、それで分かったらしい。
納得した様子で『あぁ、それで会場に入れたんですか』と呟いていたが、それを横目に一先ず礼をしておく事にした。若干貸しがある状態ならば、無茶な見返りも比較的抑えやすくなるだろう。
「保護頂いていたようで、感謝します」
すると、それに顔を上げた男が首を振った。
「友好国たる我が国としては、ごく当然の事をしたまでですよ。それに、高名な方でしたのでね、その英知を失う事は人類の損失であると……」
教授――日本政府が保護していた人物は、どうやら今井さんと深い繋がりがある人物だったらしい。聞けば"育ての親"と言うのだから、その存在の大きさが分かる。
その教授も、つい最近までガムルスで研究者をしていたらしい。それが、気付いたら見張りの衛兵がいなくなっていたので、慌てて逃げて来たと言う話だった。
いつ見張りの兵が居なくなっていたかは、研究に没頭していて気付かなかった――と言うのだから、この親あっての子だなぁと苦笑していた。
因みに、マムが言っていた"サプライズ"の一つは、この教授の事だったらしい。今井の喜びようを見れば、見事"大成功"と言って良いだろう。
もっともらしい話を続ける男を横に、マムが小さく捕捉を入れる。
「恩を売る機会を探していた様でしたので、マスターに縁のある教授の情報を流しておいたんです。正解だったみたいですね」
ある意味予想通りだったが、どうやらマムの思惑通りだったらしい。
となると、当然その後の流れも計算に入れているだろう。日本政府の立ち位置と、関わって来る利権に関して思いを巡らせた正巳は、マムの意図を理解して頷いた。
「ありがとうございます。そこでですが、今回の謝礼――友好の印にある提案があります」
男が頷く。
「聞きましょう」
その眼には、それまで何処に隠れていたのかと言いたくなるほど、狡猾にして強かな光があった。視線を合わせた正巳は、ある意味、初めて本当の姿――政治家としての東寺春日彦――日本と言う経済大国に於いて、政権を握る現役首相の姿を見た気がした。
◇◆
少し離れた場所に、楽しそうに話す今井と、その横で柔らかい笑みと共に頷く男性がいる。男性の髪には白髪が混ざり、その額には年相応に刻まれたしわがあった。
「お疲れ様ですパパ」
言葉と共に差し出された器に口を付けると、爽やかな酸味と共に仄かに甘みを感じる。
「はちみつとレモンか疲れに効くな」
「はい、今朝採れた国産です!」
レモンはともかく、はちみつにまで手を出すとは……工場がどうなっているのか考えると、少し怖いものがある。あまり考えないようにしながらのどを潤すと、マムが口を開いた。
「これで、しばらくは持ちますね」
それに対して、一言で返す事は出来なかった。先ほどの交渉でテーブルに乗ったのは、両者にとってある意味進退に関わる問題だった。
「そうだな……ふぅ。国民の不安か、やはりこの問題が出て来たな」
国民と言っても、正巳が責任を持っている"ハゴロモ"のではない。飽くまで隣国、この日本に住む一億数千万の国民に関してだ。
この日本と言う国は、数十年に渡って戦争のない国だ。ある一種、高度に練られた根本教育によって、戦争に対して"アレルギー"とも呼ぶべき反応をする民族でもある。
これ自体は、一種素晴らしいと言えるだろう。
それこそ、世界中の国が同じようになれば、戦争が激減するとさえ言えるかも知れない。しかし、それはそれ――現状に於いては、その国民性が裏目に出始めていた。
東寺首相は、「国民の不安が募りつつある」と言っていたが、この問題の処理を誤れば、政権への反発と不信感の増大に直結するだろう。
首相側からすれば、そうなる前に"出て行って欲しい"のが本音に違いない。それでも、出て行けと言えないのは、それだけこのハゴロモと言う国に力があるからだ。
力だけではない、利権もあるだろう。とてつもなく甘い香りのする利権が。
「今回はどうにかなりましたが、このままでは削られ続ける事になりかねませんね。どうしますかパパ……それこそ、支配すれば早いと思いますが?」
それに首を振ると言う。
「この国にその必要はないだろう。少なくとも、敵対しない限りはな。それに、今回のはある意味"予定調和"だろ? 限りある手だが、それまでにどうにかすれば良い」
今回切ったカードは、"電力供給権"に関する一項だ。
これは、日本政府と共同設立中の電力事業に関わる内容で、ハゴロモ側が持っていた権利の一部だった。分かりやすく言えば、"供給先を決める権利"だが……なぜこんな強権をハゴロモが持っていたかと言うと、理由があった。
その理由と言うのは、"バランスを取る為"だったのだが――
電力事業の技術、建設、運用、保守をハゴロモが担当し、日本側は運用が始まった後で、時々現場に来て状況を確認する。
つまり、大変な部分はハゴロモが負担し、それでいて利益は折半と言う、アンバランスな状態だったのだ。そのバランスを取る為、負担の代わりに幾つかの権利をハゴロモが保持していた。
日本政府側にとってのメリットは、国内で使用可能電力の増加と電力事業における利益、この二つだった。これだけでも莫大な利権だろう。
正巳達ハゴロモにとっても、この時点ではメリットが大きく、デメリットが小さいと言えただろう。最も避けたかったのは、敵対者に電力エネルギーが渡る事だったが……供給先を決める権利があった為、もし敵対する企業や団体に電力が渡りそうになっても、コントロールできた。
しかし、今回の取引でこのバランスが崩れたとも言える。
今後、仮に敵対組織を助ける事になるとしても、日本政府が供給すると決めれば、電力を供給しなくてはいけないだろう。
厄介な事だが、それでも所詮はその程度。
元々、外貨稼ぎとパイプつなぎの為に決めた事業なのだ。ある意味、共同で始めた事業全て丸々"交渉のカード"だった、とさえ言っても良い。
正巳の"予定調和"と言った言葉に、マムが頷いた。
「はいパパ。アレが完成すれば、この拠点は飽くまで"窓口"に過ぎなくなりますからね」
言いながら歩いて来たマムを、膝に乗せると小さく聞いた。
「もしかして、アレを設計してる時点から、この状況を読んでいたのか?」
今井が、マムと設計したと言って見せて来た、ある"設計図"を思い出しながら聞くと、それに微笑みを浮かべたマムが言った。
「ふふ、パパ"良い女には、一つくらい隠し事があるもの"ですよ」
その笑みは、女と呼ぶには少し可愛らしいかったが、仕草だけはいっちょ前なレディだった。
「これは、一本取られたな……」
頭を掻いた正巳だったが、そこに背後から迫る影があった。その気配を背中で受けた正巳は、相変わらず容赦のない衝撃に、苦笑しながら言った。
「楽しめたかサナ?」
「なの!」
その両手には、ソーセージとポテトチーズの棒があった。
それを正巳の口元に運んだサナは、キラキラとした目で言った。
「おいしいなの!」
断れる雰囲気ではない。
仕方ないので、周りに聞こえないよう応えた。
「……ひと口だけな」
口に含むとチーズの濃厚な味が広がる。
チーズの濃厚さに呑まれそうになった処で、次に感じたのは辛みだった。どうやら、スパイスが中に練り込まれていたらしい。先に感じた濃厚なチーズと相まって、バランスが取れていた。
「確かに美味しいな」
礼を言うと、サナはそれに満足した様だった。
その後、隣に座りモグモグとしていたサナだったが、下の方から聞こえて来た歓声にハッとしていた。そこには、階下へとつながる階段があったが、どうやら下の階で何かあったらしい。
慌てた様子のサナが、持っていた残りを詰め込むと言った。
「ふぁのふぇ、ふぃんたち、帰っで来たって……!」
「そのようだな」
その頬が、どんぐりを詰め込み過ぎたリスのようになっているのを見て笑った。
◇◆
笑う正巳を不思議そうに見上げ、モシャモシャとしていたサナだったが、階段を上がって来た姿を見ると手を振って言った。
「ただいまなのー!」
「サナお前、何処から帰ったんだ?」
「んー……あ、おかえりなの!」
「そうだな」
少し間違えてしまったが、嬉しい気持ちの前では些細な事だった。
――ガムルスとの間に於ける"戦争"、その終わりを知らせた使者。そして、旧政府を終わらせ、新たな政府の設立の宣言をした代表者たちが帰って来た。
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