『 インパルス 』 ~宝くじで900億円当たったから、理想の国を作ることにした~
240話 少女の苦悩
正巳含めた一向は、迎えに来た職員に付いて議会場まで向かっていた。
先頭を歩くのは正巳とカイルだが、その前後にはサナとマム、ジロウとサクヤが付いている。ミンとテンは正巳達の後ろを歩いているが、その内の一人に極度の緊張が見られた。
「大丈夫か?」
不安を吐露するかのように、歩調が乱れている。
呼びに来た男に確認したところ、どうやら少し余裕をもって迎えに来ていたらしい。
既に会場の前まで来ていたので、会場内のラウンジで一度休憩を取る事にした。
その後、ラウンジ内でリラックスしたミンに『落ち着いたか』と聞くと、その胸の内にあった不安を吐露し始めた。
「あの、もしうまく伝わらなかったらどうしたら……」
どうやら、自分がスピーチする場面を想像していたらしい。
自分が経験した事を語ると言う事は、過去受けた傷を心理的にもう一度受ける事になる。本来、二度と思い出させてはならない事かも知れないが、今回は無理をさせていた。
ただ、その代わりに少しでも負担を取り除くためにと――感情を込めず、あった事だけを話す様にと伝えていた。感情を込めると、その分だけ伝わり易いかも知れないが、心的負荷も大きくなる。
ミンには、ガムルス国内の実状を伝える役割を頼んでいた。
「大丈夫だよ、特に伝えようとしなくても大丈夫なんだ。ただ、ありのままを伝えれば良い。これまで体験した事を話せば、それだけで十分だ」
真面目なミンの事だ。恐らく、色々考える必要のない事まで考えていたのだろう。
それこそ――
「それでも、もし私達の行動が誤っていると判断されたら……」
――そう、こんな風に。
ミンの呟きに、その心配はしなくて良いと話そうとした。しかし、どうやらここに来てこれ迄表面化していなかった問題が、その頭を覗かせたらしかった。
不安げに顔を俯かせたミンが続ける。
「それに、ガムルスにも幸せに暮らす人達がいて、私のせいでその人達が不幸になるのであれば、話さない方が良いのではないでしょうか……」
混乱する心を表すかのような言葉に、思わず辛くなる。
……両親を殺されているのだ。
普通だと"許せない"という感情で満ちるはずが、何故かその犯人である者達の"家族"に対して寄り添う感情を見せていた。
心配になった正巳だったが、ここで取り乱すのは悪手だろう。
一度落ち着いて、その心理状態を分析してみる事にした。
(昔読んだ本に、似た状態について記された本があったような……)
記憶を探っていた正巳は、該当する知識を思い出してハッとした。
それは、父の書斎のある書籍にあった。
『極度に緊張した際、或いは精神的、肉体的な非常時に置かれた際、正常ではない心理状態に嵌る事がある。その一つに、危害を与えようとする対象との間に、精神的なつながりを築こうとする動きが存在する。これは、自らを危機的状況から抜け出させようとする生存戦略であり――その相手へと理解を示し、寄り添う姿が見られる』
……これに当てはまりそうだ。
その名を"ストックホルム症候群"と言うが、ミンの状態を見るにそれに近い気がする。
もしかすると、最初に助け出した時既に心に潜んでいたのかも知れないが、つい最近子供を故郷へと送り届けた時、捕虜となり"発症"した可能性もある。
この脅迫にも似た心理状態から抜け出すには、相当長い回復期間とケアが必要だろう。
それもこれも、全ては元凶が取り除かれない事には始まらない。
どう伝えたものかと思った正巳だったが、どうやら正巳が出るまでも無かったらしい。
「それじゃあお前は、俺達みたいに苦しむ人が今後も生まれて良いと?」
強い口調のテンに、ミンが小さく答える。
「それはダメだけど……」
違うと頭を振るミン。その様子を見たテンが言う。
「ミン、お前のはただ怖くなっているだけだ、傷付くのが嫌なだけだ。安全な所にいて、傷付いている人たちから目を逸らそうとしているだけなんだ」
言ったのはテンだったが、言った本人も何故か苦しそうだった。
――と言うのも、実際ついひと月前までミンは囚われ、拷問されていた。恐らく、ミンといつも一緒にいたテンだからこその言葉なのだろう。
その言葉を受けたミンは、やはりショックが強かったらしい。テンの言葉に自問自答していたが、終いにはその可能性を認めていた。
「逃げてる? そんな事、そんな事は……いえ、確かにそうかも知れない」
どうやら、自身の心に問題を抱えながらも、他者の言葉を聞き入れる部分は残っていたらしい。
普通こんな風に言われれば、反感と共に心に籠ってしまう可能性も考えられる。今回そうならなかったのは、相手がテンだった事が大きいのだろう。
ミンの言葉を聞き、テンが続ける。
「あぁ、そうに違いない。俺達は運よく、ただ運が良かっただけで助かった。いや、助けられた。だからこそ、助けられた分を少しでも行動で返していく――そう決めたじゃないか」
俯きがちに頷くミン。
どうやら、正巳の知らないところで、二人はこんな事を考えていたらしい。テンの言葉に驚きつつ、ミンの行動とテンの努力の理由を知って、胸の内から込み上げるものがあった。
そんな正巳の心を知ってか知らずか、テンの言葉は続く。
「俺はな、お前の背中を見て頑張ろうと決めたんだ。それこそ、あの時俺一人だったら何もできていなかった。まったく……あの時、俺がどんなに惨めな気持ちだったか知ってるか?」
肩をすくめて言うテンに、ミンが少し視線を上げて言う。
「アルマジロみたいな……?」
「いや、まぁそうだなそんな感じだよ。」
二人の会話の意味が分からなかったが、マムが耳打ちしてくれた。
どうやら、ガムルスにあることわざで『アルマジロの守り知らず』と言う言葉があるらしい。言葉の意味は――"何かする為の手段を持っていたとしても、それを行使する方法を知らなくては何も意味がない。かえって恥をさらすだけだ。"――と言う意味らしく、なるほどと納得した。
その後、テンの言葉にミンが若干突っ込みを入れる形で会話が繰り返されていたが、やがてミン自身見失いかけていた目的を、無事取り戻したらしかった。
「ご迷惑をおかけして、すみませんでした。大切なイベントの前なのに……」
頭を下げるミンだったが、正巳には怒るとかその類の感情は一切なかった。
「いや、ミンの事がまた少し知れて良かったよ。それに、今回は目的があって来たけど、その目的よりもこの時間の方が俺にとっては大切さ」
正巳の言葉にミンが言う。
「私よりも、拠点にいるみんなの方が大切ですよ。それなのに――」
どうやら、自分に任されたスピーチに悪影響が生まれる事で、結果的に拠点で待つ全体に迷惑が掛かる可能性があると思ったらしい。
確かにその可能性も無いとは言えないが、その場合は代替え案がある。
「勿論全体に関わる事だから、蔑ろにする訳にはいかないな。……ただ、守り方は他にもあるからね。今回の一番の成果は既に得た様なものだし、もう帰っても良いぐらいだ」
正巳が、『ミンの心の悪巣を掃えたからね、もう満足だよ』と冗談交じりに言うと、ミンが慌てて言った。
「えっ、それはダメです! 宣言もありますし、きちんとスピーチしますから行きましょう!」
恐らく、隣に待機していたマムが『分かりました、迎えを寄こしましょう』と、合いの手を入れたものだから余計に慌てたのだろう。
必死に手を引っ張ろうとするミンを見ていた正巳だったが、ふと視界に入って来たメンバー、一人ひとりの表情が解れているのを見て、頃合いだと思った。
「よし、それじゃあ時間も来たようだからな……向かうか!」
急な正巳の方向転換に、口を開いたり閉じたりしていたミンだったが、ゆっくりと呼吸をすると後に並んでいた。その口元には、先程までなかった柔らかい表情があった。
正巳は、準備が出来た事を確認すると、歩き始めた。
その先には三つほど扉があり、厳重な警備があった。
どれも、有事の際にはシェルターの役割をするものらしく、流石に世界の指導者が一堂に会しているだけの事はあると思った。
そして――
「扉が開きましたら、中へお入り下さい」
そこには、明らかに何か大きな会場へと繋がっているであろう扉があった。その扉には、オリーブの葉と地球を表す刻印がされていた。
――いよいよ、その時が来ようとしていた。
先頭を歩くのは正巳とカイルだが、その前後にはサナとマム、ジロウとサクヤが付いている。ミンとテンは正巳達の後ろを歩いているが、その内の一人に極度の緊張が見られた。
「大丈夫か?」
不安を吐露するかのように、歩調が乱れている。
呼びに来た男に確認したところ、どうやら少し余裕をもって迎えに来ていたらしい。
既に会場の前まで来ていたので、会場内のラウンジで一度休憩を取る事にした。
その後、ラウンジ内でリラックスしたミンに『落ち着いたか』と聞くと、その胸の内にあった不安を吐露し始めた。
「あの、もしうまく伝わらなかったらどうしたら……」
どうやら、自分がスピーチする場面を想像していたらしい。
自分が経験した事を語ると言う事は、過去受けた傷を心理的にもう一度受ける事になる。本来、二度と思い出させてはならない事かも知れないが、今回は無理をさせていた。
ただ、その代わりに少しでも負担を取り除くためにと――感情を込めず、あった事だけを話す様にと伝えていた。感情を込めると、その分だけ伝わり易いかも知れないが、心的負荷も大きくなる。
ミンには、ガムルス国内の実状を伝える役割を頼んでいた。
「大丈夫だよ、特に伝えようとしなくても大丈夫なんだ。ただ、ありのままを伝えれば良い。これまで体験した事を話せば、それだけで十分だ」
真面目なミンの事だ。恐らく、色々考える必要のない事まで考えていたのだろう。
それこそ――
「それでも、もし私達の行動が誤っていると判断されたら……」
――そう、こんな風に。
ミンの呟きに、その心配はしなくて良いと話そうとした。しかし、どうやらここに来てこれ迄表面化していなかった問題が、その頭を覗かせたらしかった。
不安げに顔を俯かせたミンが続ける。
「それに、ガムルスにも幸せに暮らす人達がいて、私のせいでその人達が不幸になるのであれば、話さない方が良いのではないでしょうか……」
混乱する心を表すかのような言葉に、思わず辛くなる。
……両親を殺されているのだ。
普通だと"許せない"という感情で満ちるはずが、何故かその犯人である者達の"家族"に対して寄り添う感情を見せていた。
心配になった正巳だったが、ここで取り乱すのは悪手だろう。
一度落ち着いて、その心理状態を分析してみる事にした。
(昔読んだ本に、似た状態について記された本があったような……)
記憶を探っていた正巳は、該当する知識を思い出してハッとした。
それは、父の書斎のある書籍にあった。
『極度に緊張した際、或いは精神的、肉体的な非常時に置かれた際、正常ではない心理状態に嵌る事がある。その一つに、危害を与えようとする対象との間に、精神的なつながりを築こうとする動きが存在する。これは、自らを危機的状況から抜け出させようとする生存戦略であり――その相手へと理解を示し、寄り添う姿が見られる』
……これに当てはまりそうだ。
その名を"ストックホルム症候群"と言うが、ミンの状態を見るにそれに近い気がする。
もしかすると、最初に助け出した時既に心に潜んでいたのかも知れないが、つい最近子供を故郷へと送り届けた時、捕虜となり"発症"した可能性もある。
この脅迫にも似た心理状態から抜け出すには、相当長い回復期間とケアが必要だろう。
それもこれも、全ては元凶が取り除かれない事には始まらない。
どう伝えたものかと思った正巳だったが、どうやら正巳が出るまでも無かったらしい。
「それじゃあお前は、俺達みたいに苦しむ人が今後も生まれて良いと?」
強い口調のテンに、ミンが小さく答える。
「それはダメだけど……」
違うと頭を振るミン。その様子を見たテンが言う。
「ミン、お前のはただ怖くなっているだけだ、傷付くのが嫌なだけだ。安全な所にいて、傷付いている人たちから目を逸らそうとしているだけなんだ」
言ったのはテンだったが、言った本人も何故か苦しそうだった。
――と言うのも、実際ついひと月前までミンは囚われ、拷問されていた。恐らく、ミンといつも一緒にいたテンだからこその言葉なのだろう。
その言葉を受けたミンは、やはりショックが強かったらしい。テンの言葉に自問自答していたが、終いにはその可能性を認めていた。
「逃げてる? そんな事、そんな事は……いえ、確かにそうかも知れない」
どうやら、自身の心に問題を抱えながらも、他者の言葉を聞き入れる部分は残っていたらしい。
普通こんな風に言われれば、反感と共に心に籠ってしまう可能性も考えられる。今回そうならなかったのは、相手がテンだった事が大きいのだろう。
ミンの言葉を聞き、テンが続ける。
「あぁ、そうに違いない。俺達は運よく、ただ運が良かっただけで助かった。いや、助けられた。だからこそ、助けられた分を少しでも行動で返していく――そう決めたじゃないか」
俯きがちに頷くミン。
どうやら、正巳の知らないところで、二人はこんな事を考えていたらしい。テンの言葉に驚きつつ、ミンの行動とテンの努力の理由を知って、胸の内から込み上げるものがあった。
そんな正巳の心を知ってか知らずか、テンの言葉は続く。
「俺はな、お前の背中を見て頑張ろうと決めたんだ。それこそ、あの時俺一人だったら何もできていなかった。まったく……あの時、俺がどんなに惨めな気持ちだったか知ってるか?」
肩をすくめて言うテンに、ミンが少し視線を上げて言う。
「アルマジロみたいな……?」
「いや、まぁそうだなそんな感じだよ。」
二人の会話の意味が分からなかったが、マムが耳打ちしてくれた。
どうやら、ガムルスにあることわざで『アルマジロの守り知らず』と言う言葉があるらしい。言葉の意味は――"何かする為の手段を持っていたとしても、それを行使する方法を知らなくては何も意味がない。かえって恥をさらすだけだ。"――と言う意味らしく、なるほどと納得した。
その後、テンの言葉にミンが若干突っ込みを入れる形で会話が繰り返されていたが、やがてミン自身見失いかけていた目的を、無事取り戻したらしかった。
「ご迷惑をおかけして、すみませんでした。大切なイベントの前なのに……」
頭を下げるミンだったが、正巳には怒るとかその類の感情は一切なかった。
「いや、ミンの事がまた少し知れて良かったよ。それに、今回は目的があって来たけど、その目的よりもこの時間の方が俺にとっては大切さ」
正巳の言葉にミンが言う。
「私よりも、拠点にいるみんなの方が大切ですよ。それなのに――」
どうやら、自分に任されたスピーチに悪影響が生まれる事で、結果的に拠点で待つ全体に迷惑が掛かる可能性があると思ったらしい。
確かにその可能性も無いとは言えないが、その場合は代替え案がある。
「勿論全体に関わる事だから、蔑ろにする訳にはいかないな。……ただ、守り方は他にもあるからね。今回の一番の成果は既に得た様なものだし、もう帰っても良いぐらいだ」
正巳が、『ミンの心の悪巣を掃えたからね、もう満足だよ』と冗談交じりに言うと、ミンが慌てて言った。
「えっ、それはダメです! 宣言もありますし、きちんとスピーチしますから行きましょう!」
恐らく、隣に待機していたマムが『分かりました、迎えを寄こしましょう』と、合いの手を入れたものだから余計に慌てたのだろう。
必死に手を引っ張ろうとするミンを見ていた正巳だったが、ふと視界に入って来たメンバー、一人ひとりの表情が解れているのを見て、頃合いだと思った。
「よし、それじゃあ時間も来たようだからな……向かうか!」
急な正巳の方向転換に、口を開いたり閉じたりしていたミンだったが、ゆっくりと呼吸をすると後に並んでいた。その口元には、先程までなかった柔らかい表情があった。
正巳は、準備が出来た事を確認すると、歩き始めた。
その先には三つほど扉があり、厳重な警備があった。
どれも、有事の際にはシェルターの役割をするものらしく、流石に世界の指導者が一堂に会しているだけの事はあると思った。
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