『 インパルス 』 ~宝くじで900億円当たったから、理想の国を作ることにした~

時雲

128話 制圧完了

 そこには、ザイに抱えられたユミルが居た。

 ……酷い怪我だ。

 ――いや、『怪我』ではない。

 これを、"訓練"の一環で学んだ。

 これは、"拷問"の痕だ。

 全ての爪が剥がされ、ボロボロになった、服の上からでも分かるような、幾つもの刺し傷。

 その両腕両足は、力なくそこにある。

 ……慰めにもならないだろうが、顔は腫れ上がっているが、他の箇所に比べると、比較的程度が軽い気がする。

 ……再び、黒い感情が沸き上がって来る。

 ――正巳は気が付かなかったが、その場の空気が一瞬で張り詰めた。その原因である本人は、自身の放っている気配にも、一度落ち着いていた髪色が、再度赤く変化し始めていた事にも、気が付いていなかった。

「状況は?」
「制圧済みです。関わった者は残っていません」

 ザイが、言いながら近づいて来る。

「神楽様――いえ、正巳様。ユミルを……」

 『ああ』と答えると、直後にマムから通信が入った。

『パパ、ユミルさんにはレベル4治療薬を半分ほどで……神経が切れているので、強く腕を動かそうと意識するように、と伝えて下さい』

 マムに、『助かる』と呟くと、ザイからユミルを慎重に引き継いだ。ザイはユミルから手を離すと、部屋内に倒れている他の子供二人を確認しに行っている。

 ザイから、『正巳に引き継いだから、大丈夫だろう』と言った信頼を感じる。ここ迄信頼を得る事になった原因は分からないが、悪い事では無いだろう。

 再び視線を戻した正巳は、懐から再度"治療薬"を取り出すと、ユミルの口元に近づけた。

 しかし――

「……ユミル?」

 何故か、口元を開こうとしない。

 困っていると、後ろに立っていた少女が、近くに寄って来た。

「ユミ……ユミル? まあ、そこら辺は後で詳しく聞きましょうか……それで、ちょっと耳良いかしら?」

 『少し離れていて欲しい』と言われた気がして、少女にユミルの体を任せた。五感が強化されている正巳は、その気になれば少女とユミルのやり取りを、盗み聞きする事が出来た。

 しかし、何となくしてはいけない気がした。

 少女が話しかける形で、ユミルが微かに頷いたり、頷いていなかったりする。

 一応、ユミルの容体を気遣ったのだろう。
 それ程待たずに、こちらに合図して来た。

「それで、君とユミルは――」
「私の事は"綾香"で良いです……お兄様」

 何を話したのか分からないが、心なしか先ほど迄より、綾香との距離が近くなった気がする。まあ、相手は少女だ。距離が近くなった所で、妹の様なものになるだけだが……

「そうか……それじゃあ綾香、ユミルに薬を飲ませたいんだが――」

 全て言い終える前に、綾香が正巳の手から薬を、半ば奪う様にして取った。

 そして――

「お兄様、これはユミ・・に飲ませて差し上げます」

 有無を言わせない口調だった為、思わず頷いてしまった。

 まあ、誰が薬を飲ませるかは重要ではない。
 重要なのは、"治療薬を飲んで貰う"と言う事だ。

「ああ、頼んだ……?」

 ――何となく視線を感じた方を見ると、何か残念な物を見る様な眼を向けているザイが居た。

 ……これ迄の訓練の中で、一度も向けられた事の無い視線だ。

 何か、重大なミスをしたのかも知れない。そう考えて、自分の行動を振り返ってみたが、一つも思い当たる節が無かった。

 そんな事をしていたら、ふと何か忘れているような気がした。

 ……何か忘れているような?
 周囲を見回して、最後に目に付いたのは綾香とユミルの姿だった。

「お姉さま、ほらちゃんと飲まないと駄目ですよ……コクコクコク……」

 ……そこには、治療薬を口移しで飲ませている綾香と、それを飲まされているユミルの姿があった。綾香の手元を見ると、治療薬の大半を既に消費している。

 ……これか。

「治療薬は半分・・で良いんだ……もう十分――」

 言い終える前に、割って入る声があった。

「お姉ちゃんと……お姉ちゃんなの?」

 そこには、小首をコテっと傾げたサナが立っていた。
 ……サナの視線の先には、今も綾香がユミルに治療薬を口移し・・・で飲ませている。

「あぁ、何でもないぞ……それで下は?」
「……? そうなの、終わったなの!」

 一瞬間が有ったが、こちらへ視線を戻したサナが、嬉しそうに報告していた。……そんなサナを横目に、綾香から治療薬を回収した。

 後ろで、綾香のぼやきが聞こえたが、過剰な摂取は良くない。薬だからと言って、必要以上に摂取すると、毒になる事すらある。

 薬を手に持ったまま、サナの頭を撫でると、嬉しそうに頬を緩ませる。

 そんなサナの様子を見てから、部屋の隅で待っていたザイに声を掛けた。……ザイに声を掛けたタイミングで、サナはユミルの様子を見に行っている。

「それで、その子達の容体は?」

「……少年は衰弱及び外傷が目立ちますが、臓器などにはダメージが少ないようです。対して少女の方は、外傷はそれ程目立ちませんが、内臓と数か所の骨が折れています」

 一応、仮面を付けて確認しに行く。……仮面の映像はマムとリンクしている。その為、マムがどれくらいの治療薬を処方するかの、判断情報の一つとなるのだ。

『パパ、少女の脇腹に手を添えて、張りを確かめて下さい』

 マムの指示の通りにする。

「そうだな、何かぐちゃぐちゃになっている気がする……それに、右下腹部が若干膨張しているな……」

 そう呟きながら、改めて、どれほどの暴力があったのかを感じていた。
 ……部屋の隅で、張本人である岩斉が縮こまっている。

 いつの間に移動したのか分からないが、恐らくイモムシの様に這って移動したのだろう。これ以上面倒毎を作られても困るので、ザイに更なる拘束を頼んでおいた。

 ザイに拘束を頼んだ後、直ぐにマムから通信があった。

『パパ、少年にはレベル1の治療薬を一本と、顔にレベル4を薄く塗って下さい。少女には、レベル5の薬を数滴お願いします』

「……ああ、分かった」

 マムに礼を言うと、直ぐに取り掛かった。


 ――5分後。

 そこには、安定した呼吸をする少年と少女が寝ていた。……少年はともかく、少女は相変わらず裸だったので、そのまま皮のコートで包んでおいた。

 途中で、微かに悲鳴が聞こえて来た方を見ると、ザイが岩斉の片目を抉り出していた。

 『ザイの事だから、俺が始末していない意図を組んでくれるだろう』……とは思ったが、一種の報復をしなくては気が済まなかったようだ。

 ……目を抉られた岩斉が、『俺にもその薬をよこせぇ』とか喚いていたが、途中でザイが黙らせていた。

 ……あれ?

 そう言えば、暫く前からマムとの会話や道具を、ザイや他の者達の前で使っていたが……良かったんだっけ?

 余り深く聞いて来る人はいなかったけど、本来であれば岩斉みたいに『寄越せ!』ってなっても可笑しくないのだが……

「なあ、ザイ……――」

 ――ザイに聞いてみると、『今更です』との事だった。

 ……どうやら、半年前から既に色々な方面から、報告が上がっていたらしい。

 その中で、『白い少女とハッカーは、"ガーディアン"と呼ばれています』と言う事を聞いた。……どうやら、AIであるマムは未だにハッカー……つまり、人間が裏に居ると思われているらしい。

 まあ、その認識でも良いのだが……ザイであれば、本当の事を話しても良い気がする。一応、今井さんや上原先輩と相談した上で、折を見て話しておこう。

 ……ユミル達の方を見ると、どうやら立ち上がれるまで回復した様だった。その手の先には、新しい爪が生えており、その体の彼方此方に見えた拷問の痕は、綺麗に治っている。

 ユミルは、無事に治った片腕・・を、サナと繋いでいた。

 どうやら、片方の腕は上手く神経が繋がらなかったらしい。外傷は綺麗にはなっているが、未だに力なく垂れ下がっている。

「ユミル――……?」

 ユミルと視線が有ったので、声を掛けたのだが、目線を逸らされてしまった。

 ……気のせいかも知れない。

「……ユミル?」

 ……やはり反応が無い。

 もう一度声を掛けようとした所で、マムからの報告が入った。

『パパ、デューとバロムがターゲット抹消……いえ、制圧完了したようです』

 報告して来たマムに、『分かった……出る』と答えて、向き直った。

 ……相変わらず、ユミルは視線を合わせてくれない。

 ユミルの様子に首を傾げながら、取り敢えず次の指示を出した。

「……さあ、制圧を終えたようだ……出るか」

 そう言うと、サナが聞いて来た。

「どこ行くなの?」

 近づいて来たサナを抱き上げると、言った。

「勿論、弘瀬組本部だ!」

 言い切った正巳の視界には、サナが離した手を、名残惜しそうに眺めている、ユミル姿が映っていた。……何かが変わった訳では無いようだが、目を合わせてくれないのは、少し寂しい。

 正巳には、ユミルの態度の理由が、さっぱり分からなかった。

 いつまで悩んでいても仕方が無いので、ザイには岩斉を、サナと正巳は其々少女と少年を抱き上げて、移動を開始した。

 ……一応、情報収集をしておこうかと思っていたのだが、ザイが『後日調査後、全ての情報を報告します』と言った。ザイが言い切ったので、信用する事にした。

 移動の最中に、館内に飛ばしていたイモ吉を集めた。

 イモ吉を回収した際に、一応其々の映像をマムにピックアップさせて、確認した。すると、その殆どの映像に、サナが活躍する様子が写っていた。

 ……正に、"白い悪魔"のようだ。

 一切の容赦が無く、見つけたら即始末。

 移動しながら、サナの活躍を観る事にした。



 ――数分後。

 そこには、腕立て伏せをしている二人の男がいた。

 その名は、デューとバロム。

 何故こんな事になっているかと言うと……

「48、49、50……全く、あれほど銃器類は使うなと言っただろうに」

 そう、腕立て伏せをしている男の内の一人、蛇を思わせる男"デュー"が銃使っていたのだ。ただ、『命に危険を感じる相手には使って良い』とも言っている。

 デューの言い分では、『十分に死を連想させる相手でした!』との事だった。しかし、その後ザイが、『それでは、その相手はサナ様と比べてはどうだった?』と聞いた所、『比べるのも馬鹿らしいかと!』と、ハッキリと断言したのがいけなかった。

 結局、『少女にも劣る者にホテルマンが務まるか!』と言うザイの言葉で、"車両が来るまで腕立て伏せ"が始まったのだ。

 ……正直、無茶苦茶だ。

 そこらの者では、到底サナに敵わないだろうに……。

 とは言え、デューとバロムも相当の手練れだ。この二人に、『命の危険を感じた』と言わせるとは、確かに相当危険な奴だったのかも知れない。

 地面に汗の染みを広げながら、ひたすら腕立て伏せを続けている。

 ……恐らく、迎えの車両が来るまでそうしている事になるだろう。

 『迎えの車両』と言っても、マムが『今用意します!』と言ったモノなので、何処から、どんなモノを調達するのか分からないが……

 腕立て伏せをしている二人を見ながら、ザイに聞いてみた。

「かなりの数の仏が出来たが、始末はどうするんだ?」

 すると、ザイは片目を閉じると、意味深げな表情をして言って来た。

「神楽様が、ホテルに所属して下さるなら、全てお教えしますが……?」
「ああ、いや……結構だ。問題ないなら良いんだ」

 何となく、この話をこれ以上しても危なそうだったので、話を切り上げた。

 ……ザイが本気っぽいのが特にヤバイ。

 ――――

 その後、眠くなって来たらしいサナから少女を引き継ぎ、サナがユミルの腕の中で寝息を立て始めた頃、車両がようやく到着した。

 車両は、ホテルの特別車両――"装甲車"だった。

 大方、ユミルがここに来る際に、使用したのだろう。

 ……ユミルは、車の運転が出来なかったと思うが、もしかしたら半年前に正巳が失踪していた間で運転出来るようになったのかも知れない。

 ――そんな事を考えていたのだが、車両を見たユミルが、『ナビさん?』と呟いているのが目に入った。何となく展開が見えたので、詳しく話を聞こうとしたのだが、ユミルはさっさと車両の中に入ってしまった。

 ……少し傷付いた心を擦りながら、車両内に入り、少年と少女を車両内に横に寝かせた。その後再び車両から出ると、デューとバロムに『出るぞ』と声を掛けた。

 デューとバロムの二人が車両に入ったのを確認して、車両内に入ろうとしたら、まだそこに残っていた綾香が、手を引いて来た。

「あの……火傷はその、大丈夫ですか? ……ユミの時は凄く熱くて」

 綾香が心配そうにしているが――

「大丈夫、あれくらい何とも無いよ」

 そう言って、手の平と腕を見せた。
 ……少しの間、ジっと見ていた綾香だったが、納得した様だった。

「良かった――その、ごめんなさい、ね?」

 上目遣いに言って来た、綾香の言葉の意味が分からなかったが、一応受け取っておいた。

「ああ、いいさ……」

 正巳の答えたのを聞いた綾香は、満足したのか、車両の中へと入って行った。

「……火傷しそうになった事かな?」

 などと呟きながら車両に乗り込んだ正巳だったが、乗り込んだ席の目の前にいた人を見て、何となくだが『もしかして、ユミルの機嫌が悪いのは綾香が何かしたから?』等と、近いような遠いいような事を悶々と考え始めた。

 ――正巳が悩み始めた所で、マムの運転によって車両が動き始めた。

 当然の様に、運転手が居ない"自動運転"だったが、そこに乗っていた誰一人として、疑問を口にする事は無かった。

 理由は様々であったが、その大半が、現状の殆どの部分で"非常識"とも言える状態に、麻痺していたのだった。

 ……ただ一人、ザイに片目を抉られながらも、周囲を観察していた男を除いて。





 ――男は、内心興奮していた。

 今日知った情報を裏に流す事で、どれほどの富と力を得る事が出来るだろうか。更には、この情報をあの男に流す事で、更なる恩恵を得られるのではないか……と。

 男は知らなかったのだ。

 そもそも、頼りにしている男が、何故連絡が付かない状態にあるのかを。そして、これから自分に訪れる不幸についても。

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